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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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144/202

第17話『決戦』その1



 帝国暦四三四年一月中旬――ラルフは書類に署名し、羽ペンを置いた。

 背もたれに寄り掛かり、息を吐く。

 意識は澄明さを保っているが、体を蝕む疲労は如何ともしがたい。

 若い頃であればもっと無理が利いた。

 今は十分な休憩を取ったつもりでも倦怠感が残っている。

 若さは宝なのだと今更のように思う。

 いや、時間と言うべきだろうか。

 時間は金よりも遥かに貴重だ。

 自分のように歴史に名を残そうとする人間にとっては人生はあまりに短い。

 短すぎる。


「……不老不死か」


 小さく呟く。

 東方では人の身で神になろうとする試みが行われていたと聞く。

 若い頃は下らないと思った。

 命が有限であることに不満を覚えなかった。

 むしろ、限られた人生だからこそ偉業に意味が生まれるのだと思っていた。

 だが、今は不老不死を求める気持ちがよく分かる。

 人は死ぬ。王も、英雄も、賢者も凡人と同じように老いて死ぬ。

 死んで土に還る。

 逃れる術はない。

 だからこそ、神になろうと――永遠を求めたのだろう。


「……三十四年」


 ラルフは近衛騎士団長として過ごした日々を思う。

 自分があの内乱を収めた結果、お払い箱になったのであれば受け容れた。

 内乱の最中、それ以前に一線を退かなければならなくなったとしても受け容れられた。

 自分は帝国一の軍師だという自負を抱き、穏やかな日々を過ごせたことだろう。

 弟子を取り、その成長を楽しむことができたかも知れない。

 そこまで考え、頭を振る。

 仮定の話をしても仕方がない。

 現実はそのようにならなかった。

 無能の烙印を押され、屈辱に満ちた日々を過ごした。

 三十四年を無駄にした。

 それが全てだ。


「……汚名を」


 そそがなければならない。

 歴史に名を刻まねばならない。

 だが――。

 反乱軍を討伐しただけで歴史に名を刻めるのだろうか。

 しばらくすれば忘れられてしまうのではないか。

 そんな不安が湧き上がってくる。


「……残せるとも」


 ラルフは自分に言い聞かせたが、どうしても不安を振り払えなかった。


「この戦いが終わったら書をしたためるのも悪くないかも知れんな」


 軽口のつもりだったが、悪くない考えのように思えた。

 ラルフは遠い未来を思い描く。

 士官を志す若者が図書館で本を探している。

 どの本にしようかと視線をさまよわせ、ある本を見つける。

 若者は本を開き、ラルフを知るのだ。

 素晴らしい未来だ。


「……だが」


 ラルフは胸に手を当てる。

 持病を抱えている訳ではないが、老いは確実に体を蝕んでいる。

 あと、どれくらい生きられるだろう。

 十年は難しいかも知れない。

 生きていられたとしても頭脳が明晰さを失っては意味がない。

 自分が何者かも分からなくなり、赤子のように糞尿を撒き散らす。

 妄想とは言え、ぞっとする。


「……長くても五年」


 いや、もっと短いかも知れない。

 改めて三十四年の重みを実感する。

 生まれたばかりの赤子が大人になり、子を成し、早ければ孫を抱いている。

 それほどの時間を無駄にしてしまったのだ。


「……あと五年」


 ラルフは呻いた。

 歴史を刻むなどと分不相応な願いだったのかも知れない。

 分を弁えていればこれほど苦しまずに済んだ。

 だが、望みを捨てることもできないのだ。

 ラルフはそういう生き物だ。

 気が付けばそういう生き物に成り果てていた。

 世間的な幸せに価値を見出せなかった。

 番い、子を成し、その成長に一喜一憂する感性が理解できなかった。

 何故、漫然と生きることを良しとするのかが分からなかった。

 歴史に名を刻むことだけが望みだ。

 それ以外は何もいらない。

 何もいらないのだ。


「……早く」


 来てくれ、とラルフは反乱軍に祈った。

 反乱軍はカイ皇帝直轄領の港を占拠してから動いていない。

 陣地がなければまともに戦うことすらできないにもかかわらず、だ。

 こちらの疲弊を狙っているのか。

 それとも襲撃を警戒して陣地の構築に踏み出せないのか。

 まさか、このまま戦わないつもりか。


「……いかんな」


 ラルフは小さく頭を振った。

 汚名を雪ぐ機会を得たというのにナーバスになりすぎだ。

 もっと冷静にならなければ。


「……南辺境との共闘を狙っているのだろうな」


 だが、と笑う。

 すでに南辺境には一万の将兵を向かわせている。

 互角の兵力のぶつかり合いだ。

 三十四年前ならばいざ知らず、今の新貴族どもでは容易に突破できない。

 連中は英雄だ。そこは認めてやらなければならない。

 しかし、ラルフが老いたように彼らもまた老いている。

 武器を置いて三十四年も経っていることを考えればもはや戦うことなどできまい。

 本当に老いとは残酷なものだ。


「これならばボウティーズ財務局長が集めた傭兵どもに調練を施してやってもよいかも知れんな」


 ボウティーズ財務局長は一万の傭兵を集めた。

 実体は傭兵とは名ばかりの奴隷や貧民でも一万は一万だ。

 今は案山子に過ぎないが、動けるようになれば少しは役に立つだろう。

 それにしても、とラルフは腹の上で手を組んだ。

 あのボウティーズ財務局長が一週間で一万人を集められるとは思わなかった。

 半分も集められずに泣き言を口にすると思っていたのだが、よほど復讐したいらしい。


「……無意味に死んだかと思ったが」


 意外に役に立つ、と心の中で続ける。

 反乱軍を討伐したら夫人と息子のために石碑を建ててやらねばなるまい。

 少なくともボウティーズ財務局長の能力を底上げする役に立ったのだから。

 さて、とラルフは書類を手に取った。

 反乱軍に動きはないが、仕事がなくなる訳ではない。

 その時――。


『軍務局長殿! 至急、軍務局長殿にお伝えしたいことが!』


 廊下から声が聞こえた。

 来たか、とラルフは居住まいを正した。

 恐らく、反乱軍が動き出したのだろう。

 副官が扉を開け、男が執務室に入ってきた。

 男――第七近衛騎士団の団員だ――は早足で部屋の中央に立ち、ラルフに敬礼した。

 雨が降っているのか、制服がぐっしょりと濡れている。


「……反乱軍が動いたのだな?」

「は、はッ! そ、その通りであります!」


 男は肯定したが、何とも歯切れが悪い。

 態度から察するに動いただけではないようだ。

 一体、何が起きたのか。

 いや、予想外の展開は望む所だ。

 反乱軍が手強ければ手強いほどラルフは高く評価されるのだ。


「何があったのだ?」

「は、は、突然の出来事で……」

「報告は簡潔にしろッ!」

「はッ! 申し訳ありません!」


 副官が声を張り上げ、男は背筋を伸ばした。


「…………ちです」

「もっと大きな声で言ってくれんか?」

「陣地です」


 男は絞り出すような声で言った。


「陣地?」

「前日から草原には濃霧が発生していたのですが……」

「霧に紛れて反乱軍が陣地を構築していたということだな?」

「いえ、霧が晴れた途端、反乱軍の野戦陣地が出現したのです」

「何だと!」


 ラルフは立ち上がって叫んだ。



「塹壕の底には溝を掘るんだ! しっかりと掘ってくれ! でないと仲間が死ぬぞ! あとでチェックするからなッ!」

「押忍ッ!」


 シルバが声を張り上げると、工兵達は負けじと声を張り上げた。

 何故、押忍なのか気になるが、纏まってはいるようだ。

 クロノは野戦陣地を見つめた。

 第八近衛騎士団と戦った時と同じ塹壕と鉄の茨による障害物を組み合わせた陣地だ。

 と言っても大きさは倍以上あるし、いくつかの改良が施されている。

 それが一夜で出現したのだ。

 帝国軍はびっくりしているに違いない。

 豊臣秀吉のパクりだが、文句を言ってくる人は何処にもいないのだ。

 パクリと言えばこの野戦陣地も織田信長のパクりだ。

 ついでに言うと初陣の時も――。

 まあ、命が懸かっているのだ。

 文句を言われても開き直るしかない。


「ふふふ、これが僕の一夜城」

『大将、こんな所で何をしてるんで?』(ぶも?)


 振り返ると、そこには副官が立っていた。

 何となくバツが悪くなって頭を掻く。


「いや、何でもないよ」

『これが僕の一夜城って言ってやせんでしたか?』(ぶも?)

「はい、そうです」


 クロノは認めざるを得なかった。


「誰も誉めてくれないので帝国軍がびっくりしている姿を想像して悦に入ってました」

『すいやせん。事前に聞かされてたんで』(ぶも)


 副官は軽く咳払いし――。


『たった一夜で陣地を作るなんて。大将は凄ぇや』(ぶもぶも)


 平坦な口調で言った。

 見事な棒読みだった。


「お気遣い感謝いたします」

『こんなんで良いならいくらでもしやすぜ』(ぶも)


 副官は照れ臭そうに頭を掻いた。

 賛辞を求めるのは止めよう、とクロノは固く誓う。

 何度も棒読みの賛辞を聞かされたら心が折れてしまう。


「ところで、シオンさんは?」

『体調が悪いってんで野戦病院で休んでもらってやす』(ぶも)

「無理をさせたからね」


 へい、と副官は頷いた。

 一夜で野戦陣地を構築できたのはシオンの力による所が大きい。

 シルバ達――工兵の力を否定するつもりはないが、シオンの神威術がなければ塹壕を掘ることはできなかった。


「このまま休ませてあげられれば良いんだけど」

『あっしもそう思いやす』(ぶも)


 ゆっくりと休ませてやりたい。

 本心ではあるが、難しいだろうとも思っていた。


『ナム・コルヌ女男爵は良いんですかい?』(ぶも?)

「あの人は……ねぇ?」

『同意を求められても困りやすが、気持ちは分かりやす』(ぶも)

「元気だよね」


 クロノは小さく溜息を吐いた。

 シオンは体調を崩したのにナム・コルヌ女男爵はケロッとしている。

 神官さんもそうだが、神に喰われると、力が増すのだろう。

 何処を喰われるのか分からないので命懸けだが、命と引き替えにしても力が欲しい者にとっては選択の一つに成り得る。


「あまり楽しそうには見えないけどね」

『何のことで?』(ぶも?)

「神官さんとネージュのこと」

『確かに楽しそうには見えやせんね』(ぶもぶも)


 副官は腕を組み、何度も頷いた。


「神官さんにも働いてもらわないと」

『ここでツケを支払うことになるとは思ってなかったと思いやすぜ』(ぶもぶも)

「思いっきり取り立てたい所だけど」

『手心を加えるんですかい?』(ぶも?)


 副官は意外そうに目を見開いた。


「自分だけ神に喰われてたまるかって道連れにされそうだし」

『それはないと思いやすぜ』(ぶも)


 笑っているのか、副官は小刻みに肩を震わせた。


『……それにしても』(……ぶも)


 副官は建ち並ぶ天幕を見つめた。

 天幕には野戦病院を示す赤い十字が描かれている。


「どうかした?」

『病院のマークってのは考えたもんだと思ったんでさ』(ぶも)

「兵士は文字が読めないからね」


 クロノの部下とて全員が文字を読める訳ではない。

 他の兵士ならば尚更だ。


『それもありやすが、怪我をしても治療してもらえるのは心強いですぜ。それが一目で分かるんだから尚更でさ』(ぶもぶも)

「そこまで考えてはいなかったんだけど」


 クロノはやや離れた所に並んでいる天幕を見つめた。

 糧秣と装備の集積所だ。

 糧秣の集積所には麦の、装備の集積所には槍のマークが描かれている。

 敵が見れば真っ先に襲撃するだろう。

 クロノだってそうする。

 だが――。


「いちいち説明しなくて良いから楽なんだよね」

『あっしもそっちを優先した方が良いと思いやすぜ』(ぶも)

「ここまで攻め込まれた時点で負けたも同然だからね」

『……ただ』(……ぶも)


 副官はある天幕を見つめた。

 その天幕には何も描かれていないが――。


『爺さん達は張り切りすぎですぜ』(ぶも)


 副官は溜息を吐くように言った。

 その天幕はマンチャウゼン達――老騎士によって守られている。

 ここにティリアがいると宣伝しているようなものだ。


『のんびり余生を送っても良いと思うんですがね』(ぶも)

「生き方はそれぞれだからね」


 クロノは首飾りを握り締めた。

 マンチャウゼン達は騎士として戦うことを選んだ。

 それはとても大事なことだ。


『話は変わりやすが……』(ぶも……)

「何?」

『腹の調子はどうなんで?』(ぶも?)

「普通だよ」

『大将は図太くなりやしたね』(ぶも)


 副官はしみじみと呟いた。


「そう言えば初陣の時は――」

『うんこを漏らしてやしたね』(ぶも)

「漏らしてないよ」


 誰かに聞かれたらどうするんだ、とクロノは周囲を見回した。

 幸い、聞いている者はいなかったようだ。

 良かった、とクロノは胸を撫で下ろした。


『大将は立派になりやした』(ぶも)

「何度も死にそうな目に遭ってるけどね」


 死にそうな目に遭ったから成長する訳ではないが、あれだけ死にそうな目に遭って成長しないのは辛い。


「でも、お腹が痛くならないのは図太くなったからじゃないと思うな」

『するってぇと?』(ぶも?)

「初陣の時ほど絶望的な兵力差じゃないからね」


 皇軍の兵力は一万二千余り、帝国軍は三万だ。

 三万の内一万はここ一週間ほどで集められたらしいので実質二万だ。

 二倍にも満たない兵力差だ。


「それに準備する時間も、覚悟を決める時間もあったからね」

『大将の戦いとしては珍しいかも知れやせんね』(ぶも)

「僕もそう思う。特に矢の心配をしなくて済むのが良いね」


 親征の時は矢が不足して苦労した。

 今回はゴルディを始めとする職人達が港街で矢を作ってくれている。

 エリルも必死にマジックアイテムを作っている。


「まあ、でも、怖いものは怖いんだけどさ」

『レオンハルト殿のことですかい?』(ぶも?)

「まあ、ね」


 親征では片腕のイグニスが戦況を覆した。

 レオンハルトならば同じことができるはずだ。


『謹慎させられてるって話を聞きやしたが?』(ぶも?)

「ピンチになったら出てくるよ」


 パラティウム公爵が味方してくれれば話は別だが、ティリアが皇位継承権を奪われた時に何もしなかったのだ。

 今更、味方になってくれるとは思えない。


『もう少し温かみのある人だと思ってやしたが……』(ぶも……)

「仕方がないよ」


 レオンハルトは家名を背負っているのだ。

 それにクロノだってレオンハルトの立場ならば同じことをした。

 文句を言うのは筋違いだ。


「レオンハルト殿も割り切ってるみたいだし、こっちも割り切っていこう」

『もちろん、あっしは殺す気でいきやすが、たった一人に戦況を左右されるってのは不公平感がありやすぜ』(ぶもぶも)

「平民VS貴族みたいな戦いなら気が楽だったんだけどね」


 旗印であるティリアがやられたらおしまいだ。

 もちろん、それは帝国軍にも言えることだが。


「まあ、そういう時代じゃないんだから仕方がないね」


 クロノは軽く肩を竦めた。

 積み上げられるものは全て積み上げた。

 あとは行動するだけだ。


『……大将』(……ぶも)


 副官がぼそりと呟いた。


『本当に大将について来て良かったと思いやすぜ』(ぶも)

「その台詞は取っておいた方が良いと思うよ。この戦いが終わったら帝国は良くなっていくと思うし、それに……」


 死亡フラグみたいだし、と心の中で続ける。


『大将の言いたいことは分かりやすが、ここで言っておきたいんでさ』(ぶも)


 副官はいつになく真剣な声で言った。


『あっしはこの戦いが歴史の分岐点……どっちが勝つかで帝国の歴史が大きく変わると思ってやす。そんな戦いにあっしは参加できる。参加できるばかりか、副官って立場で、しかも全部を理解しながら戦えやす』(ぶもぶもぶも)


 副官は捲し立てるように言った。

 彼は士官教育――ワイズマン先生の薫陶を受けているのだ。

 全てを理解して戦えるという言葉は事実だろう。


『そんな自分が幸福でなりやせん。あっしの選択は正しかったと思いやす』(ぶもぶも)

「まだまだだよ。ティリアを皇位に就けても戦いは続くんだ。ずっと続いてきた差別や偏見を打ち壊さなきゃならないんだからさ」


 クロノは空を見上げ、小さく溜息を吐いた。

 差別や偏見をなくすのにどれだけの歳月が必要だろう。

 国の後押しがあったとしても百年は掛かるはずだ。

 あまりの壮大さに途方に暮れそうになる。


「ああ、そうか。これが……」

『いきなり黄昏れてどうしたんで?』(ぶも?)

「重大な気付きを得たと言うか、まあ、そんな感じ」

『どんな気付きで?』(ぶも?)

「この戦いが終わったら教えるよ」

『……分かりやした』(……ぶも)


 副官は静かに頷いた。


「帝国軍はどれくらいで攻めてくると思う?」

『野戦陣地に関する情報は伝わっていると思いやすが、早くても二日後じゃありやせんか?』(ぶも?)

「早くて二日?」


 クロノは首を傾げた。



 報告を受けた二日後――ラルフは謁見の間にいた。

 反乱軍は野戦陣地の構築を終え、万全の態勢で待ち受けている。

 にもかかわらず、ラルフは軍に指示を出すこともできずに突っ立っているのだ。

 アルフォートが出陣式を行いたいと言い出したせいだった。

 出陣式を行いたいという気持ちを否定するつもりはない。

 それで将兵が命を惜しまずに戦うのであれば歓迎したいとさえ思う。

 だが、時間を浪費するとなれば話は別だ。

 帝国は宮廷貴族どものスケジュールを調整するために金よりも貴重な時間を浪費した。

 反乱軍は野戦陣地の構築を終えて、万全の態勢で待ち構えている。

 そう、『構築を終えて』だ。

 報告を受けた時は野戦陣地は完成していなかった。

 報告を受けたその日の内に軍を動かしていれば野戦陣地が完成する前に戦えた。

 未完成部分をひたすら攻め立てることも不可能ではなかったのだ。

 馬鹿め、とラルフは玉座でふんぞり返るアルフォートを見つめた。

 対面にはブルクマイヤー尚書局長が立っている。

 さらにラルフ達を宮廷貴族どもが取り囲んでいる。

 貴重な時間を浪費させた元凶だ。

 同じ空気を吸っているかと思うとそれだけで吐き気がしてくる。

 ラルフは吐き気を堪えながらアルフォート、いや、玉座の正面を見つめた。

 そこには三人の男がいる。

 第三近衛騎士団団長アルヘナ・ディオス伯爵、第四近衛騎士団団長ロイ・アクベンス伯爵、ボウティーズ財務局長だ。

 三人とも片膝をつき、頭を垂れている。

 アルフォートはゆっくりと口を開いた。


「すでに知っていると思うが、反乱軍が帝都の西に迫っている。その首魁は余の義姉だ」


 アルフォートが呻くように言うと、宮廷貴族どもはざわめいた。

 白々しい演技だ。


「義姉は体調を崩し、公務に耐えられないと皇位継承権を放棄した。親交のあったエラキス侯爵の下で療養していたのだが……」


 アルフォートは言葉を句切り、唇を噛み締めた。


「エラキス侯爵は勇者であった。いや、そう信じていた。神聖アルゴ王国で卑劣な罠に嵌まった余を救うために殿を務め、アレオス山地の蛮族どもを慈悲の心を以て恭順せしめたのだから」


 だが、とアルフォートは力なく頭を垂れた。


「それはエラキス侯爵の巧妙な擬態だったのだ。余はエラキス侯爵の野心を見抜けなかった。あの男は帝国を我が物とするために義姉を擁立して反乱を起こしたのだ」


 苦しげに言葉を吐き出す。

 ティリア皇女が首魁ならばエラキス侯爵が擁立したことにはならないと思うのだが、流石に突っ込みを入れる者はいない。

 それらしいことを言いたいのは分かるが、矛盾が生じないようにして欲しいものだ。


「片親とは言え、血の繋がった義姉と相争うのは心が痛む。だが、情けをかければ悪しき先例を生む出すことになる。余は身を引き裂かれる思いで決意した」


 アルフォートは再び言葉を句切った。

 静寂が謁見の間を包む。


「秩序を乱す輩……反乱軍を討たねばならん、と」

「姉弟で争うことになるとは……」

「まさか、エラキス侯爵がそんな大それた野望を抱いていたとは……」

「成り上がり者の新貴族め。恩を仇で返すか」

「陛下、なんとおいたわしい」


 アルフォートが決意を口にすると、宮廷貴族どもは追従した。


「……アルヘナ・ディオス」

「はッ!」


 アルフォートに名を呼ばれ、アルヘナは片膝をついたまま頭を垂れた。


「汝を討伐隊の指揮官に任命する」

「はッ! 謹んで承ります!」


 アルヘナの声が謁見の間に響き渡る。

 ラルフは内心胸を撫で下ろした。

 ルーカスが敗北した時点でアルヘナが討伐隊の指揮官になることは決まっていた。

 能力的にはロイの方が上だが、残念ながら庶子の出だ。

 宮廷でトラブルを起こした前科もある。

 これらの理由からアルヘナを選んだ。

 それはアルフォートにも話していたが、神輿にさえなれない男だ。

 ボウティーズ財務局長を指揮官にすると言い出すのではないかと心配していたのだ。

 流石に、そこまで愚かではなかったようだ。


「ロイ・アクベンス」

「はッ!」


 ロイも片膝をついたまま頭を垂れた。


「アルヘナを補佐せよ」

「はッ! お任せ下さい!」


 ロイの返事にアルフォートは満足げな表情を浮かべた。

 宮廷で何かと問題を起こす男が素直に従う。

 それが嬉しかったのだろう。

 なんと小さな男か。


「……ボウティーズ財務局長」

「はッ!」


 アルフォートは痛ましげな表情を浮かべた。


「汝の身に降りかかった不幸は聞き及んでいる。半分とは言え、血の繋がった義姉が最も信頼する臣の妻子を死に至らしめたのだ。余の心は千々に乱れている」

「はッ! お心遣い感謝いたします!」


 ボウティーズ財務局長は感極まったように言った。

 アルフォートがエラキス侯爵に謀反の疑いを掛けなければ反乱が起きることも、妻子が死ぬこともなかったのだが、経緯をすっかり失念しているらしい。

 やはり、感情とは厄介なものだ。

 真の仇が目の前にいることさえ忘れさせてしまうのだから。


「できれば指揮官を任せてやりたかったのだが、私情を優先する訳にはいかん」

「いいえ、いいえ、陛下。そのお気持ちだけで十分でございます」


 ボウティーズ財務局長は涙ながらに言った。

 これがやりたかったのか、とラルフは小さく頷いた。

 部下の心情を察しながらも国を優先しなければならない皇帝。

 なるほど、アルフォートの好きそうな題材だ。


「最後になるが、このような出陣式となったことを改めて謝罪したい。大々的に送り出したかったのだが、反乱軍が間近に迫っているために叶わなかった」

「その気持ちだけで十分でございます」


 アルヘナは真剣な声で応じた。


「……ラルフ」

「はッ!」


 ラルフは背筋を伸ばした。


「アルヘナはあくまで討伐隊の指揮官、軍の総責任者は軍務局長である汝である。汝の知恵で勝利に導いてやってくれ」

「はッ! 全力を尽くします!」


 うむ、とアルフォートは鷹揚に頷いた。

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