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第18話『決戦・裏』その4



 音が聞こえた。

 雨音や潮騒を連想させる音だ。

 何の音だろう? と内心首を傾げ、唐突に気づく。

 これは人の声だ、と。

 一人や二人ではない。

 百人でも足りない。

 もっと大勢の声だ。

 不思議なものだ、と思う。

 一つ一つは意味があるはずなのに重なり合うと音としか認識できなくなるのだから。

 声だけではなく、それを発する人もそうだ。

 一人一人に名前があり、家族があり、人生がある。

 だというのに大勢になると、そのことに思い至れなくなる。

 救いがたい傲慢さだと思う。

 その一方で傲慢さを欲する気持ちもある。

 マンチャウゼン、アロンソ――自分を慕って集まってくれた老騎士達。

 彼らを囮として使った。

 自分の傍らには老騎士達がいると印象づけるために供回りとした。

 もちろん、彼らには全てを話してある。

 囮として使ったくせにと自分でも思うが、最低限の筋を通したかったのだ。

 いや、違うか。

 打ち明けることで楽になりたかった。

 そんな気持ちがなかったとは言い切れない。

 かつての自分ならばいくらでも傲慢に振る舞えた。

 悩むことなく他人の命を使い潰せたに違いない。

 それが傲慢なことだと露ほども思わずに。

 けれど、今は無理だ。

 他人の命を使い潰すことが怖い。

 恐怖に負けて決定的なミスを犯すのではないかという不安を払拭できない。

 軍学校の頃はよかった。

 時折、あの頃が無性に懐かしくなる。

 あまり口にはしない。

 クロノが渋い顔をするからだ。

 偶には昔話に付き合ってくれてもいいのに――。

 そんなことを考えていると、衝撃が体を揺らした。

 冷たい風が吹き込み――。


「ロバート! もっとゆっくりッ!」

「……カナン様、お静かに」


 カナンとマイラの声で目を覚ます。

 すると、カナンがこちらにお尻を向けていた。


「ティ……皇……ですよ!」

「も……」


 小窓を開け、御者のロバートと何かを話している。


「……カナン」

「――ッ!」


 ティリアが声を掛けると、カナンは素早く小窓を閉め、こちらに向き直った。


「申し訳ありません」

「そこまで気を遣わなくてもいいんだぞ」


 カナンが低く呻くような声で謝罪するが、そこまでされると逆に申し訳ない。


「いいえ、気遣うのは当然のことです」

「そ、そうなのか?」

「そうです。人として当然のことです」

「……人として」


 今度はティリアが呻く番だった。

 そこまでかと思うが、今回の戦いは新貴族にとっても運命の一戦なのだ。

 勝てば全てを得、負ければ全てを失う。

 そういう戦いだ。

 むしろ、ティリアの認識が甘かったと言えるのではないか。

 猛省しなければなるまい。


「お前の、いや、お前達の気持ちはよく分かった」

「分かって頂けましたか?」


 カナンが嬉しそうに笑った。

 何と言うか、こう、周囲が明るくなったと錯覚してしまうような笑顔だ。


「私の命は私だけのものではない」

「そうです」


 うんうん、とカナンは満足そうに頷いた。

 隣を見ると、マイラも同じように頷いている。


「私にはお前達の希望を叶える以外にも役目がある」

「……そうで、す?」


 カナンはやや間を置いて頷いた。

 先程と違い、眉根を寄せている。

 マズいことを言っただろうかと隣を見る。

 すると、マイラと目が合った。

 彼女は微妙な表情を浮かべていた。

 軍学校を卒業したばかりの頃なら何も分からなかったに違いない。

 だが、ティリアには無表情なレイラと顔を合わせてきた経験がある。

 それを駆使すればマイラの表情を読み取るなど造作もない。

 マイラは――何故か理解しがたいようなものを見るような目でこちらを見ていた。


「私にはアルフォートを討ち、犠牲を最小限で抑えるという役目がある」

「そーですね」

「……ふぅ」


 悲壮な覚悟を口にしたつもりなのだが、カナンは何処か投げやりな口調で頷き、マイラは呆れたと言わんばかりに溜息を吐いている。

 そんな態度を取らずに至らぬ所があるのならば教えて欲しい。

 恥を忍んで尋ねるべきか悩んでいると、箱馬車が小さく揺れた。

 目的地が近いのでスピードを落としたのだろう。

 しばらくして箱馬車が止まった。

 最初に動いたのはマイラだった。

 マイラは立ち上がると静かに扉を開けた。

 冷たい風が吹き込み、ティリアはぶるりと身を震わせた。


「どうぞ、こちらに」

「ああ、済まない」


 ティリアは立ち上がり、扉に向かう。


「どうぞ、奥様」

「……ありがとう」


 マイラが手を差し出し、ティリアは礼を言って握り返した。

 慎重に馬車を下りる。

 はぁ~と溜息が聞こえたので振り返ると、カナンが胸を撫で下ろしていた。

 この程度の段差で転ぶほど鈍くないのだが――。

 いや、それだけ身を案じてくれていると考えよう。

 そう自分に言い聞かせて視線を巡らせる。

 そこは丸太で作られた塀の前だった。

 頑丈そうな門があり、物見櫓が建っている。

 人の気配は殆ど感じられない。

 訓練をするために出払っているのだろう。


「ここは?」

「かつて前線基地として使われていた場所です」


 ティリアの問いかけにカナンが答える。

 彼女は昔を懐かしんでいるような表情を浮かべていた。


「あの頃はアレオス山地の蛮ぞ、いえ、ルー族と敵対関係にありましたから」

「……そうか」


 新貴族はルー族の再侵入を防ぐために南辺境に封じられたのだ。

 その後も血で血を洗う戦いがあったに違いない。

 特別な思いがあって当然か。

 クロノに詳しい話を聞いておけばよかった、と思いながらマイラに視線を向ける。

 彼女は物憂げな表情を浮かべていた。


「その分だと色々あったみたいだな」

「はい、家畜を盗まれないように苦心していた日々が懐かしく感じます」

「家畜を盗まれないように?」

「そうですが、何か?」


 思わず問い返すと、マイラはきょとんとした顔でこちらを見つめた。


「血で血を洗う戦いは?」

「アレオス山地に放逐した時点でルー族には戦う力が残っておりませんでしたので」


 ぐぬ、とティリアは呻いた。

 クロノが何も言わないはずだ。


「結構、楽だったのか?」

「いくら奥様でも口にしてはいけないことがございます。開拓期の牛一頭、豚一頭がどれほど貴重か。家畜を盗まれた時のことを思い出しただけで腸が煮えくり返る思いです」

「す、すまなかった」


 マイラが拳を握りしめ、ティリアは慌てて謝罪した。

 たかが家畜、されど家畜だ。

 開拓期の新貴族にとってはまさに死活問題だったに違いない。

 これからはもっと慎重に発言しよう。

 そんな風に反省していると、カナンが口を開いた。


「盗まれた家畜については国が補償してくれたので謝罪する必要は――」

「何だと?」


 ティリアが視線を向けると、マイラは顔を背けた。


「被害を水増しして申告していないだろうな?」

「……奥様」


 マイラはティリアを見つめた。


「当然ですが、我々は水増しなどしておりません」

「そうか?」

「仮に水増ししていたとしても証拠がございません」


 それに、とマイラは続けた。


「我々――南辺境軍の力が必要なのでは?」

「ぐぬ、ここでそれを言うか」

「この件を奥様が不問にして下さるのであれば何も言いません」


 どうされますか? とマイラがこちらを流し見る。

 水増ししたと言っているも同然だが――。


「分かった。この件は不問とする」

「それはようございました。奥様には清濁併せ呑む女帝になって頂きたく」

「今回は特別だ」


 ティリアはムッとして言い返した。

 不正は見逃すべきではない。

 だが、これは原則だ。

 デメリットの方が大きいのであれば曲げることもある。


「お、思い出します。ここで初めてクロノ様とお会いしたことを……」

「ほぅ、そうなのか」


 もう少し自然に話題を変えられないものかと思ったが、話に乗ることにする。

 流石に水増しの話を続けたくなかった。


「ええ、あの時は自警団の団長として働いておりまして……」

「当時、駐屯軍の団長を務めていたガウル様を罵倒しておりました」

「――ッ!」


 カナンはハッとマイラを見つめた。

 裏切られた。

 そんな気持ちが伝わってくるようだ。


「そんなことをしていたのか」

「い、いえ、領民の不満を和らげたくて……」


 カナンは俯き、ごにょごにょと呟いた。


「いや、まあ、気持ちは分からないでもない。駐屯軍の指揮官は新貴族ではないからな」

「そうです、その通りです」

「苦労を掛けたな」


 ティリアはしみじみと呟いた。

 そもそも、自分の領地に指揮権を行使できない大隊を駐屯させることが無茶なのだ。

 帝国は指揮官に領主の縁者を任命することで無茶を通したが、南辺境ではこの方法が適用されなかった。

 不満は募る一方だったことだろう。


「いいえ、苦労だなんて……」

「結婚相手の確保に苦労しております」

「――ッ!」


 マイラがしれっと言い、カナンは裏切られたと言わんばかりの表情を浮かべた。


「そうなのか?」

「はい、悪評が広まってしまったらしく……」


 カナンは呻くように言った。

 恥ずかしいのか、耳まで真っ赤だ。


「手を尽くしてお見合いをしたのですが、結果は芳しくなく」


 ティリアはしげしげとカナンを見つめた。

 容姿は悪くない。

 胸は小ぶりだが、女の価値はそこで決まる訳ではない。

 一人くらい騙されてもいいような気がするのだが――。


「ところで、どんな相手がいいんだ?」

「特に条件はないのですが……」


 カナンは俯き、もじもじとしている。

 しばらくしてようやく口を開く。


「容姿はそれなりで構いません。年の差は十歳までなら我慢します。普段は当主である私を立て、いざという時には矢面に立ってくれるような人が好ましいです」

「その条件は厳しいんじゃないか?」

「何故ですかッ?」


 カナンはハッと顔を上げて言った。


「当主である私を立てということは実権がないのだろう?」

「はい、そうです」

「それでいざという時は盾になれと?」

「男性の役目です」

「悪評のことも考えると、尻に敷かれに来いと言ってるようなものじゃないか」

「そ、そんなつもりは……」


 よほどショックだったのか、カナンはよろよろと後退った。

 どうして、客観的に自分のことを見られないのか。

 いや、自分を客観的に見るのはそれだけ難しいのだろう。


「一つ伺いたいことがあるのですが……」

「何だ?」

「ティリア皇女はどのようにしてクロノ様と、その、今のような関係に?」

「どうして、そんなことを聞くんだ?」


 質問の意図が分からず、ティリアは首を傾げた。


「不敬かも知れませんが」

「よい、許す」

「ありがとうございます。私とティリア皇女は似ていると思います」

「似ている?」


 ティリアは再び首を傾げ――。


「――ッ!」


 息を呑んだ。

 クロノはティリアを立て、今まさに矢面に立っている。


「い、いや、そ、そ、そんなつもりは――」

「自分を客観視するのは簡単なようで難しいのです」

「――ッ!」


 マイラがぼそっと呟き、ティリアは再び息を呑んだ。

 今更ながら自分とカナンは似た者同士だったのだ。

 にもかかわらず、自分を客観視するのは難しいとか考えていたのだ。

 天に唾するとはまさにこのことだ。

 口にしなくてよかったとつくづく思う。


「ティリア皇女、どのようにクロノ様と今のような関係に?」

「い、いや、な、何と言うか」

「何と言うか?」


 カナンが鸚鵡返しに呟き、ティリアは顔を背けた。

 どうやって今の関係になったのか。

 流石に襲ったとは言えない。

 皇女失格どころか、人間失格だ。


「…………クロノは懐が広いんだ」


 なるほど、とカナンは神妙な面持ちで頷いた。

 何とか捻り出した答えだが、本当にそんな気がしてくる。


「……あ、あの」

「さあ、兵士の慰問をするぞ」


 カナンがおずおずと口を開き、ティリアは門に向かって歩き出した。

 嫌な予感がした。

 不幸にもクロノはカナンの希望通りの男なのだ。


「開門! 開門ッ!」

「何故、私の話を聞いて下さらないのですかッ?」


 ティリアが声を張り上げると、カナンも声を張り上げた。


「お前が第三、いや第四夫人にと言い出しそうだからだ」

「もうすでに三人も」


 ごくり、とカナンが喉を鳴らす。


「あの、姉さんは?」

「女将は愛人枠だ」

「そうですか」


 カナンはホッと息を吐いた。

 安心しているようだが、考えが甘すぎる。

 第×夫人なんてものは気休めにもならない。

 一番大事なのはプライドだ。

 そのプライドを維持するのが最も困難なのだ。


「で、どうなんだ?」

「私はクロノ様のお嫁さんになりたいなんて……」


 睨み付けると、カナンは口籠もった。

 不意に表情を引き締め、ぶつぶつと何事かを呟いている。

 やはり、嫌な予感がする。


「それもありかなと思っただろ?」

「い、いえ! そんなことはッ!」


 カナンは上擦った声で言ったが、心の底ではそれもありだと思っているに違いない。

 多分、もう一頑張りして駄目だった時はそっちでと考えているはずだ。

 きっと、次の見合いも失敗することだろう。

 逃げ道がある時点で全力を尽くせなくなっていることにどうして気づけないのか。

 いや、止めよう。

 この考えが自分の心を抉るかも知れないのだ。

 そんなことを考えていると、門が開き始めた。

 扉が開き、三人の男がこちらに向かってくる。

 一人はドラゴン、残る二人は初めて見る顔だった。

 ドラゴンがティリアの前で片膝を突くと、二人もそれに倣った。

 礼儀を払ってくれるのは嬉しいが、今はまだ協力関係――対等な立場だ。

 誰かに見られたら臣下の礼と勘違いされかねない。

 だが、皇族としてのティリアを呼んだのだから礼儀を払わない訳にもいかない。


「南辺境軍は皇軍と対等ではなかったか?」

「我々の要望に応えて下さった方に礼儀を払うのは当然のことではないかと」

「そうか。では、頭を上げてくれ」

「承知しました」


 ドラゴンが立ち上がり、二人の男も立ち上がる。


「面倒……いや、厄介なものだな」

「そうですね」


 ティリアの言葉にドラゴンは苦笑した。

 建前と実態が上手く噛み合っていない。


「父ならば自然体で振る舞えたのでしょうが、厄介なものです」

「そうだな」


 ティリアは小さく頷いた。


「ところで、兵士は何処にいるんだ?」

「この先の練兵場で訓練中です。そこで待ち合わせるべきだったのですが……」

「気にすることはない。演出は大事だ」

「そう仰って頂けると助かります」


 ドラゴンは再び苦笑した。



 ティリア達は箱馬車に乗り、練兵場に向かった。

 この先という言葉に間違いはなかったらしく、箱馬車は眠気が襲ってくる前に止まった。

 先程と同じようにマイラが扉を開けて外に出る。

 砂の混じった風が吹き込み、ティリアはマフラーで口元を覆った。

 立ち上がると、手が差し伸べられた。

 マイラではなく、ドラゴンの手だ。

 分厚く、節くれ立った兵士の手だ。


「ティリア皇女、どうぞ」

「うむ、礼を言う」


 ティリアはドラゴンの手を握り、箱馬車から下りた。


「天幕を用意しておりますので、こちらに」


 ドラゴンが踵を返して歩き出し、ティリアはその後に続いた。

 マイラがティリアの前を、カナンが背後に付く。

 さらに四人の兵士が四方を守っていた。

 指揮官であるドラゴンが最も無防備という状況だ。

 これでは対等とは言えんな、とティリアは苦笑し、視線を巡らせる。

 等間隔に設置された丸太以外に何もない練兵場だ。

 そこでは大勢の兵士が訓練に励んでいた。

 と言いたい所だが、ティリアが来てしまったせいか、何処か上の空だ。

 そんな中でガウルを中心とした五十人足らずの集団は異彩を放っていた。

 二人一組になって乱取りを行っているのだが、遠く離れていても気迫が伝わってくる。

 ガウルがいるので仕方がなくという雰囲気ではない。


「……ティリア皇女、前を」


 マイラがぼそっと呟き、ティリアは前を見た。

 いつの間にか天幕の近くに来ていた。

 練兵場がよく見えるようにという配慮だろう。

 布が上げられ、中央には二脚のイスが置いてあった。

 どちらも豪奢なイスだ。

 ドラゴンはイスの傍らに立ち、こちらに向き直った。


「……お手を」

「いいのか?」

「これくらいは大丈夫でしょう」

「感謝する」


 ティリアはドラゴンの手を借り、イスに座った。


「では、私どもは後ろに」

「何かあったら遠慮なく申しつけ下さい」


 マイラとカナンが背後に立ち、ドラゴンがイスに座る。

 やはり、ここからだと練兵場の様子がよく分かる。

 大勢の兵士が訓練に励む姿は壮観だ。

 自分の兵ではないが、誇らしい気分になる。


「一つ聞きたいんだが?」

「何なりと」

「ここはアレオス山地が近いが、帝国軍が動いた時に対応できるのか?」

「攻め込まれぬようにいくつか手を打っているのでご安心下さい」


 ティリアの問いかけにドラゴンは力強く答えた。


「帝国軍も監視くらいは付けていると思うが……」

「我々と同じく狼煙台を準備しています」

「狼煙台か」


 ティリアは小さく息を吐いた。


「どうかなさったのですか?」

「マジックアイテムによる通信網をこちらにも整備しておけばよかったと思ってな」

「ははぁ、面白いことを考えますね」

「考えたのはクロノだがな」

「一度じっくりと話してみたいものです。これまで話す機会がなかったものですから」

「なかなか面白い男だぞ。ところで、帝国軍の狼煙台を破壊しないのか?」

「そのつもりですが、タイミングを計らなければなりません」


 ドラゴンは低い声で言った。

 南辺境軍が帝国軍を引きつけ、その間に別働隊が帝都に向かう。

 確かにこの作戦を成功させるにはタイミングを計らねばなるまい。

 ティリアの慰問も計画に組み込まれている可能性が高い。


「……さてと」

「どうかなさったのですか?」


 ティリアが立ち上がると、ドラゴンも立ち上がった。


「見ているだけではなく、声を掛けてくる」

「それではお体に負担が……」

「少し体を動かした方がいい」

「……そう、ですね」


 ドラゴンは呻くように言った。


「エスコートを頼むぞ」

「承知いたしました」


 そう言って、ドラゴンは苦笑した。



 ティリアは天幕を出ると、真っ先にガウル達の下に向かった。

 もちろん、一人ではない。

 隣にはドラゴン、前後にはマイラとカナン、その周囲には四人の兵士がいる。


「……あの女は誰だ?」

「馬鹿、ティリア皇女だよ」

「体調を崩しているという話も聞いたが?」

「そこを押して来て下さったんだ」

「何を笑ってるんだ?」

「へへ、何か大きいことをしてるって実感が湧いてきてよ」

「調子に乗って死ぬんじゃねーぞ」

「お前こそ」


 兵士達の声が聞こえてくる。

 やや浮ついた雰囲気だが、そんな中でもガウル達は真剣に乱取りをしている。

 ティリア達に気づいたのか、ガウルはこちらに視線を向け――。


「乱取り止め! 整列ッ!」

「はッ!」


 ガウルが声を張り上げると、兵士達は乱取りを止め、横一列に並んだ。


「ティリア皇女に敬礼ッ!」


 ガウルの号令に従い、兵士達が敬礼する。

 やや崩れた敬礼だが、彼らの表情を見ればそんなことは気にならない。

 皆、いい顔をしていた。

 ティリアは立ち止まり、返礼した。

 周囲の兵士達がどよめく。

 そんなに驚くようなことなのだろうかと思わなくもない。

 ティリアが腕を下げると――。


「なおれッ!」


 ガウルが再び声を張り上げ、兵士達が腕を下げた。


「……ティリア皇女」

「何だ?」


 ドラゴンが耳打ちし、ティリアはわずかに首を動かした。


「彼らは別働隊……帝都攻略に志願した者達です」

「そうか」

「ここにいる者達は先頭に立って戦うことを希望しています」

「――ッ!」

「皆、ルー族と縁を持つ者です。どうか、優しい言葉を掛けてやって下さい」


 ティリアが目を見開くと、ドラゴンは懇願するように言った。

 長い息を吐き、ガウルに歩み寄る。


「……ガウル」

「はッ!」


 ティリアが声を掛けると、ガウルは背筋を伸ばした。


「貴様の部下は素晴らしい。気迫が伝わってきた」

「ありがたき幸せ」


 ティリアはガウルの肩を叩き、列の左端にいる兵士に歩み寄った。

 緊張からか、びくっと体を震わせる。


「お前の名前は?」

「は、はッ! トールと申しますです!」


 兵士――トールは失敗したという表情を浮かべたが、ティリアはあえて微笑んだ。


「気にするな。トール、軍歴は何年になる?」

「はッ、五年になります!」

「ずっと南辺境にいるのか?」

「いいえ! 以前は帝都の警備をしておりました!」

「そうか。家族は?」

「はッ、お、いえ、私の家族はアレオス山地におります!」

「……そうか」


 ティリアは静かに頷き、トールの肩に触れた。


「お前は立派な父親だ。約束する。私はお前の家族を帝国臣民として扱う。お前の子どもが英雄の子として生きられる国にしてみせる」

「あ、ありがとうございます!」


 トールは今にも泣き出しそうな顔で言った。


「お前の奮闘を期待するが、死に急ぐような真似は止めてくれ。これはお願いだ」

「はッ! 家族のため、私達の帝国のために戦いますッ!」

「ああ、頼む」


 ティリアはトールの隣に立つ兵士の前に移動する。


「名前を教えて欲しい」

「は、はい、ライトと申します」

「いい名前だ」


 ティリアは一人一人の名前を聞き、戦う理由を尋ねた。



 夕方――ティリアは箱馬車の窓から外の景色を眺めていた。

 空気が澄んでいるせいか、美しい夕焼けだった。


「……ふぅ」

「お疲れ様です」


 ティリアが溜息を吐くと、マイラが声を掛けてきた。

 心なしか柔らかな声音だ。


「あれでよかっただろうか?」

「はい、間違いなく士気が上がったかと」

「だといいんだが……」


 ガウルとその部下に声を掛けた後、いつの間にか兵士達が列をなしていた。

 流石に無視する訳にもいかず、握手して声を掛けたのだが、慰問とはもう少し厳かな雰囲気でやるものではないかという思いがある。


「少し休まれてはいかがですか?」

「そうだ……」


 カナンの言葉に頷こうとし、ケイロン伯爵のことを思い出した。

 見合いをしただけの関係とは言え、彼女には知る権利がある。

 ティリアは居住まいを正した。


「どうかなさったのですか?」

「ケイロン伯爵と見合いをしたと言っていたな?」

「はい、それが何か?」


 カナンが不思議そうに首を傾げ、ティリアはマフラーに触れた。


「実は……ケイロン伯爵は死んだんだ。いや、我々が殺した」

「……」


 ティリアが告白してもカナンはきょとんとしていた。


「そうですか」

「それだけか?」

「それだけと言われても一度お見合いしただけの関係ですから」

「そうか」


 カナンが困惑しているかのように言い、ティリアは小さく息を吐いた。

 罵倒も覚悟していたのだが――。


「ティリア皇女はケイロン伯爵と親しかったのですか?」

「……どうだろう」


 ティリアはケイロン伯爵のことを思い出した。

 頭を踏みつけられ、何度も死闘を繰り広げたが、充実した日々だったように思う。

 ぽろりと涙がこぼれ落ちる。

 咄嗟に拭ったが、涙は拭うそばから溢れてきた。

 そこでようやく気づいた。

 自分達は恋敵で――友達だったのだと。

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