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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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134/202

第13話『葬送』



 帝国軍との戦いから一夜が明け、開拓村は大勢の人々で賑わっていた。

 村の南側に集まっているのは開拓村の住人だけではない。

 シルバニアの住人、諸部族連合の傭兵、皇軍の兵士――その中にはエレインを始めとするシルバニアの重鎮の姿もある。

 流石に空気を読んだのか、エレインは喪服然としたドレスを着ていた。

 地味ながらも仕立ての良さそうなドレスだ。

 諸部族連合の人間としてこの場にいるというアピールか、シフとベアはエレインから離れた場所に立っていた。

 さらに皇軍を統帥するワイズマン先生もいるが、集まった人々が注目しているのはティリアである。

 彼らはティリアやエレインに視線を向けながら雑談に興じる。


「へ~、あれがティリア皇女か」

「あの隅っこにいるボロボロのマントを羽織っている男は?」

「様を付けな! 不敬罪でしょっ引かれるよ!」

「馬鹿、本当だって。俺はティリア様の下で戦ったんだ」

「ありがたやありがたや」

「あの黒いドレス?」

「平民を重視した政治をやろうとして皇位を奪われたんだそうだ」

「これで一生自慢できるな」

「黒いドレスはエレイン様だよ」

「帝国軍? 確かに怖かったけど、大したことなかったね」

「あのボロを着てるのがクロノ様だよ」


 喧噪は潮騒や雨音に似ている。


「……ボロじゃないよ」


 クロノはボソッと呟き、ティリアに視線を向けた。

 ティリアは白い軍服に身を包んでいる。

 白い軍服はそれなりの品なのだが、エレインのドレスに比べて格が落ちる。

 それでも、見劣りしているように見えないのは凜とした佇まいのせいだろう。

 極論、美人が着れば普通の服でもブランド品に見えるのだ。

 ボロであってもそういうファッションと思われる可能性が高い。

 そんな益体もないことをクロノが考えていると、ティリアがゆっくりと歩み出た。


「……皆に伝えることがある」


 ティリアが口を開くと、辺りは静まり返った。


「我々、皇軍は偽帝アルフォートが差し向けた2万人の将兵からなる軍団を撃退することに成功した!」

「おおッ!」


 ティリアが勝利を宣言すると、どよめきが広がった。

 皇軍が帝国軍に勝利したという情報は知れ渡っているはずだが、ティリアの口から聞かされると別の意味を持つようだ。

 クロノにしてみれば楽観できるような状況ではない。

 まだ初戦を制しただけだし、今回の戦闘では帝国軍に不利な要素――軍団が歩兵ばかりであったこと、士官と糧秣の不足、野戦陣地の存在、トレイス男爵の内通、ブラッド率いる騎兵の参戦など――が揃っていた。

 劇的な勝利に見えるが、帝国軍が一つだけでも不利な要素を克服できていれば皇軍は敗北していたかも知れない。

 とは言え、勝利を喧伝することは大事だ。


「この勝利は皇軍の尽力と彼らの献身なしには有り得なかった」


 そう言って、ティリアは手で背後にあった棺を指し示した。

 十基の棺は諸部族連合の傭兵のものである。

 昨日の損害は死者が十名、重軽傷者が三百五十名余り。

 重軽傷者の六割以上が諸部族連合の傭兵だ。

 諸部族連合の傭兵の大半が負傷したという意味である。


「アレオス山地のルー族と同様、帝国とベテル山脈のユー族、ムー族、フー族、ヌー族の間には遺恨があった」

「……」


 聴衆は黙ってティリアの言葉を聞いている。

 五つの部族は帝国に土地を追われた先住民だ。


「だが、彼らはその怒りを呑み込んでくれた! 私達の理想を実現するため、エラキス侯爵領とカド伯爵領に住む人々の命と財産を守るために命を懸けてくれたのだ!」

「おおッ!」


 ティリアの言葉に聴衆はどよめき、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 諸部族連合の民は照れ臭そうに笑ったが、シフは無表情だ。


「……静かに」


 ティリアが手で制すると、再び沈黙が訪れた。


「先日、私は国家に忠誠を誓う限り皇帝の前では貴族も、平民も、人間も、亜人も、娼婦も、奴隷も、異民族ですら等しい価値を持つと言った! 彼らは忠誠を示した! 故に私は彼らを帝国の民として受け入れる! 彼らもまた愛すべき臣民である! 異論のある者は前に出よ!」

「……異論のある者などおりません」


 答えたのはエレインである。

 ティリアのみならず、エレインまで諸部族連合の民を受け入れると言っているのだ。

 ここで異論を唱えられるのは肝の据わった人物か、空気を読めない者だけだ。

 幸い、この場にはどちらもいないようだ。


「宜しい。今日より彼らは帝国の臣民である。だが、これは忠誠の対価に過ぎない。私は十人の英雄に報いなければならない。騎士アーサー、あれを」

「はっ!」


 騎士アーサーことワイズマン先生は歩み出ると小箱を差し出した。

 ティリアは小箱を開け、獅子をモチーフとした勲章を取り出した。


「我が国には、獅子は死して皮を留め、人は死して名を残すという言葉がある。それにちなんでこの勲章……傷付いた獅子の勲章を創設した」

「おおッ!」


 聴衆がどよめく。

 こっちでは獅子なのか、とクロノは勲章を見つめた。


「シフ、諸部族連合を代表してお前が受け取ってくれ」

「はっ!」


 シフはティリアの前に立ち、帝国式の敬礼をした。


「これからもお前達の忠誠に期待する」

「はっ、我々はいかなる時も帝国に忠誠を誓います!」


 ティリアは優しく微笑み、手ずからシフの胸に勲章を付けた。

 割れんばかりの拍手が巻き起こり、シフは誇らしげに胸を張った。

 諸部族連合の民もまた胸を張っていたが、その中には涙を流す者もいた。

 咳き込むように嗚咽している。

 無理もない。

 長い間、諸部族連合は冷遇されてきた。

 それがようやく報われたのだ。


「それと、これは個人的な贈り物だが……」


 そう言って、ティリアは手を差し出した。

 ここからではよく見えないが、何を握っているかは分かっている。

 それは植物の種だ。


「……『純白にして秩序を司る神』よ」


 祈りを捧げると、種が一気に成長する。

 神威術の力で成長を促進しているのだ。

 どういう理屈で成長に必要な栄養を賄っているのか分からないが、答えられるのは神官さんくらいだろう。

 やがて、いくつもの白い花が咲いた。

 かすみ草のような花はカリスがベテル山脈から持ってきたものである。


「おお、これは……」

「この花はベテル山脈に咲く花だと聞いた。私はお前達にここを第二の故郷と定めて欲しいと考えているが、生まれ故郷には格別な思いがあるだろう。これを供えたい」

「ありがとうございます。彼らも喜んでいることでしょう」


 シフが深々と頭を下げると、ティリアは手ずから棺に花を供えた。

 その時、馬のいななきが響き渡った。


「ティリア皇女!」

「馬をお連れしましたぞ!」


 マンチャウゼンとアロンソが二頭の馬を連れて棺桶の前にやって来た。


「ご苦労!」

「はっ!」


 マンチャウゼンとアロンソは背筋を伸ばして敬礼し、ティリアは白馬に飛び乗った。


「これより葬送を行う!」


 諸部族連合の傭兵が棺に歩み寄り、軽々と持ち上げる。

 これからシルバニアの街を練り歩き、開拓村の一角に掘られた墓穴に埋葬する。


「シフ、馬には乗れるな?」

「不慣れですが……」

「十分だ。流石に下賜する訳にはいかんが、この馬に騎乗し、葬送に参加せよ」

「はっ!」


 シフはアロンソから手綱を受け取り、実に手慣れた動作で馬に乗った。

 これで不慣れなら自分は何なのだろう、とクロノは思った。

 さらに二人の老騎士が二頭の馬を連れてくる。

 一頭はワイズマン先生用、もう一頭は――。


「……クロノ君、大丈夫かい?」

「そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫ですよ」


 クロノはワイズマン先生に答えた。


「ベアさんに手綱を引いて貰うことになっています」

「だから、乗馬の練習をしておけと」


 ワイズマン先生は血を吐くような声で言った。

 そんな声を出すくらいなら葬送――シルバニアの街を練り歩くというアイディアが出た時に止めて欲しかった。


「練習はしていたんですよ」

「なら、どうして?」

「何と言うか、騎乗スキルがないみたいで」

「何を言ってるんだ、君は」


 ワイズマン先生は顔を覆った。

 軍学校を卒業する間際もこんな感じだったな~、とクロノは空を見上げた。


「エラキス侯爵、どうぞこちらに」

「はい、今いきます」


 クロノはベアの手を借り、馬に乗った。

 視界が高くなり、気分が良い。


「では、行くぞ!」


 ティリアの号令に従い、葬列は進み始めた。



「は~、疲れた」


 クロノは溜息を吐き、野戦陣地を歩く。

 馬防柵の向こうでは部下達――義勇兵ではなく、正規兵の方だ――が帝国軍の死体を片付けていた。

 陣頭指揮を取っているのは副官だ。

 塹壕を乗り越え、馬防柵の隙間を通り抜けると、副官がこちらを見た。


『大将、お疲れ様でさ。あっちはどうだったんで?』(ぶも)

「まあ、上手くいったよ」


 クロノは制服の第一ボタンを外し、襟元を緩めた。

 大盛況と言って良いのか、葬送は大変な盛り上がりだった。

 シルバニアの住人は道に列をなし――その大部分はティリア目当てだったようだが――十人の英雄を見送った。


「多分、あれで諸部族連合は受け入れられるだろうし、国家に忠誠を誓うことは名誉だと思われるはずだよ」

『身も蓋もないことを言いやすね』(ぶも)

「事実だからね」


 副官は溜息交じりに言い、クロノは肩を竦めた。

 自分達も、諸部族連合も死を利用したのだ。


「そっちはどう?」

『数が多いんで、作業はあまり進んでいやせんね』(ぶも)

「そうだろうね」


 クロノは頷き、野戦陣地を見つめた。

 馬防柵の手前には夥しい数の死体が転がっている。


「数は?」

『五千を超えてやす。決戦前の死者を含めれば八千って所でさ』(ぶも)

「八千か」


 こちらの戦死者は十名だったので、数字だけ見れば圧勝だが――。


「馬防柵を乗り越えられてたらマズかったね」

『ちょいと思ったんですが、陣地を縦層にしちゃどうですかね?』(ぶも?)

「縦層?」

『奥にもう一つ陣地を作って、手前のと繋げるんでさ。一つ目が突破されても二つ目があるって寸法でさ』(ぶもぶも)

「良いアイディアだね」


 ワイズマン先生に頼んでみよう、とクロノは心のメモ帳に副官のアイディアを書き留める。


「他はどう?」

『装備をかっぱぎにくるヤツらがいやした』(ぶも)

「先生とミノさんの言った通りか」


 クロノだって戦場で死体漁りが行われることがあると知っているが、部下から聞かされると暗澹たる気持ちになる。


「落ち武者狩りは?」

『そっちもありやした』(ぶもぶも)

「そっちもか~」


 クロノは深々と溜息を吐いた。

 やはり、これも部下から聞かされると暗澹たる気持ちになる。


『一応、金を払っておきやしたがね』(ぶも~)

「こういうのも備えあれば憂いなしって言うのかな~」


 念のためにお金を渡しておいたのだが、まさか本当に死体を換金しようとする者が出てくるとは――。


「うちの領民じゃないよね?」

『トレイス男爵領出身と言ってやしたが』(ぶも)


 副官は皮肉げに口角を吊り上げた。

 確かめる術はあるが、非常に手間が掛かる。


「死体は何処?」

『こっちに纏めてありやす』(ぶも)


 クロノは副官に先導され、死体を置いてある場所に案内される。

 そこは戦場と街道の境界だ。

 累々と横たえられた死体を見ていると、気分が沈んでくる。


「手前はルーカス・レサト伯爵か」


 クロノはルーカスの遺体を見下ろした。

 苦悶の表情を浮かべているが、それ以外は驚くほど綺麗な死体だ。

 傷は手の甲にあるものだけだ。


「病気だったんだろうね」


 兵士を鼓舞するためにか、ルーカスは走り出し、その途中で倒れた。

 恐らく、肥満で心臓に負担が掛かっていたのだろう。


「こう言っちゃなんだけど、病気で良かったよ」

『あっしもでさ』(ぶも)


 夜ごと繰り返した嫌がらせは予想外の効果を発揮していたようだ。


「買った死体は?」

『こっちでさ』(ぶも)


 副官に案内された先にも死体があった。

 ただし――。


「……酷い有様」


 クロノは顔を覆って呻いた。

 そこにある死体は酷く損傷していた。

 ルーカスを除き、横たえられている死体は損傷が激しい。

 だが、目の前にある死体はそれ以上に損傷している。

 頭が倍ほどに腫れ上がっているもの、全身が痣に覆われているもの、皮膚が焼け爛れているもの、指がないものまである。


「やっぱり、私刑リンチ?」

『大将、分かり切っていることを聞かれても困りやす』(ぶも)

「否定の言葉が聞きたくてさ」


 クロノは溜息を吐いた。


『村を一つ滅ぼすような真似をすりゃこうなりますぜ』(ぶも)

「逞しいね」


 農民は虐げられているだけではなく、機会があれば虐げる側に回るのだ。


「明日は我が身か」

『縁起でもないことを言わんで下せぇ』(ぶも)

「大事でしょ?」

『そんなことにならないようにするのが指揮官ってもんですぜ』(ぶも)

「分かってる。精々、お行儀の良い軍隊って評判を立てないとね」


 嫌われ者を攻撃するのは簡単だが、人気者を攻撃するのは難しい。

 つまり、そういうことだ。

 それにしても、とクロノは私刑にあって殺された近衛騎士を一瞥した。


「どう処罰すれば良いんだか」

『トレイス男爵に丸投げするしかありやせんぜ』(ぶも)

「だね」


 トレイス男爵領で起きたことなのだから領主に対応を任せるべきだろう。


「取り敢えず、埋葬を続けようか?」

『分かりや――』(ぶ――)


 副官はピクッと耳を動かし、野戦陣地を見つめた。

 釣られて視線を動かすと、エレナがこちらに近づいていた。

 塹壕に落ちたのか、泥だらけだ。

 それにしても、どうしてエレナがこんな所にいるのだろう。

 そんなことを考えている間にエレナはクロノの前に立っていた。


「どうしたの?」

「死体を見に来たのよ」


 クロノは思わず副官に目配せした。

 ちょっと変わった所があると思っていたが、まさか死体を見る趣味があるなんて思わなかった。


「誤解しないで。興味本位じゃないわ」

「じゃあ、どうして?」

「フィリップのことを忘れた訳じゃないでしょうね?」

「フィリップ?」

「あたしの元婚約者! あたしの両親を殺して、あたしが奴隷になる切っ掛けを作ったヤツよ!」


 クロノが鸚鵡返しに尋ねると、エレナは苛立ったように叫んだ。


「ああ、いたね」

「なんで、忘れるのよ?」

「だって、舞踏会で一回あっただけだもの」


 エレナは不満そうにしているが、クロノにとっては一回会っただけの相手だ。


「その時に喧嘩を売ってたでしょ?」

「うん、まあ、売ったね」

「なのに、どうして忘れるのよ?」

「印象が薄いんだもの」


 舞踏会で出会って以来、フィリップはクロノの人生に関わっていないのだ。

 どうしたって、記憶は薄れる。


「まあ、良いわ」


 そう言って、エレナはフィリップの死体を探し始めた。

 と言っても前傾になり、死体に対して平行に移動するだけだ。


「ミノさん、部下の監督を任せて良い?」

『構いやせんぜ』(ぶも)


 クロノはエレナの背後に立つ。


「そう言えば仕事は?」

「休暇を貰ったのよ。もうあたしは奴隷じゃないんだから当然の権利でしょ?」

「奴隷だった時だって休むなとは言ってないけどね」


 死体を探すために休暇を取るのはどうかと思うが、それを言っても仕方がない。

 しばらくしてエレナはある死体の前で立ち止まった。

 頭が無惨に変形した死体だ。

 白い軍服は乾いた血で染まり、指は一本欠けている。

 奇跡的にと言うべきか、顔半分は無事なままだ。

 何となく見覚えがあるような気がする。


「……それがフィリップ?」

「ええ、そうよ」


 エレナはジッとフィリップの死体を眺めている。

 どれくらい眺めていただろうか。

 意外ね、とエレナはポツリと呟いた。


「何が?」

「もう少し何かあるのかと思ったのよ」

「皆が皆、劇的に死ねるって訳じゃないからね」


 大抵の場合、あっさりと死ぬのだ。


「あたしはもっと嬉しいもんだと思ってたわ。色々な感情が込み上げてきて、涙が出るものだと思ってたの」

「で、感想は?」

「ちょっとだけモヤモヤするけど、こんなもんかって感じね」


 エレナは体を起こし、小さく溜息を吐いた。


「あたしの知らない所で陰謀を画策して、あたしの知らない所で死んだ。最期まで碌でもない男だわ」

「石でも投げてみる?」

「良いの?」

「部下に真似されると困るから基本的に駄目」


 お行儀の良い軍隊と思われたいのだ。

 だから、正規兵を使って死体の埋葬作業を行っている。


「じゃあ、聞かないでよ」

「区切りは必要でしょ?」

「そういう区切りはいらないわ。でも、区切りは大事かもね」


 ふっ、とエレナは笑った。


「ね、ねぇ?」


 エレナは顔を真っ赤にしてクロノを見上げた。

 スカートを掴んでいる。


「ねぇ?」

「茂みがあるからそこで」

「茂みッ?」


 エレナは驚いたように目を見開いた。


「誰も見てないから大丈夫だって」

「そ、そうね」


 エレナは俯き、森に向かった。

 と思いきや、途中で引き返してきた。


「どうして、来ないのよ?」

「僕はトイレに行きたくないし」

「そんな訳ないでしょ!」


 エレナは顔を真っ赤にして吠えた。

 戦場に響き渡るほどの大声だ。

 あまりの大きさに副官がこちらを見ている。


『どうかしやしたか?』(ぶも?)

「どうもしないよ!」

『分かりやした!』(ぶも!)


 副官は大声で答え、陣頭指揮に戻った。


「トイレの話なんて誰もしてないでしょ!」

「じゃあ、何の話なの?」

「そ、それは……」


 エレナは恥ずかしそうに俯き、ゴニョゴニョと何事かを呟いた。


「何の話?」

「区切りの話よ! フィリップが死んだからご褒美にやらせてあげようと思ったの!」

「死体を見てなんて――」

「違うわよ!」


 エレナは声を荒らげた。


「それは分かったけど、この状況からどう察しろと」

「そこは、ほら、長い付き合いじゃない」

「いやいや、無理だから」


 長い付き合いだが、エレナがそこまでぶっ飛んだ思考回路だとは思っていない。


「で、どうなのよ?」

「区切りか」


 クロノはしみじみと呟いた。

 そろそろ、次のステージに進む頃合いなのかも知れないが――。


「あまり乗り気じゃなさそうね?」

「乗り気じゃないと言えばそれかも」

「どうしてよ? あたしは晴れて自由の身だし……アンタのことが、好きなんだから自然な流れでしょ?」


 エレナは恥ずかしそうに顔を背けて言った。


「そうなんだけど」

「煮え切らないわね」

「そうは言うけど、特化型を汎用型に切り替えるのは勇気がいるんだよ。現実はノーセーブ、ワントライな訳だし」

「? ――ッ!」


 エレナは不思議そうに首を傾げていたが、しばらくして言葉の意味に気付いたらしく真っ赤になった。


「こ、この変態!」

「そこは、ほら、長い付き合いなんだからさ」

「分かるけど! アンタがそういうヤツだって分かるんだけど……ああ、もう!」


 エレナは頭を抱え、その場に座り込んだ。



 翌日、侯爵邸の会議室にはティナ・シェラタン子爵、メサルティム男爵、ボサイン男爵が集まっていた。

 自発的に集まったのではなく、ティリアの招集に応じたのだ。

 アルフォートに知られれば謀反人扱いされるのは間違いないが、三人はそれを承知でこの場にいる。

 扉が開き、ティリアがトレイス男爵とブラッドを従えて会議室に入ってきた。

 驚いているようには見えない。

 招集した時はブラッドについて説明していなかったので、三人とも独自のルートで情報を入手したのだろう。


「待たせたな。では、会議を始めるとしよう」


 ティリアが席に着くが、トレイス男爵とブラッドは背後に控えたままだ。


「とその前にトレイス男爵から話があるそうだ」

「は、はい」


 トレイス男爵はハンカチで額を拭いながら歩み出た。

 ハンカチは汗を吸い、ぐっしょりと濡れている。

 忙しなく目を動かしていたが、しばらくしてギュッと目を閉じた。


「じ、実は……私は帝国軍がやってきた時に無防守を宣言した」


 絞り出すような声音だ。


「だ、だが、我が身可愛さのことではない! 領民を守るためだ! たった千人の兵士で二万人の将兵に勝てる訳がない! そもそも、アルフォート陛下に、いや、偽帝アルフォートに逆らえばその千人の兵士が私に剣を向けていたやも知れないのだ! だというのに帝国軍は村を滅ぼした! 男を殺し、女を犯し、火を放ったのだ! 人面獣心の鬼畜どもを信じた私が馬鹿だった! 悔やんでも悔やみきれない!」


 トレイス男爵が捲し立てるように言い、メサルティム男爵、ボサイン男爵は同情するかのような視線を向けた。


「それは我々を支持してくれるということで良いか?」

「父祖に誓って!」


 トレイス男爵は声を張り上げた。

 その表情は先程と打って変わって晴れ晴れとしている。


「次はブラッドだな」

「はっ!」


 ブラッドは歩み出ると敬礼した。


「私は謀反の疑いを掛けられ、そのまま部下と共に出奔して参りました」

「心当たりはあるか?」

「ございません。強いて言えば経済同盟に参加したことくらいです」


 ブラッドは力なく笑った。


「お前の意思を確認したい」

「今更という気はしますが、名誉を回復するため、帝国のために参陣したく存じます」


 うむ、とティリアは満足そうに頷いた。


「二人の忠節を嬉しく思う。私が皇位に就いた際には名誉ある待遇を約束しよう」

「はっ!」

「ありがたき幸せ」


 ブラッドは見事な敬礼で、トレイス男爵は深々と頭を垂れた。


「トレイス男爵とブラッド……ハマル子爵は参陣を決意してくれた訳だが、お前達はどうする?」


 ティリアは視線を巡らせた。

 真っ先に口を開いたのはティナである。


「私の答えは決まっています。ティリア皇女の掲げる理想を支持したく存じます」

「お前の気持ちは嬉しいが、大隊の掌握は済んでいるのか?」

「はい、叔父が……」


 ティナははにかむような笑みを浮かべた。


「メサルティム男爵とボサイン男爵はどうか?」

「理想を支持したいと考えておりますが、軍の掌握がまだ済んでおりません」

「私も」


 二人は申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「掌握できるのか?」

「数日頂き――」

「あと二、三日もあれば」


 メサルティム男爵の言葉をボサイン男爵が遮った。


「私も二日ほど頂ければ掌握できると存じます」

「分かった。二人とも期待しているぞ。その時は名誉ある待遇を約束しよう」

「では、私は一旦領地に戻らせて頂きます」

「私も。大隊を掌握できぬまま軍議に参加するほど恥知らずではありません」


 メサルティム男爵とボサイン男爵は立ち上がり、足早に会議室から出て行った。


「さて、私達が立てた作戦について簡単に説明しよう」


 ティリアは厳かに宣言した。



「……ふぅ」


 ティリアは執務室のイスに腰を下ろし、小さくを息を吐いた。


「戦というものは面倒なものだな」

「何を今更」


 ティリアがぼやくように言い、クロノは溜息交じりに答えた。

 最近、溜息ばかり吐いているような気がするが、干戈を交えなくても戦争に関わることをしていれば消耗するものだ。


「ともあれ、これで勝ち目が出てきたな」

「勝てるとは言わないんだね?」

「私はそこまで傲慢じゃない。それに……帝国軍にはレオンハルトがいるからな」

「まあ、確かに」


 クロノは親征――イグニスが自陣に斬り込んできた時のことを思い出した。

 この世界では卓越した個人が戦況を左右し得る。


「皇軍的にはティリアの首を取られると敗北確定なんだよね」

「さらりと怖いことを言うな!」


 ティリアは叫び、首を押さえた。


「まあ、それは相手も一緒なんだけど」

「結局、皇位継承権争いだからな。ところで、お義父とう様から連絡はあったか?」

「……まだだよ」

「なんだ、その間は?」

「いや、お義父さんって呼ぶのは早くない?」

「遅すぎるくらいだ」


 せめてもの抵抗を試みるが、ティリアは取り合ってくれなかった。


「まさか、お前は責任を取らないつもりか?」

「責任は取るよ」

「そうか」


 ティリアはホッと息を吐き、嬉しそうに口元を綻ばせた。

 その様子を見ていると、自分がとてつもない悪人のような気がしてくるから不思議だ。


「そう言えばトレイス男爵領なんだけど、毒物の混入について何か言ってた?」

「身の潔白を訴えていたぞ」

「ティリアはどう思う?」

「トレイス男爵が毒物の混入を指示したのならばアピールしてくるんじゃないか?」

「まあ、そうかも」


 軍事行動の許可を求めた時にあれだけ面子に拘ったのだ。

 むしろ、農民や兵士が毒物を混ぜたと考える方がしっくりくる。


「毒物の混入と近衛騎士を殺した件についてはどうするって?」

「何もしないそうだ」

「碌でもないね」

「そう言ってやるな。トレイス男爵は一杯一杯なんだ」

「それは分かるけどね」


 整合性を取ろうとして何もできなくなっているという印象を受ける。

 まあ、それはこちらにも言えることなのだが――。


「それで、手紙の件だが……南辺境と連携が取れないのは痛いな」

「手紙を遣り取りするだけで二ヶ月も掛かるからね」

「クロノはどう思う?」

「乗ってくれるとは思うんだけど……」

「実は親子仲が悪かったりするのか?」

「僕の父さんとティリアのお母さんがね」

「どういうことだ?」

「実は……」


 クロノが養父とアストレア妃の間にある因縁を説明すると、ティリアの顔色はどんどん悪くなっていった。


「それは……協力してくれないんじゃないか?」

「ティリアに対して悪い感情は持ってないと思うから大丈夫だよ」


 多分、と心の中で付け加える。

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