第17話『決戦』その12
※
太陽が沈み、周囲が暗くなっても帝国軍の野営陣地では一般兵が活発に動いていた。
篝火を焚き、その近くで布を裂く。
天幕の生地は通常のそれに比べて分厚い。
裁断は容易ではない。
うっかり自分の手を切ってしまうこともある。
それでも、一般兵は手を休めない。
無言で、淡々と天幕を同サイズに切っていく。
出来上がった布は野営陣地の外縁部に運ばれる。
そこでも一般兵が作業に勤しんでいる。
堀を作るために地面を掘っている。
そこで出た土を布で包む。
かなり不格好だが、土嚢の完成だ。
できれば針と糸を使い、きちんとした袋にしたかった。
だが、それには時間が足りない。
軍務局長に連絡を取り、物資を集めるだけでどれほど時間が掛かるだろう。
すぐに対応してくれたとしても反乱軍別働隊の件もある。
時間を与えれば皇軍――クロノが再び策を弄するのではないかという不安もある。
だから、ありもので、早急に対処しなければならない。
ロイは一般兵の様子を確認しながら野営陣地を歩く。
大丈夫か?
頑張ってくれ。
頼んだぞ。
そんな言葉を掛けると、一般兵はホッとしたような表情を浮かべる。
それだけ不安なのだろう。
当たり前か。
彼らは所属していた大隊から派遣されてきたのだ。
リチャードのように疎まれて派遣された者もいるだろう。
だが、そんな者にだって人間関係というものがある。
共に訓練に励み、戦い、信頼関係を築いた仲間から引き離されたのだ。
しかも、派遣先は命懸けの戦場だ。
誰を信頼して良いのか分からない。
霧の中を歩いているような状況だ。
そんな状況ではロイの言葉にさえ縋りたくなる。
それが分かっても根本的な解決策を示すことができない。
せめて、勝っていればと思う。
勝っていれば、先手を打つことができれば今より不安を和らげることができた。
だというのに現実はどうか。
反乱軍――クロノの策に嵌まり、一万の傭兵を死傷させ、一般兵にも被害を出した。
その上、負傷した一般兵を運ぶ際に見逃されている。
クロノにこちらに負担を掛ける意図があろうとなかろうと同じことだ。
全員ではないにせよ、兵士はそれを反乱軍の余裕と見る。
帝国は負けている。
自分達は情けを掛けられている。
そんな思いが心身を蝕む。
大っぴらには言えないが、ロイも同じ気分だった。
後手に回り、相手の策に嵌まっている。
今回の作戦も失敗するのではないかという不安を拭い去ることができない。
こんな時、本当の貴族であれば泰然自若としていられるのだろうか。
ロイは小さく頭を振った。
いけない。
弱気になっている。
これは負け犬の思考だ。
何とかして、この思考から抜け出さなければ――。
そのためには勝たなければならない。
成果を出さなければならない。
そうすればこの弱気な思考から抜け出せるはずだ。
「ロイ殿!」
「……ああ、リチャードか」
肩越しに背後を見ると、リチャードの姿があった。
少しだけ歩調を落とす。
ほどなくしてリチャードはロイに追いついた。
しばらく無言で歩く。
「ロイ殿、お疲れ様です」
「大したことはしてねーよ」
「いえ、指揮官が労ってくれるだけで大分違います」
「だと良いんだがな」
空を見上げると、いつの間にか月が出ていた。
小さく息を吐く。
リチャードが言うのだから少しは役に立てているのだろう。
多少なりとも指揮官としての役割を果たしている。
少しだけ気が楽になる。
くそッ、弱気になってる、とロイは心の中で自分を罵倒した。
普段の、好き勝手やっていた自分は何処に行ったのか。
闘技場では絶対王者と呼ばれていたのに――。
薄っぺらい。
人生も、頼りにしていたものも、何もかもが薄っぺらく感じる。
頼りない。
芯がないのだ。
「進捗はどうだ?」
「この分なら予定通り行動できます」
「つまり、明日にはってことか」
「そうです」
リチャードは静かに答えた。
「反乱軍の様子は?」
「野戦陣地の連中はいつも通りです。やはり、打って出るつもりがないみたいです」
リチャードは呆れているような、困惑しているような口調で言った。
正規兵ではないとは言え、連中は一万人の傭兵を死傷させた。
気が大きくなってもおかしくない。
にもかかわらず、反乱軍は防御に専念している。
統制が利いているのだ。
さらに経験も積んでいる。
まったく、厄介な相手だ。
「油断はするなよ」
「もちろんです」
「反乱軍の別働隊は?」
「離れた所からこっちを見てますよ」
ぶるり、とリチャードは身震いした。
「失礼しました」
「いや、構わねぇよ。続けろ」
「連中はじっとこっちを見てるんです。そのくせ、何もしてこない。かと言って、こっちが一歩でも近づこうものなら逃げ出すんです」
「戦おうとしたのか?」
「……兵士の一人がブチ切れて」
リチャードは呻くように言った。
「叱りつけておきましたが……」
「いや、それ以上の罰は必要ねぇ」
それに時間が経ってからでは罰の意味が薄れる。
罰は速やかに与えなければならない。
特に戦場では。
「ありがとうございます」
「気にするな。ブチ切れたのはそいつだけか?」
「苛々してたり、逆にビクビクしているヤツはいますが、しばらくは大丈夫でしょう」
「しばらくか」
「ええ、しばらくです」
まあ、何事にも限界はあるものだ。
状況を好転させることがさらに限界を伸ばせるだろう。
「お前はどうなんだ?」
「良い気分じゃありませんよ。何と言うか、狼に狙われている気分です」
「言い得て妙だな」
ロイは苦笑した。
こんな状況でも笑える自分に少しだけびっくりする。
笑えているということはまだ余裕があるということだ。
そう考えると少しだけ気分が楽になる。
「……狼か」
「狡猾な狼です」
「違いない」
「反乱軍……第十三近衛騎士団の連中は経験豊富ですからね」
リチャードはしみじみとした口調で言った。
確かに第十三近衛騎士団――クロノ達は実戦経験が豊富だ。
近年起きた戦いの全てに関わっている。
連中よりも経験豊富なのはエルナト伯爵が率いる第二近衛騎士団だけだ。
第二近衛騎士団がいてくれればと思う。
残念ながら第二近衛騎士団は国境で防備を固めている。
まったく、戦争とはままならないものだ。
「暗殺者は?」
「何の情報もねぇ」
ロイは溜息交じりに答えた。
すぐに情報が集まるとは考えていなかったが、手掛かりがないのは堪える。
矛盾しているが、正直な気持ちだ。
「パニックになっていないのが救いだな」
「そう、ですね」
リチャードは口籠もった。
表情は暗い。
気持ちは分かる。
今はまだ余裕がある。
ロイに対する信頼が不満と不安を抑え込んでいる。
しかし、この状態が続けばどうか。
兵士達はパニック、いや、ヒステリーに陥って犯人捜しを始めるに違いない。
「厄介だな」
「ええ、本当に」
ロイはリチャードを伴い、野営陣地を歩く。
今はまだ秩序だっているが――。
いや、とロイは頭を振った。
今は目先のことを考えるべきだ。
そうしないと戦後――暗澹たる未来のことまで考えてしまいそうだ。
「明日だな」
「はい、明日です」
ロイの気持ちが分かっているのかいないのか、リチャードはいつもと変わらない様子で言った。
※
夜が白んできた頃、準備は始まった。
一般兵が荷車で土嚢を運び、敵弓兵の攻撃が届かない所に積み重ねる。
正確には攻撃が届かないと思しき場所だ。
敵の射程は限界ではないのではないか。
そんな不安が湧き上がってくる。
ロイは不安を呑み込み、リチャードと共に兵士達の様子を眺める。
盾隊は並んでいる。
その表情を彩るのは不安と恐怖だ。
盾隊は昨日の攻撃で多数の死傷者を出した。
怒りで我を忘れてないのは悪くねぇが、とロイは愛用の槍を担いだ。
不安と恐怖に囚われているのも問題だ。
緊張ならまだしも不安と恐怖だ。
普段できることができなくなっているかも知れない。
負傷兵の救護を担当する兵士は緊張した面持ちだ。
盾隊に比べればまだしも余裕があるように見える。
もちろん、本人達は余裕などないと答えるだろう。
反乱軍が攻撃してくるかも知れないのに負傷者を助けなければならないのだから。
土嚢を運ぶ兵士はリラックスしているようだった。
素早く運べば死なずに済むと考えているのかも知れない。
ロイは敵右翼にある障害物に視線を向けた。
そこではこちらと同じように一般兵が待機している。
指揮官が手を挙げた。
準備が整ったという合図だ。
隣にいるリチャードがおずおずと口を開いた。
「……ロイ殿」
「ああ、始めてくれ」
ロイは自分が滑らかに言葉を紡げたことに少しだけ驚いた。
緊張のあまり噛んでしまうかと思ったのだが――。
「盾隊! 進めぇぇぇッ!」
「おう! おうッ!」
「お、おう! お、おうッ!」
リチャードが声を張り上げると、盾隊が亀甲陣形を組んで進み始めた。
緊張のせいだろう。
声が揃っていない。
足並みも乱れている。
こんなので大丈夫かという気分になる。
「揃ってないぞ! その場で足踏みッ!」
「おう! おうッ!」
「お、う! お、うッ!」
「おう! おうッ!」
「お、おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
リチャードの命令に従い、盾隊はその場で足踏みを始めた。
最初は揃っていなかったが、やがて声が揃う。
地面を踏み鳴らす音もだ。
「盾隊! 進めッ!」
「おう! おうッ!」
盾隊が動き出し、敵弓兵が矢を放つ。
昨日と同じ矢の雨だ。
矢が盾隊に降り注ぐ。
前面に向けた盾に、翳した盾に矢が突き立つ。
盾隊の動きは止まらない。
おう! おうッ! と威勢の良い掛け声を上げ、矢の雨の中を進み続ける。
そうして、昨日と同じように障害物に沿って並ぶ。
ロイはホッと息を吐いた。
ここまで来たら何とかなるだろう。
そんな思いがあった。
「盾隊! 開けッ!」
「おうッ!」
リチャードの声を合図に、上に向けられていた盾が起き上がる。
その時、一人が盾を落とした。
音が必要以上に大きく聞こえた。
もちろん、盾を落とした兵士は無事では済まない。
矢が胸に突き刺さり、兵士はもんどり打って倒れた。
「ひ、ヒィィィッ!」
兵士は胸に手を当て、悲鳴を上げた。
次の瞬間、地面に矢が突き刺さる。
「ヒィッ!」
兵士は短い悲鳴を上げ、体を丸めた。
「行くぞ!」
「おうッ!」
救助担当の兵士が相棒と思われる男と駆け出す。
だが、その間も攻撃は続いている。
当たってはいないが、矢が地面に突き刺さるたびに兵士は悲鳴を上げた。
その時、盾を構えていた兵士が後ろに下がった。
矢が突き刺さった兵士の下にいた男だ。
「おう! おうッ!」
盾隊が移動し、その穴を埋める。
「痛ぇ、痛ぇ、母ちゃん!」
「もう大丈夫だぞ!」
「すぐに治療してやるからな!」
子どものように泣き喚く兵士を救助担当は励ましながら担架に載せた。
「土嚢!」
「おうッ!」
兵士達が一斉に駆け出し、土嚢を穴に投げ込む。
そんな乱暴で大丈夫かと不安になるが、今は時間が惜しい。
取り敢えず、壁――土塁と呼ぶべきだろうか――を完成させる。
「……敵の邪魔が入らなきゃ良いんだが」
「守備隊に期待しましょう」
ロイが呟くと、リチャードは右の方を見た。
森の近くを兵士が巡回している。
その気になれば排除できるだろうが、それには時間が掛かる。
命を懸けた時間稼ぎだ。
必要な犠牲だが――。
「……火を焚けねぇかな」
「火、ですか?」
「火と言うか、煙だな」
「なるほど目眩ましですね」
リチャードは感心したように言い、ロイは恥ずかしくて頭を掻いた。
事前に思い付いたならまだしもこのタイミングだ。
誉められたことではない。
「すぐに手配します」
「頼んだぞ」
リチャードは近くにいた兵士に向かって走った。
※
夕方――。
「悪ぃ、煙は失敗だったかも知れねぇ」
「こちらにも多少の被害は出ていますが、ダメージは敵の方が大きいと思います」
確かに攻撃は受けてねぇけどな、とロイは周囲を見回した。
幸運に恵まれたのか、煙は森に向かって流れている。
夜襲を仕掛けてきた連中はエルフと獣人だったので効果はそれなりにあるだろう。
だが、こちらに煙が流れてくることもあるので失敗だったかという気もする。
せめて、口元を覆うための布を用意するべきだった。
特に盾隊は両手が塞がっているのでしんどそうだ。
「ですが、もうしばらくの辛抱です」
「ああ、そうだな」
ロイは頷き、前方を見つめた。
そこには障害物を覆い隠すように防塁が築かれていた。
高さは胸より低いくらい。
形は良くない。
無理に喩えるなら左右非対称の山脈と言った所か。
山脈ならば自然の美しさがあるが、目の前にある防塁は不格好だ。
軍学校であれば叱責され、やり直しを要求されるだろう。
幸い、ここは軍学校ではないし、採点するのはロイだ。
これで十分――それがロイの採点結果だ。
「あとは盾隊を――」
「エルフだ!」
ロイの言葉を遮って誰かが叫ぶ。
「盾隊! 隠れろッ!」
「おうッ!」
リチャードが叫ぶと、盾隊は一斉に反転した。
危機的状況とは言え、恐るべき速さだ。
それとも、練習していたのだろうか。
盾隊は防塁を駆け上がり、その陰に隠れた。
やや遅れて盾隊がいた所に矢が突き刺さる。
赤い光に包まれた矢だ。
すぐに赤い光が炸裂する。
その時、ロイは盾隊が吹き飛ばされる光景を思い出した。
だが、防塁は衝撃を防ぎきっていた。
盾隊に被害はない。
「盾隊! 構えッ!」
リチャードが叫ぶと、盾隊は防塁をよじ登り、そこで盾を構えた。
と言っても体を屈め、盾の陰に隠れているが。
ロイは敵右翼を見た。
敵右翼でも盾隊が防塁の上で盾を構えていた。
どうやら、あちらも成功したようだ。
音がしなかったので攻撃もなかったのだろう。
もしかしたら、無理して攻撃したのかも知れない。
そう考えると、溜飲が下がる思いだ。
「さて、行くか」
「はッ!」
ロイはリチャードを伴い、防塁の内側に移動する。
盾隊が盾を構えていることもあってか、防塁の内側は暗かった。
「結構、急だな」
「もっと土嚢を積んで傾斜を緩やかにしますか?」
「頼むぞ」
「はッ!」
ロイは障害物――支柱の近くに跪いた。
それなりに太い支柱に茨のようなものが絡み付いている。
金属製の茨だ。
小さな刃物が付いているものもあるが、それを除けば針金にしか見えない。
「……これくらいなら」
ロイは立ち上がり、愛用の槍を金属製の茨に振り下ろした。
ガシャンという音が響き、金属製の茨が揺れる。
揺れるが、それだけだ。
「ロイ殿!」
「ちょっと試してみたくてよ」
ロイはリチャードに謝り、再び跪いた。
槍の穂先が当たった辺りを見る。
傷は付いているが、両断には程遠い。
恐らく、茨のたわみが衝撃を逃がしてしまうのだろう。
なるほど、これでは破壊して突破するのは不可能だ。
「ルーカスの旦那は驚いただろうな」
今は亡き同僚のでっぷりとした姿を思い出しながら顎を撫でる。
「どうしますか?」
「一本一本解いて、って訳にもいかねーな」
端が何処か分からないし、留め具で固定されている可能性もある。
「根元から鋸で――」
「ロイ殿!」
「何だよ?」
「これを見て下さい」
「ったく、仕方がねーな」
ロイが立ち上がると、リチャードは支柱を真上から見ていた。
流石に良い予感はしない。
同じように覗き込むと、支柱を二つに割った後があった。
何かで接着されているようだが――。
「くそッ! 嫌な予感しかしねぇ!」
腰から短剣を引き抜き、接着痕に突き刺す。
こじると、支柱は簡単に割れた。
そこにあったのは――。
「鉄ですね」
「マジかよ」
ロイは手で顔を覆った。
ここまでやるかとも思ったが、クロノならばやるだろう。
何しろ、地面に甕を埋めるような男だ。
しかも、役に立つか分からない状況で。
「――ッ!」
突然、リチャードは駆け出し、支柱に短剣を突き立てた。
次々と確認し、これ以上ないくらい深々と溜息を吐く。
「全部か?」
「そうです」
「徹底してやがる」
ロイは吐き捨てた。
「どうしますか?」
「掘り起こして引き抜くしかねーだろ」
「そうですね」
リチャードは呻くように言った。
※
喉がいがらっぽい、とリチャードは喉に手を当てた。
無理もない。昼間から木を燃やし続けているのだ。
煙を吸わないように気を付け、こまめに喉を潤しているが、それでも影響は出る。
「……それにしても」
どれだけ深いんだ、とリチャードは穴を覗き込んだ。
障害物の支柱に沿って掘った穴だ。
二メートルは掘っているはずなのにまだ終わりが見えない。
明日の朝――夜が白む頃には終わらせたい。
それが正直な感想だ。
時間を掛ければ反乱軍は何か手を打ってくるだろう。
いや、手を打ってくるのは構わない。
戦いとはそういうものだ。
問題は士気だ。
自分も含めてここにいる一般兵は所属していた大隊から派遣されてきた。
そのため連帯意識が希薄なのだ。
せめて、訓練をするべきだったと思う。
同じように汗を掻き、声を出していれば連帯感は高まる。
詳しい理屈は分からないが、そうなのだ。
そして、この連帯感は兵士を強くする。
逆に言えば連帯感のない兵士は弱い。
いや、軍としては弱いと言うべきか。
今の――ここにいる兵士達は烏合の衆だ。
しかも、恐怖を必死に抑えつけた兵士だ。
この上、反乱軍に手を打たれたら――。
考えただけで恐ろしい。
さらに恐ろしいのは軍団長とその補佐が先陣を切ることだ。
軍団長は自分が先陣を切らなければ兵士が動けないかも知れないと考えたのだろう。
動けないかも知れない。
あくまで予想だ。
実際に試してみれば何とかなるかも知れない。
もちろん、どうにもならない可能性はある。
はぁ、とリチャードは溜息を吐いた。
二人とも死んでしまったらおしまいだ。
帝国軍は瓦解する。
何とかしてロイだけでも助けたい。
ロイが生きていれば軍としての体裁を保てる。
そんな人には見えなかったんだけどな、とリチャードは夜空を見上げた。
噂とは当てにならないもので、実際のロイは話せる人物だった。
言動はともかく、感性はまともだ。
目に掛けて貰っている点を差し引いてもそうだ。
そんな人物が無謀な突撃に参加する。
どうにも納得できない。
イメージと合致しないのだ。
「……はぁ~」
どうすれば良いのか、とリチャードは深々と溜息を吐いた。
※
翌朝、ロイが完全武装で野営陣地から出ると、両翼の障害物は撤去されていた。
土塁の傾斜も心なしか緩やかになっているようだ。
恐らく、新たに土嚢を積んだのだろう。
これで突撃しやすくなった。
ロイは敵左翼――いつも監督している方だ――に向かった。
撤去された障害物を見て、軽く目を見開く。
と言うのも支柱の長さが五メートルを超えていたからだ。
どうすればこんなものを地面に打ち込めるのか。
疑問が湧き上がる。
「……どうとでもできるか」
ロイは小さく呟いた。
反乱軍――クロノ達には時間があった。
他ならぬ帝国が時間を与えてしまった。
それを考えれば五メートルもある支柱を打ち込むくらいできるような気がした。
視線を巡らせる。
だが、リチャードの姿はない。
部下に引き継ぎして休憩を取っているのだろうか。
有り得る話だ。
リチャードは働き詰めだ。
こういう時に休憩を取らなければ潰れてしまう。
「何をしている?」
「……お前こそ」
背後から声を掛けられて振り返ると、アルヘナが立っていた。
鎧は着ていない。
近衛騎士団の証である白い軍服を着ている。
その姿に、清々しい表情に圧倒される。
美しいと思った。
覚悟を決めた男がこれほど美しいとは思わなかった。
覚悟がアルヘナを変えたのだろうか。
だとすれば、どうして自分はこんな状態なのだろう。
やはり、生まれと育ちのせいだろうか。
「今日は良い天気だ」
「……そうだな」
ロイは空を見上げた。
昨日と同じ、冬晴れの青空が広がっている。
「あとを頼んだぞ」
「おいおい、一人で行くつもりか?」
「……ああ、そうだったな」
アルヘナは小さく微笑んだ。
まるでそれは――。
※
アルヘナは防塁の陰に隠れ、その時を待っていた。
いや、待つというのはおかしいか。
どのタイミングで突撃するのかは自分に委ねられているのだから。
背後から荒い息遣いが聞こえてくる。
部下達のものだ。
背後には第三近衛騎士団、ロイを始めとする第四近衛騎士団、一万の一般兵がいる。
反対側――敵右翼には一万の一般兵が控えている。
申し訳ない、と思う。
第三近衛騎士団の団員には特に。
一方でこのような部下を持てたことを誇らしく思う。
思えば自分は良い指揮官ではなかった。
良い貴族ですらなかった。
融通が利かず、偏狭な価値観の持ち主だった。
それが自分だと誇れれば良かった。
そうすれば少なくとも自分は救われる。
だが、情けないことにアルヘナは自分のことが好きではなかった。
ゴホ、と誰かが咳をした。
敵の視界を遮るために木を燃やしているのでそのせいだろう。
頃合いか、とアルヘナは体を起こし――。
「突撃ぃぃぃぃぃッ!」
アルヘナは叫び、駆け出した。
「おぉぉぉぉぉッ!」
「ギャッ!」
「グギャッ!」
部下が雄叫びと共に駆け出すが、短い悲鳴を上げて倒れる者もいた。
反乱軍の矢が煙を貫いて飛来したのだ。
「進めぇぇぇッ!」
「うぉぉぉぉぉぉッ!」
アルヘナは槍を握り締めて走った。
体が軽い。
余計なものを削ぎ落としたような気分だ。
煙を貫き、矢が飛来する。
石もだ。
部下の悲鳴が響くが、アルヘナは足を動かす。
部下が付いてきているかなど考えない。
足を、とにかく足を動かす。
不意に父――メイサン・ディオスのことを思い出した。
模範的な貴族たれ。
それが父の口癖だったが、アルヘナには模範的な貴族が何なのか分からなかった。
そう口にする父が模範的な貴族からかけ離れた存在だった。
父はヒステリックで、暴力的で、自分と同じく偏狭な価値観の持ち主であった。
とりわけ、ルールを破られることを嫌っていた。
ルールと言っても明文化されたものではない。
自分のルールだ。
要するに気分。
父は病的なまでに気分屋だった。
目にも見えないものを破らずにいるのは至難の業だ。
実際、アルヘナは何度も父に殴られた。
物語に登場する騎士に憧れたこともあったが、それさえも父の怒りに触れた。
父が新貴族を嫌っていると理解したのは十歳になる頃だった。
恐らく、戦場で何かがあったのだろう。
理由を知りたいとは思わなかった。
暴力を振るわれないようにする立ち居振る舞いを身に付ける方が大事だった。
目の前で使用人が殺される様を見れば誰でも必死になる。
父のようにはなるまいと思っていた。
だが、何と言うことか。
気が付けば父のようになっていた。
ヒステリックで、暴力的で、偏狭な価値観の持ち主に成り果てていた。
自分の言動に父の面影を見る。
それだけで心が軋んだ。
「前へ! 前へッ!」
アルヘナは叫びながら走る。
いつの間にか矢が正面から飛来するようになった。
肩が熱い、喉が熱い。
全身が熱かった。
どうして、こんなことになってしまったのかとさえ思う。
だが、気分は晴れやかだ。
矛盾しているが、それこそ自分だ。
ルールを破る者を嫌悪しながら憧れていた。
奔放な生き方を羨ましいと思った。
もちろん、当人は羨ましがられるような生き方ではないと言うだろう。
ないものねだりだ。
それで良いと思う。
それで良いのだ。
それで――。
煙が途切れ、目の前にはクロスボウを構えた獣人の姿があった。
獣人はこちらを見据えたまま矢を放った。
※
煙が晴れていく。
そこに倒れているのは無数の――第三近衛騎士団の屍だった。
アルヘナは死んでいた。
あと少しで敵野戦陣地に手が届くという距離だった。
ロイは呆然とそれを見ていた。
飛来した矢が地面に突き刺さる。
「……なんでだ?」
ロイは呆然と呟いた。
アルヘナが、第三近衛騎士団が突撃し、自分達も続いた。
置いて行かれないように必死で走った。
必死に足を動かした。
「なんで、アルヘナが死んで、俺がこんな所に突っ立ってるんだ?」
ロイは叫んだ。
有り得ない。
有り得ない。
こんなことは有り得ない。
自分は死ぬつもりだった。
アルヘナと死んでやるつもりだった。
アルヘナが好きだった。
ブチ切れて突っ込んで行くアイツが好きだった。
母親の仇を取るために決闘した時の、あの熱を感じさせるアルヘナが好きだった。
アルヘナとならばまた熱を感じられるのではないかと思った。
「……ああ」
あの熱が、とロイは呻いた。
分かっている。
分かっていたのだ。
自分はあの熱に触れることができないと。
感情に突き動かされている時も冷静な自分がいた。
その冷静な自分が叫ぶのだ。
危険だ、と。
ここで退くべきだ、と。
イレギュラーが起きる前に勝負を決めろ、と。
そのお陰で闘技場の絶対王者に登り詰めた。
それが自分の武器だ。
敵弓兵が攻撃を仕掛けてきた瞬間に突撃は成功しないと思った。
二方面からの攻撃に対応できないと思った。
「ロイ殿!」
「なんで、アルヘナが……」
「逃げましょう! 突撃は失敗しました!」
ロイはアルヘナの死体を指差したが、リチャードは取り合ってくれなかった。
「行きましょう!」
「放せ」
リチャードに腕を掴まれ、振り解こうとする。
だが、できなかった。
彼の力が強かったからではない。
腕に力が入らなかった。
それに――彼を、部下達を危険に曝すべきではないと理性が訴えていた。
「……分かった」
「ありがとうございます。早く逃げましょう」
「急がなくても俺は殺されねぇよ」
ロイは踵を返して歩き出す。
煙が晴れているにもかかわらず、矢は当たらない。
地面に突き刺さるだけだ。
「……くそッ」
ロイは吐き捨てた。
見透かされたのだ。
自分が感情に任せて突っ込まないことを見透かされた。
その上で生かされた。
いつだ。いつ、見透かされた。
初めて会った時か、闘技場でか、それとも話し合った時か。
きっと、クロノは分かっているに違いない。
ロイが撤退の具申を行おうと考えていることも――。
※
夜――ラルフは書類に署名し、溜息を吐いた。
軍務局長と財務局長を兼任するのは堪える。
歳を取った。
最近はとみにそう思う。
もう少しの辛抱だ、とカップに手を伸ばす。
香茶を飲み、顔を顰める。
すっかり冷めていた。
放置していたのは自分だが、損した気分になる。
淹れ直すか、それとも寝てしまうか。
淹れ直そうと腰を浮かせたその時、扉を叩く音が響いた。
トラブルが起きたのだろう。
それも大きな。
そう感じさせるほど切羽詰まった叩き方だった。
ラルフはイスに座り、居住まいを正した。
「入れ!」
「はッ! 失礼いたします!」
言い切るか言い切らないかのタイミングで副官が入ってきた。
背筋を伸ばして敬礼をするが、軍学校出身とは思えないほど崩れていた。
「ロイ軍団長補佐より書簡が届きました!」
「早く寄越せ」
「はッ!」
副官は早足で歩み寄り、書簡を机の上に置いた。
ラルフは震える手で書簡を手に取った。
一体、何が起きたのか。
反乱軍を撃退した報告ではないだろう。
嫌な予感がする。
内乱期に幾度となく経験したそれ。
もはや確信に近い。
それでも、一縷の望みを抱きながら書簡を広げる。
もどかしさを感じながら文章を読み上げ――。
「何と言うことだ」
ラルフは呻いた。
副官は何も聞いてこない。
伝令の兵士から聞いているからだろう。
「何と言うことだ」
再び呟く。
書簡にはアルヘナ軍団長が戦死したと書かれていた。
敵野戦陣地に突撃し、壮絶な戦死を遂げたと。
「……何故だ」
何故、命令に背いたという言葉をすんでの所で呑み込む。
アルヘナに死ねとは命じなかった。
それは一般兵の仕事だ。
どうして、そんな無意味な真似をしたのか理解できなかった。
それ以上に理解できないのはロイの提言だ。
兵士や物資の要望ではない。
撤退するべき――要約すればそうなる。
体が熱い。
まるで火のようだ。
いや、火ですら足りない。
またしても、またしても新貴族にやられた。
その上、ロイ・アクベンスは二万以上の兵士を残しながら撤退したいと言う。
なんと、臆病なことか。
普段はでかい態度を取りながらいざとなったらこれだ。
旧貴族の意地はないのか。
新貴族を見返してやろうと思わないのか。
撤退など――なんと女々しい男か。
こうなると分かっていれば補佐になどしなかった。
役立たずめ! 役立たずめッ! と心の中で罵倒する。
ロイ・アクベンスのせいで台無しだ。
また無能と陰口を叩かれる。
お前なんぞ、アルヘナと一緒に死んでしまえば良かったのに。
いや、もしかしたら、逃げるためにアルヘナを殺したのかも知れない。
軍団長が死ぬのは大事だ。
現在の軍制になってから初めてのことだ。
故に撤退を提言する理由になり得る、と考えたのかも知れない。
この戦いを終わらせたら徹底的に調べなければ――。
ラルフは背もたれに寄り掛かり、息を吐いた。
すると、副官がハンカチを差し出してきた。
「何だ?」
「唇が切れております」
副官の言葉に指で唇をなぞり、臭いを嗅ぐ。
鉄臭い。
どうやら、自分でも知らない内に唇を噛み切っていたようだ。
口元を押さえると、ハンカチが血で染まった。
これほど深い傷とは――。
「よろしければ薬を取ってきますが?」
「必要ない」
ラルフは羽根ペンを手に取り、羊皮紙に文字を書いた。
指示があるまで待機せよ、と。
これならば従わざるを得ないだろう。
乾いた頃を見計らい、筒状に丸め、紐で結わえる。
もちろん、封蝋もだ。
「……これをロイ軍団長補佐に届けよ」
「今からですか?」
ラルフが書簡を差し出すと、副官は困惑しているかのような表情を浮かべた。
嫌な表情だ。
内乱期に貴族どもが命令を断る時の表情に似ている。
そういう時、連中は危険だの、現場を分かってないだの言うのだ。
それが分かっているので機先を制して口を開く。
「今からだ」
「分かりました」
副官は書簡を手に取ると執務室から出て行った。
何か言いたそうな顔をしていたが、できないと言うつもりだったに違いない。
「……それにしても」
鉄臭い味が口内に広がる。
またしても唇が切れたようだ。
忌ま忌ましい、とハンカチで口元を押さえながら吐き捨てる。
口惜しい、と唇をより強く噛み締める。
またしても新貴族にしてやられた。
かつての屈辱が、これから降りかかる屈辱が体を内側から焼いた。
「……だが」
負けてはいない。
まだ、負けていない。
勝てば良いのだ。
そして、この手の中には切り札が残されている。




