第17話『決戦』その11
※
冬晴れの青空の下、一般兵の声が響き渡る。
「よし! 空の樽はこっちだッ!」
「土が足りないぞッ!」
「盾! 盾隊はさっさと集まれッ!」
「担架だ! 担架の準備をしろッ!」
資材を載せた荷車と盾を持った一般兵がロイの目の前を通り過ぎる。
これから命懸けで障害物を破壊する。
そのせいもあってか、一般兵達は殺気立っている。
それでも、喧嘩になったりしないのは己の役割を弁えているからだろう。
頼もしい。
素直にそう思う。
彼らならば壁を築き、障害物を破壊してくれる。
そんな思いがある。
マズいな、とロイは頭を振った。
兵士であれば、ただの騎士であれば楽観も悪くない。
命懸けの戦場で悲観的に物事を考えていたら心を病んでしまう。
楽観的思考は必要なのだ。
残念ながら指揮官は違う。
楽観的に物事を考えてはいけない。
当たり前だ。
楽観的に物事を考えて失敗したら目も当てられない。
指揮官の無能は将兵の命で償うことになるのだから。
ロイは咳払いをした。
形式的な責任者はアルヘナだが、実際的な責任者はロイだ。
大勢の命を預かっていると考えると柄にもなく緊張する。
柄にもなく、と考えて苦笑する。
自分はいつもこうだ。
柄にもなく家督を継ぎ、柄にもなく近衛騎士団の団長なんぞやっている。
まったく、言い訳がましい。
本当に柄じゃないと思うのなら引き受けなければ良かったのだ。
引き受けた以上、受け入れるべきだ。
納得すべきなのだ。
そんなことを考えていると、リチャードが隣に立った。
「いよいよですね」
「ああ、そうだな」
相槌を打ってみたものの、何が『いよいよなのか』分からない。
帝国が逆襲に転じると言うことなのか。
自分達の出番が回ってきてしまったと言うことなのか。
常識に考えれば前者だ。
リチャードは軍学校出身だ。
そんな彼が士気を下げるような発言をする訳がない。
「……ロイ殿?」
「悪ぃ、少しナーバスになってたみてぇだ」
リチャードが困惑しているかのように言い、ロイは謝罪した。
「ロイ殿でも……いえ、失礼しました」
「俺だってナーバスになることはあるさ」
「それは分かります」
「そうか?」
思わず尋ねる。
ただ『分かる』と言われただけならば流していただろう。
だが、リチャードの表情には納得の色があった。
イメージと現実が一致している。
そんな雰囲気だ。
一体、自分のことをどう思っているのだろう。
そんな気持ちが伝わったのか。
リチャードは静かに口を開いた。
「ロイ殿は……私が思ってた以上にまともな方でした」
「誉め言葉として受け取っておく」
ロイは頭を掻いた。
今までの行いを考えれば好意的な意見だろう。
それほど理想的な軍人――貴族からほど遠い振る舞いをしてきた。
ふとリチャードがアルヘナをどう思っているのかが気になった。
尋ねるべきではないのかも知れないが――。
「……アルヘナをどう思う?」
「軍団長殿ですか?」
リチャードは困惑しているかのような表情を浮かべた。
「そう、ですね」
「言い難けりゃ言わなくて良い。少し気になっただけなんだ」
「いえ、言わせて下さい」
リチャードは語気を強めて言った。
「正直、軍団長殿は話にならないと思っていました」
「辛辣だな」
「正直と申し上げました」
リチャードは困ったように眉根を寄せた。
いや、実際に困っているのだろう。
「続けてくれ」
「軍務局長殿の指示も酷いものでしたが――」
「確かにな」
ロイはラルフ・リブラ軍務局長から託された指示書を思い出して顔を顰めた。
あの指示書通りに物資を保管するなんて時間の無駄だ。
「軍団長殿は、その、融通が利かなすぎではないかと」
「まあ、そうだな」
なんで、あんなクソ指示書に従おうとしたのか分からない。
「ただ、先程お話しした軍団長殿はまともでした」
「軍学校の成績は悪くなかったからな。けど、昔から融通の利かない部分はあったぜ。まあ、今回ほど酷くなかったが……」
「それは分かります。ああ、分かるのは軍学校の――」
「そいつは俺にも分かる」
「失礼しました」
気まずかったのか、リチャードは咳払いをした。
「そういや、演習中にブチ切れたこともあったな」
「ブチ切れるですか?」
「つっても投げ出す訳じゃねぇんだ。キレて突っ込んで行くことがあってな」
「それはそれで問題だと思いますが……」
「そうだな」
ロイは空を見上げ、軍学校時代の演習に思いを馳せる。
アルヘナは小細工を弄する敵には弱かった。
いや、弱かったということはないか。
結果だけ見れば無敗だったのだ。
相手が次から次に策を繰り出してきた時、ある程度までは対応できる。
だが、対応できなくなると激昂し、突っ込んでいくのだ。
最初に見た時はびっくりしたものだが、やがて慣れた。
「あれで勝ててたのが問題だったのかも知れねぇな」
ロイはしみじみと呟いた。
武人としての才がなければ、一敗地に塗れていれば考えを改めたかも知れない。
いや、それこそ今更か。
「先程お話しした軍団長殿はそんな風に見えませんでしたが……」
「普段からあれくらい話を聞いてくれりゃな」
「苦労なさっているんですね」
「まあ、持ちつ持たれつってヤツだ」
ロイは軽く肩を竦めた。
こちらが原因を作ることが多いが、アルヘナは殴ってくるので帳消しだ。
「準備が整ったみてぇだな」
ロイは視線を巡らせた。
数え切れないほど樽が並び、土の山ができている。
反乱軍の攻撃を防ぐ盾隊の準備も整っている。
もちろん、担架の準備もだ。
「お前はここにいても良いのか?」
「ええ、向こうは……」
リチャードは反対側――敵右翼にある障害物を見つめた。
そこにも壁を築くための資材があり、兵士達がいる。
「任せてありますから」
「軍学校の同期か?」
「いえ、ここで初めて会いました。信用できる男だと思いますよ」
「初対面なのによく分かるな」
「指揮系統と言うか、連絡網を築くのに話し合いましたからね」
リチャードは苦笑した。
どうやら、自分の知らない所で一般兵達は動いていたようだ。
「俺が気付いていなかっただけで優秀な人材ってのはいるもんだな」
「だと良いんですけどね」
リチャードはしみじみとした口調で言った。
敵右翼で指揮を執る兵士が優秀だと良いという意味ではない。
自分が優秀であれば良いという意味だろう。
謙遜しすぎだと思うが、冷や飯を食ってきたせいで自己評価が低いのだろう。
何が必要か判断して動ける。
一般兵としても、士官としても申し分ない。
自分は大雑把な命令を下し、仕事は部下に任せる。
それが理想だと思うが、世の中にはそう思わない人間が多いらしい。
くだらないと思うが、そういう人間の気持ちも分かる。
自分が追い落とされるのが怖いのだ。
今あるものを失いたくないのだ。
追い落とされないように努力をする。
それが正道だが、困難な道でもある。
どんなに努力しても報われるとは限らない。
優秀な部下の足を引っ張る方が効率的なのだ。
努力は無駄になるかも知れないが、部下の足を引っ張る努力は無駄にならない。
つまり、そういうことだ。
リチャードがおずおずと口を開いた。
「よろし――あ!」
「何だッ?」
反乱軍の攻撃か、とロイは周囲を見回した。
だが、周囲には反乱軍の影も形もない。
「申し訳ございません」
リチャードは呻くような声音で言った。
恥ずかしいのか、耳まで真っ赤だ。
「寿命が縮むかと思ったぜ」
「申し訳ございません。もう大丈夫です」
「いや、俺が大丈夫じゃねーよ」
「申し訳ございません」
ロイが汗を拭うふりをしながら言うと、リチャードはやはり呻くように言った。
「何か気になることでもあったのか?」
「いえ、そういう訳では……」
リチャードは言葉を濁している。
本人が問題ないと言っているのだから何事もなかったように進めるべきかも知れない。
だが、敵野戦陣地の構造を見間違えた件もある。
あの時、違和感の正体を調べていれば傭兵を無駄死にさせずに済んだ。
失敗を繰り返す訳にはいかない。
「気になることがあるなら何でも言ってくれ」
「ああ、はい、実は……軍団長によく似た人物を思い出しまして」
「そんなヤツがいるのか?」
アルヘナに似た人物がいるとは世の中は広い。
いや、狭いのだろうか。
「まあ、性格が……ですけど」
「性格だけでもスゲーよ」
関係ない話をするなと窘めるべきだったのかも知れないが、それより好奇心が勝った。
「で、どういうヤツなんだ」
「情緒不安定なヤツでした。できないことをやろうとしてよく失敗して……その後、キレたり、落ち込んだり」
「あまり似てねーぞ」
アルヘナが情緒不安定だったら友達にはなれなかっただろう。
決闘をしていたかも知れない。
「言われてみればそうですね」
「経歴とか分かるか?」
「旧貴族出身で、新貴族とは仲が悪かったですね」
「それは今更だろ」
昔から――ロイが物心付いた頃には新旧貴族の仲は悪かった。
それを指摘されても今更としか言いようがない。
「お前だって新貴族には思う所があるんだろ?」
「そりゃ、まあ、ありますよ。親父から……失礼しました」
「構わねーよ」
「親父が内乱期のことでよく愚痴ってましたからね。軍学校に上がるまでは卑怯なヤツらだなんて思ってましたよ」
リチャードは苦り切った笑みを浮かべた。
新貴族を卑怯なヤツだと思ったことは恥の記憶として残っているのだろう。
本人にとっては忘れたい記憶かも知れないが、恥を知ることは大事だ。
「今はどうなんだ?」
「馬鹿だったなって思います。ロイ殿はどうでした?」
「俺にはなかったな」
ロイは軽く肩を竦めた。
リチャードは良いヤツだが、素面ではできない話もある。
この戦争に生き延びたら話す機会も巡ってくるだろう。
「……因果なもんだ」
「そうですね」
独り言のつもりだったが、リチャードはしみじみとした口調で頷いた。
因果――確かにそうだ。
父、あるいは祖父の時代の因果に囚われている。
そこから逃れてもまた別の苦しみが待っている。
人は苦しむようにできている。
そう思ってしまうほどだ。
「さて、世間話はこれでおしまいだ」
「ええ、仕事の時間ですね」
リチャードは笑みを浮かべ、背筋を伸ばした。
「盾隊! 前へッ!」
「おう!」
リチャードの命令に応じて盾隊が歩み出る。
一糸乱れぬ動きだ。
「盾隊! 進めぇッ!」
「おう! おうッ!」
盾隊が一塊になって動き出す。
前面に、横に、上に盾を向けたそれは亀甲陣形と呼ばれる。
防御に優れる反面、機動力はないに等しい。
本当に亀のようだ。
この陣形の名付け親はよほど皮肉が好きだったに違いない。
センスがある。
あの世とやらが実在して、出会えたなら親愛の情を込めて尻を蹴り上げてやりたい。
盾隊が障害物の脇を通り抜けたその時、敵弓兵が矢を放った。
「おう! おうッ!」
盾隊は声を上げながら前進し、そこに矢が雨のように降り注いだ。
正面に向けた盾に、頭上を守る盾に矢が突き立つ。
それらが重なり合い、大気を震わせる。
馬蹄の響きに似ている。
震動は恐怖を煽るものだ。
果たして、盾隊は進めるだろうか。
それ以前にあの盾で矢を防ぐことができるだろうか。
ロイは固唾を呑んで見守る。
いや、見守ることしかできない。
「大丈夫ですよ」
緊張が伝わってしまったのか、リチャードが軽い口調で言った。
「まあ、大丈夫だってのは分かってるんだけどな」
「盾は二重になっています。確かに敵弓兵が使っている弓は我々のものとは比べものにならない性能を有していますが、二重の盾を突破できるほどの性能とは思えません。それに盾隊はベテランです。ちょっとやそっとじゃ――」
「おい、リチャード」
捲し立てるリチャードの言葉を遮る。
「大丈夫だからお前が落ち着け」
「し、失礼しました」
よほど恥ずかしかったのだろう。
リチャードは顔を真っ赤にして謝罪した。
それで、ロイも少しだけ落ち着けた。
再び盾隊に視線を向ける。
音が響く。
矢が盾に突き立つ音だ。
その合間を縫うように声が聞こえる。
盾隊の声だ。
「おう! おうッ!」
少しずつではあるが、盾隊は進んでいた。
遅々とした歩みだ。
だが、その姿のなんと雄々しいことか。
全身が熱くなる。
ロイは拳を握り締め、頑張れと心の中で声援を送った。
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
「おう! おうッ!」
どれほど時間が過ぎただろう。
矢の雨が降りしきる中、盾隊は遂に障害物に沿って並ぶことに成功した。
だが、これでは作業スペースを確保できない。
その時、リチャードが叫んだ。
「盾隊! 開けッ!」
「おう! おうッ!」
リチャードの命令で頭上を守っていた盾が起き上がる。
上下に盾を並べることで壁を作り、作業スペースを確保しようとしているのだ。
大丈夫だろうか、と不安が湧き上がる。
反乱軍の矢を防ぐために盾は二重になっている。
重量は普段の二倍だ。
消耗も激しいはずだ。
「おう! おうッ!」
盾隊の声が響き、遂に盾が起き上がった。
ロイは胸を撫で下ろした。
これで資材を運ぶ道と作業スペースが確保できた。
あとは空の樽を並べ、その中に土を入れるだけだ。
「樽隊! 進めぇッ!」
「おうッ!」
リチャードが叫ぶと、大型亜人もかくやという体格の男達が樽を担いで駆け出した。
無論、その間も攻撃は続いている。
だが、盾に阻まれて樽を担いだ男達――樽隊を傷付けることはできない。
実に頼もしい。
この光景を見ていると、心配していた自分が馬鹿のように思えてくる。
ロイは反対側を見て、再び胸を撫で下ろした。
こちらと同じように盾隊が敵弓兵の矢を防いでいる。
どうやら敵右翼側も首尾よく資材を運ぶ道と作業スペースを確保できたようだ。
は~、とリチャードが息を吐いた。
まるで全力疾走した直後のように前傾になっている。
「ご苦労さん」
「ありがとうございます」
そう言って、リチャードは額の汗を拭った。
緊張感から脂汗が出たのだろう。
まあ、ロイも手の平が汗で濡れているが――。
「これで第一段階突破だな」
「ええ、まだまだ予断を許しませんが……」
リチャードは神妙な面持ちで答えたが、多少は余裕があるようだ。
このまま作業が無事に済めば良い。
そう祈らずにはいられなかった。
※
袋を担いだ一般兵が資材を運ぶための道を走っていく。
一般兵は目的の場所に辿り着くと袋の中身――土を樽の中に入れる。
袋が空になると元来た道を戻り、再び土を運ぶ。
もちろん、一人ではない。
幾人もの兵士が土を運んでいる。
「何が幸いするか分からねぇもんだな」
「そうですね」
ロイの言葉にリチャードが同意する。
堀を作るために掘り返した土が樽を固定する役に立っている。
上手く進みすぎて気持ち悪いくらいだ。
「どれくらいで完成しそうだ」
「そうですね」
リチャードは目を細め、一列に並んだ樽を見つめた。
「それで分かるのか?」
「分かりません」
ですが、と続ける。
「順調なようです」
「それは分かってる」
ロイは軽く肩を竦めた。
次の瞬間、ドンッという音が響いた。
慌てて視線を巡らせる。
反乱軍の攻撃ではないようだが――。
「ロイ殿! あれを見て下さい!」
「――ッ!」
リチャードが音の発生源を指差し、ロイは小さく息を呑んだ。
音の発生源は樽だった。
いくつもの樽が地面に埋まっていた。
「何が起きた――」
「一旦、退け!」
ロイは声を張り上げた。
何が起きたのか分からないが、あれが反乱軍――クロノの仕業であることは分かった。
そして、これで終わるはずがないことも。
何処からともなく飛来した矢が地面に突き刺さる。
「マズい!」
ロイは短く叫んだ。
矢が突き刺さったのは盾隊の背後だ。
しかも、矢は緑色の光に包まれている。
刻印術だ。
「逃げ――ッ!」
ロイが口を開いた次の瞬間、緑色の光が炸裂した。
盾隊が吹き飛ばされ、矢を中心に地面が陥没する。
安定を失った樽が次々と倒れる。
陥没した地面に呑み込まれる物もあった。
「ギャァァァァァッ!」
悲鳴が響く。
反射的に敵右翼を見つめると、赤い光が見えた。
あれも刻印術か。
いや、とロイは頭を振った。
考えている暇などない。
今すぐに撤退を指示しなければ――。
「ギャッ!」
「グギャッ!」
「ひぃッ!」
短い悲鳴が断続的に響く。
敵弓兵が身を守る術を失った盾役に向けて矢を放ったのだ。
矢の雨が降り注ぎ、一般兵が身悶えするように倒れる。
濃密な血の臭いが漂い、呻き声が響く。
しばらくして――。
「待ってろ! すぐに行くぞッ!」
担架を担いだ一般兵達が走り出した。
止める暇もなかった。
ロイは救助に向かった一般兵に矢が降り注ぐ光景を幻視した。
だが、意外にも矢は降り注がなかった。
「大丈夫か?」
「すぐに助けてやるからな」
「軽傷だ。すぐに治る」
一般兵は声を掛け、負傷者を担架に乗せて運ぶ。
その間も矢は降ってこない。
「なんでだ?」
「……恐らく」
ロイはリチャードを見つめた。
「負傷者を救助させて我々に負担を掛けようとしているのではないでしょうか?」
「ああ、クロノだったらやりかねねぇな」
チッ、とロイは舌打ちをした。
ありがたいと思う反面、怒りもある。
だが、これが戦争だ。
これが戦いだ。
クロノの思惑が何処にあるにせよ、今は怒りを呑み込んで負傷者を救助すべきだ。
「必ず負傷者を救助しろ! 俺達は仲間を見捨てないッ!」
「はッ!」
ロイが声を張り上げると、一般兵は短く応じた。
※
ロイが負傷者を連れて夜営陣地に戻ると、アルヘナがこちらに近づいてきた。
「作戦は失敗だったようだな」
「嫌味か」
「単なる状況確認だ」
イラッとしたが、何とか自制する。
「悪かった」
「構わん」
ロイが謝罪すると、アルヘナは鷹揚に答えた。
「作戦は失敗か?」
「ああ、見ての通りだ」
うんざりとした、いや、情けない気分で答える。
楽観的に考えていた自分を殴ってやりたい。
「何が起きたんだ?」
「刻印術を使われたんだ。いきなり光が炸裂して地面が陥没した」
「色は?」
「緑と赤だ」
ふむ、とアルヘナは思案するように口元を覆った。
「大地に作用する力ならば黄色のはずだが……」
「分からねぇが、陥没したんだ」
「そうか。恐らく……」
アルヘナはぶつぶつと何かを呟いている。
初めて見る姿だ。
死を覚悟してアルヘナの中で何かが変わったのかも知れない。
いや、これが本当のアルヘナなのかも知れない。
「ロイ殿!」
振り返ると、リチャードが駆け寄ってくる所だった。
「これを……」
ロイはリチャードから何か――陶器の破片らしき物を受け取った。
「これは?」
「地面に埋まっていた物の破片です」
「恐らく、それは甕の破片だろう?」
「甕?」
ロイは鸚鵡返しに呟いた。
「なんで、そんな物が地面に埋まってるんだ?」
「貴様は座学の内容を忘れたのか?」
まあ、いい、とアルヘナはロイの手から甕の破片を取る。
「昔、攻城戦が行われていた時代のことだ」
「要点だけ言え、要点だけ」
「攻城櫓などの進行を妨げるために壺や甕を埋めることがあったんだ」
アルヘナは少しだけムッとした口調で言った。
「要するに落とし穴ってことか?」
「間違いではないな」
「クロノは俺達が障害物を破壊しようとすると予測していた?」
悪寒が背筋を這い上がる。
まるで手の平の上で転がされているような気分になったからだ。
一体、いつからクロノの目論見通りに動いていたのか。
「それはないだろう」
「そうなのか?」
「反乱軍が用意していた策の一つに嵌まった。それだけの話だ」
「そうか」
ロイは内心胸を撫で下ろした。
考えてみれば反乱軍にはこちらを迎え撃つ準備をする時間が与えられていたのだ。
帝国軍は反乱軍が掘った落とし穴の一つに落ちた。
それだけのことだ。
これならば戦える。
相手は同じ人間なのだから。
「……ですが、どうすれば」
リチャードが途方に暮れたように言った。
「やることは変わらん。壁を築き、障害物を破壊する」
「多分、地面が陥没したことを言ってるんじゃねーか?」
「はい、そうです」
盾隊に守られながら穴を埋め戻し、再び樽を並べる。
一体、どれほどの時間が掛かるのか。
「土嚢を投げ入れれば良い」
「ですが、今から土嚢となると……」
「傭兵達の天幕を使え」
「ああ!」
リチャードは驚いたように目を見開いた。
彼ならばすぐに気付きそうなものだが、先の失敗で視野が狭まっていたのだろう。
いや、それはロイも一緒か。
何とも情けない話だ。
「……アルヘナ」
「何だ?」
「そっちの方が良いぜ」
「こちらの方が楽だと思うが……」
アルヘナは溜息を吐くように言った。
「それは貴族的ではない」
「貴族的って何だよ?」
「さぁ、な」
アルヘナは小さく笑った。
貴族的ではないと言いながらそれが分からない。
ふざけた話だ。
「規律を守り、他の模範となる。それが貴族なのだろう」
「分かってるじゃねーか」
「さて、どうかな?」
アルヘナは苦笑し、踵を返した。




