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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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第18話『決戦・裏』その13

 朝――。


「まったく、煙責めとか勘弁して欲しいし」


 アリデッドは灌木の陰に隠れながらぼやいた。

 森には濃霧のように煙が漂っている。

 帝国軍の仕業だ。

 昨日から帝国軍は煙を焚いている。

 アリデッド達の視界を塞ぎ、障害物の撤去作業を邪魔させないようにするためだ。

 お陰で木の上に作った監視台が使えなくなった。

 部下を分散配置したので帝国軍の動向が掴めなくなったということはない。

 だが、打撃力が低下した。

 側面からの攻撃で帝国軍を無力化するのは不可能だろう。

 必然、左翼に配置された歩兵が防備の要となる。

 十字弓が配備されているので大丈夫だと思うが、どうしても不安を拭えない。

 アリデッドは軽く咳払いし、口元を覆う布の位置を直した。

 目が痛い、鼻が痛い、喉も痛い。


「あたしらは燻製じゃないし」

『同感でござる』(ぐるる)


 アリデッドがぼやくと、地面からタイガの声が聞こえた。

 視線を傾ける。

 すると、タイガが地面に伏せていた。

 他の獣人も同様だ。

 獣人は優れた嗅覚を持つ者が多い。

 布で口元を覆ったくらいでは煙の影響から逃れることはできない。


「大丈夫みたいな?」

『厳しいでござるな』(ぐるる)


 アリデッドが尋ねると、タイガは溜息を吐くように言った。


「諸部族連合と配置転換するみたいな?」

『今はタイミングが悪いでござる』(ぐるる)

「仰る通りだし」


 アリデッドはがっくりと肩を落とした。

 帝国軍は両翼の障害物を撤去し、今まさに本陣へ突撃を仕掛けようとしているのだ。

 流石にこのタイミングで配置転換は難しい。

 突然、タイガが体を起こす。

 もちろん、アリデッドの耳も異変を捉えている。


『アリデッド隊長――』

「帝国軍に動きがあったでOKみたいな?」


 通信用マジックアイテムから部下の声が響く。

 アリデッドは最後まで報告を聞かずに尋ねた。


『防塁に隠れていた敵指揮官が体を――』

『アリデッド、シロ、迎え撃つ準備を』


 部下の言葉が再び遮られる。

 遮ったのはクロノだ。


『視界は煙で閉ざされているから狙う必要はない。敵が動いたら矢を放て』

『了解みたいな』

『俺、頑張る』(がうがう)


 アリデッドが返事をすると、シロも続いた。


『あと、重装歩兵は投石の準備ね』


 クロノが思い出したように言い、アリデッドは苦笑した。

 気分が楽になる。

 クロノの声を聞いただけなのに我ながら現金なものだと思う。

 皇軍の精神的支柱はクロノなのだと強く感じる。

 その時――。


「突撃ぃぃぃぃぃッ!」

「おぉぉぉぉぉッ!」


 敵指揮官の声と雄叫びが聞こえた。


「狙いを付けず、目の前を通る敵を撃てみたいなッ!」


 アリデッドは通信用マジックアイテムに叫び、機工弓を構えた。

 相変わらず視界は煙で閉ざされている。

 ぎゃッ、と短い悲鳴が断続的に響く。

 部下が敵を撃ったのだろう。

 ドドドッという音が響き、煙に敵の影が映る。

 アリデッドは矢を放った。

 敵兵が頽れる。

 すかさず次の矢を番えて放つ。

 敵兵が頽れる。

 矢を番えて放つ。

 敵兵が頽れる。

 矢を番えて放つ。

 敵兵が頽れる。

 矢を番えて放つ。

 敵兵が頽れる。

 矢を番えて放つ。

 敵兵が頽れる。

 ひたすら同じ動作を繰り返す。

 敵は仲間が死んでも足を止めない。

 側面から攻撃されているのに前へ、前へと突き進む。

 熱を感じる。この熱に連中は突き動かされているのだ。

 アリデッドは矢を放つことに集中する。

 一体、どれくらい矢を放ち続けただろう。

 それほど時間は経っていないはずだが、ひどく長く感じられた。

 最後の矢を番えた時、視界が明るくなった。

 敵兵がいなくなったのだ。

 風が吹き、煙が晴れる。

 すると、そこには敵兵の屍が累々と横たわっていた。

 アリデッドは口元を覆う布を下げ、大きく息を吐いた。


『アリデッド隊長……』

「どうかしたみたいな?」

『敵兵がまだ残っています』


 アリデッドは敵本陣――正確には土嚢で築かれた防塁――の方を見た。

 槍を手にした男が立っている。

 夜襲を仕掛けた時に『その首、もらい受ける』と言っていたヤツだ。

 タイガが立ち上がり、目を細める。


『あれはロイ殿でござるな』(ぐるる)

『どうしますか?』

『ロイ殿は殺さないで』


 部下の質問に答えたのはクロノだった。


『今なら殺せると思いますが……』

『残った兵士が暴走すると厄介だからね。足下に矢を放って追っ払って』

『……了解』


 部下はやや間を置いて答えた。

 口調から感じるのは疑念。

 矢を放ったくらいで追い払えるのか疑問に思っているのだろう。

 だが、それでも、命令に従うのが兵士だ。

 矢が放たれる。

 山なりの軌道を描き、槍を手にした男――ロイの足下に突き刺さる。

 すると、部下と思しき男がロイの腕を掴んだ。

 二人は何やら押し問答をしていたようだが、最終的には踵を返して本陣に向かった。

 アリデッドは軽く目を見開く。

 まさか、本当に矢を放っただけで追い払えるとは――。


「これで作戦は大きく前進みたいな?」

『レオンハルト殿を引っ張り出さないと前進とは言えないでござるな』(ぐるる)

「それは分かってるし」


 レオンハルトという切り札を使わせる。

 それで初めて作戦が前進したと言える。

 もっとも、その後は賭けになるが――。


「ギャンブルは嫌いだし」

『拙者も嫌いでござる』(ぐるる)


 アリデッドが溜息交じりに呟くと、タイガは小さく頷いた。



「……旦那様」

「ご苦労だった」


 ロムスが礼を言うと、使用人は恭しく一礼して後ろに下がった。

 姿見を見つめる。

 そこには鎧に身を包んだロムスの姿があった。

 また、この鎧を着ることになるとは思っていなかった。

 いや、予感はあったのだろう。

 だから、鎧を手元に置いた。


「……重いな」


 ロムスは手を胸の高さに持ち上げた。

 サイズは合っているものの、重く感じる。

 当然か。最後に鎧を着てから三十年余りが経っているのだ。

 誰もが若いままではいられない。

 この鎧もそうだ。

 この鎧は製作当時の最先端技術で作られた。

 身に着けた姿を見せるだけで何処からか感嘆の声が聞こえたものだ。

 手入れは欠かさなかったが、古びた感が拭えない。

 だが、悪くない気分だった。

 不思議な高揚感がある。

 恐らく、これは血のなせる業だ。

 初代皇帝は武力によって群雄割拠する半島を平定した。

 その息子である二代目皇帝は領土的野心を持たなかった。

 詩吟を愛し、徳と智によって国を治めようとした。

 平和を望んでいたのだ。

 だが、その生涯において幾度となく武力を行使している。

 皮肉な話だ。平和を望む者が平和を守るために戦わなければならないのだから。

 しかも、その過程で弟――初代パラティウム公爵を失っている。

 初代パラティウム公爵は二代目皇帝を守るために戦死したのだ。

 神威術・神威召喚を使って、光となって消えたと言う。

 幼い頃はこの話を聞いて自分もかくありたいと思ったものだ。

 だが、今は――。

 ロムスは小さく頭を振った。

 いけない。思考が横道に逸れてしまった。

 大事なのは初代パラティウム公爵の最期ではない。

 パラティウム公爵家が武門の家柄ということだ。

 鎧を身に纏うことで高揚感を得ても不思議ではない。

 これが本来の自分なのだ。

 そんなことを考えていると――。


「……旦那様」


 アルフレッドがおずおずと声を掛けてきた。

 口調から何か言いたいことがあるのだと分かる。

 まったく、折角の高揚感が台無しだ。

 だが、長く仕えているのだ。

 蔑ろにはできない。


「何だ?」

「……お考え直し下さい」


 アルフレッドは呻くように言った。

 ロムスは溜息を吐き、使用人に目配せした。

 すると、使用人達は部屋を出て行った。

 扉を閉める音が響く。


「旦那様、お考え直し下さい。アルフォート皇帝に付くべきではありません」

「またそれか」


 ロムスはうんざりした気分で言った。

 ハマル子爵から書簡が届いた日、アルフォート皇帝に付くと決めた。

 二日前のことだ。

 以来、ずっと考え直せと言い続けている。


「もうすでに状況は動いている。領内の兵士と自警団員は続々とミソロス郊外に集結しているのだぞ?」

「それは存じております。ですが――」

「今更、もう少し様子を見るなどと言えばいい笑いものだ」


 アルフレッドの言葉をロムスは遮った。

 パラティウム家は皇帝に次ぐ領地を持つ。

 当然、領地を守る兵士の数も多い。

 帝国軍と自警団員を全て併せれば三万を優に超える。

 だが、全ての兵士を自由に扱える訳ではない。

 自分の領地を守らなければいけないし、距離の問題もある。 

 帝都に派遣できるのは五千程度だ。

 せめて一万は動員したいが、かなり強引に兵士を集めた後だ。

 出陣を先延ばしにしたら怖じ気づいたと思われかねない。

 それに、時間を掛けたらチャンスを逃してしまうような気がした。


「帝国軍と反乱軍の戦力は拮抗している。我々が参戦すれば帝国軍は勝てる。そうすれば中央への影響力を強化できるのだ。どうして、それが分からない」

「この戦いはパラティウム家にとって、いえ、旦那様にとって不要な戦いでございます」

「何を言うのだ!」


 ロムスは思わず声を荒らげた。


「もう一度、申し上げます。旦那様は不要な戦いをされようとしています」

「中央への影響力を強化できるのだぞ。これの何処が不要なのだ」

「パラティウム家はすでに大きな影響力を有しております」

「馬鹿を言うな!」


 ロムスは再び声を荒らげた。


「三十余年の内乱でパラティウム家の威信は地に墜ちたではないか。同じ祖を持つというのに先帝陛下に進言はおろか、会うこともできなくなった」

「時代が変わったのです」

「そうだ。だから、あの小役人――アルコルに従う羽目になった。何故だと思う?」

「それは……」


 アルフレッドは口籠もった。

 分からないからではない。

 分かっているからこそ、口籠もったのだ。


「私が戦えず、存在感を示せなかったからだ」

「あれは旦那様のせいでは……」

「ああ、分かっている。だが、私が分かっていても意味がないのだ」


 賢者であれば言葉を尽くせば分かってくれるだろう。

 だが、世の中はそうでない者で溢れている。

 賢者でない者を基準にして考えなければならないのだ。

 そのためにはどうすればいいのか。

 簡単だ。行動で示せばいい。

 一つの行動は百万の言葉に勝る。

 そうやって、アルコルはラマル五世の信頼を勝ち取り、ロムスは失った。


「一つお聞かせ下さい。何故、アルフォート皇帝に付こうと考えられたのですか?」

「反乱軍が勝てばパラティウム家は存続さえ危うい」

「まさか! そのようなことは……」


 ロムスの言葉にアルフレッドは驚いたように目を見開いた。


「ティリア皇女が転地療養する時、私は何もしなかった。もちろん、私にも言い分はあるが、それを信じてもらえると思うか?」

「言葉を尽くせば必ず……」


 アルフレッドは呻くように言った。

 瞳が揺れている。

 ロムスは苦笑した。

 彼自身が自分の言葉を信じていないのだ。

 自分を騙せない嘘で主人を丸め込めると思っているのか。


「恐らく、弁明の機会は与えられるだろう。だが、信用されることはない。きっと、ティリア皇女は同調して反乱を起こした新貴族を重用する。先の内乱と同じだ。連中は行動し、私は行動しなかった。孫の代になれば我々――旧貴族と新貴族の立場は逆転する。これでもまだ不要の戦いと言うのか?」

「……危険な賭けに出ているように見えます」


 ロムスの問い掛けにアルフレッドはやや間を置いて答えた。


「ティリア皇女が勝利しても旦那様が存在感を示す場面は巡ってきます」

「たとえば?」

「戦後、ティリア皇女と旧貴族の紐帯となることはできましょう」

「信用されていないのに、どうして紐帯になれる」


 アルフレッドの言葉をロムスは鼻で笑った。


「行動だ。行動で示すしかないのだ」

「……」


 アルフレッドは無言だった。

 無言でロムスを見つめている。


「アルフレッド、お前も私と同じものを見てきたはずだ。何故、分かってくれない」

「今の旦那様は危うく見えるのです。まるで新貴族の風下に立ちたくないがために理屈をこね回しているように見えます」

「――ッ!」


 アルフレッドの言葉に頭が真っ白になった。

 激昂しかけた。

 そう言われることを想定していたというのにだ。

 ロムスは深く呼吸した。


「アルフォート皇帝に与すると決めたのは今からティリア皇女の信用を勝ち取るのが難しいと判断したからだ。私はまだアルフォート皇帝の信用を失っていない」

「…………分かりました。よくよく考えてのことでしたらもう何も申しません」


 長い沈黙の後でアルフレッドは言った。

 理解してくれたからではない。

 使用人の分を越えて発言した。

 その上でロムスがアルフォート皇帝に付くと宣言した。

 要するに諦めたのだ。

 ロムスは小さく息を吐いた。

 彼とは長い――物心付いた頃からの付き合いだ。

 その彼に理解してもらえなかった。

 それが残念でならない。

 だが、一族の当主とはそういうものだ。

 決断し、責任を負わねばならない。

 コンコンという音が響く。

 扉を叩く音だ。


「入れ!」

「……失礼いたします」


 ロムスが声を張り上げると、扉が開いた。

 扉を開けたのは使用人だ。

 恭しく一礼し、その場で待機する。


「何の用だ?」

「出陣の準備が整いました」


 うむ、とロムスは頷き、足を踏み出した。

 すると、アルフレッドが心配そうに尋ねてきた。


「……旦那様」

「心配するな。勝算はある。留守を頼んだぞ」

「旦那様、ご武運を……」


 アルフレッドが深々と頭を下げ、ロムスは部屋を出た。


「旦那様、外に箱馬車を待たせてあります」

「分かった」


 使用人に先導され、ロムスは公爵邸の廊下を進む。

 ふと不安が湧き上がる。


「書簡は帝都に送ってくれたな?」

「もちろんです」


 念のために確認すると、使用人は当然のように答えた。


「アルフレッドは何か言っていたか?」

「申し訳ございませんが……」


 使用人は言葉を濁した。

 それで書簡を送るまでにトラブルがあったと分かった。

 恐らく、アルフレッドがぎりぎりまで書簡を送ろうとしなかったのだろう。


「送ったのならば問題ない。不問に付す」

「ありがとうございます」


 使用人は安堵したかのように言い、ロムスは小さく苦笑した。

 ぎりぎりまで書簡を送らない。

 家令として悩んだ末の判断だったのだろう。

 だが、本気で止めようと思えばいくらでも止められたはずだ。

 毒を盛っても、軟禁しても――レオンハルトを擁立し、家督を継がせてもよかった。

 それをしなかったということは本気ではなかったということだ。

 殺してでも止めるという覚悟がなかった。

 だから、ロムスの翻意を期待するしかなかった。

 もっとも、期待していたのはロムスも同じだ。

 だから、『何故、分かってくれない』などと口にしたのだ。

 主従揃って、いや、息子も含めてなんと甘いことか。

 その息子もあの書簡を見れば決起するだろう。

 息子はどちらに付くのか。

 十中八九、アルフォート皇帝に付くだろうが、逆らうのならそれもまたよしだ。

 それだけの覚悟があるということなのだから。

 中途半端な覚悟では何もなし得ない。

 そんなことを考え、ロムスは自嘲した。

 まったく、何を偉そうなことを考えているのか。

 ハマル子爵から書簡が届くまで様子見に徹しようとしていたではないか。

 それが覚悟を決めた途端、他人にまで覚悟を求めている。

 なんと自分勝手なことか。

 だが、これこそが人間だ。

 教訓を得たつもりで同じ轍を踏み、互いに理解を期待しながら平行線を辿る。

 覚悟を決めただけで何かを成し遂げた気分になり、そうでない者を嘲る。

 ああ、実に人間的だ。

 このまま何も成し遂げられなければ一族の歴史に汚点を残して終わる。

 今度こそ栄光を掴むのだ、とロムスは拳を握り締めた。

 不意に先導していた使用人が走り出し、扉を開けた。

 すると、そこには箱馬車が止まっていた。

 ふと指揮官が箱馬車に乗っていいのかという疑問が湧き上がる。

 今からでも馬を用意すべきではないか。

 そんなことを考えていると――。


「旦那様、どうぞ」


 使用人が箱馬車の扉を開けた。

 ロムスは少し迷った末に箱馬車に乗り込んだ。

 使用人は恭しく一礼すると扉を閉めた。



 ロムスは箱馬車の窓からミソロスの街並みを眺めた。

 街の中心部は初代パラティウム公爵の時代の建物が残っている。

 だが、中心部から遠ざかるほどに新しい建物が増えていく。

 街が発展するのは喜ばしい。

 その一方で、これが本当に発展なのかと不安を覚えることがある。

 自分が発展だと思っているものは混沌なのではないかと。

 不意に街並みが途切れる。

 丘を迂回し、軽く目を見開く。

 兵士が整然と並んでいた。

 その数、およそ五千。

 箱馬車のスピードが緩やかなものに変わり、兵士達からやや離れた場所に止まる。

 ロムスは背筋を伸ばした。

 すると、使用人が扉を開けた。

 風が吹き込んでくる。

 冷たく、凍てついた風だ。

 だが、不思議と気にならなかった。

 それどころか、じっとりと汗ばんでいる。


「……旦那様」

「うむ、分かっている」


 ロムスは鷹揚に頷き、箱馬車から降りた。


「おお! ロムス様ッ!」


 ロムスは声のした方を見た。

 太った男がドタドタと駆け寄ってきた。

 従兄弟のモリアだった。

 無能ではないが、今一つ印象の薄い男だ。

 彼には領地の一つを任せている。

 この戦いに参加するつもりはないのだろう。

 鎧は身に着けていない。

 近づくにつれ、モリアのスピードは鈍っていく。

 運動不足だ。

 仕方がなく歩み寄る。

 モリアはロムスの前で立ち止まった。

 汗をだらだらと流している。

 呼吸も荒い。

 今にも死んでしまいそうだ。

 呼吸が落ち着いたタイミングを見計らって声を掛ける。


「お前も行くのか?」

「申し訳ありませんが、私は……」


 モリアは言葉を濁した。

 そうだろうな、と思う。

 ほんの数十メートル走っただけで死にそうになっているのだ。

 これで自分も行くなどと言ったら大幅に評価を下げなければならなかった。

 自身を省みられない男に代官が務まる訳がない。


「その代わりに息子が……」

「ほぅ、アーヴィンが」


 ロムスは軽く目を見開いた。

 もちろん、演技だ。

 アーヴィンは軍学校時代の成績も悪く、大した戦功も積んでいない。

 それを軍務局に根回しして大隊長にしてやったのだ。

 これで参加しないというのなら舐めた真似をしたツケを支払わせてやる所だ。


「まあまあ、お兄様! こんな所にいらしたのね」


 甲高い声が響く。

 声のした方を見ると、妹のシルヴィアがこちらに近づいてきた。

 紫色のドレスを着ている。

 こちらも挨拶だろう。

 視線を巡らせると、見知った顔がいくつもあった。

 きょろきょろと周囲を見回している。

 相手の出方を窺っているのだろう。

 くだらない駆け引きだ。

 だが、無下にすることもできない。

 彼らの立場はロムスあってのものだが、それは礼を失していい理由にはならない。

 こうして、ロムスは時間を無駄にした。



 夕方――ロムスは箱馬車から景色を眺めていた。

 茜色に染まった景色を見ながら思うのは、やはり馬に乗ればよかったということだった。

 戦いに行くのだ。

 物見遊山ではない。

 鎧と箱馬車がこうも相性の悪いものだとは思わなかった。

 道化にでもなったような気分だ。

 今からでも馬に乗るべきか。

 いや、と小さく頭を振る。

 理由を問い質されたらどうする。

 格好を付けたいから馬に乗りたいと言うのか。

 有り得ない。

 かと言って適当な理由も思い付かない。

 この格好で帝都に行くしかないのか、と唇を噛み締める。

 突然、箱馬車のスピードが落ちる。

 今日はここで野営にするのだろう。

 箱馬車が止まり、扉が開く。


「……旦那様」

「今日はここで野営か?」

「それもありますが、先遣隊から報告があると……」

「報告だと?」


 はい、と使用人が頷く。

 どんな報告だろう。


「分かった。呼んでこい」

「はッ、承知しました」


 使用人は一礼すると踵を返した。

 ロムスは肩を回し、箱馬車から降りた。

 すぐに騎士が駆け寄ってくる。

 もちろん、下馬している。

 騎士はロムスの前に来ると片膝を突いた。


「……ロムス軍団長」

「発言を許可する」

「はッ、我々は先遣隊として領境へと赴いたのですが……」

「ふむ、領境ということはケルマヌス伯爵の領地だな」


 はて、何が問題なのだろうか、とロムスは首を傾げた。

 ケルマヌス伯爵とは懇意にしている。

 出陣前に書簡を出し、領地を通り抜ける許可ももらっている。


「実は……領境に関所が設けられておりまして」

「何だと!?」


 ロムスは思わず問い返した。


「ケルマヌス伯爵には事前に話を通したぞ?」

「私もそのように伝えたのですが、警備の兵士はそんなことを聞いていないと……」


 くッ、とロムスは呻いた。

 ふざけたミスをしたケルマヌス伯爵に対して怒りが込み上げる。

 そこで疑問が湧き上がる。

 本当にケルマヌス伯爵はミスを犯したのかと。

 このタイミングだ。

 ケルマヌス伯爵が反乱軍に便宜を払ったと考えた方が自然だ。


「どのような関所だった?」

「兵士が十人程度、木を組み合わせた粗雑な柵で道を塞いでいました」

「……十人か」


 ロムスは腕を組んだ。


「どうされますか? 突破するのならば――」

「少し考えさせろ」

「承知いたしました」


 ロムスが言葉を遮って言うと、騎士は頭を垂れた。

 こちらには五千の兵士がいる。

 十人程度の関所など力ずくで突破できる。

 だが、力ずくで突破すればどうなるか。

 ケルマヌス伯爵は攻撃を仕掛けてくるに違いない。

 最終的にロムスが勝つにせよ、将兵は死に、禍根を残す。

 本当に連絡ミスだったにせよ、わざとにせよ、まずは交渉をしなければなるまい。


「分かった。私がケルマヌス伯爵と話をする。馬は何処か?」

「今からですか?」

「問題があるのか?」

「もうじき陽が暮れます」


 ロムスが問い返すと、騎士は低い声で言った。


「陽が暮れるから何だと言うのだ?」

「盗賊に襲撃される恐れがございます」

「ここはまだ私の領地だぞ」

「領境に向かうとなれば別です。それに領境に着いたとてケルマヌス伯爵がすぐに来て下さるとは限りません。むしろ、待たされると考えた方が自然かと」


 ロムスは怒りを覚えたが、騎士の言うことはもっともだ。

 故意に連絡ミスをしたのだとしたら待たせるに違いない。

 盗賊を装い、襲ってくる可能性もある。


「分かった。移動は明日の朝にする」

「ありがとうございます」

「ご苦労だった。明日に備えて休め」


 はッ、と騎士は返事をして立ち上がった。

 踵を返し、仲間達の下へ向かう。

 ロムスは手で口元を覆い、くそッと吐き捨てた。

 栄光を掴むはずが、こんな所で――行軍初日にして足止めを喰らっている。

 帝国を救い、分かたれた血を一つにする。

 思い描いた絵図がぼろぼろと崩れていくかのようだ。

 まるで三十余年前の再現だ。

 また何もできずに終わるのだろうか。

 いや、と小さく頭を振る。

 自分はあの頃のような青二才ではない。

 歳を取った。

 経験を積んだのだ。

 今の自分ならばケルマヌス伯爵と交渉して領地を通り抜ける許可を得られるはずだ。

 こんな所で終わってたまるか、と手で口元を隠したまま呟いた。



 夜――。

 パラティウム公爵は終わりですわね、とセシリーは野営地を見つめた。

 野営地はケルマヌス伯爵領とピシャロッテ伯爵領の境に設けられた。

 続々と兄の部下――第五近衛騎士団の団員が集まっている。

 事前に示し合わせていたとはいえ流石としか言い様がない。

 今いるのは五百騎程度、さらに五百騎が集まってくる。

 今まで兄は一カ所に留まらないようにしていた。

 それが一カ所に留まり、馬を休ませている。

 違う行動を取っている。

 否応なく終わりを予感させる。

 ふと気配を感じて振り返ると、兄が立っていた。


「どうしたんだい?」

「何でもありませんわ」


 セシリーは小さく溜息を吐き、木により掛かった。


「ちょっとセンチな気分になっていましたの」

「それはどうしてだい?」

「四百年以上続いたパラティウム家がなくなると思えばセンチにもなりますわ」

「まだ分からないよ」


 兄が軽く肩を竦め、セシリーは目を細めた。


「本当ですの?」

「クロノ殿が時間を稼げなければ、ティリア皇女が偽帝アルフォートを討てなければ消えるのは私達になる」


 ああ、とセシリーは声を上げた。

 兄の言う通りだ。

 パラティウム公爵が終わるのは皇軍が勝った時だ。


「セシリーは信じているんだね」

「…………どうでしょう?」


 セシリーは首を傾げた。

 正直、こんな状況で信じているかと言われても困る。

 そもそも勝算があると考えたからここにいるのだ。

 とはいえ負けた時のことを想定していなかったのも事実だ。

 楽観か、浅慮かは自分でも判断しかねるが。


「まあ、あの生命力は信じてもいいと思いますわ」

「クロノ殿の?」

「他に誰かいまして?」


 セシリーが問い返すと、兄は軽く肩を竦めた。


「だが、まあ、私はそこまで純情ではなくてね」

「……純情」


 思わず顔を顰める。


「保険を掛けておきたいんだ」

「好きにすればよろしいのではなくて」

「それはよかった」


 ふっ、と兄は笑った。

 いい予感はしなかった。


「セシリー、部下を百騎預ける」

「百騎だけですの?」

「精鋭中の精鋭だよ」

「なら、わたくしは必要ないのではなくて?」


 兄は困ったように眉根を寄せたが、事実だ。

 第五近衛騎士団におけるセシリーの実力は中の下と言った所だ。

 そんな自分に指揮官など務まるものか。

 しかし――。


「分かりましたわ」

「引き受けてくれるのかい?」

「そう申し上げたつもりですわ」

「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」

「白々しい」


 セシリーは顔を背けた。

 兄のことだから断ったら命令したことだろう。


「いつ発てばいいんですの?」

「手紙を書くから少し待ってくれないかな」

「すぐに発てという意味ですわね」


 今から出発すれば明後日の夕方には帝都に着きますわね、とセシリーは小さく溜息を吐いた。

 兄が何を考えているかは分からない。

 戦後のことを考えてなんてくだらない理由でないことを祈るばかりだ。



 夕方――。

 ティリアは香茶を飲み、ほぅと息を吐いた。

 マイラ特製香茶の刺激臭にすっかり慣れてしまった。

 最初の頃は刺激臭に警戒感を抱いたのに、まったく慣れとは恐ろしい。

 だが、最近は気分を落ち着かせる香茶があればと思う。

 坑道は完成した。

 第三近衛騎士団のアルヘナ・ディオスも殺した。

 だが、帝国はまだ切り札レオンハルトを使おうとしない。

 使えない事情があるのか。

 それとも、温存するつもりか。

 後者だとしたらマズい。

 作戦を練り直そうにも皇軍は広域に展開しすぎている。

 ティリアが唇を噛み締めたその時、マイラが口を開いた。


「……奥様」

「何だ?」

「誰か来たようです」


 マイラが呟いた直後、風が吹き込んできた。

 誰か――ジョニーが扉を開けたのだ。

 扉の向こうにいたのはジョニーだけではない。

 セシリーの姿もあった。


「ジョニー、ノックもせずに扉を開けるとは何事ですか」

「い、いや、急ぎの用だったんスよ」


 マイラがこめかみを押さえて言うと、ジョニーは言い訳がましく言った。


「漫才は後にして下さらない?」

「……漫才?」

「――ッ!」


 マイラが低い声で言うと、セシリーはびくっと体を震わせた。

 う~ん、とティリアは唸った。

 確かセシリーとマイラは面識があったはずだ。

 セシリーの態度を見れば二人の間に何があったのか何となく分かる。

 それなのに、どうして怒らせるような真似をするのか。


「旧交を温めるのは後にしろ」

「まあ!」

「旧交を温めるのは止めろ」


 マイラが嬉しそうに声を弾ませ、ティリアはうんざりした気分で呟いた。


「……奥様がそこまで仰るのでしたら」

「セシリー、何の用だ?」

「お兄様から手紙を預かって参りました」

「そうか、話は中で聞くとしよう」

「失礼いたします」


 セシリーは恭しく一礼すると小屋の中に入った。

 ちなみにジョニーは外で待機だ。

 寂しそうな顔をしていたが、仕方がないこともある。

 セシリーはティリアに歩み寄り、テーブルに手紙を置いた。

 ティリアは手紙を手に取り、内容を確認する。

 そして、目を見開いた。


「これは……パラティウム公爵が動いたというのは本当か?」

「ええ、その通りですわ」


 セシリーは誇らしげに胸を張った。

 当然か。最小の手間でパラティウム公爵を動かしたのだ。

 それにしても、とティリアは思う。

 パラティウム公爵は迂闊すぎる。

 自分がアルフォートに付くことを隠そうともしなかったのだから。

 いや、隠せるものではないか。


「ああ、もしかして……」


 ティリアはあることに気付く。

 帝国は切り札であるレオンハルトを使えなかっただけではないかと。

 もし、レオンハルト自身が戦いに乗り気でないとしたら――。

 裏切る可能性があると考えられていたとしたら辻褄が合うような気がした。

 ティリアは通信用マジックアイテムに手に取り――。


「ガウル、ロバート、ケイン、すぐに来てくれ」


 三人に呼びかけた。

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