第17話『決戦』その3
※
さて、どう鼓舞するか、とロイは押し黙る傭兵達を眺めながら考えた。
正直、ロイは反乱軍がここでマジックアイテムを使うとは考えていなかった。
それはアルヘナも、ボウティーズ財務局長も同じはずだ。
攻撃用のマジックアイテムは比較的高価だ。
少なくとも浮浪者を殺すために使う代物ではない。
いや、だからこそ、使ったのかも知れない。
マジックアイテムを使ったことで傭兵達は反乱軍が全力で殺しにきていると理解した。
頭の片隅か、あるいは全く考えていなかった死の可能性に現実味を帯びさせた。
戦場に来ておきながら何を今更と思う一方で、仕方がないと思う自分もいる。
想定と現実は別物だ。
死ぬかも知れないと考えることはあっても腸をぶち撒けてのたうち回るかも知れないと想像するヤツは滅多にいない。
何処まで意図しているかは分からないが、反乱軍は傭兵達を怖じ気づかせることに成功した。
意外にもと言うべきか、最も早く行動を起こしたのはボウティーズ財務局長だった。
「諸君、臆するな!」
ボウティーズ財務局長が傭兵達の前に立ち、声を張り上げた。
「何故、反乱軍がマジックアイテムを使ったと思う? それは反乱軍が諸君らを恐れているからに他ならない! 反乱軍を見よ! 穴に隠れ、様子を窺う哀れな姿を! あれこそが諸君らを恐れている証拠だ!」
ボウティーズ財務局長は流れるように言った。
反乱軍がこちらを恐れている証拠などないが、恐れていない証拠もまた存在しない。
彼我の戦力差を考えた上であの作戦を立てたのだから間違ってはいないか。
「もう一度言おう! 反乱軍は諸君らにマジックアイテムを使わざるを得ないほど恐れているのだ!」
「そ、そうか、お、俺らを怖がっているのか」
「そ、そうだよな。普通は俺ら如きにマジックアイテムを使わないよな」
「意外にやれるんじゃないか?」
「ああ、俺達はやれる」
「そうだ。俺達はやれるんだ」
ボウティーズ男爵の檄に傭兵達の不安は少しだけ和らいだようだ。
「けど、本当にやれるのか? 矢だって飛んでくるんだぞ?」
「矢など恐れるに値しない! あれを見よ!」
「……」
ボウティーズ男爵が反乱軍の野戦陣地を指差すが、傭兵達は無言だった。
何を言おうとしているのか分からなかったのだろう。
「正面の敵にだけ気を付ければいいのだ!」
「そうか、それなら!」
「ああ、勝ちが見えてきたな!」
「前にさえ気を付ければいいんだもんな!」
ボウティーズ財務局長が苛立ったように言うと、傭兵達はようやく理解したようだ。
正面の敵に気を付ければいい。
確かに間違いではない。
反乱軍の陣地はのこぎりの刃のように波打っているため全兵士から攻撃されることはない。
だが、奥に入り込めば左右から攻撃を受けることになる。
半包囲されているようなものだ。
力尽くで突破しようとすれば莫大な犠牲が出ることだろう。
ボウティーズ財務局長は理解して言っているのか、それとも理解していないのか。
恐らく、後者だろうが――それにしても、傭兵達は随分と聞き分けが良い。
誰かが煽動しているとしか思えないほどだ。
「分かったのなら早く障害物を無力化せよ」
「よし、次は俺が行くぜ!」
「俺も行くぞ!」
「俺もだ!」
傭兵達が次々と名乗りを上げ、百人ほどが前に出る。
「突撃せよ!」
ボウティーズ財務局長が命令すると、傭兵達はゆっくりと歩き出した。
傭兵達は浮浪者――一般人と同等か、それ以下の体力しかない。
反乱軍の野戦陣地に辿り着く遥か手前で力尽きる。
半ばまできた所で早歩きになり、横倒しになった荷車の近くにあった毛布を拾い上げる。
一番手前にある障害物を通り過ぎようとしたその時、敵弓兵が矢を放った。
やはり、目的の障害物までしか攻撃できないということはなかったようだ。
幸運にもと言うべきか、矢は地面に突き刺さった。
傭兵が走り出すか出さないかのタイミングで矢を放ったからだ。
しかし、やはり幸運は長く続かないものだ。
「ギャッ!」
「グギャッ!」
「ひぃぃッ!」
矢が雨のように降り注ぎ、傭兵達が次々と倒れていく。
傭兵達は矢の雨の中を必死で駆け――突如、爆音が轟いた。
またしても反乱軍がマジックアイテムを使ったのだ。
傭兵達は天高く舞い、あるいは吹き飛ばされる。
土煙のせいでよく見えないが、恐らく百人とも死んだだろう。
「くッ、またか! いや、あれだけの爆発だ。障害物が破損していても――ッ!」
土煙が晴れ、ボウティーズ財務局長は息を呑んだ。
障害物が無傷――少なくとも破損しているように見えなかったからだ。
「次だ! 次、いや、待てッ!」
傭兵達はまたしても怖じ気づいているが、ボウティーズ財務局長は思案するように手で口元を覆った。
「盾だ! 盾を持たせてやれッ!」
ボウティーズ財務局長は叫んだが、動き出す者はいない。
そもそもボウティーズ財務局長は軍の指揮系統にない人間なのだ。
せめて、懇意にしている軍人を連れてきてくれれば良かったのだが――。
「……おい」
「はッ!」
ロイが目配せすると、副官は背筋を伸ばした。
「傭兵達に――」
「勝手な真似をするな」
いつの間にかやって来ていたアルヘナがロイの言葉を遮った。
「ボウティーズ財務局長が盾を欲しいって言ってるじゃねーか」
「傭兵どもに武器を与えることはできない」
「盾は防具だろ」
「武器か、防具かは関係ない。傭兵達に我が軍の装備を供与することはできないと言っているのだ」
「……なるほどな」
ロイは軽く肩を竦めた。
アルヘナは装備を与えた傭兵が野盗化することを恐れているのだろう。
いや、ラルフ・リブラ軍務局長がと言うべきか。
「なら、樽の蓋はどうだ?」
「樽の蓋だと?」
アルヘナが怪訝そうに眉根を寄せた。
「樽の蓋は装備じゃねーし、軍務局長殿の指示を無視したことにはならねーだろ?」
「う、む、そう、だな」
「あとボウティーズ財務局長に副官を付けてやったらどうだ? 一人じゃ面倒を見きれないだろうしな」
「ああ、そうしよう」
意外にもアルヘナは同意した。
恐らく、ラルフ・リブラ軍務局長から指示を受けていたのだろう。
ようやくアルヘナの動かし方が分かってきた。
いつもならもう少し融通が利くのだが、面倒臭い男だ。
「私の部下をボウティーズ財務局長のサポートに付けるが、文句はないな?」
「ああ、文句はねーよ」
陣地構築を任せた一般兵に頼みたかったが、彼は纏め役のようなポジションに就いているようだ。
流石にボウティーズ財務局長のお守りをさせる訳にはいかない。
「これでどうにかなってくれりゃいいんだが」
ロイは小さく溜息を吐いた。
※
あと二回か、三回くらいか、とロイは太陽を見上げた。
太陽は大きく傾いているが、日の入りまで余裕がある。
今までのぐだぐだっぷりを考えれば一、二回攻撃を仕掛けて終わりだろう。
「よし、位置に付け!」
ボウティーズ財務局長が馬上から命令を下すと、樽の蓋で武装した傭兵達が最前列に並んだ。
数は二百人余り――百人で駄目なら倍の数でという発想だ。
「突撃ッ!」
命令に従い、傭兵達がゆっくりと歩き出す。
距離が半分を切った所で早歩きに、横転した荷車の所で毛布を拾い、一番手前の障害物の所で走り出した。
「ぐぎゃッ!」
「ひぎぃッ!」
悲鳴が断続的に上がる。樽の蓋に身を隠す間もなく敵弓兵の放った矢に貫かれたのだ。
「走るな! 蓋だ! 蓋で身を守れ!」
「そ、そうか!」
一人が叫び、傭兵達はその場に跪き、樽の蓋を敵陣地に向けた。
樽の蓋を真上に向けた傭兵は射貫かれたが、これは仕方がない。
「ひぃぃぃぃ! 神様ぁぁぁぁッ!」
「生き延びたら真面目に働きます! だから、だから、助けて下さいぃぃぃッ!」
「畜生、ど、どうして、こんなことに!」
「人殺しで金を稼ごうとしたからバチが当たったんだ!」
「頑張れ! 頑張るんだ!」
殆どの傭兵が泣き喚く中、若い男――少年と評しても差し支えのない年齢だ――が甲高い声で仲間を鼓舞する。
なかなか根性の座ったガキだな、とロイは笑った。
万が一、無事に戻ってきたら部下にしてやってもいいだろう。
思い付きだったが、悪くない考えのように思えた。
「頑張れ! 頑張れ! 頑張るんだッ!」
若い男が声を張り上げる。
もしかしたら、仲間を鼓舞することで自分をも鼓舞しているのかも知れない。
「矢が途切れたら――」
パカーンという音が響き、若い男の声が途切れる。
敵弓兵の放った矢が樽の蓋を割り、若い男のこめかみを貫いたのだ。
若い男がゆっくりと前に倒れ――。
「ひぃぃぃぃッ!」
「こんな物で防げる訳ねぇじゃねーか!」
「逃げろぉぉぉぉぉッ!」
「神様ぁぁぁぁッ!」
傭兵達は樽の蓋を投げ捨てて逃げ出した。
「馬鹿野郎ッ!」
ロイは小さく吐き捨てた。
敵弓兵が矢を放っている時に樽の蓋を投げ捨てて逃げ出してどうするというのか。
「ぎゃッ!」
「ぐぎゃッ!」
「お母ちゃ~んッ!」
短い悲鳴が重なり合うように響き、傭兵達がバタバタと倒れる。
一分と経たない内に二百人余りの傭兵は全滅した。
「次だ! 次は三百、いや、四百人で行けッ!」
ボウティーズ財務局長がヒステリックに喚くが、傭兵達は動こうとしない。
それどころか、じりじりと後退り始める。
ヤベーな、とロイは槍を担いだ。
一人でも逃げ出せば後に続く連中が続出するだろう。
鎮圧するのは難しくないが、全員を取り押さえることができるかと言えば難しい。
その時、アルヘナが槍の石突きで地面を叩いた。
それほど大きな音ではなかったが、傭兵達はアルヘナを見た。
「……敵前逃亡は死罪だ」
「し、死罪?」
「なんだって、逃げたくらいで」
「俺達は兵士じゃないのに」
アルヘナが厳かに告げると、傭兵達はざわめいた。
「この作戦中、貴様らは帝国軍人として扱われる。敵前逃亡は死罪、貴様らを庇った者も同罪とする」
「ど、どういうことだ?」
「馬鹿、家に帰ったら家族も殺すってことだよ」
「なんで、そんな酷いことを」
「貴族には人間の血が流れてないのか」
アルヘナは槍を高く掲げ、石突きを地面に叩き付けた。
すると、傭兵達は黙り込んだ。
「人を殺して金を稼ごうとする人間が他人を非難するなど片腹痛い」
「……」
自分達のことを思いっきり棚に上げているので文句の一つや二つ出ると思ったのだが、アルヘナの言葉に異を唱える者はいない。
もしかしたら、異論を唱えただけで殺されると考えているのかも知れない。
何とか収まったな、とロイは内心胸を撫で下ろした。
もっとも、安心はできない。
今回は不満を押し込めただけだ。
ことあるごとに不満は噴き出す――いや、次はもう抑えられないだろう。
「進め! 進むのだッ!」
ボウティーズ財務局長が声を張り上げると、傭兵達はとぼとぼと歩き出した。
「反乱軍を倒さなければお前達に未来はないのだッ!」
「……畜生」
「なんだって、こんな目に」
「こんなことなら金を稼ごうなんて思わなけりゃ良かった」
「物乞いをしてた方がマシだった」
ぶつくさと文句を言いながら反乱軍の野戦陣地に向かう。
一番手前の障害物を通り過ぎても傭兵達は走り出さない。
「どうしたッ? 走れ! 走らんかッ!」
ボウティーズ財務局長が馬上から喚く。
このままでは矢に射貫かれて終わりだ。
にもかかわらず、傭兵達の歩みは亀のように遅い。
捨て鉢な気分になっているのだろう。
一番手前の障害物を通り過ぎ、矢が降り注いだ。
傭兵達がばたばたと倒れ――。
「ひぃぃぃぃッ!」
肩に矢が突き刺さった傭兵が悲鳴を上げ、全体の動きが止まる。
「痛ぇ! 痛ぇぇ! 痛ぇぇぇよッ!」
傭兵はその場に尻餅をつき、痛い痛いと叫んだ。
手足をばたつかせる様は幼児のそれだが、その間にも矢は容赦なく降り注ぐ。
当たり前と言えば当たり前だ。
敵は敵であって、母親ではない。
手足をばたつかせたからと言って攻撃の手を緩める理由はない。
不運にも傭兵は矢で腕や脚を貫かれたものの生きていた。
「痛ぇ! 痛ぇよッ! こッ、殺せ! いっそ、殺せぇぇぇッ!」
叫び声が戦場に響き渡り、傭兵達が二手に分かれる。
と言っても負傷した仲間を助けに行こうとしたのではない。
無力化する障害物に向かって走る者と逃げる者に分かれたのだ。
心持ち、前者の方が多いように見える。
一人が惨たらしい目に遭ったことで何かをしなければという気になったのだろう。
「逃げるな! 目標を無効化せよッ!」
ボウティーズ財務局長が逃げてくる者達に向かって叫ぶが、声が届いていないのか、それとも無視しているのか、従う者はいない。
その時だ。ある傭兵の胸に矢が突き刺さった。
反乱軍の矢ではない。
ボウティーズ財務局長に付けたアルヘナの部下が矢を放ったのだ。
味方からの攻撃によってこちらに向かっていた傭兵達の足が止まる。
アルヘナの部下は無言だったが、言わんとしていることは分かる。
即ち、逃げれば撃つだ。
「クソ、クソォォォォッ!」
傭兵は自棄になったように叫び、元来た道を戻り始めた。
「……俺達に味方はいねぇのかよ」
待機している傭兵の一人がぼやいたが、今更だろう。
ロイは正面に視線を移し、軽く目を見開いた。
障害物に向かって走った者達はほぼ全滅していた。
たった一人だけ生き残った者がいた。
その男は毛布を抱え、よろよろと障害物に歩み寄った。
そのたびに血が零れ落ちる。
男が毛布を広げると、矢が降り注いだ。
矢が全身を貫くが、男は毛布を手にしたまま倒れ込んだ。
男はそのまま横に倒れたが、毛布は障害物を覆っていた。
障害物の大きさを考えれば一部を無力化しただけに過ぎないが、成果は成果だ。
「素晴らしい! あの行いこそ帝国臣民の取るべき行動だッ!」
ボウティーズ財務局長は死んだ傭兵を褒め称えたが、傭兵達は静まり返っている。
今そこで追い返された傭兵達が敵の矢を喰らっている最中なのだ。
いくら仲間意識が希薄とは言え、賛同する者はいないだろう。
それに気付いたのか、ボウティーズ財務局長は取り繕うように咳払いをした。
「あの男は真の勇者である! 約束通り、金貨百枚を与えるッ!」
ボウティーズ財務局長はアルヘナの部下に視線を向けた。
「あの男の身元を調べ、家族に報酬を届けよ」
「はッ!」
アルヘナの部下――今はボウティーズ財務局長の副官だが――は背筋を伸ばして返事をした。
「し、死んでも報酬をもらえるのか?」
「けど、死んじまったら何の意味もねーよ」
「そ、そうか、母ちゃんに金を遺してやれるのか」
「ガキどもに飯を……」
「俺には身内なんていねーよ」
最初からこの条件を提示しろよと思ったが、傭兵達の何割かはやる気になったようだ。
「次は五百人だ! 我こそはと思う者はいないかッ?」
「……俺が行く」
「俺も……」
傭兵達がぞろぞろと歩み出る。
その表情は悲壮感に彩られている。
「……家族に金を届けてくれるんですよね?」
「ああ、約束するとも」
ボウティーズ財務局長はニヤリと笑った。
※
クロノは野戦陣地の後方に立って戦場を見つめていると、副官が声を掛けてきた。
『大将、本陣に居ないんですかい?』(ぶも?)
「ミノさんこそ」
『あっしは叩き上げなんで。現場に立ってるのが性にあってやす』(ぶもぶも)
「僕も現場に立っている方が良いよ」
『作戦は問題なく進んでやすぜ?』(ぶも?)
「そうなんだけど、不安でさ」
副官が不思議そうに首を傾げ、クロノは溜息混じりに応じた。
帝国軍の動きが鈍いことを除けば作戦は順調に進んでいる。
すでに三百人余りの敵兵を殺しているが、主力ではないようだ。
早く主力を引き摺り出したい。
この戦いは皇軍がどれだけ戦力を温存して最終局面に突入できるかに掛かっている。
まあ、どんな戦いでも同じかも知れないが。
『大将は何が不安なんで?』(ぶも? ぶもぶも?)
「報告だけ聞いて戦況を判断する自信がありません」
『……大将』(……ぶも)
副官は呻くように言ったが、見栄を張っても仕方がない。
「演習ではそれなりに上手くいったけど、やっぱり目で見た方が良いよ」
『ま、まあ、それでこそ大将って気はしやすが、工兵の作ったジオラマが無駄になりやしたね』(ぶもぶも)
副官はぼりぼりと頭を掻き、何処か遠い目で本陣――ティリアがいる天幕を見つめた。
「無駄にはなってないよ。何しろ、皇女殿下がご覧になっているからね」
『……そうかも知れやせんが』(……ぶも)
副官はがっくりと肩を落としたその時、帝国軍が動いた。
敵歩兵がゆっくりとこちらに近づいてきたのだ。
「人数は四百、いや、五百って所か。矢の補充は?」
『とっくに済ませてやす』(ぶも)
副官は軽く手を上げ、籠手――正確にはそこにある通信用マジックアイテムを撫でた。
「便利なもんだね」
『へい、これなら誰かを走らせる必要がありやせんからね』(ぶも)
クロノの言葉に副官は頷いた。
矢が不足してきたら通信用マジックアイテムを介して補充を依頼する。
すると、担当の兵士が補充に走るという寸法だ。
クロノは籠手の通信用マジックアイテムを口元に寄せた。
「レイラ、さっきまでと一緒だよ」
『……はい』
通信用マジックアイテムからレイラの声が響く。
『さっきまでと様子が違いやすね』(ぶも)
「やることは変わらないよ」
相手にやる気があろうが、なかろうが、殺すだけだ。
敵歩兵はゆっくりとこちらに近づいてくる。
もっとも遠くにある鉄の茨で作られた障害の脇を通り抜け――。
「うおぉぉぉぉぉぉぉッ!」
敵歩兵は一斉に雄叫びを上げて突っ込んできた。
やや遅れてレイラが指揮する弓兵が一斉に矢を放つ。
矢の雨が降り注ぎ、敵兵がバタバタと倒れる。
だが――。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
敵歩兵はなおも雄叫びを上げて突っ込んできた。
木の盾には目もくれず、毛布をひっつかんでひたすら駆ける。
途中で倒れる者がいた、巻き込まれて転倒する者がいた、踏み潰される者がいた。
もちろん、矢に射貫かれる者も。
前回までなら動きが鈍っていたはずだが、今回はさらに一直線に突っ込んでくる。
そのせいか、今回は生き残っている者が多い。
戦場では臆病者から先に死ぬと聞いたのはいつだっただろう。
軍学校か、南辺境か、それとも元の世界だったか。
臆病者は突撃するのが遅れるので結果的に攻撃を受けやすいという理屈だった。
聞いた時はそんなものかと思ったが、動いている内は狙いが定まらないということなのかも知れない。
ただし、皇軍の弓兵は精鋭揃いだ。さらに言えば狙い撃てとは命令していない。
範囲内に矢を降らせる戦い方を命じているのだ。
生き残った十数人が中央の障害に毛布を掛けようとしたその時、爆発が起きた。
義勇兵が十字弓でマジックアイテムを撃ち出したのだ。
至近距離で爆風を浴びたにもかかわらず、敵歩兵はその場に留まっていた。
いや、残っていたというべきだろうか。
爆発で体の半分がなくなっている。
それでも、その場に留まっていられたのは鉄の茨に引っ掛かったからだ。
「……やられた」
クロノは顔を顰めた。
半分になった敵歩兵は鉄の茨に覆い被さっていた。
その下にあるのは毛布だ。
毛布に覆われている箇所は全体の一部だが、一部でも無力化されたことは間違いない。
オーーッという声が遠くから響く。
帝国軍が歓声を上げているのだ。
『調子に乗ってやすね』(ぶも)
「まあ、ようやく成果らしい成果が出たんだから仕方がないよ」
クロノは肩を竦めた。副官が吐き捨てるように言ってくれたお陰で冷静になれた。
障害を突破されないに越したことはないが、突破されないことを前提に作戦を立ててはいないのだ。
「さて、次はどうくる?」
クロノは舌で唇を湿らせた。
※
「はい! 来ませんでしたッ!」
クロノは自分の天幕に戻り、どっかりとイスに腰を下ろした。
そのまま机に突っ伏すと、ミノが入ってきた。
『大将、声が大きすぎですぜ』(ぶも)
「でもさ」
クロノは頬杖を突いた。
「あのまま攻めてくると思ったら陣地に戻っちゃうんだもん」
『まあ、日が暮れやしたからね』(ぶも)
副官は天幕から身を乗り出して空を見上げたが、帝国軍が最後に攻撃を仕掛けてきた時はまだ夕方前だった。
あと一回くらい攻撃があると思っていたのだが、帝国は陣地に戻ってしまったのだ。
『きっと、明日も晴れですぜ』(ぶも)
「だと良いね」
雨が降った時の対策は施しているが、塹壕に雨水が溜まって病気が蔓延するなんて事態は御免だ。
そんなことになったら戦うどころではない。
『相手が思い通りに動いちゃくれないのはいつものことですぜ』(ぶも)
副官は溜息混じりに言い、対面の席に座った。
一見、頼りなさそうに見えるが、ドワーフ特製のイスは軋みもしない。
「な~んか、いつもと違うんだよね」
『今回は準備期間がありやしたからね。兵力差があるって言っても絶望的な数字じゃありやせん』(ぶもぶも)
「まあ、いつもは戦術で何とかしようとして物量に押し潰されたり、何とかなりそうだったのに物資が枯渇したり、攫われたり、予想外のことが起きたり……ああ、碌な目に遭ってない」
『これで最後にしたいもんですぜ』(ぶも)
「僕もそう思う」
難しいだろうけど、と心の中で付け加える。
「それはそれとして、帝国の動きが鈍い理由を知りたいんだよね」
クロノは籠手の通信用マジックアイテムを見つめた。
※
「相手が警戒しているからと言って、大人しくしている筋合いはないし、警戒しているならしているで策を巡らせるのがデキる士官みたいな」
アリデッドは帝国軍の陣地を眺めながら呟いた。
帝国軍の陣地は野営――将兵が休んだり、物資を集積したりするためのものだ。
皇軍の陣地に比べれば攻めるのは難しくない。
まあ、あくまで皇軍の陣地に比べればだ。
アリデッドが預かっている百名程度の兵士では嫌がらせが精々だ。
なので、嫌がらせをする。
「風向きはOKみたいな?」
『OKでござるよ』(がう)
アリデッドが隣を見ると、タイガが積み重ねた木の枝に小指の爪ほどの石――発火用のマジックアイテムを投げ入れるところだった。
飛び散った火花が枯れ草に引火して燃え上がり、煙が帝国の陣地に向かって流れていく。
その時、帝国の陣地からカーン、カーンという音が鳴り響いた。
しばらくして――。
「なんだッ?」
「火だッ!」
「反乱軍の夜襲だ!」
「すぐに兵を集めろ!」
異常を察知した敵兵士が騒ぎ出し、一カ所に集結する。
「なかなか素早いレスポンスみたいな」
『どうするでござるか? 百人かそこらなら蹴散らせるでござるよ』(がう? がう)
「引き付けて……逃げるし」
元々、嫌がらせにきているのだ。
いや、まあ、敵兵の心身に負荷を掛ける作戦行動ということは理解しているが、やっていることは嫌がらせだ。
あまり難しく考えず、どうしたら相手がより嫌がるかを考えるべきだ。
『来たでござるよ』(がう)
百人ほどの兵士が陣地から飛び出し、こちらに走ってくる。
「よし! 転進みたいなッ!」
アリデッドが踵を返して逃げ出すと、部下達も一緒に逃げ出す。
「転進! 転進ッ! 撤退にあらずみたいな!」
『撤退は撤退でござるよ』(ぐるる)
「気分の問題だし!」
ふとアリデッドはあることを思い付いた。
「バーカ、バーカ、帝国兵のバーカ!」
『子どもでござるか』(ぐる)
「ざっけんな!」
「反乱軍め!」
「八つ裂きにしてやる!」
タイガは呆れたように言ったが、敵兵は激昂した。
「ば、馬鹿と言ったくらいで八つ裂きとは石を金に変えるとか言う錬金術も真っ青みたいな!」
しばらくして背後からパパパパンッという音が響いた。
別働隊――デネブ達が帝国軍の陣地にマジックアイテムを投げ入れているのだ。
光と音を撒き散らす程度の――エリル曰く玩具のような――代物だが、アリデッドはぞんざいに扱って暴発しても大したダメージを受けない所が気に入っていた。
「な、何だ?」
「本陣が襲撃されてるッ?」
「くそッ、陽動だったんだ!」
『足音が遠ざかっていくでござる』(がう)
「反転! 反転ッ! 攻撃だし!」
アリデッドがその場で反転すると、部下の弓兵も反転する。
油断しているのか、敵兵士はこちらに背を向けている。
「適当にみたいな!」
アリデッドが機工弓で矢を放つと、部下達は思い思いのタイミングで矢を放った。
ぎゃッ! と短い悲鳴が断続的に響き、敵兵士が地面に倒れる。
「くそッ! 逃げてたんじゃないのか!」
「お、追えッ!」
「陣地はどうする?」
「別のヤツらが対応する!」
敵兵士が再びこちらに向かって走り出す。
『どうするでござるか?』(が~う?)
「もちろん、転進みたいな!」
アリデッドが踵を返して走り出すと、部下達も走り出した。
横目にデネブの様子を確認すると、あちらでも同じことをやっているようだった。
「このまま朝まで嫌がらせを継続したいけど、ちょっと欲張りすぎかもみたいな」
アリデッドは走りながら呟いた。
 




