第17話『決戦』その10
※
朝――ロイは周囲の喧噪で目を覚ました。
士官用の天幕は兵士のそれより分厚い布を使っているが、いくら厚くても布は布だ。
音を遮断することはできない。
「……何かあったのか?」
体を起こし、軽く頭を振る。
少しだけ眠気が覚めたような気がする。
まあ、思い込みの可能性は高いが。
その時、リチャードの声が響いた。
「ロイ殿!」
「入れ!」
「はッ!」
ロイが叫ぶと、リチャードが入ってきた。
走ってきたのだろう。
頬が紅潮している。
「朝、早くから――」
「謝罪は必要ねぇ」
ロイはリチャードの言葉を遮り、ベッドから下りた。
「何があったんだ?」
上着を着ながら尋ねると、リチャードは怖ず怖ずと口を開いた。
「……殺人です」
「何だって?」
思わずロイは聞き返した。
今、野営陣地には二万二千を越える兵士がいる。
これだけの兵士がいれば反目し合うヤツが必ず出てくる。
喧嘩がエスカレートして刃傷沙汰になる可能性はある。
だが、そういう時は兆候があるものだ。
さらに言えば刃傷沙汰になれば周囲の兵士が騒ぐ。
それらがなかったのに殺人が起きるとは俄には信じられなかった。
「殺人が、起きました」
「分かった」
リチャードが改めて言い、ロイは愛用の槍を掴んだ。
「現場はそのままにしてあるな?」
「もちろんです」
「案内してくれ」
「はッ! こちらに!」
リチャードが踵を返して歩き出し、ロイは槍を担いで後を追った。
天幕の外はやや薄暗かった。
チラリと空を見る。
雲はない。
どうやらまだ夜が明けたばかりのようだ。
しばらくして人垣が見えてきた。
「こんな所でか?」
「はい、そうです」
ロイは視線を巡らせた。
そこは野営陣地の中心に近い場所だ。
正直、こんな所で殺人が起きたと言われても信じられない。
さらに進むと、人垣が割れた。
リチャードが天幕に入り、ロイはその後に続いた。
天幕の中には血の臭いが漂っていた。
三段ベッドが二台並んでいる。
ロイは下段に横たわる男を見つめた。
仰向けになって眠っているようにしか見えない。
「こいつか?」
「そうです」
ロイは静かに布団を捲り、顔を顰めた。
布団の中は血で染まっていた。
腋の下に小さな傷がある。
恐らく、これが致命傷だ。
「……急所を一突きだな」
「そのようです」
それほど詳しい訳ではないが、これは暗殺者の仕事だ。
普通の兵士ではこうはいかない。
だが――。
「こいつは何か役職に就いてるか?」
「いえ、何も……」
「おかしいな」
ロイは顎を撫でさすった。
これほどの技量があるにもかかわらず、一般兵を殺したのだ。
殺すのならば役職のある兵士を狙うべきだ。
技量は一流だが、判断力はお粗末だ。
しかし、厄介なことには変わりない。
暗殺者が紛れ込んでいると知れ渡ればどうなることか。
兵士達が不信感を募らせるならまだしも犯人捜しを始められたら目も当てられない。
「不審人物を見たって報告は?」
「……いえ」
リチャードは小さく首を振った。
「厄介なことになったな」
「……はい」
ロイが呟くと、リチャードは呻くように言った。
「クロノの仕業だと思うか?」
「分かりませんが、その可能性は高いと思います」
「……そうか」
戦っているのだからクロノの仕業である可能性が高い。
「ロイ殿は……いえ、失礼しました」
「俺はクロノじゃないと思う」
「何故ですか?」
「勘だな」
「勘ですか」
リチャードは困惑しているかのような表情を浮かべて言った。
「今までセコい作戦ばかりやってきたヤツが、いきなり暗殺だなんて信じられねーよ」
「確かに、違和感がありますね」
「だろ?」
「では、誰が何のために?」
「そこなんだよな」
ロイの勘はクロノではないと訴えているが、他に下手人が思い付かないのも事実だ。
クロノが方針を変えたと考えた方がまだしっくりくる。
乱暴に頭を掻く。
「考えても仕方がねーな」
「それは何もしないと言うことですか?」
「そうじゃねーよ」
ロイが否定すると、リチャードはホッと息を吐いた。
「馬鹿の考え休むに似たりって言うだろ?」
「…………それを言うなら下手の考えでは?」
「そうだったか?」
「そうです」
ロイが問い返すと、リチャードは苦笑じみた表情を浮かべた。
意図した結果ではなかったが、少しは気分が楽になったようだ。
「とにかく、犯人が誰かなんて考えても仕方がねぇだろ?」
「それは、確かに……」
リチャードは小さく頷いた。
「ですが、どうすれば?」
「見回りの強化だな。できれば聞き込みもしてぇが……」
「聞き込みですか」
リチャードは難しそうに眉根を寄せた。
「できねーか?」
「見回り担当の人選を任せて頂けるのなら可能です」
「じゃ、任せる」
「よろしいのですか?」
リチャードは驚いたように目を見開いた。
ロイは最初から人選を任せるつもりだったのだが、彼には意外だったようだ。
「初めからそのつもりだったからな」
「ありがとうございます」
リチャードは深々と頭を垂れた。
「報告は俺の所に来るようにしてくれ。あと聞き込みで荒っぽい真似は禁止だ」
「ええ、分かりました」
「そう言えば死体の件はどうだ?」
「もう荷馬車に載せています」
「こんな早い時間からか?」
「補給隊に負担を掛ける訳にはいきませんからね」
リチャードは苦笑した。
「確かに、帰るのが遅くなったら補給に問題が出るな」
「その通りです」
「こいつも頼むぜ」
「はい、お任せ下さい」
リチャードが頷き、沈黙が舞い降りる。
ロイはそっと犠牲者に布団を被せた。
不意にある思いが湧き上がる。
この先、いつ二人きりになれるか分からない。
「なぁ、リチャード……」
「何でしょうか?」
「俺の部下にならねーか?」
「…………もう部下のつもりでしたが?」
長い沈黙の後でリチャードは答えた。
「いや、そういう意味じゃねーよ」
ロイは頭を掻きながら立ち上がり、リチャードに向き直った。
「近衛騎士団員にならねぇかって意味だ」
「正気ですか?」
「正気はねぇだろ、正気は」
「あ、いえ、申し訳ありません」
リチャードは気まずそうに視線を逸らした。
「で、どうだ?」
「どうして、私なのでしょうか? 私よりも若くて才能がある兵士は大勢います」
「お前ほど使えるヤツは見たことがねぇけどな」
ロイは苦笑した。
実際、リチャードは使える。
人の使い方が上手いし、素早く段取りを組んでくれる。
元の大隊では煙たがられたかも知れない。
だが、自分ならば上手く使いこなせる。
いや、上手く使いこなせないかも知れないが、元の大隊にいた頃より評価してやれる。
それくらいの度量はあるつもりだ。
「どうだ?」
「お言葉は嬉しいのですが……」
リチャードは辛そうに顔を歪めた。
その表情から軍を辞める決意が揺らいでいると確信する。
元々、出世の見込みがないから軍を辞めようとしていたのだ。
出世の見込みがあるのならば残りたいというのが本心だろう。
だが、婚約者との約束を破るわけにもいかない。
だからこそ、辛そうに顔を歪めているのだ。
「お前の事情は分かってる。この戦いが終わったら婚約者と話してみてくれねーか?」
「ああ、そういうことでしたら」
リチャードはホッと息を吐いた。
「ですが、そのためには……この戦いを生き延びなければなりませんね」
「ああ、そうだな」
ロイはリチャードの肩を軽く叩き、天幕の外に出た。
これからアルヘナの所に殺人の件を報告し――。
「ああ、作戦の件も相談しなきゃいけなかったな」
ぼりぼりと頭を掻く。
その後、ロイはアルヘナに殺人事件の件を報告し、自分の天幕に戻った。
※
目を覚ましたロイがリチャードを連れて会議用のテントに入ると、アルヘナは机の傍らに立って地図を見つめていた。
しかも、完全武装でだ。
戦うための装いにもかかわらず、その姿は気品を感じさせる。
やはり、アルヘナは貴族なのだろう。
自分のように偶然が重なって爵位を継いだ人間とは違う。
貴族として生まれ育った者とそうでない者の埋めようのない差がそこにある。
今までは何とも思っていなかったが、今は少しだけ寂しく感じる。
アルヘナが何を考え、何をしようとしているのかを理解できないのだから。
そんなことを考えながらアルヘナの対面に移動する。
ぎろり、とこちらを睨み付ける。
「……任せると言ったはずだが?」
「指揮官が作戦概要を知らなくてどうするんだよ」
ロイはうんざりした気分で呟く。
先程の感傷的な気分は何処かに行ってしまった。
何故、あんな気分になったのか。
一分も経っていないが、不思議で仕方がない。
とは言え、仕事は仕事だ。
指揮系統を維持するためにも指揮官の承認は必要なのだ。
「……リチャード」
「はッ!」
リチャードは歩み出て、アルヘナに敬礼した。
ロイに対するそれと比べて崩れているような気がする。
あくまで気がする、だ。
叱責するほどではないし、アルヘナも咎めていない。
それに、リチャードは賢い男だ。
そんな彼が露骨にアルヘナを軽んじるとは思いたくなかった。
「作戦を説明してくれ」
「はッ!」
リチャードは机に歩み寄り、軽く目を見開いた。
何事かと見てみると、地図が書き直されていた。
もちろん、それでどうなる訳でもない。
アルヘナは漫然と座っているだけの男ではなかったとそれだけの話だ。
「説明しろ」
「はッ!」
アルヘナに促され、リチャードは短く返事をした。
そっと地図に指を伸ばす。
「……先の戦闘からも分かる通り、敵野戦陣地の中央は極めて厚くなっています」
リチャードは敵野戦陣地を示すラインを指でなぞった。
敵野戦陣地の中央は奥まった所にあり、鶴翼に似た形になっている。
攻めやすいように見える中央は地獄だ。
迂闊に攻め入れば正面のみならず、左右からも攻撃される。
初めて見た時に気付けてれば、とロイは顔を顰めた。
違和感を抱くことはできた。
それなのに自分の感覚ではなく、地図を信じてしまった。
それも誰が作ったかも知れない地図を、だ。
有り得ない失態だ。
迂闊な真似をした当時の自分をぶん殴ってやりたい。
同じ――少なくとも似た気分なのか、アルヘナも顔を顰めている。
「敵の右翼、もしくは左翼を攻めるだったな?」
「はッ、その通りです」
リチャードは敵野戦陣地の両端を指差した。
「敵野戦陣地の両翼は前面に歩兵を配置し、さらに弓兵をその背後に配置しているため非常に守りが堅いように見えます」
「その通りではないか? 現に……」
アルヘナは机に歩み寄り、敵野戦陣地の右翼を指差した。
右翼でも、左翼でも変わらないと思うが、気分の問題だろう。
「敵兵が配置されている場所に到達する前に障害物がある。それらの間には距離があるため避けて通ることもできるが、それではこちらの兵力を十分に活かすことができない」
「は、はい、その通りです」
アルヘナの言葉をリチャードは上擦った声で肯定した。
多分、アルヘナを馬鹿だと思っていたのだろう。
融通の利かない性格ではあるが、馬鹿ではないのだ。
最初からちゃんとした所を見せろよ、と思わないでもないが。
「敵野戦陣地の両翼は堅牢だ」
「その通りですが、弱点でもあります」
「ここならば反乱軍は兵力を活かせないということだな」
「はッ、その通りです」
リチャードはやや興奮した面持ちで言った。
「では、どうする?」
「まず、この障害物を破壊します」
リチャードは地図の一点を指差して言った。
それは敵野戦陣地の右翼にある障害物だった。
「右翼だけか?」
「いいえ!」
アルヘナの問いかけにリチャードは大きめの声で答えた。
大声とは言えないが、普段の声よりは大きい。
失敗したと思ったのか、リチャードは手で口を覆った。
「構わん。続けろ」
「両翼にある障害物を破壊します」
ふむ、とアルヘナは顎を撫でさすった。
「どちらから攻め込むのか反乱軍を惑わせると言うことだな?」
「はい、その通りです」
リチャードは力強く頷いた。
「どのように破壊する? 現在の我が軍には障害物を破壊する術がない」
アルヘナは溜息交じりに言った。
一個くらいマジックアイテムを温存しておけば良かった。
そんな気持ちが伝わってくるようだ。
だが、今更そんなことを言っても始まらない。
あれがないから、これがないから戦えないというのなら初めから戦うべきではない。
まあ、戦うか否かを決める権限はロイ達にないが。
それにしても、だ。
騎士――戦う者が常に万全の態勢でいられるとは限らない。
負傷していようがいまいが、戦う時には戦わなければならない。
ないならないなりに工夫するしかないのだ。
「破壊する術ならばあります」
「では、どのように破壊する?」
「障害物の周辺に壁を作り、それから破壊します」
「壁か」
アルヘナは手で口元を多い、地図から視線を逸らした。
「周辺の森は反乱軍が占拠しているのではなかったか? それに、資材の問題もある」
「いえ、壁と言っても攻撃を防げる物なら何でも良いのです」
「たとえば?」
「たとえば樽です。樽に土を詰めれば即席の壁になります」
「……そうか」
アルヘナは小さく頷き、地図を見つめた。
沈黙が舞い降りる。
空気が重みを増したような、あまり心地良くない沈黙だ。
そんな時間がどれほど続いただろうか。
突然、アルヘナが口を開いた。
「悪くないアイディアだ」
「ありがとうございます」
リチャードは深々と頭を垂れた。
「ところで、壁を築くまでどう攻撃を凌ぐつもりだ?」
「盾を構えます。もちろん、負傷者が出ればすぐに助けます」
リチャードはアルヘナを見据えて言った。
「分かった。許可しよう」
「ありがとうございます」
「……だが」
アルヘナがぽつりと呟き、頭を下げようとしていたリチャードは動きを止めた。
「何でしょうか?」
「歩兵の前にある障害物はどうする?」
アルヘナは地図の一点を指差した。
リチャードが示した二カ所を破壊するのは不可能ではない。
敵野戦陣地から離れているので攻撃はそれほど激しくないはずだ。
だが、歩兵の前にある障害物は違う。
これを無力化するには多大な犠牲が必要となる。
ここからは俺の方が良いな、とロイは口を開いた。
「おいおい、何のために障害物を破壊すると思ってるんだ?」
「だが、この障害物を残していては兵力を活かせん。ここは……」
アルヘナは地図の隅を指差した。
地図には描かれていないが――。
「ここは森だ。反乱軍が潜んでいる可能性が高い」
「精鋭部隊を突っ込ませて撹乱するんだよ。その間に毛布を掛けるって寸法だ」
「自殺行為だ。二方向から攻撃を受けるぞ。第一、誰が――」
「俺と俺の部下に決まってるだろ」
ロイが言葉を遮ると、アルヘナは睨み付けてきた。
「死ぬぞ?」
「傭兵どもに比べりゃ恵まれてる」
ロイは軽く肩を竦めた。
傭兵――浮浪者達は包囲された状態で攻撃を受けたが、自分達は二方向からの攻撃に気を付ければ良いのだ。
そう悪くない賭けのように思える。
「駄目だ。認められん」
「じゃ、どうするんだ?」
やらずに済むのならそれに越したことはない。
だが、やらなければ反乱軍に勝てない。
死ぬ確率が高くても、だ。
「俺達が……貴族が先陣を切らなくてどうするんだ?」
ロイはアルヘナを見つめた。
一万の浮浪者を無為に死なせてしまった。
この有様で一般兵に命を懸けろと言える訳がない。
今日は黙って従ってくれるかも知れない。
明日も従ってくれるかも知れない。
だが、明後日はどうだろう。
明明後日はどうなるか。
こういう時にこそ、貴族が命を懸けなければ平民は従ってくれなくなる。
それが分かるのだ。
「命には優先順位がある」
「おいおい、勘弁してくれよ」
ロイはうんざりした気分で言った。
ここまで順調に話が進んでいたのに――。
「勘違いするな。私はお前のやり方を否定するつもりはない」
「だったら、どうするんだ?」
「私が行く」
「何だって?」
ロイは思わず聞き返した。
アルヘナは指揮官だ。
指揮官が先陣を切って敵野戦陣地に突っ込む。
正気の沙汰とは思えなかった。
「私が行くと言ったんだ」
「おいおい、待ってくれよ。お前は指揮官だろ」
「そうだ」
「死ぬぞ?」
「私が死んだ後はお前が指揮官を引き継げ」
「本気か?」
「無論」
アルヘナは短く答えた。
どうやら、決意は固いようだ。
こんな時、貴族ならば笑って友を見送ることだろう。
だが、残念ながらロイはそこまで貴族ではない。
「……リチャード、ちょっと席を外してくれねーか?」
「はッ!」
リチャードは敬礼をすると、会議用の天幕から出て行った。
「……何を考えてるんだ?」
「無論、帝国の勝利を」
「俺が言いたいのは指揮官が突っ込んでどうすんだってことだよ」
ふ、とアルヘナは笑った。
「なんで、笑ってるんだ?」
「この軍団の指揮官はもはや私ではない」
「そんな訳がねーだろ」
「本気で言っているのか? 私が指揮官として認められていると……」
アルヘナはこちらに視線を向ける。
静かな、覚悟を決めた目だった。
そんな目でこちらを見つめる友人に嘘を吐くことはできなかった。
だが、指揮官として認められていないと言うこともできない。
本人が分かっているのだ。
それなのに、どうして事実を口にすることができるだろう。
だから、ロイはそっと視線を逸らした。
「……そうか」
アルヘナは溜息を吐くように言った。
「安心した。貴様がいれば軍は動かせる」
「……」
ロイは何も言えなかった。
アルヘナの決意を覆すことはできない。
「なんで、そこまでできるんだ?」
「それが貴族というものだからだ」
ロイが問いかけると、アルヘナはそれが自明であるかのように言った。
「……本当にそうか?」
「何だと?」
「本当にそうなのか?」
ロイは改めて問いかけた。
馬鹿なことをしていると思う。
アルヘナは信念に殉じようとしている。
そうさせてやれば良い。
気持ち良く死なせてやれば良い。
そう思っているにもかかわらず、ロイは言葉を紡いでいた。
「……俺が、俺が見てきた貴族ってのは碌なもんじゃなかったぜ。連中に比べたらボウティーズ財務局長が連れてきた浮浪者の方がまだマシだ」
ロイは捲し立てた。
社交会を飛び回って男を取っ替え引っ替えしていた母親も、何のつもりか庶子としてロイを引き取った父親を名乗る男も碌なものではなかった。
軍学校の同期も似たようなものだ。
誇りだ何だと口にするくせに犠牲を払おうとしない。
誇りとは自分に課す不利益ではないのか。
貴族とは、自ら困苦を引き受けようとする存在なのではないか。
少なくともロイはそう思う。
「ああ、クソ……だから、お前は貴族なんだ」
「何を言っているのか分からないが、納得してくれたのなら幸いだ」
「俺も行く」
「何を言ってるんだ、貴様は?」
よほど意外だったのか、アルヘナは驚いたように目を見開いた。
「お前こそ、たった千人ぽっちでどうにかできるつもりなのか?」
「私の部下は精鋭揃いだ」
「だが、反乱軍を撹乱させるにゃ人数は多い方が良いだろ?」
「……チッ」
アルヘナは不愉快そうに舌打ちをした。
痛い所を突かれたという所か。
「貴様が死んだら誰が軍団を纏める」
「何とかなるだろ、何とか」
「何とかなるはずがなかろう」
アルヘナは顔を顰め、ふと表情を和らげた。
「……仕方がない。どうせ、止めても付いてくるのだろう?」
「ああ、お前だけじゃ心配でな」
「……」
アルヘナは押し黙った。
気まずい沈黙が舞い降りる。
返事を聞こうとした時、アルヘナが口を開いた。
「分かった」
「そうこなくちゃな」
「ただし、条件がある」
「どんな条件だ?」
「貴様は私の後から付いて来い」
「後から?」
「その通りだ」
アルヘナは地図を指差した。
「障害物を破壊しても十分な広さを確保できるとは言い難い」
「結局、お前が先陣を切るんじゃねーか」
「この名誉は渡せん」
「何が名誉だ。この死に急ぎ野郎」
ロイは吐き捨てた。
「死に急ぐつもりはない。私は私の役割だと思うから先陣を切るのだ」
「そうかよ」
ロイは顔を背けた。
アルヘナは晴れ晴れとした表情を浮かべていた。
ふとこいつは死に場所を求めていたのではないかと思った。
馬鹿らしい。
アルヘナは真っ当な貴族だ。
偶然が重なって爵位を継いだだけの自分とは違う。
「返事はどうした?」
「分かった」
ロイは軽く肩を竦めた。
アルヘナが自分の役割に拘るのなら仕方がない。
認めてやるのが友人というものだろう。
「ああ、けど、困ったな」
「何がだ?」
「リチャードに俺の部下にならねーかって言っちまった」
「貴様という男は」
アルヘナは深々と溜息を吐いた。
「まあ、頑張って生き延びるさ」
「無責任なことを言うな。レオンハルト殿か、エルナト伯爵に手紙を書いておけ」
「そうするしかねーか」
「そうしろ。では、頼んだぞ」
「任せろ。お前の最期は見届けてやる」
「そっちじゃない」
アルヘナは苦笑し、首を横に振った。
「ああ、障害物の破壊の件だな。リチャードに丸投げするつもりなんだが……」
「構わん。しっかりな」
「任せろ」
ロイは短く返し、会議用の天幕から外に出た。




