第12話『正義』その3
※
「ヤツらをぶち殺せ! ウラーーーーッ!」
「ウラーーーーッ!」
騎兵が一斉に吠え、敵の野戦陣地に向かって突っ込んで行く。
針金くらい簡単に跳び越えられる、蹴散らせるという慢心を感じさせる。
だが、慢心はあっさりと打ち砕かれた。
「うわッ!」
「ギャァァァッ!」
「クソッ、こんな所で止まるな!」
騎兵達が口々に叫ぶ。
ある者は竿立ちになった馬から放り出されまいと必死にしがみつき、ある者は馬ごと針金に突っ込んで振り落とされた。
また、ある者は針金の手前で止まった馬を罵倒していた。
「さっさと馬に乗れ!」
「そ、それが針金が体に絡み付いて」
副官が叫ぶが、針金の上に落ちた騎兵は蜘蛛の巣に引っ掛かった昆虫か、網に引っ掛かった魚のように足掻くが、抜け出せない。
見れば針金が服に絡み付いていた。
ふとルーカスは昔読んだ本を思い出した。
未開の部族が騎兵の進行を妨げるために陣地の周囲に茨を植えたという話だ。
その話では切り払うか、焼き払うかして対応していたはずだが――。
「クソッ! 下馬している者は針金を切れ!」
「はっ!」
副官の命令に従い、下馬していた者が針金に剣を振り下ろした。
ガシャン、ガシャンという音が響く。
「切れません!」
「クソ! 俺がやるッ!」
副官が叫び、馬上から槍を振り下ろした。
重装騎兵が装備する突撃槍ではなく、斧と槍が一体化した武器だ。
「クソ、クソッ! 切れねぇッ!」
副官は何度も槍を振り下ろすが、ガシャンガシャンという音が響くだけだ。
「魔術だ! 魔術を使えッ!」
「炎弾乱舞!」
「風刃乱舞!」
炎と風の魔術が放たれるが、針金を破壊することはできなかった。
炎は鉄を溶かせず、風の刃は針金を揺らしただけだ。
「ギャァァァッ!」
悲鳴が響き渡る。
針金に絡め取られていた部下が炎に包まれていた。
「だ、誰か火を消せ!」
副官が叫ぶが、動こうとする者はいない。
炎に包まれていた部下は最初こそ激しく暴れていたが、その動きは徐々に鈍り、しばらくすると動かなくなった。
死体から煙が上がる。
「う、ウゲェェェッ!」
臭いを嗅いだのか、近くにいた者が嘔吐し、それが切っ掛けとなったように嘔吐する者が続出した。
村に火を点けた時に同じ臭いを嗅いでいるはずなのだが、仲間のそれには異なる印象を受けるらしい。
「クソッ、お前のせいだからな!」
「お前が魔法を使えって言ったんだろ!」
副官達は仲間割れを始めた。
「……ふぅ」
ルーカスは深々と溜息を吐き、あることに気付いた。
これほど無様な姿を見せているのに反乱軍が攻撃を仕掛けてこないのだ。
「フィリップ!」
「はっ!」
フィリップはすかさず歩み寄り、ルーカスに敬礼した。
敬礼そのものは美しいが、その顔は緊張で強張っている。
大方、喧嘩を止めてくるように命令されると思っているのだろう。
「エルフを呼んでこい」
「女ですか?」
「どっちでも構わん!」
「はっ!」
ルーカスが怒鳴ると、フィリップは駆け出した。
しばらくしてフィリップはエルフの女を連れてきた。
エルフは美男美女が多いが、彼女もまた美女だった。
もっとも、ルーカスは胸の大きな女が好きなので今一つ食指が動かなかったが。
「ご苦労、下がれ」
「はっ!」
フィリップは敬礼すると、ルーカスから距離を取った。
「あ、あの私はどうすれば?」
「敵の陣地、穴に隠れている者の表情を見ろ」
「はい」
エルフの女はルーカスの前に出て、その場に跪いた。
「どうだ?」
「どう、とは?」
「どんな表情を浮かべている?」
ルーカスは苛立ちを抑え、エルフの女に問いかけた。
「あの、あくまで印象なのですが……」
「構わん」
「怯えているように見えます」
「……怯えている?」
「は、はい、そのように見えます」
何故、怯えているのか、とルーカスは自問する。
敵陣の前で仲間割れをする。
普通ならばチャンスだ。
新兵だって隙だらけの敵を見れば攻撃しようと考えるはずだ。
いや、とルーカスは頭を振った。
新兵は攻撃しよう、攻撃しなければと考えられても行動に移せない。
人を殺すことを恐れているからだ。
場合によっては自分が殺されても剣を抜けないという者までいる。
人はそれほどに他人を殺すことを恐れる。
「……なるほど」
ルーカスは小さく呟いた。
野戦陣地にいる人数を見た時に気付くべきだった。
ラルフ・リブラ軍務局長に渡された資料にはエラキス侯爵が擁する兵士は千四百に届かないと記されていた。
野戦陣地にいる兵士は少なく見積もってその倍はいる。
反乱軍の主体は新兵――恐らく、領民を短期間で兵士に仕立てたのだ。
そう考えれば塹壕に籠もっていることにも合点がいく。
大型の亜人と弓兵の動向が気になるが、新兵が人殺しの経験を積む前に数で押し切るべきだろう。
ルーカスが具体的な段取りを考え始めたその時、
「あ、あぁぁぁぁッ!」
悲鳴が響き渡った。
声のした方を見ると、針金に絡め取られた部下に矢が突き刺さっていた。
長弓の矢に比べて随分と短い。
「ギャハハハハ! 儂が一番槍じゃッ!」
塹壕に隠れていた兵士が下品な笑い声を上げる。
老人と言って差し支えのない年齢だ。
ルーカスより十歳は年上だろう。
「この十字弓があれば儂みたいな老人でも騎兵を倒せるんじゃッ!」
老人は嬉しそうに武器――彼の言葉を用いるならば十字弓を掲げた。
「あれは?」
「……クロスボウだ」
エルフの女が訝しげに言い、ルーカスは小さく呟いた。
弓兵の育成が可能となった帝国軍ではとうの昔に廃れた武器だ。
まさか、そんな物を引っ張り出してくるとは――。
「撃て! 撃つんじゃッ! 家族を守るために撃てッ! 撃たねばお前らの愛する者が蹂躙されるぞ! あいつらが何をしたのか忘れたのかッ?」
「う、うわぁぁぁッ!」
老兵が叫び、一人の兵士が矢を放つ。
矢は誰にも当たることなく、地面に突き刺さったが――。
「わぁぁぁぁッ!」
「撃て撃て撃てッ!」
「ひぁぁぁぁッ!」
それが切っ掛けとなったように塹壕に隠れていた兵士――十字弓兵は半狂乱になって矢を放った。
「ギャッ!」
「グギャッ!」
十字弓兵の放った矢は外れるものが多かったが、運の悪かった部下が貫かれて短い悲鳴を上げた。
馬を射貫かれ、地面に投げ出される者も多かった。
「う、うわ、うわ、アアアアアアッ!」
悲鳴が上がった。
鐙が足に引っ掛かった状態で馬が走り出したのだ。
「た、助けろッ!」
「お前がやれ!」
「俺は副官だぞ!」
「うるせぇ! おべっかを使って取り入っただけじゃねーか!」
この期に及んで部下達は協力するという発想が出てこないらしい。
『矢を番えろ!』(ぶも~!)
沈黙を破ったのは中央後方にいたミノタウルスだった。
『矢を番えろッ!』(ぶも~ッ!)
再びミノタウルスが命令すると、十字弓兵はもたもたと動き始めた。
クロスボウ――十字弓は次の矢を番えるまでに時間が掛かる。
だが、今回に限って、それは問題ではない。
「た、助けてくれッ!」
「離せ!」
ルーカスの部下はパニックに陥り、組織的な抵抗ができなくなっている。
もっと練度が高ければ立て直しようがあったはずだが。
「クソッ! 魔術だ! 魔術を撃ち込め!」
「炎弾乱舞!」
「風刃乱舞!」
副官が叫び、魔術が敵陣地に向かって放たれる。
十字弓兵は体を強張らせたが、結果的に言えば意味のない警戒だった。
魔術は敵陣地に届きさえしなかったのだから。
『撃てッ!』(ぶもッ!)
ミノタウルスの号令に従い、十字弓兵が矢を放った。
「グギャッ!」
「ひぃぃッ!」
短い悲鳴が断続的に上がり、部下が倒れる。
「う、うわぁぁぁ! ひ、ひぃぃぃぃッ!」
副官が落馬し、悲鳴を上げた。
地面を這いずるようにして暴れる馬から逃れる。
『矢を番えろッ!』(ぶもッ!)
ミノタウルスが叫び、十字弓兵が矢を番える。
『撃てッ!』(ぶもッ!)
「ぐひぃッ!」
「ギャッ!」
十字弓兵が矢を放ち、射貫かれた部下が悲鳴を上げて倒れる。
矢を番え、放つ動作が滑らかなものになり、タイミングも合い始めていた。
チッ、とルーカスは舌打ちをした。
考えることを止めたか、人を殺して躊躇いがなくなったか、十字弓兵は短時間で兵士として成長している。
「撤退せんかッ!」
ルーカスは副官に向かって叫んだ。
百騎いた騎兵は半分以下になっている。
「逃げろッ!」
副官が叫ぶと、部下達は武器を放り出して逃げ始めた。
『矢を番えろ! 撃てッ!』(ぶも! ぶもッ!)
十字弓兵が矢を放つが、その殆どは地面に突き刺さる。
技量が乏しいこともあるだろうが、十字弓は射程が短いのだ。
『弓兵! 放てッ! 二射目以降は自分のタイミングで良いッ!』(ぶも、ぶも~ッ!)
ミノタウルスが叫び、十字弓兵の背後に控えていた弓兵が矢を放った。
一糸乱れぬ動きは練度の高さを窺わせる。
「ギャッ!」
「グヒッ!」
「グギャッ!」
矢が雨のように降り注ぎ、部下は次々と倒れていく。
「……そういうことか」
ルーカスは小さく呟く。
反乱軍は十字弓兵に経験を積ませるために弓兵に攻撃をさせなかったのだ。
副官は必死に逃げていた。
突撃前に見せていた不遜さは見る影もない。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして走る。
制服の股間が濡れているのは見間違いではないだろう。
「――ッ!」
副官が仰け反る。
自発的な動きではなく、外部から刺激を受け、反射的に仰け反った感じだ。
そのまま無様に転倒する。
その背中に一本の矢が突き刺さっていた。
「た、助けろッ!」
副官は叫んだが、助けようとする者は誰もいない。
すぐ近くを駆け抜けようとした者のズボンを掴む。
「俺を助けるんだッ!」
「は、離せ!」
「俺は副官だぞ!」
「うるさい! この状況で関係あるか!」
「き、貴様!」
足蹴にされた副官が掴み掛かり、そこに矢が降り注いだ。
二人に無数の矢が突き刺さる。
「い、痛ぇ!」
副官は無事だったが、もう一人は仰向けに倒れていた。
「お、俺は死なないぞ!」
副官は腕を使い、地面を這った。
ナメクジが這ったように地面に跡が残る。
そこに矢が降り注いだ。
「……お、俺は」
副官は腕を伸ばし、そこで力尽きた。
「……全滅か」
ルーカスは戦場を見渡して呟いた。
百騎いた騎兵は全滅し、骸を晒している。
背後に控える部下を見つめる。
彼らの中から新たな副官を選出するべきなのだろうが、誰を選んでも自分の負担は減らないだろう。
ならば自分が直接指揮をするべきだろう。
「野営の準備をせよ! 私の命令を聞いた者は復唱せよ!」
「野営の準備をせよ!」
部下の一人が叫び、別の者が叫ぶ。
野営の準備をせよという命令が波紋のように広がっていく。
さて、どう攻める? とルーカスは倒木に腰を下ろした。
思い浮かぶのは重装歩兵に盾を持たせ、弓兵を守りながら接近するという方法だ。
幸い、重装歩兵と弓兵の数はこちらが上回っている。
「……重装歩兵を引き抜くべきではなかったかも知れんな」
輜重隊を編制するために重装歩兵を三百人引き抜いた。
あの時は必要だと思ったが、選択を誤ったのではないかという気がしてくる。
ルーカスは一般兵に視線を向けた。
重装歩兵――大型亜人はリザードマンが多いくらいか。
連中は冬の寒さに弱いという弱点を持っているが、焚き火で体を温めれば多少は無茶ができるだろう。
そんなことを考えていると、後方から白煙が上がった。
「どうしたッ?」
「薪が湿気っています!」
ルーカスが立ち上がって叫ぶと、誰かが叫び返してきた。
「……なんだ、そんなことか」
倒木に腰を下ろし、ここ数日雨が降っていないことを思い出した。
まさか、これも反乱軍の作戦だろうか。
薪を湿らせることにどんな意味があると言うのか。
「軍団長!」
「なんだ!」
部下が叫び、ルーカスは立ち上がった。
思考を中断させられたことに苛立ちを覚えたが、仕方のないことだ。
「霧です! 霧が出てきました!」
街道を見ると、森から霧がゆっくりと流れてきた。
「の、呪いだ!」
「落ち着け! これは反乱軍の作戦だ!」
確証はなかったが、断言する。
副官を始めとする百名は未知を恐れずに名誉の戦死を遂げたが、基本的に人間は未知の存在や現象を恐れるものなのだ。
これで未知の恐怖は反乱軍の作戦に変わったが、対処できなければ反乱軍に翻弄されているという事実に打ちのめされる。
霧が立ち込め――。
『ホォォォォォッ!』
『ヒィィィィィッ!』
『……輜重隊は全滅した。糧秣は届かない』
女の悲鳴にも似た音と低い声が霧の中から響いてきた。
『おぉぉぉぉぉッ!』
『むほぉぉぉぉッ!』
『近衛騎士団は一般兵を使い捨てようとしているぞ』
「止めさせろ!」
「何処から聞こえているのか分かりません!」
「くッ!」
ルーカスが呻いたその時、霧が赤く染まり、爆音が轟いた。
馬の鳴き声が響き渡り、悲鳴が上がった。
またしても同じ手に引っ掛かったのだ。
「逃げた馬は放っておけ!」
ルーカスは大声で指示を出し、胸を押さえた。
胸が軋むように痛んだ。
※
「ほぉぉぉぉぉッ!」
「むはぁぁぁぁッ!」
「お前達は死ぬ、全員死ぬ。死にたくなければ逃げろ」
クロノは通信用マジックアイテムを布で包み、ポーチに入れた。
「ひぃぃぃぃぃッ!」
「はぁぁぁぁぁッ!」
「もう良いから」
クロノが言うと、アリデッドとデネブは軽く咳払いをした。
「はりきり過ぎて喉が痛いみたいな」
「こんなことに意味があるのみたいな?」
「やれることは全部やっておこうと思って」
少しでもビビってくれればめっけものだ。
「霞舞!」
「疾風舞!」
クロノ達の前に立つエルフ達が魔術を使う。
霞舞は濃霧を発生させる魔術、疾風舞は横向きの突風を発生させる魔術だ。
濃霧が横向きの突風によって街道に流れていく。
さらに鏃の代わりにマジックアイテムを付けた矢を放つ。
爆発音と馬のいななき、馬蹄の音、叫び声が響き渡る。
「むふふ、あたしらの開発した合成魔術が役に立ってるみたいな」
「開発したと言っても二人で一緒に魔術を使っているだけだし」
アリデッドが満足げに言い、デネブが水を差す。
「そこが凡人の凡人たる所以みたいな。二人で別々の魔術を使うことで、新しい効果を生み出す。簡単なことだけれど、気付かない人は一生気付かないみたいな」
「きっと、デキる人は同じ効果を持つ魔術式を開発しちゃうと思うし。何と言うか、今のお姉ちゃんは足し算と引き算をマスターして調子に乗っていた頃に限りなく重なるんだけど……」
「姉を追い込むために素の話し方をするのは良くないみたいな!」
「だって、クロノ様に馬鹿だと思われたくないんだもん」
デネブはアリデッドから顔を背け、拗ねたように唇を尖らせた。
「姉妹の絆がクロノ様のせいでピンチみたいな!」
「そんな人聞きの悪い」
二人とも平等に愛しているというのに酷い言い掛かりだ。
「そろそろ、私も自分の幸せが欲しいし」
「あたしらはピンでやっても駄目みたいな!」
「そんなことないもん!」
こんな状況にもかかわらず、アリデッドとデネブは取っ組み合いを始めた。
クス、と前にいる弓兵が笑う。
変に緊張するよりは良いか、とクロノはポーチから通信用マジックアイテムを取り出した。
「こちらクロノ、こちらクロノ、応答して下さい」
『へい、こちらミノ。大将、どんなご用件で?』(ぶも?)
通信用マジックアイテムから副官の声が聞こえてくる。
通常の通信用マジックアイテムでは野戦陣地にいる副官と通信することはできない。
「急拵えだけど、超長距離通信用マジックアイテムは機能しているみたいだね」
『わざわざ、そのために連絡したんですかい?』(ぶも?)
「まさか、状況確認だよ」
クロノは苦笑した。
野戦陣地と連絡を取れるようにするために超長距離マジックアイテムを新たに設置したのだ。
カド伯爵領とエラキス侯爵領の間にある中継器は鋼鉄製の容器に入れられているが、新たに設置した中継器の容器はコンクリートだ。
作り方は簡単、丸太をくり抜いて型を作り、コンクリートを流し込むだけだ。
コンクリートの柱が等間隔に並んでいたら不審がられると思っていたのだが、幸いにも帝国軍は見過ごしてくれた。
「こっちは不眠作戦及び濃霧作戦を実施中だよ。そっちは?」
『早番と遅番を入れ替えてる所でさ』(ぶも)
「義勇兵の様子は?」
『かなり興奮してやす』(ぶも)
「……そうか」
無理もないか、とクロノは小さく溜息を吐いた。
帝国軍が本腰を入れておらず、正規兵のサポートがあったとは言え、被害を出さずに騎兵を全滅させたのだ。
「少しくらいハイになっても仕方がないけど……」
『分かってやす。締める所は締めるんで安心して下せぇ。まあ、爺さん達がいるんで、そこまで心配しちゃいやせんがね』(ぶも、ぶも)
「本当に助かるよ」
副官が軽い口調で言い、クロノはホッと息を吐いた。
老騎士が大挙してやってきた時は帝国軍と戦う前にお葬式を出すことになるのではないかと心配していたものだが、彼らは上手く義勇兵を纏めている。
「あとは何処まで保つかだね」
『まだまだ娑婆っ気が抜けてやせんからね』(ぶも)
「そうだね」
素晴らしい活躍を見せてくれたが、義勇兵はまだまだひよっこだ。
何処が限界なのか分からない怖さがある。
クロノ達の心配が杞憂に過ぎず、帝国軍を打ち負かすまで保つ可能性もあるが、そこまで楽観はできない。
「いざとなったら秘密兵器に登場して貰う」
『効果がありやすかね』(ぶも)
「そんなことを言わないでよ」
『すいやせん』(ぶも)
副官は素直に謝った。
義勇兵の件は楽観できないと考えているが、満を持して登場した秘密兵器が役に立たないなんて想像したくない。
「ミノさんはこっちに報告することはない?」
『ありやせん』(ぶも)
「じゃ、通信終了。大丈夫、きっと勝てるよ」
『もちろんでさ』(ぶも)
クロノはポーチに通信用マジックアイテムをしまった。
「クロノ様、次はどうするみたいな?」
「いよいよ夜襲みたいな?」
「いや、まだまだ連中は元気だし、パターン化して油断させたい。だから……」
「いよいよ、ナイフの出番みたいな?」
「冒涜的な言葉も準備万端だし」
アリデッドがナイフを、デネブがメモ帳を取り出す。
「まあ、そういうこと」
「敵が元気になりそうでちょっと心配みたいな」
「けど、敵が薄情すぎてさっきは百騎しかやれなかったみたいな」
「そうなんだよね」
クロノは小さく溜息を吐いた。
敵騎兵は総崩れになって逃げ出した。
矢で射られて動けなくなった者を救出するために動くかと思いきや、敵の指揮官――ルーカス・レサトは見捨てたのだ。
村を滅ぼすような部下なんていなくても構わないと思ったのかも知れないが、助けに行くフリくらいはして欲しいものだ。
「アリデッド、タイガに連絡」
「ほい、きたみたいな」
アリデッドはポーチから通信用マジックアイテムを取り出した。
「こちらアリデッドみたいな。タイガ、応答して欲しいみたいな」
『タイガでござる』(がう)
「これから死体を辱めに行くから気取られないように攻撃を激しくして欲しいみたいな」
『了解でござる』(がう)
閃光と爆音が激しさを増す。
「よし、嫌がらせは一旦終了。死体を回収しにいくよ」
クロノはメガネを掛け、中腰で歩き始めた。
※
ルーカスは軋むような胸の痛みで目を覚ました。
吐息は白く、指先はかじかんでいる。
にもかかわらず、全身は汗でべとついている。
昨夜も満足に眠れなかった。
反乱軍は夜が明ける頃まで延々とマジックアイテムを野営陣地に投げ込んできた。
例によって殺傷力のあるマジックアイテムを織り交ぜて、だ。
運が悪いことに糧秣を保管していた天幕を焼かれた。
分散していたお陰で最悪の事態には至らなかったが、残った糧秣は二日分だ。
さらに腹立たしいことに女の悲鳴と怪情報まで垂れ流した。
「……ぐッ」
ルーカスはベッドから体を起こし、背中の痛みに顔を顰めた。
昔、腰を痛めたことがある。
戦場ではなく、自分の屋敷で荷物を持ち上げようとして傷めた。
治ったとばかり思っていたのだが、どうやら治っていなかったようだ。
「……こんな時にぶり返さなくても良いだろうに」
ルーカスは上着を羽織り、外に出ようと天幕に手を伸ばした。
思わず手を引っ込める。
天幕が凍り付いていたからだ。
「まさか、ここまで見越して霧を発生させたのか?」
「軍団長!」
「なんだ!」
フィリップの声が響き、ルーカスは天幕の外に飛び出した。
すると、天幕から少し離れた場所にフィリップが立っていた。
その足下には副官の死体が転がっていた。
しかも、全裸だ。
「何をしている!」
ルーカスは腰の痛みに耐えながら駆け寄り、顔を顰めた。
副官の死体には霜が降り、指が何本か欠けている。
だが、そんなことは問題ではない。
問題は副官の死体に文字が刻まれていることだ。
ただの文字ではない。
死者を侮辱する言葉が執拗に刻まれている。
確かに副官は誉められた人間ではなかったが、ここまで遺体を弄ぶ必要はあるまい。
「指はどうした?」
「運んでくる途中で折れました」
「運んでくる途中?」
その意味に気付き、ルーカスは戦場に向かって駆け出した。
動くたびに腰から痛みが這い上がるが、構わずに駆ける。
「……何と言うことだ」
ルーカスは立ち止まり、顔を顰めた。
街道と戦場の境界に十人分の死体が晒されていた。
いや、飾られていたと言うべきか。
服を剥ぎ取られ、全身に死者を冒涜する文字が刻まれている。
そこから感じるのは狂気だ。
一体、どんな人生を歩めば死体を弄べるのか。
「軍団長、ヤツらはイカれてます」
「――ッ!」
フィリップの声が背後から響き、ルーカスは反乱軍の狙いに気付いた。
反乱軍の狙いは正気ではないと思わせることだ。
狂気の仮面を被り、自分達を実物以上に見せようとしている。
「これはヤツらの作戦だ!」
ルーカスは振り返り、いつの間にか集まっていた部下に叫んだ。
「お前達は近衛騎士だ! 臆するな!」
「……でも、こんな死体が実家に届いたら」
何処からか聞こえてきた声にルーカスは唇を噛み締めた。
死んだ後のことを心配してどうする。
名誉の心配をするくらいならば、何故あんなことをした。
そう吐き捨てたくなるが、彼らにしてみれば切実な悩みだろう。
「臆するな! ここで臆したら反乱軍の思う壺だ! ヤツらは狂気を演出することで精神的に優位に立とうとしているのだ!」
「……」
ルーカスは鼓舞したが、部下の反応は鈍い。
「フィリップ!」
「はっ!」
「野戦陣地を攻略する! 重装歩兵と弓兵、歩兵を集めよ!」
「はっ!」
フィリップは後方に向かって駆け出した。
「何をボーッとしている遺体を片付けんか!」
「……」
ルーカスが怒鳴ると、部下達はのそのそと動き出した。
遺体を移動させ、その上に布を被せる。
フィリップが戻ってきたのはそんな時だった。
「軍団長!」
「なんだ?」
「重装歩兵が……」
「早く言え」
フィリップが言い淀み、ルーカスは苛々しながら先を促した。
「はっ、重装歩兵の半数が行動不能に陥っています」
「なんだとッ?」
「リザードマンが寒さにやられて動けません!」
くッ、とルーカスは呻いた。
「動ける者だけで構わん! 隊列を組ませろ! 重装歩兵は盾を持って最前列、弓兵はその後ろだ! 歩兵は後詰めだ! 敵の奇襲に備えよ!」
「はっ!」
フィリップは再び後方に向かった。
ルーカスは倒木に腰を下ろし、隊列が組み終わるのを待つ。
遅い。
あまりに遅い。
隊列が曲がりなりにも形になったのは三十分が過ぎた頃だった。
三百余りの重装歩兵が最前列に並び、千の弓兵が身を寄せ合うようにその背後に立つ。
二千あまりの歩兵はやや距離を置いて待機する。
ルーカスは立ち上がり、剣を引き抜いた。
「盾に身を隠しながら前進せよ! 攻撃は針金――障害物の手前からだ!」
射程の長い弓兵は百人程度しかいない。
これならば数で押し切れるはずだ。
「前進せよ!」
重装歩兵がゆっくりと進み、弓兵がその後に続く。
そのスピードにルーカスは苛立ちを覚えた。
ラルフ・リブラ軍務局長の作戦が間違っているとは思わない。
経由する領地で糧秣を補給し、数で圧倒する。
だが、この作戦は反乱軍が準備を整える前でなければ効果的とは言えない。
その前提が崩れれば練度不足の集団で戦う羽目になる。
ルーカスは野戦陣地に視線を向けた。
そこではミノタウルスが指揮を執っていた。
『弓兵、構え! 放てッ!』(ぶも! ぶも~!)
ミノタウルスの命令に従い、弓兵が一斉に矢を放つ。
通常の弓であれば届かないはずだが、ルーカスはその思い込みを捨てた。
「盾を構えよ!」
重装歩兵が盾を構え、その陰に弓兵が身を隠す。
矢が降り注ぎ、盾に突き刺さる。
だが、それだけだ。
「盾を構えたまま前進せよ!」
ルーカスの命令に従い、重装歩兵がゆっくりと、ゆっくりと進み始める。
先程よりもさらに遅い。
まさに亀のような歩みだ。
だが――。
「……いける」
ルーカスは勝機を見出し、口角を吊り上げた。
反乱軍の弓は優れた性能を有しているが、弓兵の数は少ない。
これならば数の差で勝てる。
その時、視界の隅で何かが動いた。
反射的に森を見ると、槍を持った人間が飛び出してきた。
数は百人、いや、もっと多いかも知れない。
槍を構えるが、投擲するにしても距離があり過ぎる。
弓兵の良い的だ。
だが、弓兵は重装歩兵の陰に隠れているため攻撃できない。
赤い光が彼らの体を彩る。
刻印術――精霊と同化するための呪法だ。
「歩兵! 突撃せよ!」
ルーカスが叫ぶが、歩兵の反応は鈍い。
「突撃せよッ!」
再び叫ぶと、歩兵はようやく動き出した。
その時には刻印術士は槍を投擲していた。
槍がいくつも連なって飛ぶ様は空が斬り裂かれているかのように見える。
「い、いか――伏せろッ!」
ルーカスは喉が裂けんばかりに叫んだ。
 




