第17話『決戦』その7
※
臭ぇな、とロイは歩きながら鼻を擦った。
敵野戦陣地から流れてくる風は悪臭を孕んでいた。
腐敗臭ではない。
夏ならばまだしも今は一月――まだ冬だ。
死体が腐敗するまでに時間が掛かる。
悪臭の正体は浮浪者の血と臓物の臭いだ。
臭いは敵野戦陣地に近づくにつれて強くなっていく。
肩越しに背後を見ると、リチャードが顔を顰めていた。
顔色は良くない。
「臓物の臭いを嗅ぐのは初めてか?」
「ええ、まあ、その通りです」
リチャードは口籠もった。
臆病者と評されることを恐れているのだろう。
男とはそういうものだ。
特に軍人はその傾向が強い。
男らしければ仲間から尊敬され、そうでなければ軽蔑されると信じている。
馬鹿げた話だ。
男らしかろうが、女々しかろうが、軽蔑されるヤツは軽蔑されるのだ。
だが、残念なことに大勢がそう信じていればそれは真実になる。
特に軍のように閉鎖的な環境では。
自縄自縛に陥った挙げ句に他人にもそれを強要する。
それが正しいと信じているから始末に負えない。
いや、もしかしたらそれが間違いだと薄々感じているのかも知れない。
それでも、間違いだと口にすることはできないのだ。
大勢で共有している価値観を否定することは仲間でなくなることを意味する。
戦場で孤立してしまう。
それはとても恐ろしいことだ。
敵だらけの戦場で戦えるのは真の勇者だけだ。
真の勇者などいないから同調圧力が蔓延る。
実にくだらない。
くだらないが、なくならないということは何らかのメリットがあるのだろう。
たとえば戦場で連帯感を高めるとか。
まあ、連帯感を高めてもそれで死んでしまっては無意味だが。
そんなことを考えていると、リチャードがおずおずと口を開いた。
「ロイ殿は……いえ、何でもありません」
「俺は初めてじゃない」
ロイは苦笑した。
初めて臓物の臭いを嗅いだのは母親の死体と対面した時だ。
二度目は母親の仇を討った時だ。
美女も、醜男も臓物の臭いは大して変わらないとその時に知った。
それ以前に近衛騎士団の団長が殺人未経験者では話にならない。
「しかし、大丈夫でしょうか?」
「何がだ?」
「反乱軍は約束を守るでしょうか?」
ロイが問い返すと、リチャードは呻くように言った。
「大丈夫だって言っただろ?」
「それは、そうですが……」
リチャードは口籠もった。
今になって不安が湧き上がってきたのだろう。
彼はそんな自分を恥ずかしいと思っているようだが、それは人として当然の感情だ。
反乱軍――クロノが嘘を吐いていた場合、ロイとリチャードは死ぬ。
自分が死ぬかも知れない状況で冷静さを保つのは難しい。
大丈夫だと思うんだが、とロイは愛用の槍を見上げた。
先端には白い布が結んである。
これが交渉に来たという合図だ。
ロイは一番手前にある障害物の前で立ち止まり、槍を掲げた。
穴からこちらを見ていた兵士達が顔を見合わせる。
その時、視界の隅で何かが動いた。
視線を巡らせると、クロノとミノタウルスが野戦陣地から出てくる所だった。
クロノは折り畳み式のイスを持ち、ミノタウルスはテーブルを担いでいる。
通り抜けできる所を作っているようだが、突破は容易ではないだろう。
クロノとミノタウルスは障害物を迂回してこちらに近づいてくる。
かなり時間が経ち――。
「どうも、お久しぶりです」
クロノは立ち止まり、軽く頭を下げた。
ロイは軽く目を見開いた。
確執がある訳ではないが、自分達は敵対しているのだ。
悪感情を抱かれても不思議ではない。
にもかかわらず、クロノの態度はあまりにも普通だったのだ。
少しくらいは驚く。
「ああ、久しぶりだな。帝都以来だな」
「ここに来てくれたということは?」
「一時休戦の話し合いに来た」
「良かった」
クロノは安堵したかのように息を吐いた。
「へ~、そうかい」
「イスとテーブルを持ってきた甲斐がありました」
クロノがイスを置くと、ミノタウルスはテーブルを下ろした。
「どうぞ」
「ああ、悪ぃな」
ロイは目配せし、リチャードに愛用の槍を差し出した。
リチャードは戸惑っているかのような素振りを見せたが、恐る恐る手に取る。
ロイがイスに座ると、クロノも座った。
「それにしてもロイ殿が来るとは思いませんでした。アルヘナ殿が来るとばかり思っていたんですが……」
「本当かよ」
「ええ、本当です」
クロノはにこやかに言った。
恐らく、嘘だろう。
真偽を確かめる術はないが、ある程度は帝国軍の内情を知っていると考えるべきだ。
「それで、一時休戦って話だが」
「ええ、死体や負傷者を回収して欲しいんですよ。流石に負傷者がうんうん呻いているのに戦うのは……」
「まあ、そうだな」
ロイは頷いた。
使い捨てにしておきながら何を言ってるんだと自分でも思うが、士気を保つためにも負傷者を放置する訳にはいかないのだ。
「休戦期間はどれくらいにしますか?」
「そうだな」
ロイは腕を組んだが、帝国軍の状況を考えれば長期間の休戦は難しい。
「明日の昼までってのはどうだ?」
「明日の昼?」
「ああ、延長する時はきちんと事前連絡する」
「……なるほど」
クロノはしばらく間を置いて頷いた。
「ところで、負傷者を輸送する時は攻撃を控えてくれるんだよな?」
「ええ、棒の先端に白い布を結んで、よく見えるように掲げてくれれば攻撃対象外となります。もっとも、帝都から戦場に向かってきたり、騎兵が単騎で移動したりしている時は攻撃しますが……」
「しっかりしてるな」
「これでも指揮官ですからね」
クロノが苦笑し、ロイも釣られて笑った。
つい笑ってしまったが、帝国軍としてはあまり笑える状況ではない。
攻撃を控える目印を設定しているということはこの状況を想定していたということだ。
後手に回りすぎている。
「念のために確認しますけど、こちらが負傷者を輸送する時に手を出さないんですからそっちも野戦陣地を壊したりしませんよね?」
「当たり前だ」
「失礼しました。けど、保証が欲しいんですよ」
「分かった。作業の監督は俺がやる。部下が怪しい行動を取ったら俺を殺せば良い」
「……ロイ殿」
ロイの言葉に反応したのはリチャードだった。
「何だ?」
「それはあまりに危険ではないでしょうか?」
「仕方がねーだろ」
部下が怪しい行動を取ったら自分が死ぬというのはなかなかスリリングだ。
だが、責任者とはそういうものだ。
「これで文句はねーよな?」
「ええ、もちろんです」
「良かった。これで交渉成立だな」
ロイは胸を撫で下ろした。
半分は本気、もう半分は演技だ。
条件がこちらの想定内に収まったのはありがたい。
「作業人員は何人くらいですか?」
「そうだな。千人くらいでどうだ?」
「千人ですか」
クロノは難しそうに眉根を寄せた。
「駄目か?」
「分かりました」
クロノは溜息交じりに言った。
意外と言えば意外だ。
戦わずにこちらの糧秣を消費させられるので粘られるかと思ったのだが。
休戦期間中は補給部隊を襲えないと考えたのか。
それとも別の手があるのか。
いずれにせよ、ここで粘る必要はないと考えているようだ。
「じゃ――」
「ちょっと待って下さい」
ロイが立ち上がろうとした時、クロノが声を上げた。
「何だ?」
「ボウティーズ男爵……ああ、今は財務局長でしたね。ボウティーズ財務局長の件がまだ済んでませんよ」
「返せって言ったら返してくれるのか?」
「もちろんです。ボウティーズ財務局長は重要な人ですからね」
「重要な人か」
ロイは小さく呟き、座り直した。
「引き渡しの条件は?」
「ないですよ」
「ないのかよ」
ロイはうんざりした気分で呟いた。
「ただ、条件が何もないでは信用してもらえないと思うので、死体と負傷者の回収が終わったら引き渡すということで」
「あるんじゃねーか」
「そういう条件でどうですか?」
クロノが身を乗り出す。
さて、どうしたものか、とロイは腕を組んだ。
戦闘が終わるまで預かってもらった方が楽なのではないかと思ったが、浮浪者の死体を回収したのに財務局長を放置するのはマズい。
「分かった」
「良かった」
ロイが頷くと、クロノは胸を撫で下ろした。
ボウティーズ財務局長と取引でもしたのだろうか。
そんな想像が脳裏を過ぎるが、ボウティーズ財務局長が応じることはないだろう。
妻子を殺されているのだ。
万が一、取引に応じていたら個人的に対処しなければならない。
「休戦は明日の昼まで、こっちの作業人数は千人、負傷者を運ぶ時は布を結んだ棒を見えるようにするで良かったな?」
「ええ、よろしくお願いします」
クロノがぺこりと頭を下げ、ロイは立ち上がった。
※
「た、助けてくれ」
「熱い、熱い。水をくれぇ」
「い、痛ぇよ」
「た、頼む。殺してくれ」
敵野戦陣地のあちこちから呻き声が聞こえてくる。
ロイは最も手前にある障害物の横に立ち、白い布を結んだ棒を掲げた。
三メートルはあろうかという棒だ。
これならば敵陣地から見えないということはないだろう。
負傷者を輸送する際の目印なので今は必要ないのだが、気分の問題だ。
「……おい、さっさと運んでくれ」
「はッ!」
ロイが顎をしゃくると、大勢の一般兵が目の前を通り過ぎて行った。
手に持っているのはあり合わせの材料で作った担架だ。
担架を作る時、やはりアルヘナは良い顔をしなかった。
だが、強引に頷かせた。
任せるという言葉を口にしてくれて本当に良かった。
もし、言質を取っていなければまた無駄に時間を費やす所だった。
とは言え、担架の数は不足している。
そこで――。
「よし! 荷車を起こすぞ!」
「分かった! 慎重にやるぞ!」
「壊さないように! ゆっくり、ゆっくりだぞ!」
一般兵が声を掛け合いながら横倒しになっていた荷車を起こす。
「死体はこっちだ!」
「負傷者はこっちだ!」
一般兵は手際よく死体を回収し、担架で負傷者を運ぶ。
「……やることがねーな」
ロイは木の棒にもたれ掛かってぼやいた。
監督するとは言ったが、一般兵はお行儀が良い。
いや、と小さく頭を振る。
リチャードがお行儀の良い一般兵を選抜していたのだろう。
分かっていたことだが、デキる男だ。
そんな男がどうして軍学校で落ち零れ、厄介払いのように帝都に派遣されたのか。
「……逆か」
軍学校の教師どもはリチャードの才幹を理解できず、上官は仕事ができることに反感を覚えたのだろう。
ロイは仕事のできる部下がいるとありがたいのだが、世の中にはそう考えない者がかなりの割合でいるのだ。
特に大隊の隊長を務めるのは誇り高い――思い上がっているとも言う――貴族様だ。
正論を吐かれてムカついたのだろう。
部下として迎えてやりたい気持ちはあるが、リチャードは断るだろう。
「……一応、声を掛けてみるか」
駄目で元々、承知してくれたのなら儲けものだ。
反乱を収めたら――収めることができたら軍を立て直さなければならない。
その時にリチャードのような人材は必要だ。
そんなことを考えながら一般兵の動きを観察する。
ふとあることに気付く。
一般兵は無力化した障害物の向こう側に行こうとしないのだ。
まあ、当たり前か。
あれだけの惨劇を目の当たりにしたのだ。
普通は怖じ気づく。
「た、助けてくれ~」
「み、水を」
「脚が引き攣って動けないんだ」
「早く来てくれ」
そんな声が聞こえてくるが、一般兵は障害物の向こう側に行こうとしない。
顔を背け、あるいは俯いている。
仕方がねーな、とロイは頭を掻いた。
「おい、そこのお前!」
「はッ!」
ロイの言葉に一般兵が背筋を伸ばした。
「これを持ってろ」
「は、は?」
ロイは白い布を結んだ木の棒を一般兵に押し付け、無力化した障害物――その向こうにいる負傷者達の下に向かった。
反乱軍の兵士は穴からこちらの様子を窺っているが、攻撃をするつもりはないようだ。
ロイは無力化した障害物を跳び越え、さらに奥へ向かう。
「た、助けて下さい」
「ああ、待ってろ」
ロイは声のした方に向かった。
声の主は腹を押さえていた。
傷の大きさはそれほどでもないが、便臭がした。
恐らく、内臓を損傷しているのだろう。
ロイは男を抱き上げ、元来た道を戻った。
「助けてくれ」
「お、俺も連れていってくれ」
「助けて下さい」
「助けて」
あちこちから救いを求める声が響く。
「安心しろ! 必ず助けてやる!」
ロイが声を張り上げたその時、ある一般兵が無力化した障害物を跳び越えた。
一人が跳び越えると、次々と跳び越える。
最初に障害物を跳び越えた兵士がこちらに駆けてくる。
そして、ロイの前で立ち止まった。
「ロイ殿、あとは私達が……」
「ああ、頼んだぞ」
「はッ、お任せ下さい!」
一般兵は背筋を伸ばして言い、負傷者を受け取る。
ロイがその場に立っていると、棒を預けた兵士が近づいてきた。
「ロイ殿! お返しします!」
「悪ぃな」
「いいえ、いいえ!」
ロイが礼を言いながら棒を受け取ると、一般兵は激しく首を左右に振った。
「し、しかし、軍服が……」
ん? とロイは軍服を見下ろした。
大した傷には見えなかったが、見立てが間違っていたのだろう。
白い軍服が真っ赤に染まっていた。
「軍服が汚れたくらいなんだってんだよ」
「はッ! 申し訳ありません!」
一般兵は背筋を伸ばした。
「行け」
「はッ、一人でも多くの負傷者を助けます!」
一般兵は敬礼をすると、負傷者の下に駆けていった。
上官の役目を果たせたな、とロイは小さく息を吐いた。
率先して動く姿を見せることで部下を後押しする。
他にも部下を動かす方法はあるのだろうが、このやり方が一番楽だ。
ロイは小さく溜息を吐き、空を見上げた。
※
陽が沈み、ロイは帝国軍の野戦陣地に戻った。
そこも敵野戦陣地と変わらない。
あちこちから声が聞こえてくる。
「痛ぇ、痛ぇよ」
「水、水をくれ」
「は、早く治療してくれ」
「ち、畜生、どうして、こんな目に……」
ロイは呻き声を聞きながらアルヘナのいる天幕に向かった。
こちらに手を合わせている者もいたが、良い気分ではない。
正直に言えば居心地が悪い。
浮浪者達を助けたのは一般兵の士気を保つためだ。
そもそも、ロイは浮浪者達を使い潰すというアルヘナの決断に強く反論しなかった。
言うなれば彼らを地獄に突き落とした張本人なのだ。
それなのに感謝されては居心地が悪い。
結局の所、自分は真っ当な人間なのだろう。
少なくとも一連の行動を恥と感じる程度の感性はある。
「今、帰ったぜ」
「……貴様」
ロイが天幕に入ると、アルヘナは露骨に顔を顰めた。
多分、軍服が血で汚れているせいだろう。
「服くらい着替えてきたらどうだ」
「替えの軍服は持ってねーよ」
「それでも、貴様は近衛騎士か」
「これでも、近衛騎士団団長様だっての」
ロイはうんざりした気分で中央にあるテーブルに歩み寄った。
テーブルの上には修正した地図が置いてあった。
「作戦会議か?」
「それ以外に何がある?」
アルヘナは真顔で問い返してきた。
まあ、これもまた予想の範囲内だ。
「で、どうするんだ?」
「傭兵達の働きで敵野戦陣地の全容が分かった」
「大損害だったけどな」
ロイは自分のことを棚に上げて言った。
敵野戦陣地を見た時に違和感を抱いたが、その正体に気付かなかった。
そこで思考を止めてしまった。
あの時にもっと思考を巡らせるべきだった。
そうすれば一万人もの死傷者を出すことはなかった。
後悔はいつだって苦い。
「我々が手薄だと思っていた中央は強固だ。だから、右翼、もしくは左翼を狙う」
「そいつは名案だ」
ロイは両腕を広げた。
「迂回した場合、兵力差を活かせないので障害物を無力化する」
「念のために言っておくが、着の身着のままで突っ込ませるような真似は絶対にさせねーからな」
「そんなことは分かっている」
アルヘナは苛立ったように言った。
「やり方は?」
「貴様に任せる」
「そうかい」
ロイは溜息と共に言葉を吐き出した。
「不服か?」
「そういう訳じゃねーよ。そういう訳じゃねーが、一つだけ聞かせてくれ。それはお前の考えか?」
「……そうだ」
アルヘナはしばらく間を置いて答えた。
ラルフ軍務局長から指示されていたのかも知れない。
だが、それを指摘してもアルヘナは自分の考えと言い張るだろう。
確かめる術がない以上、話はこれでおしまいだ。
「分かった」
ロイは頭を掻き、外に向かった。
その途中で立ち止まり、振り返る。
「まだ何かあるのか?」
「休戦は明日の昼までだ。それが終わればボウティーズ財務局長も解放される」
「そうか」
アルヘナは小さく息を吐いた。
安堵ではなく、溜息のように感じられた。
「ボウティーズ財務局長には帝都で休んで頂くべきだろうな」
「同感だ。話は終わりだ」
「そうか」
「そうだ」
ロイが天幕から出ると、リチャードが駆け寄ってきた。
目の前で立ち止まり、敬礼をする。
「堅苦しいヤツだな」
「性分ですので」
リチャードははにかむような笑みを浮かべた。
ロイが歩き出すと、リチャードは慌てて付いてきた。
「予定は?」
「適当に陣地をほっつき歩いて、天幕で寝る。負傷者の状況は?」
「三千人弱を回収しました。明日の朝一番で帝都に送り返します」
「随分と……まあ、そうだな」
「気の毒ですが、わずかでも糧秣を節約したいので」
リチャードは口籠もった。
糧秣は六割しか届かなかったのだ。
何処かで節約する必要がある。
となれば戦えない者の分を削るしかない。
「そんなに余裕がないのか?」
「届いたのは六割ですからね。今ある分と合わせても六日でなくなりますよ」
「六日か。補給ができれば問題ないんだがな」
ロイは深々と溜息を吐いた。
帝国領内で戦っているのに飯の心配をしながら戦う羽目になるとは思わなかった。
何ともやる気が削がれる話だ。
「今後の作戦についてはどうですか?」
「敵野戦陣地の両翼が手薄だとよ」
「両翼、ですか」
「兵力を活かすために障害物を無力化するってのが基本方針で、あとは任せるとさ」
「……それは、随分ですね」
「まあ、そうだな」
ロイは曖昧に頷いた。
ラルフ軍務局長の指示だと思うが、アルヘナの意図がどうにも読めなかった。
何を考えているんだか、とロイは小さく溜息を吐いた。
※
野戦病院では十数名の負傷兵が元気に夕食を掻き込んでいた。
病院食は普段の食事に比べるとかなり豪華だ。
クロノは負傷兵達を見ながら胸を撫で下ろした。
『安心しやしたか?』(ぶも?)
「うん、安心した」
ミノの言葉にクロノは頷いた。
『大将は心配しすぎですぜ』(ぶも)
「そうなんだけどね」
帝国軍兵士――捕虜から聞き出した情報によれば浮浪者上がりの傭兵だが――が塹壕にマジックアイテムを投げ込んだ時は流石に肝を冷やした。
「ワイズマン先生様々だね」
『先生様々はおかしくありやせんか?』(ぶも?)
「まあ、それくらい感謝しているということで」
クロノは苦笑した。
今回の塹壕にはワイズマン先生が考案した改良が施されている。
それは塹壕の底に深い溝を掘るというものだ。
そこにマジックアイテムを落としたことで被害を最小限――死者なし、気絶及び一時的な難聴多数――に抑えることができた。
「本当に良かったよ」
クロノは呟き、踵を返した。
指揮官がいては休めるものも休めない。
何度かの失敗を経て、ようやく学んだ境地だった。
天幕から出て、陣地内を歩く。
行き先は気の向くまま、足の向くままだ。
休戦期間中ということもあってか野戦陣地内の空気は何処となく緩い感じがする。
もっとも、それを咎めるつもりはない。
皇軍の主力は義勇兵だ。
緊張状態があまり長く続くと精神的に参ってしまう。
リラックスする時間は必要だ。
『それにしても帝国が休戦を呑むとは思いやせんでした』(ぶも)
「そう?」
『あれだけ派手に兵士を使い捨てたんですぜ』(ぶも)
帝国軍のやり方に怒りを感じているのか、副官は鼻息も荒く言った。
「そうかな?」
『逆に大将はどうして帝国が休戦を呑むと考えたんで?』(ぶも?)
「ロイ殿を信用してるからかな」
『信用?』(ぶも?)
副官は鸚鵡返しに呟いた。
「初めて会ったのはアルフィルク城で痴話決闘をしている所だったんだけど」
『痴話決闘……勝っても負けても名誉を失いそうな響きがしやすね』(ぶもぶも)
「そこからも付き合いがあって、ずっと違和感があったんだけど、タイガの言葉で確信が持てたみたいな」
『アリデッドとデネブの真似ですかい?』(ぶも?)
「いや、真似じゃないから」
クロノは周囲を見回し、ホッと息を吐いた。
暗がりから飛び出してくるような気がしたのだ。
『どんな確信を持ったんで?』(ぶも?)
「ロイ殿は冷静なんだよ」
決闘の時も相手の攻撃を見極めていた。
少なくとも感情に振り回されていなかった。
「だから、ロイ殿なら休戦を呑んでくれるかなと思って」
『よく見てやすね』(ぶも)
「それほどでも……あるかな」
クロノは胸を張った。
『けど、そんな冷静な人に出てこられちゃマズくありやせんか?』(ぶも?)
「まあ、目先の戦いではマズいね」
けど、とクロノは続ける。
「先のことを考えると、出てきてくれた方がありがたいんだよね」
『まだ策があるんで?』(ぶも?)
「策と言うか、こうなってくれれば良いなと言うか、博打的要素はありつつも、そうなる確率は割と高めみたいな……割と敵次第な所はあります」
『何を言ってるのか分かりやせんぜ』(ぶも)
ぶふ~ッ、と副官は鼻から息を吐いた。
 




