第15話『南進』その7
※
クロノがレイラと共に街道に戻ると、副官が駆け寄ってきた。
『大将、怪我はありやせんか?』(ぶも?)
「見ての通りだよ」
『そいつは何よりでさ』(ぶも)
副官は胸を撫で下ろした。
ズボンに穴が空いているがそれだけだ。
太股を貫いていた矢が消えただけではなく、傷も治っている。
昨日の傷――爪先から膝下までを覆う痛みもない。
『光の柱が出た時にゃ、もう駄目かと思いやしたぜ』(ぶもぶも)
副官はホッと息を吐いた。
「ここからも見えたんだ」
『へい、天を衝く柱がしっかりと見えやした。一体、あれは何だったんで?』(ぶも、ぶも?)
「神威召喚だよ」
『……神威召喚』(……ぶも)
副官は鸚鵡返しに呟いた。
『するってぇと、ケイロン伯爵は?』(ぶも?)
「…………駄目だったよ」
リオの上着を軽く上げる。
もっと我が儘になるべきだったのかも知れない。
リオを愛し、立場を慮ってきた。
だから、全てを捨てて自分の下に来いと言えなかった。
だが、リオが求めていたのはその一言だったのだ。
立場など考えず、自分の傍にいて欲しいと言うべきだった。
そうすれば破綻を先延ばしにできたかも知れない。
その時間で破綻そのものを回避できたかも知れない。
「……今更だ」
『何か言いやしたか?』(ぶも?)
「何でもないよ」
そう、今更だ。
今更、後悔しても遅い。
その一言を言えずに全て終わってしまったのだ。
「状況は?」
『ティリア皇女の供回りが十人死にやした。重軽傷者は二十人余りになりやす』(ぶも)
副官は低い声で言った。
無理もない。
ティリアの供回り――老騎士達は押し寄せる騎兵に下馬状態で対抗したのだ。
指揮官としてはこれだけの犠牲で済んだことを喜ぶべきだろう。
『あっしらに任せてくれりゃ……』(ぶも……)
「ミノさん」
『分かってやす』(ぶも)
副官は呻くように言った。
「敵騎兵は?」
『捕虜が三十人ばかりいやす。残り七十人には逃げられやした』(ぶも)
「……そう」
クロノは静かに頷いた。
「捕虜は?」
『こっちでさ』(ぶも)
クロノは副官に先導されて歩き出す。
幌馬車が街道に沿って一列に並んでいる。
しばらくして老騎士の亡骸が見えてきた。
血と土に塗れた亡骸だ。
傷がないように見える亡骸もあれば、大きく損傷している亡骸もあった。
真っ白なシーツの上に横たえられた彼らの胸元には花が置かれていた。
小さな白い花がいくつも咲いている。
かすみ草によく似ていた。
恐らく、ティリアが神威術を使ったのだろう。
「おお、エラキス侯爵か」
腕を吊ったマンチャウゼンが歩み寄ってきた。
「戻って来たんじゃな」
「……ええ」
「上手くいかなかったのか」
マンチャウゼンは小さく俯いた。
「まあ、そういうこともあるの」
「……」
クロノは何も言えなかった。
「上手くいかないことばかりじゃ」
マンチャウゼンは誰にともなく呟いた。
「儂らも上手くいかないことばかりじゃったが、見てくれ」
マンチャウゼンは亡骸に視線を向けた。
血と泥に塗れた亡骸は微笑んでいるように見えた。
「良い顔じゃろ?」
マンチャウゼンは嬉しそうに笑った。
「ティリア皇女を守って、役に立てて死ねたんじゃ。死に場所を用意してもらえたばかりか、花まで捧げてもらって、最高の栄誉じゃ」
「……」
クロノは何も言えなかった。
「エラキス侯爵の言いたいことは分かる。生きてた方が良いと言いたいんじゃろ?」
「……ええ」
ようやくその一言を絞り出す。
指揮官――彼らを戦場に引っ張りだした張本人が何を矛盾したことを、と思う。
だが、生きて欲しい気持ちも本当なのだ。
「儂らは十分過ぎるほど生き恥を晒してきた」
「そんなことは――」
「生き恥じゃよ。そりゃあ、昔馴染みと内乱期の話をしたり、孫の相手をしたりするのも悪くないがの」
「お孫さんがいるんですね」
「儂も木石ではないということじゃな」
カカ、とマンチャウゼンは笑った。
「儂は騎士として死にたいんじゃ。皇帝陛下に忠誠を誓い、剣を振るい、死ぬ。それが最高の生き方だと教わったし、そう思っとった」
それは軍制の改革によって失われた古い騎士の在り方だ。
現在の騎士――その大半は軍学校の卒業者だ。
一部の例外を除き、騎士とは資格取得者でしかなくなってしまった。
「恨んではいないんですか?」
「忘れてしまったの。何分、歳じゃから」
マンチャウゼンは力なく笑い、クロノは自分の馬鹿さ加減を呪った。
自分の望む生き方を奪われたのだ。
戦ってきた日々を無価値と断じられたも同然の扱いを受けたのだ。
恨みを抱かない訳がないではないか。
「まあ、家族に看取られて死ぬのも悪くないと思うとったんじゃが、ティリア皇女が挙兵すると聞いてじっとしていられなくなったんじゃ」
マンチャウゼンは目を細めた。
奪われたものを取り戻せるかも知れない。
だから、恨みを抱えながらもハシェルを訪れたのだ。
「幸いと言うべきかの、皇軍は儂らを必要としてくれた。ガキどもを率いるのは老骨に堪えたが……」
「年齢を感じさせない動きでしたよ」
「いつ死んでも良いように常に全力じゃからな」
「冗談になってませんよ」
訓練中に死なれては困る。
「最後にティリア皇女の供回りという大事な役割まで任せてもらった」
「それは……」
「そんな顔をせんでもええ。儂らは全て承知の上で義勇兵を続けとるんじゃ。まあ、何じゃな、エラキス侯爵は指揮官に向いとらんな」
カカ、とマンチャウゼンは笑った。
「……犠牲を屁とも思わんヤツよりは大分大分マシじゃがな」
「はぁ、どうも」
クロノは何と言えば良いかの分からずに頭を掻いた。
「……ティリア皇女も」
「皇女に向いてない?」
「そんな訳があるかい!」
マンチャウゼンは唾を飛ばしながら言った。
「ティリア皇女は素晴らしい方じゃ。声を掛けて下さるし、労って下さる。どうして、あんな素晴らしい方が皇位を奪われたのか……世の中は理不尽で満ちとる」
「エラキス侯爵領に来て、今までの自分を反省したみたいですよ」
「……そうか。きっと、過酷な経験が人間性を磨いたんじゃな」
「そうですね」
酷い目にあったのは皇位継承権を奪われた時だけでエラキス侯爵領に来てからは充実した日々を送っていたような気がするが、幻想は大事だ。
『……大将』(……ぶも)
「分かってる」
副官に耳打ちされて先に進むと、タイガ達の姿が見えてきた。
どうやら、捕虜を取り囲んでいるようだ。
その中にはリオの副官の姿もあった。
彼らは武装解除された上、手首を縛られていた。
力なく頭を垂れているのは暗澹たる未来を想像しているからだろう。
『お疲れ様でござる』(がう)
「お疲れ様」
リオの副官がハッとしたように顔を上げた。
「り、リオ様は!」
『大人しくするでござる!』(がう!)
タイガが叫び、二人の部下が槍を交差させてリオの副官の行く手を阻む。
「リオ様は、リオ様はどうなったッ?」
「……」
「――ッ!」
クロノが無言で上着を差し出すと、リオの副官は目を見開いた。
光の柱、主を失った上着――これらが意味することは明らかだ。
「き、貴さ……」
憎悪に満ちた眼差しを向けてくるが、それも一瞬のことだ。
彼にも分かっているのだろう。
自分もまたリオを救えなかった者の一人であることを。
「クロノ様!」
声のした方を見ると、フェイが手を振っていた。
背後には天幕が張られている。
「ティリア皇女がお呼びであります!」
「分かった!」
クロノは叫び、副官に視線を送る。
『……どうしやした?』(……ぶも?)
「心配はないと思うけど、捕虜の扱いをしっかり頼むよ」
『分かってまさ』(ぶも)
副官は静かに頷いた。
「クロノ様、私は?」
「レイラは休んでてよ」
「…………分かりました」
レイラが頷き、クロノは天幕に向かった。
「お疲れ様であります」
「そっちもお疲れ様」
フェイと挨拶を交わし、天幕の中に入る。
ティリアは不機嫌そうに腕を組み、イスに座っていた。
「……駄目だったか」
「……駄目だったよ」
「そうか」
ティリアは溜息を吐くように言った。
同じ神威術の使い手だ。
神威召喚――光の柱を見た時点でリオの死を理解したに違いない。
「やはり、あれは神威召喚の光だったんだな」
「リオはそう言ってたよ」
「そうか」
やはり、溜息を吐くように言う。
「よく無事に戻ってこられたものだな」
「そうだね」
クロノを殺すための神威召喚だ。
リオにその気が失せれば消えるだけのことだ。
「交渉が無駄になってしまったな」
ティリアは独り言のように呟いた。
「これは独り言なんだが、私はケイロン伯爵が嫌いではなかったよ」
「……」
クロノは答えない。
これは独り言なのだから答えてはいけないのだ。
「頭を踏み付けられたし、何度も死闘を繰り広げた関係だったが、心の底からケイロン伯爵の死を願ったことは一度もない。この関係が続けば良いと、そんな勝手なことを考えていた」
今更だが、とティリアは付け加えた。
そうだね、とクロノは心の中で応じる。
「捕虜はどうするの?」
「ハリスに引き渡す」
「処罰するのは裏切りになるとか言ってなかった?」
「処罰したらな。だが、保護という名目なら別だ」
「乗ってくるかな?」
「乗ってくるだろうな」
ティリアはイスの背もたれに寄り掛かった。
「なんで、そう思うの?」
「メリットがあるからだ。皇軍に捕らえられた第九近衛騎士団の面々を交渉の末に保護したとなれば箔が付く」
「領民の顰蹙を買うんじゃない?」
領内で暴れ回っている第九近衛騎士団をどうにかしたくて接触してきたのだ。
それなのに保護なんてするだろうか。
それ以前に領民が納得するとは思えない。
「領民には保護したと言わなければ良い」
「それで納得するかな?」
「さあ、な」
ティリアは軽く肩を竦めた。
「何にせよ、上手く使えば領主として相応しい人間だとアピールできるだろう」
「部下達は?」
「マンチャウゼン達は納得している」
そう言って、ティリアは長い溜息を吐いた。
「なんで?」
「投降した相手を処刑するのは騎士の行いではないそうだ」
「……ティリアは納得したんだ」
「私の問題じゃない」
ティリアはムッとしたように言った。
「マンチャウゼン達が提案してきたんだ。もちろん、私が処刑を主張すれば折れただろうが、それは主君の行いではない」
「その言い方……」
「部下が望む姿を見せてやるのも上に立つ者の務めだ」
「ティリアは成長したんだね」
「しみじみと呟くな」
ティリアは不愉快そうに顔を顰めた。
「…………堪えるな」
「そうだね」
ティリアが溜息を吐くように言い、クロノは頷いた。
※
「レイラ、お疲れ様みたいな」
「ご飯を持ってきたから一緒に食べるようみたいな」
レイラが一人で焚き火を見つめていると、アリデッドとデネブが声を掛けてきた。
テンションはいつもより低い。
二人はレイラの太股にパンとスープの載ったトレイを置き、対面に座った。
「こんな時に食事を摂って良いのでしょうか?」
「良いから食べるし」
「悲しい時でも、辛い時でもお腹が空くもんだし」
レイラはスープを掬い、口に運んだ。
味はよく分からない。
いや、それで良いのだろう。
知り合いを殺しておきながら普通に食事を摂れる方が異常だ。
少なくとも味がしない程度にショックを受けていると思える。
「ケイロン伯爵は残念だったみたいな」
「ナイーブな所に踏み込んでいくスタイルこそが残念だし」
あはは、と二人は笑ったが、最後の方は溜息のようになっていた。
「クロノ様はどうだったみたいな?」
「ショックを受けてるんじゃないかと心配してみたり」
「クロノ様は……よく分かりません」
「ここまでかなと思ったり」
「それも仕方がなしと思ったり」
「いえ、それはないと思います。クロノ様は立ち上がりましたから」
人はどうしようもない事態に直面した時、神――人智を超えた存在に縋る。
人とはそういうものだ。
少なくともレイラはそう考えていた。
けれど、クロノは悲しみに押し潰されることも、神に縋ることもなかった。
唇を噛み締め、涙を堪えて立ち上がったのだ。
そこに、すまないと言って涙を流した青年の姿はなかった。
この三年余りの月日がクロノを変えたのだ。
それが良いことなのか、悪いことなのかは分からないが、少しだけ寂しい。
「……そっか」
「お姉ちゃん?」
アリデッドが残っていたパンを頬張り、デネブが心配そうに声を掛ける。
パンを呑み込み――。
「私は覚悟が足りなかったわ。今のはクロノ様の心配をするフリをして弱音を吐いていただけね」
「お姉ちゃん、久しぶりに真剣だね」
アリデッドはガラリと口調を変え、吐き捨てるように言った。
デネブも口調が変わっている。
いや、素に戻っている。
「クロノ様にそれだけの覚悟を強いたんだもの、私が泣き言を言っちゃ駄目ね」
「もう演技はしなくて良いの?」
「いや、それとこれは別問題だし」
アリデッドは再び口調を変えた。
「そろそろ、それぞれの幸せを追い求めてもバチは当たらないよ」
「おためごかしは止めるし! 一人でクロノ様の相手をしたがっているのはまるっとお見通しみたいな!」
「そこまで分かってるなら演技を止めさせてよ」
「止めさせてよ、じゃないし!」
「止めさせて欲しいみたいな」
「それで良いし。妹は姉に従うものみたいな」
デネブが呻くように言うと、アリデッドは満足そうに頷いた。
「三人とも何の話をしてるの?」
「――ッ!」
突然、声を掛けられて振り返ると、クロノが立っていた。
いつもと変わらない態度だが、顔色が悪い。
レイラは小さく俯いた。
クロノが必死で自分を律しているのかも知れない。
そう考えると、目を合わせられなかった。
ケイロン伯爵を殺したことに後悔はある。
だが、仮に時間を巻き戻すことができても自分は何度でも同じことを繰り返すだろう。
そんな風に考えていることも影響しているのかも知れない。
「ケイロン伯爵の話をしてたみたいな」
「アリデッド!」
「ちょ、お姉ちゃん!」
レイラとデネブは同時に叫んだ。
「そっか、僕もティリア達と話してきたよ」
「あたしらにもクロノ様の気持ちを聞かせて欲しいし」
「分かってるんじゃない?」
「それでも、口にして欲しいし」
「そうだね。やっぱり、口にしないと駄目だよね」
クロノは自嘲するかのような笑みを浮かべた。
「僕の答えは決まっている。このまま進軍して偽帝アルフォートを討つ。そして、僕達の理想を叶える」
「知り合いと戦うかもみたいな?」
「覚悟の上、いや、正直に言えばレオンハルト殿と戦う覚悟はとっくにできてるんだよ」
それはレイラも気付いていた。
さらにレオンハルトに勝つためにクロノが策を練っていることも。
クロノはレイラの頭を撫で――。
「明日も早いからね。今日はゆっくりと休んで」
いつもと変わらぬ口調で言って、その場を立ち去った。
※
南進八日目――クロノは天幕の中でハリスの到着を待っていた。
当然と言うべきか、ティリアも一緒だ。
ティリアは腕と脚を組み、イスに座っている。
「ハリス殿がいらしたであります!」
フェイの声が響き、ハリスが入ってきた。
「……再会はもう少し後かと思っていましたが」
「こちらの都合で振り回して済まんな」
「いえ、滅相もない」
ハリスが対面の席に座り、ティリアが居住まいを正した。
「私を指名して下さり、感謝しています」
「領主代行の名前を知らないからな」
「それもそうですね」
はは、とハリスは笑う。
本来ならば領主代行に連絡するべきなのだが、クロノ達は名前を知らない。
もっとも、仮に名前を知っていたとしてもハリスに連絡をしただろう。
少なからず人となりを知っている人物の方が良い。
「領主代行には気の毒ですが、お陰様で私の評価が改まりました」
「そうだろうな」
なんだかんだと皇族の権威は絶大だ。
皇族から頼りにされているとなれば評価も上がろうと言うものだ。
逆に相手にされなかった領主代行の評価はガクッと下がるだろう。
「……捕虜を引き渡したいとのことでしたが?」
「我々は先を急いでるからな」
「なるほどなるほど、分かりました」
ハリスは芝居がかった仕草で頷いた。
初めて会った時は実直そうな印象を受けたが、中立という立場を維持しながら美味しい所だけを持っていくとはなかなか強かな男だ。
まあ、美味しい所を持っていっているように見えるだけで、実際は苦労しているのかも知れないが。
「しかし、領地を荒らした下手人を保護ですか。なかなか骨が折れますね」
「上手く料理しろ」
「熟成しても?」
「構わんが、焦りすぎるなよ」
「待つのは得意ですので、ご安心下さい」
ティリアとアルフォートのどちらが勝つのか見極めてから捕虜の処遇を決定しても遅くはない。
軟禁しておけば領民に対して言い訳も立つ。
「自制も得意だとありがたいんだがな」
「もちろん、そちらも得意です」
ティリアが釘を刺すと、ハリスは微笑んだ。
「……あともう一つ」
「何でしょう?」
「部下を埋葬したい」
「第九近衛騎士団に滅ぼされた村をお使い下さい」
「すまんな」
「いえいえ、勇敢に戦った者に敬意を示すのは当然です」
ハリスは芝居がかった仕草で言った。
多分、道理を弁えた人物という評価を得られるとでも考えているのだろう。
「他にご用件は?」
「ないな」
「そうですか」
ハリスはゆっくりと立ち上がった。
そのまま外に出て行こうとしたが――。
「最後に……」
「何でしょう?」
ハリスは足を止めた。
「話が早くて助かった」
「私もです」
では、とハリスは天幕から出て行った。
「皇軍と話が付いた! 第九近衛騎士団の方々は私の名の下に保護するッ!」
ハリスの声が響き、バタバタという足音が響く。
「ふぅ、疲れたな」
「お疲れ様」
クロノはティリアを労った。
「何と言うか、凄い人だったね」
「良くも悪くもな」
ティリアは皮肉るように言った。
「皇軍の味方はしないが、最大限に利用する……なかなか面白い男だ」
「待つのは得意って言ってたけど、どれくらい待ってたんだろうね?」
「ずっと待ってたんじゃないか?」
「ずっと?」
「領主代行が病弱なのがハリスのせいだとしても不思議ではないな」
「後ろから刺されなけりゃ良いけど」
「この戦いが終わるまで保てば良い」
ティリアは頬杖を突き、興味なさそうに言った。
なかなか面白い男と言った直後なのに冷たいことだ。
まあ、クロノも似たようなものだが。
「さて、と」
ティリアは億劫そうに立ち上がり、体を伸ばした。
「……埋葬したら行軍再開だ。覚悟は良いか?」
「まあ、ね」
「それは良かった」
ティリアが歩き出し、クロノは後を追った。
※
南進九日目――ネカル子爵領を無事に通過。
※
南進十日目夕方――クロノは幌馬車の振動で目を覚ました。
どうやら眠ってしまったらしい。
視線を巡らせると、シオンと神官さんも船を漕いでいた。
起きているのは副官だけだ。
『大将、お目覚めで』(ぶも)
「見ての通りだよ」
欠伸をして、磯臭さに顔を顰める。
「どうにも磯臭さには慣れないね」
『あっしは大分慣れやした』(ぶも)
「羨ましいな」
『そう言われると、得した気分になりやす』(ぶも)
副官は愉快そうに肩を揺らした。
「港までもう少し掛かりそう?」
『そろそろ着くと思いやす』(ぶも)
「戦闘がなければ良いんだけど」
『先遣隊の報告通りなら問題ないと思いやす』(ぶも)
「そうだね」
先遣隊――ケインの報告によれば関所には数十人の将兵が詰めているらしい。
会話ができる程度に友好的なようだが――。
幌馬車が止まり、クロノは立ち上がった。
『あっしが先に』(ぶも)
副官が幌馬車から飛び降り、様子を見に行く。
『大将、大丈夫ですぜ』(ぶも)
クロノは幌馬車から下り、体を伸ばした。
幌馬車の陰から出ると、数十名の将兵は道なりに整列していた。
女性――ナム・コルヌが街道の中央を通り、近づいてくる。
ナム・コルヌは立ち止まり、艶然と微笑んだ。
「お久しぶりです、エラキス侯爵」
「どうも、ナム・コ――」
「ナムです」
「ナムさん、お返事は?」
「これだけの将兵を率いているのに返事が必要ですか?」
「ええ、もちろん」
「でしたら返事をしないといけませんね」
ナム・コルヌはクスクスと笑った。
「第十近衛騎士団は降伏し、商業組合は皇軍に協力することを誓います」
「思い切りましたね」
「ええ、カイ皇帝直轄領の代官を縛り上げてしまいましたから」
本当だろうか? とクロノは内心首を傾げた。
彼女ならば代官を抱き込むくらいのことはしてそうだが、それを疑っても仕方がない。
「味方と考えて良いんですか?」
「少なくとも敵ではありません。取り敢えず……」
「握手を交わせる間柄だと?」
「ええ、もちろん」
クロノはナム・コルヌが差し出した手を握り返した。




