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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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第12話『正義』その2



 トレイス男爵領グリニッジ――タイミングは良かったんだろうけど、とクロノは対面の席に座るトレイス男爵を見つめた。

 久しぶりに見るトレイス男爵は憔悴していた。

 目は落ち窪み、頬は痩け、十歳は老けたかのように見える。

 さらに目は隠れる場所を探す小動物のように忙しく動いている。

 無理もない、と思う。

 謀反の疑いを晴らすために無防守宣言を行い、帝国軍のために糧秣を用意した。

 にもかかわらず、帝国軍に自分の領地を荒らされたのだ。

 動揺は察するに余りある。

 だが、事情を知っていると悟られる訳にはいかない。

 少なくとも今は知らない風を装う必要がある。


「……エラキス侯爵、本日はどのようなご用件で?」

「ティリア皇女から伝言を預かっています」


 クロノは懐から手紙を取り出してテーブルの上に置いた。

 羊皮紙ではなく、工房で作った和紙だ。

 紙を用いたのは正式な遣り取りではないと強調するためだ。

 手紙をどうするかはトレイス男爵の裁量に委ねられる。

 少なくとも建前上はそうなっている。

 トレイス男爵は手紙を手に取り、内容を確認する。

 手が震え、脂汗が流れる。

 無理もない、と思う。

 ティリアの手紙には皇軍がトレイス男爵領で行動することを認めろと書いてあるのだ。

 ちなみにここで言う行動とは軍事行動のことだ。

 当然、その中には戦闘行為も含まれる。

 要するにトレイス男爵領を戦場にすることを認めろと言っているのだ。

 これも当然のことだが、自分の領地を戦場にしたがる領主などいない。

 だからこそ、狼狽しているのだ。


「……流石に、これは」

「じゃあ、仕方がないですね」


 トレイス男爵が呻くように言い、クロノは軽く息を吐いた。

 トレイス男爵がハッと顔を上げる。

 許可が貰えなければ無許可で軍事行動を取るまで。

 こちらがそう考えていると判断したのだろう。


「エラキス侯爵、貴方は――」

「我々、皇軍は正統回帰……偽りの皇帝を廃し、正統な後継者による治世を復活させることを目的としています」

「……そ、それは」


 トレイス男爵は口籠もった。


「これは……ティリア皇女の温情だと考えて頂きたい」

「温情? 我が領地を土足で踏みにじることがッ?」


 トレイス男爵は手紙を握り潰し、激昂したかのように叫んだ。

 ですよね、とクロノは内心トレイス男爵に同意しながらも平静さを装った。

 とは言え、敵味方の理屈で言うのならば彼は敵寄りだ。

 少なくとも味方ではない。

 それなのに、どうして許可を得ようとしているのか。

 答えは簡単、彼を仲間に引き込みたいと考えているからだ。

 当事者の口から帝国軍の暴挙を語らせ、他の領主を説得しようという思惑もある。

 クロノはトレイス男爵が冷静さを取り戻した頃を見計らって口を開いた。


「ティリア皇女は貴方に領土を安堵し、栄誉に浴するチャンスを与えようとしているのです。ほら、手紙を読み直して下さい」

「……」


 トレイス男爵はしわくちゃになった手紙に視線を落とした。


「中立を維持するのならば領土を安堵し、味方になるのであれば貴族会の一員となり、国政に携わる栄誉を授けると」

「敵対した時は?」

「……」


 トレイス男爵が怖ず怖ずと尋ねてきたが、クロノは答えなかった。

 想像力は味方にも、敵にもなる。

 この場合――と言うか、トレイス男爵にとっては敵だ。

 ゴクリ、と生唾を呑み込む。

 恐らく、最悪の想像が脳裏を過ぎっていることだろう。


「どうですか?」

「……だ、だが」


 トレイス男爵はハンカチで脂汗を拭った。


「何か気になることでも?」

「無防守を宣言しながら反ら――」

「皇軍です」


 クロノは言葉を遮って訂正した。


「無防守を宣言しながら、皇軍に与したら私は最低の領主になってしまう。状況によって陣営を変える者を、誰が、信用すると言うのだ」


 トレイス男爵は血を吐くような声で言った。

 結構、信じる人はいるんじゃないかな~、クロノは思ったが、口にはしない。


「私は与せよと言っている訳ではありません」

「黙認すれば同じことだ」


 ここで切り出すべきかな、とクロノは小さく息を吐いた。


「信用の話をされましたが」

「そうだ。信用は大事だ」

「その信用を失っていることに気付いていらっしゃらないのですか? それとも気付いていないフリをされているのですか?」

「――ッ!」


 トレイス男爵は息を呑んだ。

 何を知っていると言わんばかりの表情を浮かべている。


「トレイス男爵、私の目は節穴ではないのですよ。それに耳だって人並みには聞こえる」

「……」


 帝国軍が村を滅ぼしたことを仄めかすと、トレイス男爵は陸に打ち上げられた魚のように口を開いたり閉じたりした。


「先に裏切ったのは偽帝アルフォートです」

「偽帝などと不遜な!」

「正統ならざる者が皇位に就くことこそ不遜ではありませんか?」

「陛下の指示ではない。ルーカス殿からは謝罪の手紙を貰っている」


 よくもまあ、そこまでアルフォートを信じられるな。いや、大金を突っ込んだせいで引っ込みがつかなくなってるのかな。いやいや、謝罪文の内容が素晴らしかったってことも考えられるか、とクロノは想像を巡らせる。


「トレイス男爵の気持ちは分かりましたが、領民がその言葉を信用しますかね? 貴方は我が身可愛さに領民を売ったと思われている」

「く、口が過ぎるぞ!」

「本当のことです。疑うのならば今からでも街に使いを出せば良い」

「……分かってくれるはずだ」


 トレイス男爵は呻くように言った。


「領民が貴方の言葉に耳を貸すとは思えませんがね」

「な、何を?」

「帝国軍ですよ。貴方は二万人もの兵士を養わなければならない」

「そ、それくらいの蓄えはある」

「まあ、しばらくは保つでしょう、しばらくは」

「……」


 クロノが挑発的に言うと、トレイス男爵は押し黙った。

 その沈黙が全てを物語っている。


「我々が一日や二日で敗北するような弱兵だと思っているのですか?」

「そ、それは……」

「戦いが長引けば長引くほどトレイス男爵領の負担は増大していく。蓄えは底を尽き、強権を振るわざるを得なくなる。そんな状況で領民に分かってくれと言っても無理ですよ」


 クロノはそこで言葉を句切った。


「まあ、そこまでして用意した糧秣が帝国軍に届くとは限りませんがね」

「選択肢はないということか?」

「いえいえ、我々は……ティリア皇女もトレイス男爵の意思を尊重したいと考えていますよ」


 クロノは大仰に肩を竦めた。


「栄誉に浴するか、破滅するか好きに選べば良い」

「……破滅」


 トレイス男爵はゴクリと喉を鳴らした。

 皇軍が鎧袖一触で打ち負かされない限り、破滅は避けられない。


「ここが分水嶺です。ここを過ぎれば破滅しかない。簡単な話です。我々の行動を黙認して下されば良い」

「ルーカス殿に何と言い訳をすれば……」

「我々の妨害に遭い、糧秣を用意できなかったと伝えれば良いではありませんか」

「だ、だが」

「……仕方がありません」


 クロノは溜息を吐き、立ち上がった。

 あくまで主導権はこちらにある。

 それを理解して貰わなければならない。


「この話はなかったことにしましょう」

「ま、待ってくれ!」

「残念ですが、待つことはできません。私はこれから戦わなければならないので……」

「わ、分かった!」


 トレイス男爵は叫んだ。


「何が分かったのですか?」

「我が領内で皇軍が行動することを認める。そ、その代わり……」


 トレイス男爵は縋るような目でクロノを見上げた。

 最低の領主になってしまうだの、信用が大事だの言っていたが、その目には卑しい光が宿っていた。

 クロノはにっこりと微笑んだ。


「もちろんですとも。ティリア皇女にはトレイス男爵が領内での軍事行動を快諾して下さったと伝えましょう。これで領地は安堵されます」

「……栄誉に浴するという話は?」


 トレイス男爵は引き攣った笑みを浮かべて言った。


「残念ですが、それは味方になって下さった場合です。中立であれば領地を安堵し、味方になれば栄誉を授けると書いてあるではありませんか」

「そ、それはそうだが……今は無理なのだ」

「では、いつ決断を?」

「帝国軍が撤退したら必ず、必ず馳せ参じる。約束する」

「文書にして頂きたい所ですが、信じますよ」


 クロノの言葉を聞き、トレイス男爵はホッと息を吐いた。


「では、私はこれで……」

「何卒、宜しくお願い致します」


 トレイス男爵が深々と頭を垂れ、クロノは応接室を出た。

 すると、老執事が歩み寄ってきた。


「玄関まで送らせて頂きます」

「よろしく」


 老執事に案内され、屋敷から出る。

 クロノはすぐ近くに留まっている箱馬車に向かった。

 音もなく箱馬車の扉が開く。

 箱馬車に乗り込み、座席に座る。

 箱馬車がゆっくりと動き出し――いつの間にか対面の席にクリンゲ・ヘルツが座っていた。

 兵士を連れてきたら問題が起こると考えての人選だ。

 まあ、彼女達は徒手空拳で並の兵士以上に強いのだが。


「お疲れ様です」

「その登場の仕方、心臓に悪いよね」

「エラキス侯爵の、ご指示、ですが?」


 クリンゲは怒りを堪えているかのような口調で言った。


「交渉の結果は?」

「領内での行動を認めて貰ったよ」

「……分かりました」


 クリンゲは窓に視線を向ける。

 釣られて窓を見るが、そこには誰もいない。


「とにかく、これでトレイス男爵領を自由に動けるよ」


 クロノは小さく息を吐いた。



 夕方――ルーカスは馬に乗り、街道を北に進んでいた。

 街道の両脇には深い森が広がっている。

 こういう森には地元の者しか知らない間道が存在している。

 それこそ、網の目のように張り巡らされていることもある。

 地の利を活かす。

 頭では理解しているつもりだったが、意味を理解するまでに時間が掛かった。


「軍団長、そろそろ野営の準備をしませんか?」」

「もう少し距離を稼ぐ」


 舌打ちしたい気持ちを抑え、副官の問いに答える。

 予定ではカド伯爵領に入っているはずだったが、トレイス男爵領から出られていない。

 蛮行の後始末――遺体を埋葬しなければならなかったからだ。

 懲罰を兼ねて第八近衛騎士団に埋葬作業を任せたが、これがいけなかった。

 作業は遅々として進まず、遺体を埋葬し終えたのは昼過ぎだ。


「軍団長! 軍団長ッ!」


 騎兵が脇を通り過ぎ、馬首を巡らせて戻ってくる。

 トレイス男爵の下に使者として派遣した男だ。

 村を出た時と違う馬に乗っている。

 トレイス男爵が気を利かせてくれたのだろうが、またやらかしたのではないかという不安が湧き上がる。


「謝罪文は届けたか?」

「はい、トレイス男爵から書簡を預かってきました」


 男は馬から下り、筒状に丸められた羊皮紙を差し出してきた。

 ルーカスは羊皮紙を受け取り、内容を確認する。


「……やはりか」

「何が書いてあったんですか?」

「拠点として隣村を利用することは許可できない。糧秣は隣村まで運ぶが、そこから先は自分達で運んで欲しい。約束した糧秣を確保できない可能性が濃厚だと書いてある」

「何ですって?」

「……ふぅ」


 副官は怒りを滲ませて言ったが、ルーカスは溜息しか出てこなかった。

 半分は副官の態度に呆れて、もう半分は安堵だった。

 あれだけの蛮行を働いたのに敵対を宣言していない。

 本心は分からないが、少なくとも今は敵ではない。


「お前は何に怒っている?」

「約束を守らなかったことにですよ」

「先に約束を破ったのは我々だ」

「あれは――」

「黙っていろ。お前と話していると頭痛がしてくる」

「……」


 副官は不愉快そうに唇をひん曲げた。

 それで、ようやく埋葬作業が遅々として進まなかった理由を理解する。

 彼らには自分が懲罰を受けている意識がなかったのだ。

 ちょっとやり過ぎてしまったが、懲罰を受ける謂われはない。

 恐らく、彼らはそんなことを考えていたのだろう。

 だから、わざと作業を遅らせて不満の意思を表明した。


「……まったく」


 ルーカスはうんざりした気分で呟いた。

 自分が選び、腐らせた。

 自業自得だということは分かっているが、ここまでダメにならなくてもいいだろうという思いを消すことはできない。


「ここで野営をする」

「……」


 ルーカスが言っても、副官は復唱しない。

 ふて腐れたようにそっぽを向いている。


「復唱せんかッ!」

「……野営だ! 野営の準備をしろッ!」


 ルーカスが怒鳴ると、副官はようやく復唱した。

 深々と溜息を吐き、そっと胸に触れた。

 この分では計画の練り直しも一人でやらなければならないだろう。



 クロノは街道から百メートルほど離れた茂みに身を隠し、帝国軍を見つめていた。

 帝国軍が遺体を埋葬しているという情報は入手していたが、それにしては遅すぎるというのが素直な感想だ。

 ともすれば、それ以外にも何かやっていたのではないかという疑念がむくむくと湧き上がってくる。


「こちらアリデッド、敵を目視で確認みたいな」

「こちらデネブ、敵は野営の準備中だし」

「取り敢えず、待機」


 左右を固めるアリデッドとデネブに命令する。

 目を細め、帝国軍の様子を窺う。

 一般兵はテキパキと野営の準備を整えているが、白い制服――第八近衛騎士団は手際が格段に悪い。

 一般兵は野営の準備を終えても手伝おうとしない。

 それだけ仲が悪いということだろう。


「無防備な背中を晒してるし」

「今がチャンスみたいな」

「二人とも作戦を聞いてた?」

「もちろん、聞いてたみたいな。糧秣に火を点け、眠れないようにマジックアイテムを投げつけるし」

「それはそれとして無防備な背中を見せられると本能が疼いちゃうみたいな」

「分かっててくれて嬉しいよ」


 アリデッドとデネブの言葉を聞き、クロノは胸を撫で下ろした。


「ナイフの準備も万全みたいな」

「ドン引きするキーワードも多数用意みたいな」


 何処まで本気なのか。

 アリデッドはナイフを取り出し、デネブは手製のメモ帳をパラパラと捲る。

 今回は対象を厳選すると説明したのだが、本当に聞いていたのか不安になる。

 いや、と頭を振る。

 二人とも歴戦の猛者だ。

 戦いとなれば気を引き締めてくれるだろう。


「それにしても、この作戦は地味すぎみたいな」

「相手を眠らせないのはただの嫌がらせだし」

「良いんだよ、それで」


 複数の戦術を組み合わせて敵の継戦能力を奪う。

 それが今回の作戦の肝だ。


「それに、またしても弓兵に戻ったみたいな」

「混成部隊の指揮はなかなか大変みたいな」

「うん、まあ、それはね」


 クロノは言葉を濁した。

 こちらには弓兵と歩兵の混成部隊が百、対面には同じく百の兵士が潜んでいる。


「そう言えば、クロノ様に聞きたいことがあるみたいな?」

「どうしたの?」

「どうして、こんな所にいるのみたいな?」


 アリデッドは不思議そうに首を傾げた。


「旗頭はティリア、統帥はワイズマン先生、兵站その他諸々はシッターさんに、義勇兵はミノさんに、別働隊はケインに任せたからね。傭兵はシフの管轄で……僕の管轄はここなんだよ」

「むむ、義勇兵はクロノ様が管轄しても良かったとか思ったり」

「素人の統率なんて怖くてできないよ。その点、ここなら経験豊富な百人隊長にバックアップして貰えるからね」

「経験豊富と言われましても」

「クロノ様ほど経験豊富と言う訳では」


 アリデッドとデネブはモジモジしながら言った。

 そういう意味ではないのだが。


「あとは……作戦内容が作戦内容だからね」

「まあ、確かに」

「全体像が分からないと身が入らないかもみたいな」


 元の世界で言えば夜中に爆竹を鳴らすようなものだ。

 これが作戦ですと言われても兵士達はピンとこないだろう。

 クロノがいるのは重要な作戦だと兵士達に理解させるためでもある。


「それに、口では上手いことを言って、汚い仕事を自分達にやらせたと言われるのは避けたいんだよね」

「クロノ様は気遣いの塊みたいな」

「けど、夜目が利かないのをお忘れみたいな?」

「そこは対策を練ってあります」


 クロノはポーチからメガネを取り出した。


「それは何みたいな?」

「文脈的に夜目が利くようになるアイテムだと思われ」

「その通り、このメガネを掛ければ暗闇を見通せるようになります。光を増幅させるアイテムだから強めの光を見ると目を傷めるし、人間にしか使えないけどね」


 エリルに作らせたアイテムだ。

 壊したらマズいので、ポーチにしまう。


「クロノ様、野営の準備が終わったし」

「いよいよ、攻撃みたいな?」

「まだだよ」


 クロノは茂みに身を隠したまま近衛騎士団を観察する。

 彼らは焚き火を囲んでいた。


「自分達で料理はしていないみたいだね」

「どうやら、固パンではない模様」

「日保ちしなさそうみたいな」


 う~む、とクロノは唸った。


「クロノ様、ここは喜ぶべきみたいな」

「固パンの父として名を残すのは戦後にどうぞみたいな」

「いや、そうではなく」


 クロノはパタパタと手を左右に振った。


「タイガ、一般兵はどうしてる?」

『一般兵はパンを食べているでござる』(がう)


 通信用マジックアイテムからくぐもった声が聞こえてきた。

 一般兵はパンを食べているらしいが、クロノは取りにくる姿を見ていない。

 どうやら、近衛騎士団と一般兵の糧秣は別々に運んでいるようだ。

 恐らく、指揮官は両者の仲が悪いと理解しているのだろう。


「どうも聞いていた話と違うな」

「噂はあくまで噂だし」

「先入観は危険みたいな」

「それもそうだね」


 ルーカス・レサト伯爵は黒い噂が絶えず、その部下は弱兵揃いと聞いていたが、それだけで無能と決めつけるのは危険だ。


「そろそろ、OKみたいな?」

「タイミングはお任せモードみたいな」


 アリデッドとデネブは機工弓を構え、矢を番える。

 矢と言っても鏃の代わりに小さな球体が付いている。

 焔舞のように派手な炎と音を撒き散らすマジックアイテムだ。


「タイガ、時間差でいくよ。まずは馬を狙って」

『了解でござる』(がう)


 クロノは静かに手を上げ、振り下ろした。

 アリデッドとデネブが矢を放ち、背後から無数の矢が飛来する。

 矢が地面に触れた瞬間、炎と音が放たれた。

 パパパパパンッという音は爆竹に似ていたが、炎がその威力を何倍にも高める。

 特に効果を発揮したのは馬だ。

 ある馬は竿立ちになり、ある馬は暴れ狂った。


「敵だ!」

「敵襲! 敵襲ッ!」


 近衛騎士が叫び、そこに新たな矢が降り注いだ。

 タイガ達が矢を放ったのだ。

 爆竹のような音が近衛騎士の声を掻き消し、馬をパニック状態に陥れる。


「どうどう!」


 近衛騎士の一人が慌てて駆け寄ったが、結果から言えば間違いだった。

 彼は後ろ脚で顔面を蹴られて吹っ飛んだ。

 一頭が街道を逆走すると、他の馬もその後を追った。

 兵士が吹き飛び、天幕が倒れる。

 悲鳴が巻き起こる。

 天幕から肥え太った男が飛び出してきた。

 あれがルーカス・レサトだろう。

 殺しておきたいが、二万の兵を賊徒に変える訳にはいかない。


「敵は何処だ!」

「あそこだ!」

「何をしている! 追え追うんだ!」


 いやいや、君らが追ってきなよ。と言うか、追ってきて下さい、とクロノは心の中で動こうとしない近衛騎士に懇願する。


「仕方がない。腕や脚を狙って攻撃だ」

「待ってました!」

「前面に展開! 殺さないように放てみたいな!」


 木々の揺れる音が響き、弓兵がクロノの前に展開する。

 三十人ほどだが、最古参の兵士達だ。


「放て!」


 クロノが叫ぶと、弓兵は一斉に矢を放った。

 ギャッ、と近衛騎士は悲鳴を上げ、その場に倒れた。

 木々が密集しているにもかかわらず、標的を射抜く技量に深い満足感を覚える。


「クソッ、ぶち殺してやる!」


 十人ほどの近衛騎士が森に分け入ってくる。


「放て!」


 クロノの号令に従い、弓兵が再び矢を放つ。

 矢が腕に、太股に突き刺さり、近衛騎士はその場に頽れた。


「痛ぇ! だ、誰か助けてくれッ!」


 近衛騎士が体を揺すって助けを求めるが、動こうとする者はいない。


「う~ん、火付きが悪い」


 一斉に掛かってこられたらそれはそれで困るのだが、味方が助けを求めているのに何もしないのも困る。

 森の奥に誘き寄せるのは無理か、とクロノは小さく溜息を吐いた。


「一時撤退!」


 クロノは通信用マジックアイテムに向かって叫び、メガネを掛けた。

 視界が一気に明るくなる。


『了解でござる』(がう)


 クロノは森の奥に向かって駆け出す。

 弓兵も一斉に退く。


「もう少し被害を増やせると思ったのに!」

「残念無念みたいな!」

「僕もだよ。けど、ここからだよ、ここから」

「黒ッ!」

「黒さが滲み出てるみたいな!」


 クロノがニヤリと笑うと、アリデッドとデネブは囃し立てるように言った。



 朝――。


「……ぐッ」


 ルーカスは胸の痛みで目を覚ました。

 全身が汗に濡れ、頭がボーッとする。


「……反乱軍め」


 ベッドから下り、小さく吐き捨てる。

 夕方、帝国は反乱軍の襲撃を受け、若干名の死者と多数の負傷者を出した。

 その大部分は暴走した馬によるものだ。

 その後、反乱軍は撤退したが、夜が更けた頃に再びやってきた。

 マジックアイテムで炎と音を撒き散らした。

 それも一晩中だ。

 こちらが追えば逃げ、追わなければ延々と同じことを繰り返す。

 思い出したかのように殺傷力のある魔術やマジックアイテムを使うのが憎たらしい。

 さらに糧秣に火を点けた。

 しかも、近衛騎士団の糧秣にだけだ。

 恐らく、反乱軍は近衛騎士団と一般兵の仲が悪いことに気付いている。

 糧秣を分配することで両者の仲はますます険悪なものになるだろう。

 食べ物の恨みは恐ろしいのだ。

 ルーカスは胸の痛みに顔を顰めながら上着を羽織った。

 天幕から出ると、部下達はぐったりとしていた。

 馬はもう半分も残っていない。


「軍団長、出発を遅らせることはできませんか?」

「何を言っているのだ」

「一晩中、攻撃を受け続けて皆疲弊しています」


 副官が言うと、部下達は同意するように頷いた。


「駄目だ。予定通りに出発する」


 ルーカスの言葉に部下達は明らかに落胆したようだった。

 どれだけ反乱軍に踊らされれば気が済むのか。

 昨夜の襲撃でただでさえ心許なかった糧秣がさらに減った。

 詳しい計算はしていないが、ギリギリまで切り詰めて四日保つかという量だ。

 それに、どれほど糧秣が補給されるか分からない状況だ。

 ここで行軍を遅らせれば空きっ腹を抱えて戦う羽目になる。


「さっさと天幕を片付け、一般兵から抽出した輜重隊を出発させろ!」

「……はい」

「声が小さいぞッ!」

「はいッ!」


 ルーカスが怒鳴ると、副官は自棄になったように叫んだ。

 部下達がだらだらと動き始める。

 その顔には不満の色がありありと浮かんでいる。

 大方、どうして自分達がこんな目に遭うのかと考えているのだろう。

 痛む胸を押さえ、溜息を吐く。

 彼らを部下に望んだのはルーカス自身だが、勝手なもので苛立ちが募ってしまう。

 設置の倍ほどの時間を掛け、ようやく天幕を片付け終える。


「行くぞッ!」


 ルーカスは自分の馬に乗り、行軍を再開した。

 副官を始め、部下達は無言だ。

 よほど昨夜のことが堪えているのだろう。

 特に話すこともないので馬を進め、石の柱と擦れ違った。

 太さは一抱えほど、高さは腰まである。

 しばらく進むと、また石の柱があった。


「待て!」

「何ですか?」


 副官がうんざりしたように言う。


「さっき、石の柱が地面に刺さっていたのだが……」

「ああ、ありましたね。それがどうかしましたか?」

「また石の柱があった」

「ああ、そうですね。それがどうかしたんですか?」


 副官は振り返り、やはりうんざりしたような口調で言った。


「お前は気にならないのか?」

「訳の分からない風習なら何処にだってありますよ。爆発する訳じゃなし、さっさと進みましょう」

「……そうだな」


 副官の言葉にも一理ある。

 攻撃のために設置しているのならば無事に通り抜けられるのはおかしい。

 こちらに疑念を抱かせるために意味のないことをしている可能性だってある。


「だが、警戒を怠るな」

「はい、分かりました」


 ルーカスは石の柱に警戒しながら馬を進めた。

 腹が減ったと子どものようなことを言う副官を無視して行軍を続ける。

 陽が大きく傾いてきた頃、視界が開けた。


「……野戦陣地か」


 ルーカスは馬を止め、呻いた。

 事前に確認した地図によればまだまだ森が続いているはずだ。

 にもかかわらず、森が途切れ、その代わりに野戦陣地らしきものが姿を現した。


「奇妙な陣地ですね」

「お前は軍学校で何を学んでいたんだ。あれは塹壕だ」

「塹壕なんて初めて聞きましたよ」


 ルーカスは深々と溜息を吐いた。

 中央には街道を分断するように、その両翼にはジグザグに塹壕が掘られている。


「じゃあ、あの針金は何です?」

「知らん」

「そうですか」


 意趣返しのつもりか、副官は小馬鹿にするように頷いた。

 塹壕の手前には馬防柵、さらにその手前には針金のような物が並んでいる。

 ついでに言えば馬防柵は横木がなく、その代わりに針金が張られていた。

 反乱軍の兵士は塹壕からこちらの様子を窺っていた。

 その後ろには盾を持った大型亜人と弓兵が控えていた。


「反乱軍って言うから少しは期待してたんですけどね。あんな針金と穴に縋るしかないなんて哀れなもんですね」

「大したことないと言うことか?」

「ええ、大したことありませんよ」

「だったら、お前が先行しろ」

「ええ、良いですよ。あれくらいなら残った騎兵で突破できます」


 副官は即答したが、ルーカスは薄ら寒いものを感じていた。

 未知への恐怖と言ってしまえばそれまでかも知れない。


「……ただし、あれを突破したら俺のやり方に文句を付けないで下さい」

「分かった」


 へへ、と副官は下品な笑みを浮かべた。


「皇族の具合を確かめてみたかったんだ」

「……」


 副官の呟きをルーカスは無視した。

 ここで死ななくても、この次の戦場で死ぬだろう。


「おい! 一番槍の栄誉に浴したい者は集まれッ!」


 ルーカスは副官を横目に見ながら馬から下り、近くにあった倒木に腰を下ろした。

 さて、何人集まることやら。

 そんな冷めた気分で見ていたのだが、副官はあっと言う間に百人の騎兵を集めた。

 意外な才能と言うべきか。

 自分の部下になっていなければ自力で大隊長になったかも知れない。

 副官は横一列に並ぶ騎兵を背に胸を張った。

 誇らしい気持ちは分かる。

 軽騎兵とは言え、百騎の騎兵を率いるのは気分が良いだろう。


「軍団長、約束を忘れないで下さいよ」

「分かっている」


 へへへ、と副官は笑いながら騎兵の間に割り込んだ。


「お前ら! アイツらをぶち殺せば褒美は思いのままだ! 進めぇッ!」


 副官が馬を進ませると、騎兵が動き始める。

 碌に訓練などしていないのに驚くほど足並みが揃っている。

 徐々にスピードが上がり、


「ヤツらをぶち殺せ! ウラーーーーッ!」

「ウラーーーーッ!」


 騎兵達が一斉に吠えた。

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