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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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第18話『決戦・裏』その2



 カチャという音でティリアは目を覚ました。

 薄く目を開け、いけないと思いながらもどうにも億劫で目を閉じる。

 何の音だったのだろう。

 しばらくして再びカチャという音がした。

 そこで音の正体に気付く。

 扉を開閉する音だ。

 いけない。寝起きのせいか、体調不良のせいか、思考が鈍い。

 いつもなら気付けることに気付けない。

 今日は新貴族達と話さなければならない。

 こんな状態ではうっかり不利な条件を呑まされかねない。

 いや、と思い直す。

 南辺境に来たのは領地の通行許可や中立を維持してもらうためではない。

 共に戦ってもらうために来たのだ。

 クロードは帝国軍と戦うことにはならないだろうと言っていた。

 だが、それは南辺境に限ってのことだ。

 別働隊にとっては過酷な戦いとなる。

 城を攻め、アルフォートを討たなければならないのだ。

 犠牲は避けられない。

 それを考えればどんな要求だって正当だ。

 できる限り要求を呑むのが誠意というものだろう。

 そんなことを考えていると――。


「奥様、朝でございます」

「……ああ」


 マイラの優しげな声が耳朶を打ち、ティリアは体を起こした。

 睡眠時間は十分過ぎるほど取ったはずなのに体が怠かった。

 まだ体調が悪いようだ。

 情けない、と唇を噛み締める。


「カーテンを開けてもよろしいでしょうか?」

「ああ、できれば窓も頼む」

「冷たい風はお体に障ります」

「新鮮な空気を吸いたい気分なんだ」

「承知しました」


 マイラは恭しく一礼し、カーテンを開けた。

 窓をそっと開けると、冷たい風が吹き込んできた。

 ティリアはぶるりと身を震わせ、深呼吸した。

 鼻の奥が痛むが、意識が少しだけすっきりしたような気がする。


「奥様、よろしいでしょうか?」

「ああ、閉めてくれ」

「承知しました」


 マイラは静かに窓を閉め、ベッドの上にテーブルを置いた。

 といっても小さなテーブルだ。

 ベッドの上で食事か、作業をするためのものだろう。

 質素だが、丁寧な作りだ。

 このテーブルは職人が細心の注意を払って作ったに違いない。


「こちらはエルア様が使用されていたテーブルになります」

「クロノの、母親になるのだろうな」

「ええ、そうなります」


 マイラは優しげな表情を浮かべて頷いた。

 クロノがこの世界に来た時、エルア・フロンドはすでに故人だった。


「開拓が終わった途端に体調を崩されるようになりまして」

「そうか」


 ティリアは頷くことしかできなかった。

 一体、何が言えるというのか。


「奥様、私はエルア様の件をそこまで気にしておりません」

「そうなのか?」

「はい、アストレア皇后に思う所はございますが……」


 マイラは言葉を句切り、テーブルの上に皿を置いた。

 ティリアは軽く目を見開いた。

 皿の上にはパンらしきものが載っていた。

 ただ、四角なのだ。

 しかも、薄い。


「これは何だ?」

「パンでございます」

「それは分かるが……」

「坊ちゃま――クロノ様より教えて頂いた食パンなるパンです」

「む、あいつはまだ隠し事をしていたのか」


 ティリアはムッとして顔を顰めた。

 長い付き合いになるのに隠し事が多すぎる。


「異世界には四角いパンがあると聞いたことがございまして」

「なるほど。ところで、どう作ったんだ?」

「パンの生地を金属の型に入れて焼きました」

「ああ、そういうことか。気付くまでに時間が掛かったんじゃないか?」


 言われてみればそうかと思うが、言われなければ気付けない。

 異世界の知識はそういうもの――気付きの集合体のように思える。


「いえ、それほど時間は掛かっておりません。ただ……」

「ただ?」

「仕事の合間を縫い、趣味として行っていたので時間が掛かってしまいました」


 鸚鵡返しに尋ねると、マイラは恥ずかしそうに微笑んだ。


「ふむ、趣味か」

「はい、趣味でございます」

「では、頂くとしよう」


 ティリアはパンを小さく千切り、口に運んだ。

 軽く目を見開く。


「如何ですか?」

「美味いな」

「それはようございました」


 マイラは満足そうに微笑んだ。

 白い部分はきめ細かく、しっとりとしている。

 その上、柔らかい。

 外側は色が変わっているものの、焦げ臭くない。

 芳ばしいとさえ感じる。

 それに、この仄かな甘味――素晴らしいパンだ。


「昨夜の麦粥は食べられなかったが、これならば食べられそうだ」

「ありがとうございます」


 ティリアはパンを千切り、少しずつ口に運んだ。

 一枚目を食べ終えると、カップが差し出された。

 カップを受け取り、恐る恐る口を付ける。

 すると、爽やかな味わいが口の中に広がった。


「……レモンか?」

「はい、レモンの果汁を冷水に垂らしました」

「うん、これは飲みやすいな」


 冷水に果汁を垂らしているせいか、爽やかさが際立っている。


「加減してお飲み下さい」

「う、うむ、分かった」


 ティリアはそっとカップをテーブルに置き、パンを頬張った。

 相手が女将ならば言い返す所だが、相手はマイラだ。

 どうしても気後れしてしまう。

 今更ながら自分は女将と打ち解けていたのだなと思う。

 不意にケイロン伯爵のことを思い出す。

 一時期は毛嫌いしていたし、不倶戴天の敵だとも思っていた。

 まあ、そうでなければ何度も戦いを挑まないが――。

 鼻の奥がツンとし、視界が滲んだ。

 マイラがハンカチを差し出す。


「どうぞ」

「済まないな」

「いいえ、体調を崩している時は涙脆くなるものです」


 ティリアがハンカチで涙を拭って言うと、マイラは小さく首を横に振った。


「だが、これでは新貴ぞ……南辺境の領主達に醜態を曝してしまう。薬を処方してもらえないか?」

「申し訳ありませんが、それはできかねます」

「どうしてだ?」

「薬と毒は表裏一体でございます」


 思わず問い返すと、マイラは静かに言った。


「人体に有益な作用をもたらすものを薬、有害な作用をもたらすものを毒と分けているに過ぎません。ですので――」

「分かった。要するに体に負担が掛かると言いたいのだろう?」

「その通りです」

「お前の言い分は分かったが、これでは戦えん」

「そのことですが……」


 マイラはおずおずと切り出した。


「何だ?」

「南辺境で療養して頂く訳にはいかないでしょうか?」

「それはできん」


 申し訳ないと思うが、きっぱりと断る。

 別働隊は過酷な戦いに身を投じることになる。

 あまりの過酷さに心が折れそうになることもあるだろう。

 そんな時、ティリアがいれば自身を奮い立たせることができるかも知れない。

 もちろん、確証はない。

 だが、ティリアがいることで犠牲が出る確率を減らせるのならそうするべきだ。

 それに、元はと言えばこの戦いは自分が蒔いた種なのだ。

 今にして思えばもっとアルコルと話をすべきだった。

 そうすれば裏切りに気付けたかも知れない。

 あくまで可能性の問題だが、自分は話そうとしなかった。

 なんと傲慢で、怠惰だったことか。

 さらに言えば迂闊でもある。

 だから、戦い、見届ける義務があると思う。


「……分かりました」


 マイラは溜息を吐くように言った。


「では、私が奥様にお供いたします」

「いいのか?」

「医術を習得し、かつ厳しい戦闘に耐えうる者は私しかおりません」


 医術は我流ですが、とマイラは思い出したように付け加えた。


「大丈夫か?」

「私も旦那様と同じく戦う時期は過ぎておりますが、私には弟子がおります」

「ジョニーという男だったか?」


 ティリアはこめかみを押さえながら答えた。


「そんなに強かったか?」

「自称・南辺境一の短剣使いです」

「駄目じゃないか」

「ご安心下さい。今は帝国屈指の短剣使いです」

「ほぅ、それはすごいな」


 ティリアは思わず声を上げた。

 そんな手練れが南辺境に燻っていたとは世の中は狭いようで広い。


「どうやって育てたんだ?」

「ナイフ一本持たせてアレオス山地に置き去りにしました。獲物を捕ったらルー族が奪いに来るという縛りを設けた上で」

「育ててないぞ」

「いえ、基礎は叩き込みましたので」

「……そうか」


 恐らく、物理的に叩き込んだのだろう。

 ティリアは手元に視線を落とし、パンを千切って口に運んだ。


「私と弟子がいれば奥様を守り切れると思います」

「うん、だが、それは……」

「……奥様」


 マイラは溜息を吐くように言った。


「奥様のお気持ちは分からなくもありません」

「分かるのか?」

「ええ、罪悪感を覚えていると察する程度ですが」


 マイラはしれっと言った。


「罪悪感を覚えているのでしたら尚更、奥様には生き延びて頂かなければなりません。生き延びて帝国を再建して頂きたく存じます。それが今回の内乱を引き起こしてしまった奥様の義務です」

「ぐぬッ」


 ティリアは呻いた。

 よくもまあ、デリケートな部分にずかずかと踏み込んでくるものだ。

 だが、マイラの言うことは間違っていない。

 少し自棄になっていたのかも知れない。

 パンを大きめに千切り、水で流し込む。


「……そう言えば」

「何でしょう?」

「さっきの話だ。私の母に思う所があると言っていただろう?」

「いいえ、私は『アストレア皇后に思う所はございますが』と申しました」

「細かいな」

「メイドですので」


 それは関係ないんじゃないかと思ったが、マイラがそう言うのならそうなのだろう。


「続きは?」

「エルア様は幸せだったと思います」

「クロード殿はそう思っていないんじゃないか? エルア殿は、その、今際の際に涙を流したのだろう?」

「そこまでご存じでしたか」

「これでも、私はクロノの正妻だからな」


 ティリアが胸を張ると、マイラはくすくすと笑った。


「……何がおかしい」

「いいえ、何も」


 マイラは淡々とした口調で言った。


「私が見た限り、エルア様は幸せそうでした」

「だが――」

「奥様」


 ティリアが反論しようとすると、マイラは人差し指を立て、唇に当てた。


「エルア様は涙を流されましたが、それは唯一の未練だったからです」

「未練を残して……それでも、幸せだったのだろうか?」

「満足して逝ける者はそう多くありません」


 マイラは囁くような声音で言った。

 何処か微笑んでいるようにも見える。


「それに未練のある者が必ずしも不幸とは限りません」

「そう、だろうか」

「……別れは辛いものです」


 ですが、とマイラは続ける。


「それで全てが意味を失うことはございません。たとえば愛し合っていた二人が別れたとして――」

「たとえが酷い」

「別れたとしても二人が共有した時間は“なかった”ことになりません。終わりが無惨でも、それまでに苦しみがあったとしても幸せと言える記憶は、色鮮やかな思い出はあるはずです」


 ティリアの呟きを無視してマイラは言った。


「ですので、エルア様の人生はとても満ち足りたものだと思うのです」

「……」


 ティリアは何も言えなかった。

 何かを言おうにもエルアという人物を知らないのだ。

 それなのに不幸だと決めつけてしまうのは傲慢なような気がした。

 代わりに別の質問を投げかける。


「それはエルフとしての価値観か?」

「どちらかと言えば傭兵としての価値観ではないかと」

「そうか」


 ティリアは頷き、パンを頬張った。


「クロード殿は違うようだが?」

「男と女では考え方が違うものです」

「それもそうだな」


 カップを手に取り、水を飲む。

 男と女では考え方が違うのだ。

 同じであれば自分の苦悩はかなり軽減――いや、余計に深まるだけかも知れない。

 何にせよ、男と女は難しいのだ。



「……奥様、会議の時間でございます」

「――ッ!」


 マイラの声が聞こえ、ティリアは飛び起きた。

 軽く頭を振る。

 食事の後、眠気が襲ってきてついうとうとしてしまった。

 いや、うとうとというレベルではない。

 今回は扉が開く音に気付けなかった。

 熟睡か、それに近い状態だった。

 重要な話し合いがあると分かっていたはずなのにたるみすぎだ。

 この調子で自分の役目を果たせるのか不安になってくる。


「すぐに準備する」

「お待ち下さい」


 ベッドから下りてネグリジェに手を掛けるとマイラに止められた。


「何だ?」

「領主様方とはそのままお会い頂きたく」

「ネグリジェだぞ?」


 ティリアは自分を見下ろした。

 厚手の、質素なネグリジェだ。

 クロノが好むそれとは違うが、ネグリジェには違いない。


「こんな格好で会ったら正気を疑われる」

「ティリア皇女が体調を崩されている旨は伝えてあります」

「なッ!」


 ティリアは絶句した。

 弱みを曝したくないのによくも、と怒りが込み上げてくる。


「敵を欺くにはまず味方からと申しますが、今回ばかりはご遠慮下さい。我々は仲間として信頼関係を構築しなければなりません」

「……そうだな」


 ティリアは少し間を置いて答えた。

 これから一緒に戦う仲なのだ。

 隠し事をしていたらそれが露見した時に心証が悪くなる。

 命が懸かっているのなら尚更だ。

 こういう時、クロノならどうするだろう。

 きっと、弱みを見せて結束を高めるに違いない。

 上に立つ人間には色々なタイプがいるのだなとつくづく思う。


「分かった。だが、こんな格好で反感を買わないだろうか?」

「ご安心下さい、旦那様を始めとする領主様方は古いタイプが多いので」

「どういう意味だ?」

「体調を崩されている女性に無体な要求はしないかと」

「元傭兵なのだろう?」

「三十余年が経ち、人間が丸くなっておりますので」


 そんなことでよく生き延びられたと思いながら尋ねると、マイラは微苦笑を浮かべながら答えた。


「皆、戦う時期はとうに過ぎているのです」

「……」


 そんなものだろうかという思いはあるが、体調を崩した女だからと手心を加えてくれるのならそれを利用しない手はない。

 信頼関係の構築とは何なのだろうと思わないでもない。


「お前は誰の味方なんだ?」

「私は私の味方です」

「つまり、自分の利益を第一に考えていると?」

「もちろんです。人間に比べると長期的スパンで物事を考えているかも知れませんが」


 ふむ、とティリアは頷いた。

 短期的には損をしても最終的には得することを選ぶということか。

 いや、そう考えさせるための布石かも知れない。

 だが、自分の利益を第一に考えるという点は信用できるような気がした。


「分かった。領主達とはこのまま会う。だが――」

「軍服の上着でしたらここに」


 そう言って、マイラは軍服の上着を広げた。


「準備がいいな」

「メイドですので」

「まあ、いい。手を貸してくれ」

「もちろんです」


 ティリアはマイラの手を借り、軍服の上着を着た。

 どうも違和感があるが、すぐに慣れるだろう。


「では、こちらに」


 マイラがしずしずと歩き出し、ティリアはその後を追った。



 議論でもしているのだろうか。

 声が廊下にまで聞こえてくる。


「――! ――!」

「――! ――! ――!」

「随分と賑やかだな」

「昔話で盛り上がっているのでしょう」


 マイラは苦笑するように言い、重厚そうな扉の前で足を止めた。


「よろしいでしょうか?」

「ああ、頼む」


 マイラがドアノブを捻ると、カチャという微かな音が響いた。

 次の瞬間、ぴたりと声が止んだ。

 その部屋では九人の男女――男が八人、女が一人だ――がテーブルを囲んでいた。

 南辺境の領主は八人だったはずだが、とティリアはこめかみ触れ、白い軍服を身に纏った大男がいることに気付いた。

 恐らく、彼がエルナト伯爵の息子ガウルだろう。

 ティリアが部屋に入ると、ガタッという音がした。

 クロードが立ち上がったのだ。


「旦那様、ご着席下さい」

「けどよ」

「私が付いておりますので」

「……分かった」


 マイラの言葉にクロードは渋々という感じでイスに座った。


「私は何処に座ればいいんだ?」

「こちらになります」


 マイラに案内され、ティリアは空いている席に座った。

 視線を巡らせ、全員の顔を確認する。


「まず、このような格好で話し合いに参加する不作法を詫びたい。すまない」

「……」


 ティリアが頭を下げても領主達は何も言わなかった。


「話し合いを始める前に自己紹介を頼みたいのだが……」

「仕方がねぇな」


 クロードがぼりぼりと頭を掻いた。


「そこの白い軍服がタウルの息子でガウルだ」

「……」


 クロードが指を差すと、ガウルが頭を下げた。


「黒い軍服を着てるのがドラゴンだ」

「本日は南辺境軍の指揮官兼父の名代として参りました」


 黒い軍服を着た男――ドラゴンが頭を下げ、ティリアは軽く目を見開いた。

 凶相の持ち主にもかかわらず言葉遣いや頭を下げる所作が丁寧だったからだ。


「で、そこにいる女がカナン・エクロンだ」

「お目に掛かれて光栄です」


 カナン・エクロンは背筋を伸ばすと頭を垂れた。

 はて、何処かであったような気がするのだが――。


「カナン様はシェーラ様の妹です」

「ああ、それでか」


 マイラに耳打ちされ、ようやく合点がいった。

 カナンは女将によく似ているのだ。

 まあ、胸以外は――。


「お前の姉には――」

「姉が何かしましたでしょうか!」


 突然、カナンが声を張り上げた。


「いや、世話になっていると言いたかっただけだ」

「そうですか」


 カナンはホッと息を吐いた。

 それにしても、女将は南辺境でどんな生活を送っていたのだろう。


「あとはリパイオス男爵、カガチ男爵、ベオル男爵、ゲンノウ男爵、レヴィ男爵だ」

「……クロード」

「それは……」

「適当すぎやしないか」

「まったく、相変わらず飽きやすいヤツじゃ」

「そうじゃそうじゃ」


 クロードが適当に紹介すると、五人――リパイオス男爵、カガチ男爵、ベオル男爵、ゲンノウ男爵、レヴィ男爵は顔を顰めた。


「……私がサポートしますのでご安心を」

「頼む」


 いつもならすぐに顔と名前を一致させられるのだが、今は自信がない。


「では、話し合いを進めたいと思う。南辺境は私達――皇軍に協力するということで間違いないか」

「……ティリア皇女」


 ドラゴンが静かに口を開いた。


「何だ?」

「我々はティリア皇女に、ひいては皇軍に協力することで意見が一致しております。しかしながら無償でという訳にはいきません」


 ティリアは視線を巡らせた。

 ガウルも含めて驚いている者はいない。

 つまり、あらかじめ示し合わせていた行動ということか。

 どうせならこちらにも連絡をして欲しかった。


「ふむ、道理だな」

「我々――南辺境軍が協力し、偽帝アルフォートを討った暁にはどのような待遇を約束して下さるのでしょうか?」


 南辺境軍、とティリアは口の中で言葉を転がす。

 わざわざ南辺境軍という言葉を使ったのは協力関係にあるとアピールするためだろう。


「名誉ある待遇を約束しよう」

「名誉ですか」


 ドラゴンは苦笑した。

 ティリアも苦笑したい所だが、ぐっと堪える。


「父は貴方の父君に協力して南辺境の地に封じられました。そして、この辺境の地を開拓することになった」

「何が言いたい?」

「我々と皇族の方には認識の齟齬があるのではないかという話です」


 クロード達は少しだけ渋い顔をしている。

 今の嫌みはドラゴンのアドリブだろうか。

 それとも、当時のことを思い出しているのか。

 ともあれ、止めていないのだから大筋では予定通りに進んでいるのだろう。


「つまり、具体的に語れということだな」

「ご理解頂けて恐縮です」

「我々の目的は偽帝アルフォートを討ち、出自に縛られない社会を作ることにある」

「……」


 ガウルが静かに手を上げ、クロード達が一斉に視線を向ける。


「そのことですが、出自に縛られない社会とは具体的にどのようなものでしょうか?」

「平民の中から代表者を選出して平民会を設置し、国政に関わってもらう。だが、お前が聞きたいのはそういうことではないのだろう?」

「はッ」


 ガウルは神妙な面持ちで頷いた。


「帝国に忠誠を誓い、義務を果たす者は皇帝の前において等しい価値を持つものとする」

「たとえば奴隷が帝国に忠誠を誓う者であった場合には?」

「それを説明するためには私の帝国における奴隷の定義について説明しなければならん」


 こほん、とティリアは咳払いをした。


「私の帝国において奴隷とは借金などの理由によって権利を制限された状態と定義する」


 クロード達がどよめいた。


「なので、私が皇位に就いた際には奴隷制度の改革を行う。誰がいくら借金をして奴隷となったのか記録を残す。もちろん、記録がなければ奴隷契約は無効だ」

「では、異民族はどうでしょうか?」

「異民族であっても帝国に忠誠を誓い、義務を果たす者は皇帝の前において平等だ。とはいえ、口で平等と言っても実態が伴わなければ意味がない。そこで軍や宮廷、皇帝直轄領で働けるように制度を整えていく。格別な働きがあった場合には叙爵も行う。これでよかったか?」

「感謝いたします」


 ガウルは静かに頷き、ドラゴンが口を開いた。


「ティリア皇女、よろしいですか?」

「うむ、待遇についてだったな。平民の中から代表者を選出して平民会を設置するという話だったが、平民会の性質上、貴族会には領主が相応しいと考えている」

「恐れながら……」

「発言を許す」

「領地を持つ貴族が貴族会で席を持つことができるというのであれば我々にはメリットがありません。旧貴族と同じ待遇では納得できない」

「道理だな。具体的にどのような待遇を望む?」

「……そうですね」


 ドラゴンは考え込むような素振りを見せた。


「領地では?」

「領地か。アルフォートに与した貴族どもを粛正するのは決定事項なのだが……」

「何か問題が?」

「傾いた帝国を立て直すのにいくら掛かるか分からん」

「ああ、それは問題ですね」


 分かります、とドラゴンは頷いた。


「では、こうしたらどうでしょう? 粛正した貴族の財産は国庫に、我々は土地を頂く」

「家屋敷はどうする?」

「そうですね。できればそちらも頂きたく」

「分かった。条件を呑もう。土地の分配についてはそちらで話し合ってもらうということで構わないな?」

「承知しました」


 ティリアは視線を巡らせると、クロードが立ち上がった。


「よし、話し合いはこれで終わりだな。解散だ、解散。姫さんは体調が悪ぃんだからな」

「そうですね。解散しましょう」

「はい、ティリア皇女には体を休めて頂かないと」


 クロードにドラゴンとカナンが追従し、他の面々もそうじゃそうじゃと頷いた。


「ものすごく切り替えが速いな。これなら――」

「交渉した事実が必要なのです」

「まあ、それは分かるが……」


 ティリアは頬杖を突き、ハッと顔を上げた。


「ガウル! お前は残れッ!」

「はッ!」


 ガウルが背筋を伸ばすと、クロードが肩を叩いて部屋から出て行った。

 一分も経たない内に部屋にはティリア、マイラ、ガウルしかいなくなった。


「近くに寄れ」

「はッ!」


 ガウルはティリアに近づき、片膝を突いた。


「ご用件は?」

「うむ、一つ聞きたいことがあってな」

「私に答えられることであれば」

「どうして、お前は今回の反乱に参加した。お前の家は名家だ。それにエルナト伯爵はどちらの陣営にも属していない」

「私はクロノの友です。友の窮地に駆けつけるのは当然のことです」

「それだけか?」

「……子どもができたと伝えた時、祝福されました」


 ティリアが問い返すと、ガウルは少し間を置いて答えた。


「それはめでたいな」

「妻はルー族の女で、ララと申します」

「それは……つらいな」


 ティリアは口籠もり、ようやくその一言を絞り出した。

 子どもは全て、祝福されて産まれてくるべきだと思う。

 だが、現実はそうではない。

 祝福されて産まれてくる子どももいれば、そうでない子もいる。

 帝国に恭順の意を示したとは言え、ルー族は未だに蛮族だと思われている。

 ましてや、ガウルは名家出身だ。

 父親であるタウルの人柄は知っている。

 彼ならば孫の誕生を祝福することだろう。

 だが、その妻の人となりは分からない。

 分からないが、ガウルがここにいることを考えると祝福したとは思えなかった。

 子どもを授かった時の喜び、祝福されなかった時の絶望。

 それを想像しただけで胸が押し潰されそうになる。

 ぽたり、と音がした。

 慌てて目元に触れると指先に濡れた感触があった。

 涙が零れたのだ。


「す、すまない」

「い、いいえ!」


 ティリアが目元を拭うと、ガウルは頭を振った。


「私はお前達の子を祝福するぞ」

「ありがとう、ございます」


 ガウルは深く頭を垂れた。

 肩が小さく震えていた。

 泣いているのだろうか。

 だが、尋ねるべきではないだろう。


「私は部屋に戻る。マイラ……」

「承知しました。しばらくこの部屋に誰も立ち入らぬようにします」

「頼む」


 ティリアは静かに立ち上がった。

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