第12話『正義』その4
※
「い、いか――伏せろッ!」
ルーカスは喉が裂けんばかりに叫んだが、その無意味さを理解していた。
刻印術士が投擲した槍が弓兵の後方に次々と突き刺さる。
槍を包む光が激しく明滅した次の瞬間、衝撃波が弓兵と重装歩兵を吹き飛ばした。
そこに敵弓兵の放った矢が降り注ぎ、短い悲鳴が断続的に響いた。
刻印術士達はさらに槍を投擲する。
槍が部隊の後方に突き刺さり、衝撃波が弓兵と重装歩兵を吹き飛ばした。
敵弓兵の放った矢が降り注ぎ、短い悲鳴が断続的に響く。
まるで時間が繰り返されているようだ。
「歩兵! 突撃せよ!」
「軍団長!」
「なんだッ?」
フィリップが叫び、ルーカスは振り返った。
今度は何が起きたと言うのか。
「前に出すぎです!」
「――ッ!」
ルーカスは息を呑み、周囲を見回した。
フィリップの言う通り、いつの間にか前線に近づいていた。
だが、前に出ずにどうやって指示を出せと言うのか。
パンッ! という音が頭上から響き、ルーカスは反射的に腕で顔を庇った。
手の甲に痛みが走る。
泥塗れの釘が突き刺さったのだ。
釘を引き抜き、血を吸って吐き出す。
何が起きたのかと刻印術士を睨むと、彼らは何かを投げていた。
一言で言えばそれは棒の生えた玉だ。
玉が空中で炸裂し、破片が飛び散った。
「軍団長!」
フィリップの制止を無視し、近くに飛んできた破片を手に取る。
「……これは陶器か?」
内側には泥がこびりついている。
恐らく、陶器の内側に泥と釘を詰めていたのだろう。
空中で、隊列の中で音が響き、釘で貫かれた歩兵が悲鳴を上げた。
「突撃せよ! ヤツらは少数だ! お前達の行動が友軍の被害を抑えると心得よッ!」
「おおおおッ!」
ルーカスの命令に従い、歩兵が雄叫びを上げて突っ込んで行く。
このような状況にもかかわらず、彼らが示した勇猛さに心を揺さぶられた。
対応しなければならないと考えたのか、刻印術士は隊列を組んだ。
ルーカスは目を細めた。
周囲の景色が揺らいでいた。
悪寒が背筋を這い上がる。
内乱期に侵入してきた蛮族と戦ったことがある。
あの時は基本的に一対多数だった。
勇猛さを示すためか、蛮族の戦士は一人で戦うことを好んだ。
事前に入手した情報と装備品から、あの刻印術士がベテル山脈の傭兵だと分かる。
傭兵――つまり、自分の知る蛮族とは違う戦い方をするかも知れないということだ。
ルーカスは制止を躊躇した。
あと少しで刻印術士に手が届くのだ。
それが間違いだった。
炎が膨れ上がり、歩兵達に押し寄せた。
「ギャァァァッ!」
「ひぃぃぃぃッ!」
悲鳴が上がり、歩兵が地面を転げ回る。
見た目は派手だが、死んだ者はいないようだ。
炎が収まると、刻印術士はこちらに背を向け、森に向かって駆け出していた。
「逃がすか!」
後列にいて被害を免れた歩兵が刻印術士を追い――次の瞬間、地面に呑み込まれた。
突然、地面が陥没したのだ。
幸いと言うべきか、陥没の規模は小さく、落ちた歩兵は少数だ。
「……そういうことか」
先程の炎は落とし穴を作る目眩ましを兼ねていたのだ。
ルーカスは舌打ちし、戦場を見渡した。
重装歩兵と弓兵は壊滅、後詰めとして用意した歩兵の半分が死傷した。
「……軍団長」
「態勢を立て直す」
『攻撃止め!』(ぶも!)
まるでこちらの遣り取りを聞いていたかのようにミノタウルスが攻撃を中止させた。
「……チッ」
「……うぅ」
ルーカスは舌打ちし、呻き声を聞いた。
声のした方を見ると、重装歩兵と弓兵が動いていた。
「くそッ、落とし穴に落ちるなんて」
地面に呑み込まれた歩兵が文句を言いながら這い出す。
「怪我人を救助せよ!」
「罠かも知れません」
「この、臆病者めが!」
ルーカスはフィリップを怒鳴りつけ、重装歩兵と弓兵の下に向かった。
流石に騙し討ちをするつもりはないらしく攻撃を仕掛けてこない。
歩兵が脇を擦り抜け、負傷者に駆け寄る。
ルーカスは立ち止まり、改めて戦場を見回した。
惨憺たる有様だが、死者は数えるほどしかいないようだ。
「……どういうことだ?」
「亜人が好きなんでしょう」
独り言のつもりだったのだが、フィリップが嫌悪感を滲ませて言った。
「何を言っているんだ?」
「エラキス侯爵のことですよ。あの男は女好きで有名なんです」
「何を言っているんだ、お前は?」
ルーカスは同じ質問を繰り返し、フィリップを見つめた。
エラキス侯爵が女好きという噂は聞いた覚えがある。
だが、命の遣り取りをしているのにそれで手心を加える訳がない。
それに歩兵の中には亜人だけではなく、人間もいたではないか。
「本当のことです。女の奴隷だっている」
「だから、どうしたと言うのだ?」
フィリップが何を言いたいのか、さっぱり分からない。
「事実をお伝えしただけです」
「亜人は殺されない? どういうことだ?」
部下の一人がフィリップに歩み寄った。
「エラキス侯爵は――」
「止めんか!」
ルーカスはフィリップの言葉を遮った。
「近衛騎士ともあろう者が憶測を語ってどうする! 二度と憶測を語るな! これは命令だ!」
「……はい」
フィリップは不満そうな表情を浮かべて頷いた。
流言飛語は戦場に付きものだが、仮にも近衛騎士が流言を口にするなど度し難い。
確かに自分は若者を腐らせたが、それにしたって限度がある。
副官と言い、フィリップと言い、軍学校はどんな教育を施しているのか。
※
「ケイン隊長、敵輜重隊が村を離れました」
「よく見えるな」
ケインは馬上からレイラが見ている方角を見つめた。
敵輜重隊が村を離れたと言われて見ればそんな気がするが、ケインの目には黒い塊が街道を南下しているようにしか見えない。
「これでも、エルフの血を引いてますから」
「……そうか」
エルフと言ってもレイラはハーフエルフだ。
ハーフエルフだからどうこう言うつもりはないのだが、どうにも言葉が出てこない。
「追撃でありますか? 追撃でありますね!」
「違ーよ」
フェイがムフーと鼻から息を吐き、ケインは突っ込みを入れた。
部下はフェイが指揮官として成長していると言ったが、本当に成長しているのかと思ってしまう。
まあ、ケインが復帰したせいでタガが外れたのかも知れない。
「レイラ、敵の人数は?」
「五百人程度だと思います」
「相手にとって不足なしであります!」
「不足なしどころか、荷が重いだろ」
フェイはやる気満々だが、こちらの戦力は五十六騎――軽騎兵が三十騎、弓騎兵が二十六騎だ。
「やってやれなくない数であります」
「そりゃ、やってやれなくはねーよ」
作戦次第で大きな損害を与えることはできるが、全滅は難しい。
「けど、こっちには縛りがあるからな」
「物資ですね」
「そういうことだ」
交渉の結果、トレイス男爵領を自由に動き回れるようになったが、あくまでこれは秘密裏に交わした約束だ。
トレイス男爵が帝国軍に疑われるような行動――物資の集積所を作ったり、街道で行商人組合から物資を受け取ったりする――を避けなければならない。
「メルサティム男爵領と言い、トレイス男爵領と言い、面倒臭いでありますねぇ」
「そう言うなって」
フェイが嘆息し、ケインは苦笑した。
ケイン達はメルサティム男爵領を経由して来たのだが、夜陰に紛れて移動するという約束を守らなければならなかった。
「皇軍はお行儀の良い軍隊って思われなきゃならねーんだ。小綺麗な方が支持されるからな」
「クロノ様は汚れ仕事を担当していますが?」
「俺達が欲しいのは領主と民衆の支持だからな」
ケインは天を仰いだ。
「何だかダブルスタンダードでありますね」
「軍隊に対する嫌がらせは許容範囲内だ」
要するにどちらが綺麗に見えるかという話だ。
「単なる嫌がらせじゃなく、姫さんを皇位に就けるために汚れ仕事を請け負ってるからな。勝てば美談として残るぜ」
「むッ!」
「どうしたんだ?」
「その後、真実が明らかになり、クロノ様の名声は地に落ちるでありますね。上げて上げて落とす。分かるであります」
フェイは神妙な面持ちで頷いた。
「さて、これからどうするでありますか?」
「レイラ、連中は井戸の水を汲んでいたか?」
「いえ、汲んでいません」
「まあ、そうだよな」
現在、皇軍と帝国軍は森の中で戦っているが、そこに井戸は存在しない。
輜重隊が水を運ばなければならないのだが、往路で水を汲めば余計な労力を費やすことになる。
復路で水を汲むのが合理的だ。
「行くか」
「後ろから襲い掛かる訳でありますね」
「フェイ、お前は騎士だよな?」
「もちろんであります」
フェイは誇らしげに胸を張ったが、騎士が背後から斬りかかるのはどうかと思う。
いや、出会った時の彼女ならば正面から迎え撃つと主張していただろうから、これも成長かも知れない。
それにしても――。
「クロノ様に似てきたな」
「お誉めに与り、恐悦至極であります」
「誉めてねーんだが」
ケインはこめかみを押さえた。
「まあ、クロノ様とも長い付き合いでありますからね。多少は影響されるでありますよ」
「多少?」
「多少であります」
どう考えても多大な影響を受けているように見えるが、フェイの主張は異なるようだ。
「ところで、襲撃はどのタイミングでするのでありますか?」
「襲撃は糧秣を運んでいる時だ」
「では、どうして村に行くのでありますか?」
「井戸を使えなくする」
「毒、でありますね?」
フェイが悪役じみた表情を浮かべる。
「お前は本当に騎士か?」
「先程も言った通り、騎士であります」
「……そうか」
ケインは天を仰いだ。
まあ、考えてみれば立ち居振る舞いはエレインの方が洗練されているし、礼儀作法にも詳しい。
「咲き誇り、散り急ぐばかりが騎士ではないのであります」
「誰の受け売りだ?」
「マンチャウゼン殿であります」
「……あの爺さんか」
ケインはマンチャウゼンを思い出して呻いた。
「ケイン隊長、どのように井戸を使えなくするのですか?」
「最初は糞をぶち込んでやろうと思ったんだが……」
「お行儀の良い軍隊とは程遠いでありますねぇ」
「だな」
フェイの言葉にケインは頷いた。
井戸を使い物にならなくしたら村は復興できなくなってしまう。
「だから、大きめの石をいくつもぶち込んでやろうと思ってよ」
「それではすぐに使えるようになってしまうのではないでしょうか?」
「要は時間稼ぎができりゃ良いんだよ」
井戸を復旧させるために部隊を分ける可能性もあるが、水不足で帝国軍を苦しめられるのだからそれはそれで構わない。
「分かったら行くぞ」
「了解であります!」
「了解です」
ケインは部下を率いて帝国軍に滅ぼされた村に向かった。
※
ルーカスは倒木に腰を下ろして戦場を睨む。
睨み合っているのは両軍も同じだ。
一度目の攻撃に失敗してから帝国軍は反乱軍と睨み合っていた。
矢が飛び交うことも、干戈を交えることもないが、これもまた戦争だ。
そろそろか、と茜色に染まった空を見上げる。
「一旦、退け! 野営の準備をせよ!」
ルーカスが立ち上がって叫ぶと、歩兵がぞろぞろと後退を始めた。
秩序だった後退ではない。
反乱軍が攻めてきたら大きな被害を受けるが、ルーカスは野戦陣地の兵士が攻めてくることはないと確信を抱いていた。
ルーカスは戦場に背を向けて歩き出した。
しばらく進むと、百人ほどの歩兵が街道脇に座り込んでいた。
全身が泥と血で汚れている。
年嵩の男――部隊長として任命した男だ――に歩み寄り、その傍らに跪く。
ルーカスは立ち上がろうとした男を手で制する。
両軍が睨み合っている間、彼らは任務を遂行していたのだ。
立たせるのは酷というものだろう。
「座ったままで構わん。報告しろ」
「森の中は罠だらけです」
「そうか」
男が呻くように言い、ルーカスは静かに頷いた。
半ば予想していたことだった。
「迂回できるか?」
「難しいと思います。お……私達は罠を見破る訓練を積んでいません。慎重に進んでもこの様です」
男は泥と血に塗れた部下に視線を向けた。
「半分がやられました。それでも、何とか森の奥にある拠点に辿り着いたんですが……」
「すでに撤退した後か」
「ええ、もぬけの空でした。一応、破壊しておきましたが」
「数を頼りに……いや、これは悪手だな」
「私もそう思います」
罠だけならば数を頼りに突破できるかも知れないが、火計を仕掛けられたらおしまいだ。
「ご苦労だった。今日はゆっくりと休め」
「ありがとうございます」
立ち上がり、自分の天幕に向かう。
すると、フィリップが駆け寄ってきた。
「……軍団長」
「なんだ?」
「水が足りません」
フィリップは責めるような声音で言った。
ルーカスが水で傷を清めるように指示したことを非難しているのだ。
だが、あれは必要な措置だった。
傷をそのままにしておけば破傷風になり、場合によっては命を落とすことになる。
「自分で取りに行こうとは思わんのか?」
「大八車は輜重隊が持っていってしまったではありませんか」
「ならば霧を使えば良い」
「どう使えば?」
「霧を吸った天幕を絞れば良いではないか」
「……」
フィリップは顔を顰めたが、内乱期にはこの方法で喉の渇きを凌いだものだ。
「病気になります」
「ならんよ。精々、腹を下す程度だ」
フィリップはムッとした表情を浮かべた。
「傷痍兵はどうするつもりですか?」
「……」
ルーカスが押し黙ると、フィリップは嘲笑するかのような表情を浮かべた。
「連中は足手纏いです。戦えないばかりか、無駄飯を食らう」
「それでも、お前は士官か?」
「勝つための提案をしているのです」
「……お前という男は」
ルーカスはフィリップの提案に目眩すら覚えた。
彼の発言はルーカスを虚仮にするためのもので、深く考えてのものではないだろう。
部下に後ろから刺される可能性を考慮していたのならば絶対に出てこない発言だ。
「分かった。傷痍兵には私から後方に下がるように伝えよう」
「ありがとうございます」
「……」
ルーカスはフィリップのにやけ面に拳を叩き込みたいという気持ちを抑え、トレイス男爵への書簡を書くために天幕に向かった。
あれだけの蛮行を行った後でどれだけ便宜を図って貰えるか分からないが、彼に傷痍兵を託すしかないのだ。
※
「霞舞!」
「疾風舞!」
魔術で作られた濃霧が街道にある帝国軍の野営陣地に向かって流れていく。
濃霧の中で帝国兵は動いていた。
「予想外の展開」
クロノは茂みに身を隠しながら呟いた。
帝国兵は水分を吸った天幕を絞り、水を作っていた。
それだけならば驚くことはなかったと思う。
クロノを驚かせたのは軍団長であるルーカス・レサトが天幕を絞って作った水を飲んでいることだった。
率先垂範とは言うものの、よく実践できるものだと感心してしまう。
「何処が予想外みたいな?」
「天幕を絞って飲み水を作ってるんだよ。貴族なのに凄いなと思って」
「……」
アリデッドの質問に答えたが、反応は今一つだ。
「凄いことじゃない?」
「クロノ様、自分の格好を見たらみたいな?」
問い返され、自分を見下ろす。
制服が泥に塗れている以外は普段通りだ。
アリデッドも、デネブも――部下全員が似たような姿なのだが。
「どうかしたの?」
「敵をやり過ごすために穴の中に隠れるクロノ様も帝国軍のお偉いさんに勝るとも劣らずみたいな」
「戦っても仕方がないからねぇ」
森の奥に作った拠点は破壊されてしまったが、他にも拠点はあるし、一番重要なのはあちこちに掘った穴だ。
「もう少し時間があれば本格的な地下基地を作ったんだけどね」
「地下基地を作っても使い時がないみたいな」
「男の子は隠れ家が大好きみたいな」
「いや、まあ、そうだけどね」
アリデッドとデネブの容赦ない突っ込みにクロノは呻いた。
地下基地は浪漫とまでは言わないが、少しくらい理解を示して欲しい。
もしかしたら、これが男女の間にある超越不能な壁なのかも知れない。
「飲み水を提供することになったけど、どうするのみたいな?」
「止めるか続けるか判断して欲しいみたいな」
「……続行で」
クロノは少し間を置いて答えた。
帝国軍に飲み水を提供することになったが、火を熾す際にストレスを与え、体温を低下させることを考えれば続行すべきだと思う。
「ところで、今日の作戦はみたいな?」
「驚きの作戦を期待してるし」
「いよいよ、版画作戦の発動だよ」
クロノはポーチから版画を取り出した。
「ちょっと貸してみたいな!」
「あたしも見たいし!」
アリデッドがクロノの手から版画を奪い取り、デネブが移動する。
版画の図案は慈愛に満ちた表情を浮かべるティリアの下で仲良く手を繋ぐ人間と亜人、アルフォートと近衛騎士の下で苦しみに喘ぐ人間と亜人の姿である。
前者には肯定を示す○が、後者には否定を示す×が重なっている。
「うぉぉぉぉ、職人の仕事だし!」
「一枚いくらみたいな?」
「それは秘密」
使っているのは再生紙、板は開拓村で伐採した木を加工して作った。
職人はゴルディの部下なので、ただ同然である。
「良い出来だけど、ティリア皇女のおっぱい盛り過ぎな上、制服姿だし。と言うか、あたしらにも慈愛に満ちた微笑みを向けて欲しいみたいな」
「あたしらが負けたら職人さんは不敬罪で投獄間違いなしだし」
「二人に優しくするようにティリアに頼もうか?」
「ノーサンキューみたいな!」
「それは優しく頭を握り潰す的な意味ですかみたいな!」
クロノの提案を二人は全力で拒否した。
「あれで優しい所もあったりなかったりなんだよ?」
「それはフォローじゃないし!」
「優しくされた記憶がないし!」
二人ともティリアと仲が良いと思っていたのだが、勘違いだったのかも知れない。
「ところで、どうしてこのタイミングで?」
「もっと後でも良いかなと思ったんだけど、仕込みは早い方が良いと思って」
今日の戦闘で帝国兵は二千近い死傷者を出した。
こちらの思惑通り、近衛騎士団と一般兵の溝は深まっている。
「でも、この版画だけで意味が正確に伝わるか疑問だし」
「言いたいことは分からないでもないみたいな」
「神聖アルゴ王国では上手くいったし、一般兵が悩んでくれれば良いんだよ」
「ティリア皇女にはナイトレンジャーほどのインパクトはないみたいな」
「それ以前にティリア皇女の顔を知っている兵士はいないような気がするし」
「そういうことを言うから頭を握り潰されそうになるんじゃ?」
口は災いの元とはよくぞ言ったものである。
それにナイトレンジャーと比べるのはどうかと思う。
あれに比べたら誰だってインパクトがなくなってしまう。
「軽口叩いて頭を握り潰されそうになるとか!」
「全然等価じゃないし!」
「だから、優しくするように頼もうかって言ってるのに」
二人は顔を見合わせた。
「クロノ様が言ったくらいで優しくしてくれるのなら、とうの昔に優しくなってるみたいな」
「ティリア皇女に優しくされてる未来が見えないみたいな」
「結局の所、アリデッドとデネブってティリアのこと好きなの、嫌いなの?」
「まあ、苦手だけれど、好意はあるみたいな」
「あのノリの良さは割と好きだし」
二人はサイドポニーを弄りながら言った。
どうやら、ティリアは複雑な感情を抱かれているようだ。
好き勝手に振る舞いながら嫌われていないのだから人徳があるのかも知れない。
「さて、矢文作戦――」
『クロノ様、応答願うでござる』(がう)
ポーチからタイガの声が響き、クロノは通信用マジックアイテムを取り出した。
「はい、こちらクロノ」
『タイガでござる。兵士達が街道を南下しているでござる』(がうがう)
「……作戦の一環かな」
『どうやら傷痍兵のようでござる。数は沢山でござる』(がうがう)
「……傷痍兵か」
どうするか、とクロノは口元を覆った。
恐らく、傷痍兵を後方に下げ、糧秣の消費を抑えるつもりなのだろう。
「帝国軍の負担になってくれるのなら放置したい所だけど」
『後方に拠点が設置されていない時点で望み薄でござる』(がう)
「そうだね」
トレイス男爵領のいるグリニッジに辿り着ければ保護して貰えるかも知れないが、それまでに野垂れ死ぬ可能性が高い。
下手をすれば落ち武者狩りに遭う。
「武装解除に応じるのなら保護してやって」
『宜しいのでござるか?』(がう?)
「危険と言えば危険なんだけど、皇軍はお行儀の良い軍隊を目指しているからね」
ぐるる、とタイガが小さく唸った。
『怪しい素振りを見せたら容赦なく殺すという条件も追加して良いでござるか?』(がう?)
「良いよ」
『了解でござる。通信終了でござる』(がうがう)
それっきりタイガの声が聞こえなくなった。
彼ならば上手くやってくれるだろう。
「新たな捕虜をゲットみたいな?」
「捕虜をゲットするのも、捕虜になるのもなかなか厳しい選択だし」
「まあ、確かに捕虜の待遇って捕まえた人の胸三寸で決まってる感じがするしね」
クロノ達は帝国から反乱軍と見なされているので人道的な対応を期待しない方が良い。
「さて、作戦を始めようか」
「了解みたいな!」
「その前に版画を折り畳まないとだし!」
クロノは思わずデネブを見つめた。
見事な指摘だった。
※
ルーカスは胸の痛み――もはや、それは衝撃と評すべきものに変わっていた――で目を覚ました。
「ぐ、が――ッ!」
息が詰まり、ひきつけでも起こしているかのように体が強張って動かせなかった。
死が間近に迫っていることを理解し、受け容れていたつもりだったが、ルーカスの心を支配しているのはまだ死にたくないという思いだった。
思いが神に通じた訳ではないだろうが、痛みが徐々に和らいでいく。
「……はぁぁぁ」
ルーカスは大きく息を吐いた。
胸を締め付けられているかのような息苦しさと痛みが残っているが、これならば騙し騙しやれるだろう。
「……反乱軍め」
軋むような背骨の痛みに耐え、小さく吐き捨てる。
吐息は白く、指先が痺れている。
忌ま忌ましいことに反乱軍の作戦は効果を発揮している。
夜ごと繰り返される嫌がらせは気力と体力を蝕み、手加減は近衛騎士団と一般兵の不和を生じさせている。
戦力は百騎と歩兵が一万七千余り――近衛騎士団が役に立たないことを考えれば歩兵のみで戦わなければならない。
ルーカスはベッドから下り、上着を羽織った。
「……」
無言で机――正確には反乱軍が撃ち込んできた矢に括り付けられていた版画を見つめる。
ティリア皇女の下では人間と亜人が手を取り合い、アルフォート皇帝と近衛騎士が人々を踏み付けている版画だ。
これも近衛騎士団と一般兵の間に不和を生じさせる作戦の一環だろう。
あるいは脱走を勧めるためのものか。
「……色々と考えるものだ」
反乱軍に対する怒りはもちろんあるが、称賛したい気持ちもある。
ルーカスが天幕から出ると、フィリップが駆け寄ってきた。
傷痍兵を後方に移動させたこともあってか、こちらを小馬鹿にしているかのような表情を浮かべている。
そのくせ、副官を気取っているのだ。
虎の威を借る狐や面従腹背ならばまだ可愛げがあるが、ここまで舐めた態度を取られると一般兵の中から副官を選出した方が良いのではないかとさえ思う。
「今日はどんな作戦を行うつもりですか?」
「……今日は仕込みだ」
フィリップを始めとする近衛騎士団員がもっと使えれば歩兵を指揮させることもできたのだが、それができない以上、数を頼りに野戦陣地を突破するしかない。
とは言え、野戦陣地を突破した後のことを考えれば被害はできるだけ抑えたい。
「作戦名は『さざ波』だ」
ルーカスは口角を吊り上げた。
※
ミノは陣地中央に立ち、戦場――鉄の茨で作られた障害物の遥か先にいる帝国軍を見つめていた。
攻勢に出るつもりなのか、帝国軍は隊列を組んでいる。
『野郎ども油断するな! 大丈夫! 俺達なら勝てる!』(ぶもぶもぶも!)
「そうじゃそうじゃ! 儂らなら大丈夫じゃ! な~に、連中はクロノ様の策略に嵌まって空きっ腹じゃ! 飢えた兵士なんぞ赤子みたいなもんじゃ!」
「ティリア皇女がご覧になっておるぞ! 手柄を立てればお誉めの言葉を頂けるかも知れんぞ!」
ミノが野戦陣地の隅々に届くように声を張り上げると、マンチャウゼンとアロンソが道化のように囃し立てた。
部下達がドッと笑う。
爺さん達は良い仕事をしやがるな~、とミノも笑った。
笑っていると気力が湧き上がり、自分達に余力があることを確信できる。
『ヤツらが近づいてきたぞ! 弓兵、構え!』(ぶも、ぶも!)
鬨の声を上げ、帝国軍が突撃してきた。
歩兵ばかりとは言え、その圧力は生半可なものではない。
あと少しで弓兵の射程に入る。
だが、帝国軍が本気で攻めてきたら弓兵の攻撃で押し留めることはできない。
野戦陣地にいる弓兵は百二十四人、遅番の弓兵を合わせても二百四十七人だ。
これだけの敵を押し留めるには十字弓兵――義勇兵に頼らざるを得ないのが現状だ。
『弓兵、は――』(ぶも)
ミノは命令を中断した。
突然、敵歩兵は反転して逃げ出したからだ。
このまま逃げるつもりかと考えた矢先、敵歩兵は再び反転して突撃してきた。
先程よりも早い。
『弓兵、放てッ!』(ぶも!)
弓兵が矢を放つが、敵歩兵はまたしても反転して射程から逃れた。
練度が低いために不揃いだが、その動きには明確な意思を感じる。
敵歩兵は波のように行ったり来たりを繰り返し、そのたびにミノは命令を下さなければならなかった。
どんな狙いが? ミノは自問し、大きく目を見開いた。
帝国軍はこちらに緊張を強いようとしているのだ。
皇軍の主体は義勇兵だ。
短期間で育成した割によくやっていると思うが、まだまだ本職の兵士には及ばない。
力の抜き方が分かっていないのだ。
だから、本職の兵士より早く疲弊してしまう。
敵の指揮官はそれを見抜き、突撃と退却を繰り返す作戦に出たのだ。
それは敵も同じ――いや、兵力差は三倍以上あるのだ。
消耗戦となればこちらが不利だ。
やりやがる、とミノは歯軋りした。




