第18話『決戦・裏』その7
※
帝国軍が野営陣地を設営した翌々日――遠くから爆音が響く。
皇軍が鉄の茨で作った障害物に迫った傭兵をマジックアイテムで吹き飛ばしたのだろう。
皇軍の主戦力は義勇兵だ。
素人とまでは言わないが、白兵戦能力は皆無に等しい。
本来、攻める側の皇軍が防衛戦をしているのは白兵戦能力を補うためだ。
マジックアイテムだけではなく、策まで用いる。
負けないように苦心している。
対する帝国軍は守る側だ。
もちろん、これにも本来ならばという但し書きが付く。
守る側であるはずの帝国軍が攻めている。
籠城すれば兵の損耗を抑えられるにもかかわらず、だ。
それができないのは物流が滞っているせいだ。
周辺諸侯の協力も期待できない。
兵士達の話によれば皇帝とその取り巻きのせいらしい。
ふと故郷を思い出す。
帝国有数の穀倉地帯と評されるが、要するに田舎ということだ。
正直に言えば自分の故郷が好きではなかった。
未来が閉ざされているような閉塞感が嫌だった。
だが、修行をするまで飢えたことはなかった。
多分、それは自分達の世代に共通する感覚だろう。
そんなことを言ったら師匠達は苦笑していた。
あの師匠が苦笑するのだから、よほどおかしかったのだろう。
やはり、自分は馬鹿なのだと思う。
しかし、そんな自分にも分かることはある。
部下を食わせられない人間は上に立つ資格がないということだ。
そういう意味で自分達は恵まれているのだろう。
いけない、と頭を振って棒を地面に突き立てる。
先端を斜めに切っただけの棒だ。
シャベルやツルハシのように地面を掘ることはできない。
ほんの少しだけ地面に突き刺さっただけだ。
だが、それを繰り返す。
繰り返す、繰り返す、繰り返す――。
無我の境地に至るのではないかというほど繰り返して土を背後に投げ捨てる。
棒に寄り掛かって溜息を吐く。
思っていた以上に大きな溜息が出た。
慌てて視線を巡らせる。
周辺では帝国軍の兵士が列になって地面を掘っていた。
もちろん、木の棒で。
幸いというべきか、彼らは自分の作業にしか関心がないようだ。
それにしても――。
「こんなもんで堀を作れなんて正気の沙――」
「おい」
「いや、サボってないッスよ! 一、二、一、二! あ~ッ! 穴掘りは楽しいッス!」
突然、声を掛けられ、作業を再開する。
油断した。
師匠に注意されていたにもかかわらずだ。
本当に、自分は駄目なヤツだと思う。
プッという音が響く。
振り返ると、ひげ面の男が口元を押さえていた。
「悪い悪い。驚かせるつもりじゃなかったんだ。食事の準備ができたってのに黙々と地面で掘ってたからな」
「こっちこそ、申し訳ないッス。ちょっと考え事をしてて」
男がバツの悪そうな表情を浮かべたので謝っておく。
謝らなくてもいいような気はするが、礼儀は大事だ。
師匠に礼儀は大事だと教わった。
「じゃ、行こうぜ」
「何処に行くんスか?」
「……お前な」
男は呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。
「食事の準備ができたって言っただろ?」
「作業中なのに食べていいんスか?」
「当たり前だろ」
男は再び溜息を吐いた。
マズい。
やはり、自分にはスパイなんて無理だったのだ。
冷や汗が流れる。
男を殺して逃げるべきか。
ここは野営陣地の外だ。
逃げるのはそう難しくない。
スパイを続けることはできなくなるが、拷問されて情報を吐くよりマシだ。
腰の短剣に手を伸ばしかけ、止める。
殺すのは最後の手段――ぎりぎりまで状況を見極めてからだ。
男はじっとこちらを見つめ、ふと笑みを浮かべた。
「そんなにビビるなって。軍歴は浅いのか?」
「そうッス」
「まあ、そうだよな」
男は参ったと言うように頭を掻いた。
「こんな状況だ。誰だってベテランを手元に置いておきたいよな」
「そ、そうッスね」
男は腕を組み、何度も頷いた。
どうやら、勝手に納得してくれたようだ。
内心胸を撫で下ろしながら追従する。
「じゃ、行くか」
「何処にッスか?」
「だから、食事だよ」
男がうんざりしたように言う。
「仕方がねぇ。これも何かの縁だ。俺が兵士の立ち居振る舞いってヤツを教えてやる」
「大丈夫ッス! 俺は一人でもやってけるッス!」
「遠慮するなって」
「いや、遠慮はしてないッス! 全然! これっぽちもッ!」
「いやいや、遠慮するなって。先輩の好意は素直に受け取るべきだぞ」
「大丈夫、大丈夫ッス」
「……あのな」
男は溜息交じりに言った。
先程までの強引さが嘘のようだ。
「なんスか?」
「警戒してるのは分かるけどな。あまり意固地だとああなっちまうぞ」
そう言って、男は顎をしゃくった。
その先には障害物に突撃する集団の姿があった。
機工弓や十字弓で射られ、マジックアイテムで吹き飛ばされる。
その姿は悲惨の一言に尽きた。
「俺は傭兵じゃないッス」
ほぅ、と男は声を漏らした。
感心しているのだろうか。
「何スか?」
「怒るな怒るな。お前が意外に物を知ってたみたいで安心したんだ」
男は芝居がかった所作で手を上げ、身を乗り出してきた。
「で、連中について何処まで知ってるんだ?」
「金で集められた、まあ、浮浪者ってことくらいッス」
「よく知ってたな」
「普通にしてれば耳に入ってくるッスよ」
「そいつは違うな」
「何が違うんスか?」
「それは……」
男は言葉を句切り、体を引いた。
「飯を食いながら教えてやる」
「な――」
文句を言おうと口を開いたその時、ぐぅ~という音が響いた。
腹の虫が鳴いたのだ
こんな時じゃなくても、と俯く。
「腹の虫は素直だな。飯にするぞ、飯に」
「……分かったッス」
少しだけ間を置いて答える。
男の言葉に興味があったし、腹も減っていた。
食事をしながら話をしてもバチは当たらないだろう。
「飯を食う前に……」
「ああ、握手ッスね」
男が差し出した手を握り返す。
すると、男は意外そうな顔をした。
「言い忘れていた。俺はジョンだ」
「俺はジョニーッス」
「ジョニース? 変わった名前だな」
「ジョニー、ッス」
男――ジョンが問い返してきたので、ジョニーはムッとして言い返した。
「ああ、ジョニーな」
「そう、ジョニー。ジョニースじゃないッス」
「悪い悪い」
ジョンは頭を掻いた。
悪いと思っていなさそうなのは気のせいではないだろう。
※
ジョンに案内されたのは天幕だった。
かなり大きめの天幕で中にはテーブルが並んでいる。
空席が目立つが、人はそれなりにいる。
それも幾人かのグループになって。
所謂、仲よしグループというヤツだ。
こうして端っこの席に座っていると疎外されているような気分になる。
自分の立場を考えれば仕方がない。
何しろ、スパイだ。
収集した情報を姐さん――ティリア皇女に伝えれば間違いなく帝国軍に被害が出る。
とは言え、まだ何もしていないのだ。
この段階から疎外されるのは辛い。
せめて、ジョンがいてくれればと思う。
彼がここにいてくれればこんな情けないことを考えずに済んだのだ。
だが、彼はここにいない。
ここで待っていろと言い残して何処かに行ってしまった。
早く戻ってきて欲しい。
祈るような気持ちでいると――。
「待たせたな」
「待たせすぎッス」
「怒るなって」
そう言って、ジョンはジョニーの前にトレイを置いた。
トレイの上には二人分の料理――白く濁ったスープとパンがあった。
どうやら食事を取りに行っていたようだ。
「どうした? 食べないのか?」
「食べるッス」
ジョニーがスープとパンを取ると、ジョンは苦笑した。
トレイをスライドさせ、対面の席に座る。
ジョニーはスプーンでスープを掬い――。
「具がないッス」
「よく見ろ」
「よく?」
首を傾げつつ、スプーンを見る。
すると、茶色の繊維のようなものが沈んでいた。
「肉が入ってるじゃねーか」
「こんなのは肉って言わないッス」
ズズッ、とスープを啜る。
やけに塩の利いたというか、塩の味しかしないスープだった。
「待て」
「なんスか?」
ジョニーはスープとパンを庇いながら顔を上げる。
ジョンは笑っていた。
何が楽しいのだろう。
「スープはちょっとずつだ」
「どうしてッスか?」
「見てろ」
ジョンはパンを手に取り、テーブルを軽く叩いた。
コッという音が響き、ジョニーは目を見開いた。
日保ちさせるためにパンを硬くすることがあると聞いたことがある。
だが、まさか、ここまでとは――。
「驚いただろ?」
「びっくりしたッス」
「だからな」
ジョンは腰の短剣を引き抜き、柄頭でパンを叩いた。
かなり大きな音が響く。
慌てて周囲を見回すと、兵士達がこちらを見ていた。
マズいと思ったが、すぐに興味を失ったように顔を背ける。
その間もジョンは柄頭でパンを叩いていた。
何度か叩き付けると、パンが二つに割れた。
さらに同じことを繰り返し、砕けたパンをスープに浸す。
「こういうことだ」
「なるほどッス」
パンが硬いので塩スープで柔らかくするということか。
ジョニーは短剣を抜いた。
すると――。
「お? カヌチ作の短剣か。高そうなもんを持ってるな」
「――ッ!」
ジョニーはびっくりしてジョンを見つめた。
「盗りゃしねぇって」
「当たり前ッス」
「カヌチ作の短剣を持ってるってことは……」
ジョンはこちらを見つめ、鼻で笑った。
「なんで、鼻で笑うんスか?」
「金持ちなのかと思ったけど、金持ちって感じじゃねぇなと思ったんだよ」
「……悪かったッスね」
ジョニーは顔を顰めた。
「大方、盗んだか、拾ったかしたんだろう。お前は貧乏そうだからな」
「ちゃんと買ったッス」
ムッとして言い返す。
確かに実家は金持ちではない。
だが、貧乏でもない。
南辺境――エクロン男爵領では平均的な家庭だ。
「まあ、新兵が背伸びしてって感じか」
ぐッ、とジョニーは呻いた。
口惜しいが、正解だ。
「どうせ、レオンハルトみたいに活躍してとか考えてたんだろ」
「ま、まあ、そんな感じッス」
嘘だった。
ジョニーは兄貴――クロノの部下として活躍する自分を想像していた。
クロノのピンチに颯爽と駆け付け、敵を倒しまくる妄想をして悦に入っていたのだ。
叶わない夢と分かっているが、役に立ちたいという気持ちは変わっていない。
今、クロノの役に立っている。
そう考えると、誇らしい気分になる。
だが、もし、過去の自分と話せるのならば妄想を下方修正しろとアドバイスするだろう。
現実と妄想の落差は心を折るのに十分な力を秘めている。
まあ、どのみち師匠に心を折られただろうが――。
思い出す。
アレオス山地での修行の日々を。
盗賊で童貞を卒業した日のことを。
今は考えるべきじゃないッス、と頭を振り、短剣の柄頭でパンを割る。
ほぅ、とジョンは声を漏らした。
無視してパンを割る。
「上手いもんだな」
「当たり前ッス。俺は帝国一の短剣使いになる男ッスよ」
「短剣使い?」
ジョニーはパンをスープに入れ、顔を上げた。
すると、ジョンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「なんで、そんな顔をするんスか?」
「短剣なんて予備の予備の武器じゃねぇか」
「別にいいじゃないッスか。短剣使い、格好いいッス」
短剣で剣士に勝てたら格好いいではないか。
格好いいは正義だ。
「これだから若造は」
「いいんスよ。俺は短剣使いで」
ジョニーは短剣を鞘に収め、スープを掻き混ぜた。
パン以外に具が見えないのが辛い。
修業時代を思い出して泣きそうだ。
「泣きそうな顔をするな」
「してないッス」
「そんな顔をしなくても明日には補給が届くはずだ」
「補給ッスか?」
「ああ、どれくらい糧秣が届くか分からねぇが、今よりもマシになるはずだ」
これはいいことを聞いた。
軍隊のことはよく分からないが、食事が大事なことくらいは分かる。
補給を邪魔すれば兵士が飢えて戦えなくなるに違いない。
それにしても――。
「話には聞いてたけど、ひどいもんスね」
「そうでなきゃ、帝都で籠城してるって」
ジョンは苦笑しながらスプーンを口元に運んだ。
硬かったパンがスープでふやけてドロドロになっている。
「国の存亡が掛かってるってのにこんなもんしか食えねぇ。本当にひどい有様だよ」
「――ッ!」
ジョンが吐き捨てるように言い、ジョニーは慌てて周囲を見回した。
戦争をしている時に上層部の批判はマズい。
そう思ったのだが、周囲の兵士は平然としている。
苦笑している者さえいた。
「そんなに慌てるな。文句の一つや二つ言った所で上にチクるヤツなんざいねーよ」
「なんでッスか?」
「文句を言ってサボるんなら問題だが、真面目に仕事をしているなら黙っとくもんだ」
「暗黙の了解ッスか?」
「チクり魔は嫌われるからな。皆で協力しなきゃ生き残れない戦場で孤立するなんて想像しただけで恐ろしいぜ。それと……」
不意にジョンが身を乗り出し、ジョニーはびくっとしてしまった。
「ここだけの話なんだが……」
「なんスか?」
「指揮官の誰かがティリア皇女と通じてるって話がある」
「本当ッスか?」
ジョニーは思わず問い返した。
ティリア皇女は拠点にいる。
それなのに、どうやって敵の指揮官と連絡を取り合っているのか。
もしや、自分以外にもスパイがいるのだろうか。
有り得ない話ではない。
自分達――南辺境軍だって戦う準備をしてきたのだ。
クロノならそれくらいするはずだ。
「ああ、捕虜にされたヤツが手紙を預かっていたらしい」
「どうして、それがチクらないことに繋がるんスか?」
「誰を信用していいのか分からねぇのにチクるヤツはいねぇだろ。チクって始末されるなんて馬鹿馬鹿しいじゃねーか」
ジョンは何を言ってるんだと言わんばかりだ。
言われてみればそうかなという気がする。
「それにしても情報通ッスね」
「そりゃ――」
爆発音が響き、ジョンは顔を顰めた。
「……あいつらみたいになりたくねーからな」
「傭兵のことッスね」
「できることをやらないで死ぬのは、な」
ジョンは小さく溜息を吐いた。
「お前もできる限りのことはしておけよ。特に情報収集は大事だ」
「ああ、それでッスか」
ようやくジョンが『そいつは違うな』と言っていた理由を理解できたような気がした。
彼はジョニーが情報収集していたことを評価していたのだろう。
となれば食事に誘われた理由も見えてくる。
「情報収集の役に立てってことッスか?」
「情報交換しようってことだよ」
「そういうことならOKッスよ」
「……そうか」
ジョンはホッと息を吐いた。
ふと思い付いたことがあった。
「……もしかして」
「そういうことだ。ここにいる連中は情報を集めに来てるんだよ」
ジョンはニヤリと笑った。
※
「……という訳で、そろそろ帝都から補給が来るみたいッス」
「なるほどな」
ジョニーの報告を聞き、ティリアは腕を組んだ。
傍らに立つマイラに目配せする。
「間違いないかと。帝都からもジョニーの話を裏付ける情報が入っております」
「ならば決定だな。近日中に帝都から補給部隊が派遣される」
だが、とティリアは反対側を見る。
テーブルの向こうにケイン、ガウル、ロバートの三人が立っている。
ケインは騎兵隊、ガウルは決死隊、ロバートは南辺境軍を指揮する。
チャンスだ。
ここで攻撃せず、いつ攻撃するのか。
しかし、ティリア達は帝都を攻略するための部隊なのだ。
あまり派手に動いて存在を気取られたくない。
慎重を期すべきではないか。
悩んでいると、マイラが手を上げた。
「何だ?」
「奥様のお気持ちは分かりますが、ここは攻めるべきではないかと」
「理由は?」
「皇軍の主力は義勇兵です。南辺境軍が補給部隊を攻撃すれば帝国軍は疲弊し、圧力の緩和が期待できます」
「風が吹けば桶屋が儲かるみたいな理屈ッスね」
「……ジョニー」
「わ、分かってるッス。黙っておくッス」
マイラが優しげな口調で語りかけると、ジョニーは両手で口を押さえた。
脂汗を掻いている。
恐らく、心因性のものだろう。
「早い段階で切り札を使わせることができれば比較的余力を残した状態で戦えます」
「なるほど」
「……それと」
ティリアが頷いてしばらくしてマイラは再び口を開いた。
「童貞は早めに捨てさせるべきです」
「童貞か」
「もちろん、童貞とは初めての殺人という意味です」
「分かっている!」
ティリアは声を荒らげ、ゴホッと咳払いをした。
気を取り直してケイン、ガウル、ロバートの三人に視線を向ける。
「どうなんだ?」
「俺の所は問題ないと思うぜ。ベテランが揃ってるし、実戦経験もあるからな」
「俺達はすでに覚悟を決めている。とは言え、万全を期したい気持ちはある」
ケインが答え、ガウルが続く。
ほぅ、とマイラが声を漏らした。
すると、ガウルはマイラを睨んだ。
「何だ?」
「随分、頼もしくなったと思いまして」
「自分のことだけ考える訳にはいかないからな」
揶揄するかのような物言いだったが、ガウルは薄く笑っただけだ。
「ロバート、お前はどうだ?」
「通信用マジックアイテムの調子を試してみたいですね」
「……なるほど」
ティリアはやや間を置いて頷いた。
「よし、帝国軍の補給部隊を襲撃する。ただし、ケインとガウルの部隊を主力とする」
「待ってくれ」
「何だ?」
ティリアはケインに視線を向けた。
「俺とガウルの部隊を合わせても百人ちょいだ」
「分かっている。だから、深追いしなくていい」
「もう一つ問題がある」
「それも分かっている。足止めだな」
ああ、とケインは頷いた。
ある程度の損害を与えようとしたら補給部隊の足止めが必要になる。
だが、百人余りしかいない部隊を分けるのは賢いとは言えない。
さらに街道の前後を塞がれているとなれば敵は死に物狂いで抵抗するだろう。
「街道に石を撒こう」
「石を?」
「ああ、その通りだ」
ケインが鸚鵡返しに呟き、ティリアは頷いた。
「そう言えばクロノ様が親征の時に石で足止めを喰らったって言ってたな」
「そういうことだ」
正直、神聖アルゴ王国の作戦を盗んだことは黙っていて欲しかった。
だが、実績があることは確かだ。
その時、ロバートが口を開いた。
「神威術を使ってですか?」
「その必要はない」
ティリアは苦笑しながら応じた。
ロバートは黄土にして豊穣を司る母神の神威術士だ。
彼の力を借りれば簡単に石を撒くことができる。
だが、ここで手間を惜しむのは怠慢というものだろう。
それに、ロバートには他にやるべき仕事がある。
「街道に石を撒けば補給隊のスピードを鈍らせることができる。さらに煙で視界を遮って、こちらの情報を与えないようにする」
「……」
ケインは思案するように腕を組んだ。
しばらくして――。
「悪くねぇな。けどよ――」
「煙で視界を遮っても戦いが長引けば意味がないということだな」
「そもそも、補給隊を襲撃するのは敵本隊を飢えさせて戦力を低下させるためだ。百人ちょいで、戦いながら物資を強奪するのは厳しいぜ」
「では、マジックアイテムを……」
使えばいいという言葉を飲み込む。
マジックアイテムはあるが、帝都を攻略する時のために温存すべきだ。
代わりになるものはないか。
そう考えた時、閃くものがあった。
「エルフの妙薬を使うのはどうだ?」
「エルフの妙薬か」
ケインは鸚鵡返しに呟き、マイラに視線を向けた。
エルフの妙薬――その正体は酒から抽出されるアルコールという液体だ。
「それならば準備がございます」
「そいつはいい」
「治療に、戦闘に、飲酒にも使えますので」
一石三鳥です、とマイラは小さく呟いた。
「問題ないか?」
「問題ありません。いざとなれば作ればいいので」
「作れるのか?」
「ええ、こんなこともあろうかと蒸留器を用意しておりますので」
「準備のいいことだ」
「ちょっとした小遣い稼ぎになりますので」
マイラはしれっと言った。
彼女のなのか、クロフォード男爵領のなのか気になったが、黙っておくべきだろう。
また、ティリアの名前を使わせて欲しいと言われたら堪らない。
「エルフの妙薬を使うってことは物資を強奪しねーのか」
「別に構わんだろ」
「これでも、元農民だからな。食べ物を粗末にするのは抵抗があるんだ」
「奪えるかどうかも分からない物のために部下の命は粗末にできん」
「分かった」
ケインは大仰な仕草で肩を竦めた。
「とにかく、これである程度の材料は揃った。あとは煮詰めるだけだ」
ティリアはジョニーに視線を向けた。
「……ジョニー」
「なんスか?」
「ご苦労だったな。お前は引き続き、任務に戻ってくれ」
「了解ッス」
ジョニーは声を張り上げると踵を返した。
※
翌日――帝国軍の補給隊が列をなして街道を進む。
ガウルは草陰に隠れ、その様子を窺う。
距離は近い。
目と鼻の先だ。
泥を浴び、草でカムフラージュしているが、気付かれてもおかしくない。
いや、気付かれる可能性の方が高いだろう。
そうなったらおしまいだ。
自分達は寡兵だ。
五十人もいない上、さらに四隊に分けている。
敵は、四百人はいる。
呑み込まれ、何もできずに殺される。
無駄死にだ。
決死隊に志願した。
死を厭わぬ覚悟がある。
だが、生きて家族の下に帰りたいとも思っている。
死は恐ろしい。
それ以上に無駄死にが恐ろしい。
何もなせず、何も遺せずに死ぬ。
これほど恐ろしいことがあるか。
父に認められようと躍起になっていた頃の自分ならこんな感情は抱かなかっただろう。
頼む、早く行ってくれ、とガウルは祈るような気持ちで補給隊を見つめる。
補給隊が動きを止める。
気付かれたのだろうか。
ガウルは槍の柄を握る手に力を込めた。
今ならば先手を取れる。
そうすれば少なくとも敵を殺せる。
意味のある死を迎えられる。
それは甘美な誘惑だった。
その時、カサッという音が響いた。
隣を見ると、部下がこちらを見ていた。
覚悟を決めた目だ。
恐らく、自分も同じ目をしているだろう。
だが、その目を見た瞬間、ガウルは冷静さを取り戻していた。
俺は馬鹿だ、とガウルは唇を噛み締める。
これは自分のための戦いか。
否、これは自分のための戦いではない。
家族のための戦いだ。
自分の家族のために反乱軍に加わった。
そう、家族のために。
それが他の家族を踏みにじることになっても戦うと決めたのだ。
ガウルは首を左右に振った。
驚愕にだろうか。
部下は大きく目を見開き、静かに頷いた。
ガウルは前を見る。
敵補給隊は動きを止めたままだ。
そこで、ようやく先頭が石を撒いたエリアに到達したと気付けた。
ゆるゆると息を吐く。
その時――。
『こちら、ケイン。攻撃を仕掛ける』
籠手に付けた通信用マジックアイテムから声が響いた。
『こっちは適度に矢を撃ったら切り上げる。その時に連絡を入れるが――』
「分かっている。こちらも深追いするつもりはない」
『死ぬなよ?』
「そっちもな」
ガウルは静かにその時を待つ。
気分は先程に比べて格段に楽になった。
だが、緊張感は薄れていない。
時間の流れが緩やかに感じられる。
不意に焦げたような臭いが鼻腔を刺激した。
敵補給隊の後方を見ると、煙が上がっていた。
『ケインだ。攻撃を仕掛けている』
「確認した」
ガウルが答えた直後、馬がいなないた。
しばらくして十騎余りの騎兵が目の前を通り過ぎた。
通信用マジックアイテムを口元に近づける。
「こちら、ガウル。敵が十騎余り、後方に向かった」
『了解』
「二班、三班、四班、煙を焚け」
『『『了解ッ!』』』
通信用マジックアイテムから声が響き、街道沿いの草むらで火の手が上がった。
炎は瞬く間に大きくなり、視界が白く染まる。
「よし! 立てッ!」
ガウルが立ち上がると、部下は一斉に立ち上がった。
「エルフの妙薬を準備しろッ!」
部下を庇うように立って命令を下す。
部下は慌てた様子でエルフの妙薬が入った壺に布を差し込んでいた。
その時だ。
煙を突き破り、敵がこちらに向かってきた。
槍を構えた兵士だ。
大声を出したせいで場所に気付かれたようだ。
「お前達は作業を続けろッ!」
ガウルは飛び出し、槍を振り上げた。
敵兵の動きが鈍る。
顔見知りか。
いや、そんなはずはない。
いや、いや、仮に知り合いだとしてどうするというのか。
旧交を温めるつもりか。
馬鹿らしい。
今はそんな状況ではない。
殺すしかないのだ。
そういう道を選んだのだ。
「うぉぉぉぉぉッ!」
ガウルは雄叫びを上げ、槍を振り下ろした。
敵兵が空を見上げる。
だが、それだけだ。
次の瞬間には槍が敵兵の顔を殴打していた。
槍が顔の半ばまでめり込む。
嫌な感触だ。
敵兵は空を見上げたままの姿勢で動きを止めていた。
一秒が経ち、二秒が経ち、敵兵は頽れた。
「隊長!」
「投げろッ!」
部下が壺を敵補給隊に向けて投げる。
ガシャンという音が響き、白かった煙が燈色に染まる。
「ぎゃぁぁぁぁッ!」
「火だッ!」
「敵襲! 敵襲ッ!」
煙の向こうから声が響く。
「続けろッ!」
「はッ!」
ガウルが叫ぶと、部下は声を張り上げ、続け様に瓶を投げた。
そのたびに炎が煙を染め、悲鳴と怒号が響いた。
本作をご覧になって頂き、ありがとうございます。
面白いと感じて頂けましたら、下部画面より評価して頂ければ幸いです。




