第18話『決戦・裏』その11
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夜――ジョニーが帝国軍の野営陣地を歩いていると、ぐぅ~という音が響いた。
腹の虫が鳴く音だ。
潮時ッスかね、と視線のみを動かして周囲の様子を確認する。
空腹は耐えがたいし、穴を掘る作業にもうんざりしている。
このまま帝国軍の兵士として働いていたら心を病みそうだ。
もちろん、それだけが理由ではない。
ロイとピーターの会話を思い出す。
いや、ピーターが漂わせていた空気だろうか。
リラックスしているようで、警戒を怠っていない。
クロードを思わせる空気だった。
覚悟が決まっているような気がした。
それだけで強くなれるほど世の中は甘くない。
命懸けの訓練を乗り越えたからこそ分かる。
だが、覚悟一つで人間は地獄に飛び込むのだ
あとは楽観か。
とにかく、甘く見てはいけない。
ピーターだけではなく、他の兵士も変わりつつあるような気がする。
よくない傾向だ。
兵士達が注意深くなったらジョニーの演技なんて簡単に見破られてしまう。
という訳で撤退を決意したのだ。
「……ジョンさん、いないッスね」
周囲を見回しながらぼやく。
最後に携帯食を分けてもらおうと思ったのだが、今日に限っていない。
いつもは自分から声を掛けてくるくせに――。
そういえばジョンはどんな役職に就いているのだろうか。
働いている所を見たことがない。
お、と軽く目を見開く。
ジョンが欠伸をしながら天幕に入っていったのだ。
これから寝るという時に押しかけて大丈夫だろうか。
黙って消えるべきではないか。
ぐぅ~、と再び腹の虫が鳴いた。
南辺境軍の拠点に戻れば腹一杯食べられるはずだ。
いや、と小さく頭を振る。
師匠は食べさせてくれない。
虫でも見るような目で朝まで我慢しなさいというに違いないのだ。
やはり、携帯食をもらうべきだろう。
途中で倒れたら目も当てられない。
ジョニーは周囲を警戒しながらジョンが入っていった天幕に近づく。
天幕に入ると、ジョンがベッドで寝ている兵士に短剣を突き立てていた。
細く、長い暗殺用の短剣だ。
ジョンがぎょっとジョニーを見る。
短剣を引き抜き、布団で血を拭う。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
「何をしてるんスか?」
思わず問い掛ける。
自分でも馬鹿なことを尋ねていると思う。
ジョンは人を殺した。
暗殺した。
それだけだ。
にもかかわらず、どうしてこんな馬鹿な質問をしているのだろう。
多分、それはジョンの動作があまりに普通だったからだ。
短剣を突き立てる瞬間を見なければ人を殺したとは思えなかっただろう。
つまり、格上の短剣使いだ。
「待て、誤解があるぜ」
「ご、誤解ッスか?」
「ああ、ちょっとした誤解だ。ちょっと話し合えば馬鹿でも分かる」
ジョンは大仰に腕を広げ、ゆるゆると近づいてくる。
本当に誤解なのではないかという馬鹿げた思いが湧き上がる。
そんなはずがない。
友好的な態度でも、殺気を感じなくても、ジョンは短剣を握り締めたままだ。
短剣を握り締めたまま近づいてくる相手を信じてはいけない。
「ああ、この短剣だな。怖がらせて悪かった」
ジョンは短剣を鞘に収めようとし、ぐらりとよろめいた。
次の瞬間、間合いがゼロになった。
脱力状態からの急加速。
ジョンが突き出す。
狙いは肋骨の隙間――心臓だ。
だが、短剣は空を切った。
何故か。
決まっている。
避けたからだ。
後ろに跳んで躱した。
初撃を避けられてもジョンは表情を変えなかった。
織り込み済みだと言わんばかりに体を入れ替え、肘鉄を繰り出す。
狙いはまたしても心臓だ。
胸を強打すると気絶することがある。
恐らく、それを狙っているのだろう。
ジョニーは体を捻り、倒れ込むように後方に跳躍した。
天幕の中ならば布に突っ込んでいた。
だが、ここは外だ。
制約はない。
ジョンが大地を蹴る。
恐るべき加速だが、対抗手段を手にしている。
石を投げつける。
足下に落ちていた石だ。
ジョンは両腕を交差して石を受けた。
わずかに、ほんのわずかにスピードが鈍る。
その隙を突き、ジョニーは背中を向けて逃げ出した。
相手は格上の短剣使いだ。
三度攻撃を凌げたのは幸運だった。
真正面から戦っても勝ち目はない。
ジョニーは必死に脚を動かし、外――近くの森に向かう。
逃走ルートは確認済みだ。
帝国軍の野営陣地は死角が多い。
死角を移動すれば誰にも見つからずに森に逃げ込める。
ジョニーは誰にも見つかることなく野営陣地を脱出し、森に飛び込んだ。
森の中を駆け、不意に肩に衝撃が走った。
堪らず地面に倒れる。
肩に触れる。
短剣が突き刺さったり、骨が折れたりということはない。
どうやら、石か何かをぶつけられたようだ。
「おいおい、どうして逃げるんだ?」
ジョンの声が響く。
ジョニーは仰向けになり、体を起こした。
そのままじりじりと後退する。
「いきなり斬りかかってきたから逃げたんスよ」
「そいつは悪かった」
「しかも、石を投げつけてきたッス」
「それも悪かった。誤解があるんだ」
「どんな誤解ッスか?」
手足を使って後退し、何か――紐が指先に触れる。
「まあ、誤解でもねーか」
ジョンは溜息を吐くように言い、一気に加速した。
ジョニーは紐を強く引き、身を翻した。
半瞬遅れて矢が放たれる。
皇軍が森の中に仕掛けた罠だ。
矢は一直線に飛び、ジョンを貫く。
そのはずだった。
だが、矢はジョンの手前でスピードを鈍らせた。
有り得ない、と目を見開く。
だが、これによく似た現象を知っている。
帝都で見た。
クロノの部下――スノウが使っていた。
よく分からないが、刻印術みたいな術だ。
ジョンは短剣で矢を叩き落とした。
死んだ。
あれを避けられたら打つ手なしだ。
ジョンは無造作に足を踏み出し、跳び退った。
大剣が半瞬前までジョンがいた空間を通過する。
『ジョニー殿、大丈夫でござるか?』(がうがう?)
「新手か。けど――」
ジョンは最後まで言い切ることができなかった。
足下に矢が突き刺さったのだ。
振り返ると、木の上にエルフの弓兵がいた。
アリデッドか、デネブのどちらかだと思うのだが、どちらだろう。
『降参するでござる』(ぐる……)
「分かった」
タイガが唸り声を上げると、ジョンは短剣から手を放した。
「殺す前に、俺の話を聞いてくれ」
『どうするでござるか?』(ぐる?)
タイガがジョンを見据えたまま言った。
このまま殺した方がいいような気もするが――。
「一応、話だけ聞いておくッス」
「実は、俺はマイラ様の命令で帝国軍に潜入してたんだ」
う~ん、とジョニーは唸った。
帝都内部に協力者や工作員がいるのでありそうな話だ。
「師匠は何て言ってたッスか?」
「お前のサポートを――」
「嘘ッス!」
ジョニーは叫んだ。
師匠は絶対にそんなことを言わない。
そういう人は盗賊を資源扱いしたり、弟子をアレオス山地に放り込んだりしない。
「おいおい、お前はマイラ様を何だと思ってるんだ? 弟子なんだろ?」
「そっちこそ、師匠を何だと思ってるんスか!」
「あ~、分かった分かった。本当のことを言う。俺はクロノ様の命令で動いてるんだ」
「本当ッスか?」
「あの携帯食――」
『棒パンにござるな』(がるる)
「そう、棒パンが証拠だ」
『失礼したでござる。あれは硬パンという名でござる』(ぐるる)
「なんで、嘘を吐くんだよ」
タイガの言葉にジョンはぼやくように言った。
「そっちこそ、なんで嘘を吐くんスか?」
「分かった。本当のことを言う」
「もういいッス」
「俺はネージュ様の命令で動いてるんだ」
「ネージュ?」
ジョニーは首を傾げた。
何処かで聞いたことのある名前だが――。
「お前、帝都でネージュ様に短剣を投げつけただろ?」
「ああ、あの人のことッスね。黙って屋敷に侵入する方が悪いッス」
「とにかく、俺はネージュ様の部下なんだ」
「分かったッス」
「信じてくれるのか?」
「確かめようのないことは考えないことにしてるッス」
ジョニーは胸を張って言った。
「ちょっとくらい頭を使えよ」
「質問ッス。なんで、兵士を殺したんスか?」
「連中が覚悟を決め始めてたみたいだからよ。引っ掻き回してやろうと思ったんだよ」
「もう一つ質問ッス。なんで、俺を殺そうとしたんスか?」
「現場を見られたし、説明するのも面倒臭ぇし、ついでに罪を被せてやろうと――」
「アンタ、最低ッス!」
ジョニーは叫んだ。
「面倒を見てやったんだから最期くらい役に立てよ」
「説明するのも面倒臭いとか、人の命を何だと思ってるんスか」
「お前だって人くらい殺してるだろ」
「俺は頭のネジまで外れてないッス」
ジョニーは顔を顰めた。
人を殺すのは仕方がないにしても常識を弁えて欲しい。
「で、俺をどうするつもりなんだ?」
「野営地に戻っていいッスよ」
『……ジョニー殿』(……ぐる)
「俺は拠点に戻るッスから関係ないッス」
「ありがとうよ。それじゃ、俺は失礼するぜ」
シュバッという音と共にジョンの姿が消える。
ご丁寧に短剣まで消えている。
その代わりに手紙が置いてあった。
紙を折ったものだ。
ジョニーは静かに歩み寄り、ポーチから磁石を取り出して翳した。
針や薄い刃は仕込まれていないようだ。
だからといって油断はできない。
ルー族は石から刃物の代用品を作る。
磁石をポーチにしまい、手で煽ぐ。
毒も仕込まれていないようだ。
もちろん、無味無臭の毒という可能性はあるが――。
手紙を拾い、立ち上がる。
「二人とも助かったッス」
『礼には及ばないでござる。それでは拙者達はこれで』(ぐるる)
「命があったらまた会おうみたいな」
ジョニーは二人に頭を下げ、歩き出した。
師匠に怒られそうな気がするが――まあ、何とかなるだろう。
※
「それで、貴方は戻ってきたという訳ですか」
「……その通りッス」
師匠が溜息交じりに言い、ジョニーは肩を落とした。
何とかなると思ったが、駄目だったようだ。
救いを求めて、姐さん――ティリア皇女を見る。
ティリア皇女はイスにもたれ掛かるように座っている。
機嫌はよくなさそうだ。
仕方がない。
夜更けに戻ってきたせいで安眠を妨害してしまったのだ。
「マイラ、説教はそこまでにしろ」
「承知しました」
ティリア皇女が億劫そうに言い、マイラはあっさりと引いた。
「お、おお、お仕置きッスか?」
「そんなことはしない」
ティリア皇女がムッとしたように言い、ジョニーは胸を撫で下ろした。
さらに機嫌を損ねてしまったが、お仕置きは回避できた。
「お前がこれ以上は無理だと判断したのなら仕方がない。拷問されて情報を吐かれるよりマシだ。ところで、手紙には何と書かれていたんだ?」
「まだ、読んでないッス」
ジョニーはポーチから手紙を取り出し、ティリア皇女に差し出した。
すると、師匠が横からかっ攫った。
「安全確認ができていないものを奥様に渡すとは何事ですか!」
「も、もも、申し訳ないッス」
「以後、気を付けなさい」
師匠は溜息交じりに言って、手紙を開いた。
しばらくして深々と溜息を吐く。
「なんと書かれていたんだ?」
「戯れ言です」
「それでは分からん」
「内乱期のことがつらつらと書かれていました」
「何故、そんなことを?」
「ジョンという男の身の証を立てるためでしょう」
ちッ、と師匠は顔を顰めて舌打ちをした。
珍しい姿だ。
メイドにあるまじき姿を曝したと考えたのだろう。
師匠はティリア皇女に向かって深々と頭を垂れた。
「申し訳ございません。奥様の前でとんだご無礼を」
「構わん」
ティリア皇女は鷹揚に頷いた。
「他には何か書かれていたか?」
「多少、バックアップするので恩賞をよろしくと」
「それだけでどうしろと言うんだ」
ティリア皇女は肘掛けを支えに頬杖を突いた。
「俺はどうすればいいんスか?」
「食事を摂って、今日はゆっくり休みなさい」
「了解ッス!」
ジョニーは背筋を伸ばして敬礼した。
師匠は溜息を吐き、ジョニーに手紙を押しつけた。
「食事を摂る前に手紙を穴に埋めて下さい」
「毒ッスか?」
「その心配はないと思いますが、念のためです。中身は読まないように」
「分かったッス」
ジョニーは踵を返し、外に向かった。
外に出て――。
「読まないようにと言われると――」
「見たくなると?」
隣を見ると、師匠が扉から顔を覗かせていた。
「よ、読む訳ないじゃないッスか」
「そうですか。安心しました」
師匠が扉を閉め、ジョニーはホッと息を吐いた。
好奇心は猫を殺す。
つまり、そういうことだ。
ジョニーは言いつけ通りに手紙を埋め、まともな食事を堪能した。




