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クロの戦記 異世界転移した僕が最強なのはベッドの上だけのようです  作者: サイトウアユム
第7部:クロの戦記

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124/202

第10話『叛旗』【後編】



 レオンハルトはリオに併走して馬を走らせる。

 芥子粒のように小さかった人影が徐々に大きく、鮮明になっていく。

 風になびく金色の髪、決意を感じさせる碧眼、引き結ばれた桜色の唇。

 剣を片手に立つ姿は神話で語られる戦乙女を想起させる。

 ティリア皇女は街道の真ん中に立ち、こちらを睨んでいた。

 ふとレオンハルトは違和感を覚えた。

 だが、その正体に気付けない。


「神器召喚!」


 緑色の光が集まり、リオの手に弓が現れる。

 精緻な細工の為された弓だ。

 神器召喚――神の力を具現化する神威術だ。


「捕らえるのではなかったのかね?」

「少し脅すだけさ」


 リオは馬から身を乗り出し、弦を引き絞った。

 緑色の光が収束し、矢を形成する。


「死なないでおくれよ!」


 リオが矢を放つ。

 矢は一直線に突き進み、ティリア皇女を掠めて地面に突き刺さった。

 爆音が鳴り響き、大量の土を巻き上げる。

 まるで間欠泉だ。

 だが、ティリア皇女は揺るぎもしない。

 風に髪をなびかせ、こちらを睨み付けている。

 違和感が膨れ上がる。


「何度も手合わせしただけあるね。これならどうかな?」


 リオが続けざまに矢を放った。

 先程と同じくティリア皇女を掠めてその背後に突き刺さる。

 爆音が断続的に鳴り響き、そのたびに土が噴き上がる。

 やはり、ティリア皇女は微動だにしない。

 相変わらず、髪を――。


「しまった!」


 レオンハルトはようやく違和感の正体に気付いた。

 ティリア皇女の髪は爆風の影響を受けていない。

 いくら疲れているとは言え、信じがたい愚鈍さだ。


「リオ殿! それは神威術によって作られた幻だッ!」

「何だってッ?」


 ティリア皇女がニヤリと笑い、その姿が掻き消える。

『純白にして秩序を司る神』の神威術は光を操る。

 光を操作して任意の場所に自分の姿を映し出すことも不可能ではない。

 レオンハルトは馬首を巡らせた。

 次の瞬間、地面が鳴動した。

 地割れがレオンハルト達と護送車を分断するように走り、そこに数人の部下が呑み込まれる。

 すぐに出てこない点から相当な深さだと分かる。

 それにしても――。


「……何と言う長さだ」


 ゴクリと喉を鳴らす。

 地割れは視界の端から端まで続いている。

 リオ、いや、ナム・コルヌ女男爵に匹敵する神威術の使い手だ。

 いかん、とレオンハルトは頭を振った。

 今は驚いている場合ではない。

 地割れを乗り越え、護送車を守らなければならない。

 幸いというべきか、地割れの向こうには七十騎程の部下がいる。


「戻るぞ!」

「ああ!」


 レオンハルトとリオは馬を走らせ、地割れに向かう。

 ふと視界の上部で何かが煌めいた。

 炎が爆発的に膨れ上がり、天を覆った。

 馬が竿立ちになり、足下に何か――透明な球体が落下してきた。


「神よ!」

「神よ!」


 レオンハルトとリオは神威術『神衣』と『聖盾』を発動する。

 光が体を包み、光の盾が現れる。

 透明な球体が赤い閃光を放ち、炎と爆風が押し寄せる。

 レオンハルトとリオは馬から投げ出される。

 地面を転がり、立ち上がる。

 どうやら、透明な球体はマジックアイテムだったようだ。


「……殺す気だな」


 レオンハルトは愛馬の死体を見下ろし、小さく呟く。

 我ながら馬鹿な台詞だと思う。

 馬の体が半ば吹き飛んでいるのだ。

 これで相手に殺す気がないと考える方がどうかしている。


「神威術を使える者は『防壁』を展開しろ!」


 レオンハルトの命令に従い、部下が半球上の防壁を展開する。


「ティリア皇女の目的はクロノ殿だ! クロノ殿を――ッ!」


 マジックアイテムが炎と爆風を撒き散らし、レオンハルトの声を掻き消した。


「リオ殿、私の声を部下に届くように!」

「分かってるさ」


 リオが人差し指を上に向ける。

 緑色の光が渦を巻き、拡散する。


「命令する! 神威術を使える者は『防壁』を展開しろ! ティリア皇女の目的はクロノ殿の奪還だ! クロノ殿を奪われるな!」


 不意に攻撃が止んだ。

 遥か後方の空間が揺らぎ、ティリア皇女が姿を現す。

 いや、ティリア皇女だけではない。

 右翼には白い毛の人狼――シロに率いられた獣人の歩兵が十人、左翼には灰色の毛の人狼――ハイイロに率いられた獣人の歩兵が十人展開している。

 さらにティリア皇女の背後には三十人ほどの獣人の歩兵とエルフの弓兵が控えている。

 ティリア皇女は腕を組み、こちらを睨んでいる。

 動こうとしないのは神威術を使い、消耗しているからだろうか。


「クロノを置いて、とっとと帝都に帰れ!」


 凜とした声がレオンハルトの耳に届く。

 どうやら、リオが神威術で声を拾っているようだ。


「こちらの声は届くのかね?」

「もちろんさ」

「クロノ殿の捕縛はアルフォート陛下の命である!」

「交渉決裂だな」


 レオンハルトは顔を顰めた。

 交渉決裂と言うくらいならばもう少し前向きな姿勢を見せて欲しいものだ。

 まあ、自分にそんなことを言う資格がないのは分かっているが。


「では……死ねッ!」


 ティリア皇女が叫び、攻撃が再び始まった。

 両翼にいた獣人が手にしていた武器でマジックアイテムを放つ。

 マジックアイテムは山なりの軌道を描き、空中で、地面で炎と爆風を解き放つ。

 部下が次々と馬から投げ出される。

 自分の意思で下馬できた者は少数だ。

 馬に蹴られて吹き飛ばされる者も少なくない。


「くッ、あの武器は何だい?」

「あれはクロスボウだ」


 レオンハルトはリオの問いに答える。

 その間にも攻撃は続いている。


「クロスボウ?」

「実家の倉庫で見たことがある。とうの昔に廃れた武器だ」


 調練の手間は掛からないが、射程は弓に比べて短く、連射性も低い。

 弓兵を育成できる環境を整えた帝国では自然と廃れた武器である。

 まさか、そんな忘れられつつある武器を復活させるとは。

 部下の展開していた『防壁』が不規則に揺らぐ。

 繰り返される攻撃で限界を迎えつつあるのだろう。

 このままでは部下が神に食われる。


「ケイロン伯爵には申し訳ないけど!」

「クロノ様の命には替えられないみたいな!」


 双子のエルフ――アリデッドとデネブが矢を放ち、腕や脚を射貫かれた部下が短い悲鳴を上げて地面に倒れる。

 他のエルフは爆風の影響で矢を命中させられないというのに恐るべき技量だ。

 じり貧だと判断したのか、護送車を守っていた部下の一部が敵両翼に突撃する。

 クロスボウが連射できないことに気付いたのだ。

 部下は道から飛び出し、腰まである草を掻き分けながら進む。

 だが――。


「ギャァァァァッ!」


 部下の姿が消え、悲鳴が響き渡る。

 這いずりながら道に戻った部下の足には木の杭が突き刺さっていた。

 ティリア皇女は茂みに罠を仕掛けていたのだ。


「護送車を盾にしろ! 連中の目的はクロノ殿の奪か――」


 護送車の間近で爆発が起きる。


「ティリア皇女! クロノ殿がどうなっても良いのかッ!」

「腕の一本や二本なら構わん! 死ななければ神威術で助けられる!」

「なんて女だ」


 リオが呆然と呟く。

 突っ込みを入れたい気持ちはあったが、概ね同意見だ。


「騙し討ちに、奇襲……それに罠。プライドってもんがないのかい?」

「ふ、ふははははははッ!」


 返答は哄笑だった。


「愛する男が連れ去られようとしているのだ! プライドなどいらんッ! そもそも、余計なプライドのせいでクロノを私だけのものにできなかったのだ! 同じ失敗を繰り返してなるものかッ!」

「正気か」


 ティリア皇女が吠え、レオンハルトは呆気に取られた。


「あの女はクロノに狂っているのさ。それはボクも同じだけれどね」


 リオが囁いた直後、側面から飛来した青い閃光――風の上位魔術『雷霆乱舞』が目の前にいた部下達を呑み込んだ。

 部下は辛うじて『雷霆乱舞』を凌いだものの、力尽きたように膝を屈した。


「エリル!」


 リオが叫び、光の矢を放つ。

 その先には第十一近衛騎士団の元団長エリル・サルドメリク子爵がいた。

 エリルは高速で移動し、立て続けに魔術を放つ。

 青い閃光が、爆炎が、暴風が、冷気が戦場を蹂躙する。

 リオも負けじと矢を放つが、エリルはこちらを向いたまま攻撃を躱す。

 体の向きを考えると横走りをしているはずだが、それにしては不自然なほど上下に動いていない。

 どうやって移動しているのか分からないが、エリルが魔術を放つたびに部下がバタバタと倒れていく。

 ティリア皇女の言葉を本気にしているのか思いっきり護送車を巻き込んでいる。

 気が付くと、地割れの手前にいる部下は全滅に近い状況に陥っていた。

 地割れの向こうにいる部下は五十人余り。


「お前達は先に行け!」

「まだやれます!」

「それを決めるのはお前達ではない! 行け!」

「くッ、ご武運を!」


 部下は口惜しげに呻き、護送車と反対方向に走り出した。

 レオンハルトは爆風に耐えながら護送車に向かう。

 リオも同様だ。

 自分達が駆けつければ逆転の目はある。

 だと言うのに爆風でなかなか前に進めない。


「マジックアイテムによる攻撃は長く続かん! 凌げ! 凌ぎきれば我々の勝ちだッ!」


 オーッ! と部下がレオンハルトの言葉に雄叫びを上げ、マジックアイテムによる攻撃がピタリと止んだ。

 だが、レオンハルトとリオに対する攻撃は続いている。

 恐らく、マジックアイテムが残り少なくなったため節約しようとしているのだろう。

 その時だ。

 護送車が轟音と共に天高く舞い上がり、火柱が後を追うように立ち上った。

 護送車が地面に叩き付けられ、横倒しになる。


「正気かッ?」

「腕の一本や二本なら構わんと言ったはずだ!」


 レオンハルトの叫びにティリア皇女が応じる。


「スー、やれ!」


 ティリア皇女が横転した護送車を指差すと、浅黒い肌の少女――スーが石槍を手に歩み出た。

 漆黒の光が蛮族の戦化粧のように体を彩っている。


「クロノ、返ス!」


 スーが見事なフォームで漆黒の光に包まれた石槍を投擲する。

 石槍が護送車の側面――今は天井になっているが――に突き刺さり、漆黒の光が点いたり消えたりを繰り返す。

 その間隔は段々と短くなっていき、遂には爆発した。

 ぽっかりと護送車に穴が空く。


「マジックアイテムは打ち止めだ! 刻印術を使ったことがその証拠だ! 団長とケイロン伯爵が敵を引き付けている隙に突っ込むぞ!」


 叫んだのは部下の一人だ。

 部下は飛び出し、ティリア皇女達に向かって手を突き出す。


「止め――ッ!」

「雷霆乱舞!」

『あっしに任せて下せぇッ!』(ぶもッ!)


 青い閃光が放たれ、クロノの副官――ミノがティリア皇女を庇うように飛び出した。

 だが、ミノタウルスである彼には魔術が使えないはずだ。


 ぶもぉぉぉぉぉぉぉッ!


 ミノが雄叫びを上げ、黄色の光が蛮族の戦化粧のように体を彩った。

 刻印術――ベテル山脈とアレオス山地の部族に伝わる精霊と一体化するための呪法。


 ぶもぉぉぉぉぉぉッ!


 黄色の防壁が展開し、青い閃光を上空に弾き飛ばした。

 ミノは恐るべきスピードで部下に突っ込む。

 最初の餌食になったのは『雷霆乱舞』を放った部下だ。

 ポールアクスが脇腹に突き刺さり、血反吐を撒き散らしながら吹き飛ばされた。


 ぶもぉぉぉぉぉぉッ!


 ミノは雄叫びを上げ、ポールアクスを振り回した。

 そのたびに部下が吹き飛ぶ。

 部下達は隊列を組み、ミノに対抗しようとする。

 だが、そこに炎が降り注いだ。

 いや、炎ではない。

 赤い光で体を彩った獣人だ。


『援護するでござる!』(がう!)


 虎の獣人が大剣を振り回す。

 ミノとのコンビネーションはまるで嵐のようだ。

 ここに来るまでに疲労し、マジックアイテムによる攻撃を防ぐために消耗した部下には荷が勝ちすぎる。


「ぐあッ!」

「ぎゃッ!」


 部下の悲鳴が上がる。

 見ればハーフエルフの少女――スノウが背後から部下を突き刺していた。

 部下がスノウに斬りかかる。

 だが、スノウは見事な体捌きで躱し、茂みに逃げ込んだ。


「クロノ!」


 リオが叫び、レオンハルトは護送車を見上げた。

 クロノが護送車の上からこちらを見ていた。


「クロノ! 言ってくれ!」


 リオが叫ぶ。


「一言で良いんだ! 来いと言ってくれ!」


 何を言っているのだ、とレオンハルトはリオに視線を向けた。

 ああ、いや、これはこういうものなのだ。

 クロノを自分の手元に置けるからアルフォートの命に従い、それができなくなるから反逆しようとしている。

 自分の領地や部下のことなど欠片も考えていない。

 レオンハルトには理解できない。

 いや、彼がこういうものだということは理解できるが、どうして貴族でありながら感情を優先するのかが分からない。

 その以前に――何故、クロノ殿に懇願する? とレオンハルトは剣の柄に触れながら自問する。

 この距離ならば一瞬でリオを殺せる。


「クロノ! お願いだ!」


 不意に答えが閃いた。

 リオは自分を求めて欲しいのだ。

 それ以外に何もいらないと考えている。

 ふとクロノと目が合う。

 レオンハルトの狙いに気付いたのか、唇を噛み締める。

 クロノがどのような選択をするのか分かっていた。


「クロノ殿! 今ならまだ間に合う! 私達に背を向ければ殺さざるを得なくなってしまう! 君の大切な部下を巻き込むことになる! それでも、良いのかッ?」


 レオンハルトは叫びながら自分の馬鹿さ加減を呪った。

 自分の言葉はクロノに届かない。

 友情よりも自分の利益を優先する男の言葉が誰の心を打つと言うのだろう。

 力ある言葉とは心と行動を一致させている者にしか発せないのだ。

 それに、クロノには分かっているはずだ。

 部下がクロノと共に死ぬためにここに来ていると。


「リオ!」

「クロノ!」


 クロノが叫び、リオは身を乗り出した。


「ごめん!」

「……」


 謝罪の言葉にリオは言葉を失った。

 普通に考えればクロノがリオを反逆者にしたくないと分かる。

 だが、リオには拒絶の言葉としか感じられない。


「どうして、ボクを選んでくれないんだッ!」


 リオはクロノの背に光の矢を放った。

 だが、何処からともなく飛来した矢が光の矢にぶつかる。

 光の矢は閃光を放ち、小さな竜巻が発生する。

 一体、誰が、と視線を巡らせる。

 弓を構えたまま動きを止めているハーフエルフ――レイラの姿が目に留まる。

 アリデッドとデネブの技量も素晴らしいが、桁が違う。

 まさしく神業だ。

 恐らく、彼女の技量は帝国で一、二を争う。


「レイラ!」


 リオが叫び、トンッという音と共に石槍が地面に突き刺さった。


「いかん!」


 レオンハルトが『防壁』を強化すると同時に石槍が衝撃波を放った。

 腕で目を庇い、歯を食い縛って衝撃に耐える。

 目を開くと、クロノ達は姿を消していた。


「……完敗だな」


 レオンハルトは神威術を解除し、小さく溜息を吐いた。

 足下を見ると、リオが倒れていた。

 どうやら、意識を失っているようだ。

 殺さずに済んで良かったと思う一方で、彼はここで殺された――クロノに選ばれた方が幸せだったのではないかと思わずにはいられなかった。



 侯爵邸の会議室――クロノは最前列の席に座り、ティリアの話を聞いていた。


「まずはカド伯爵領から街道を南進し、海路で物資を補給するためにカイ皇帝直轄領の港を占領する。次に帝都近郊の草原地帯に野戦陣地を構築し、帝国軍を迎え撃つ」


 ティリアは金属の棒でカド伯爵領とカイ皇帝直轄領を結ぶ街道をなぞり、ユスティア城の下を叩いた。



挿絵(By みてみん)



「帝国軍を撃破した後は帝都に雪崩れ込み、アルフォートを血祭りに上げる。最後に私が皇位を継いで終了だ」

「簡単だろと言わんばかりの口調だし」

「言うは易く行うは難しの典型みたいな」

「ざっくりと説明しただけだ」


 アリデッドとデネブが文句を言い、ティリアは柳眉を逆立てた。


『海路で物資を輸送するってぇ意見には賛成ですぜ』(ぶもぶも)

『ご飯、大事』(がう)

『補給、大事』(がう)


 副官、シロ、ハイイロの三人が頷く。


「カイ皇帝直轄領の商業連合とは友好的な関係を築いているのですから武力で制圧するのは悪手ではないでしょうか? 事情を説明すれば協力してくれるかも知れません」

「良い意見だ、ハーフエルフ」


 ティリアは鷹揚に頷いた。


「だが、商業連合は信用できん」

「どうしてですか?」

「連中と友好的な関係が築けているのは利害が一致しているからだ。利害が対立すれば簡単に裏切るぞ」


 なるほど、とレイラは頷いた。


「ですが、やはり、武力で制圧するのは悪手に思えます」

「うむ、私も武力に訴えるのは最後の手段にしたいと考えている。となれば武力を背景に説得するしかない」

「帝国軍と戦っている最中に背後から襲われないでしょうか?」

「そこは利害を一致させるしかないな」

「利害が対立すれば裏切ると仰ったばかりなのですが?」

「我々の勝利が商業連合に利益に繋がると分かればギリギリまで踏み止まるはずだ。そのためにある程度までなら要求を呑むつもりだ」

「空手形を乱発するようなことにならなければ良いのですが、はい」

「その辺の調整は任せる」


 シッターが汗を拭いながら言い、ティリアは少しだけムッとしたように言う。


「私は野戦陣地の構築を手伝えば宜しいのですか?」

「うむ、期待しているぞ」

「お任せ下さい」


 シオンは胸に手を当て、大きく頷いた。


「……クロノはどうだ?」

「ごめん。頭が付いていかない」


 救出されたと思ったら会議室で作戦会議だ。

 しかも、内乱の。


「そもそも、圧倒的な兵力差があるんだよ?」

「ブーブー、絵に描いた料理みたいな!」

「お腹は膨れないぞみたいな!」


 アリデッドとデネブがクロノを援護する。

 だが――。


「お前達には説明したが?」

「そ、そんなこともあったかなみたいな」

「そう言えば聞いた記憶があるみたいな」


 二人は顔を背けた。


「兵力差を埋める手があるの?」

「あると言えばある」

「……微妙な肯定の仕方を」


 クロノは呻いた。

 どうせなら自信満々で言い切って欲しいものだ。


「少なくとも侯爵邸の連中は私の提案に乗った」

「別にティリア皇女の提案に乗った訳じゃないし」

「つか、私の提案とか超ウケるし」


 ティリアは無言でアリデッドとデネブの頭を掴んだ。


「死ぬか?」

「あたしらの運命風前の灯火みたいな」

「この展開も久しぶりみたいな」


 二人とも余裕がある。


「遅れたであります! フェイ・ムリファイン、フェイ・ムリファイン! ただいま到着であります!」


 フェイは会議室に入るなり背筋を伸ばして敬礼した。

 ティリアは二人から手を離し、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。



 翌々日、クロノとティリアは侯爵邸の一階――超長距離通信用マジックアイテムの端末が設置された部屋にいた。

 その傍らには通信用マジックアイテムの端末が置いてある。

 現在、クロノの領地には通信用マジックアイテムを用いた通信網が構築されている。

 ハシェルとシルバニアには通信用マジックアイテムを持った兵士が全域をカバーできるように立っている。

 もちろん、各村にも通信用マジックアイテムを持った兵士を派遣している。


「なかなか緊張するものだな」

「ティリア、頑張って」

「もちろんだ。この演説に全てが掛かっているのだからな」


 ティリアは深呼吸を繰り返し、端末の前に立った。


「私はケフェウス帝国前皇帝の娘ティリアである。知っている者もいるかも知れないが、私は病気療養のためにエラキス侯爵領にいる」


 そこで言葉を句切る。


「公的にはそのようになっているが、それは嘘だ。私は皇位継承権を奪われ、帝都を遠く離れたエラキス侯爵領に放逐されたのだ」


 ティリアは小さく溜息を吐いた。


「これには深い理由があるのだが、理由を説明するには親友であるクロノについても語らねばなるまい。私とクロノは軍学校の同期だ。私達は出会った瞬間から運命的なものを感じ、身分の差を越えて親交を深めた」


 嘘である。

 クロノとティリアが仲良くなった切っ掛けは軍学校で行われた軍事演習だ。


「私達は国家のあるべき姿、帝国の将来について時間を忘れて語り合ったものだ」


 ティリアは溜息を吐くように言った。

 恐らく、憂いを帯びた声と認識していることだろう。



『私達が思い描く帝国とは……そこに住む者が等しく価値を持つ国家である。国家に忠誠を誓う限りという前提はあるが、皇帝の前では貴族も、平民も……人間も、亜人も、娼婦も、奴隷も、異民族ですら等しい価値を持つ』


 レイラは胸の前で手を組み、村人達がどよめく様子を見ていた。

 世界人権宣言――クロノがレイラを引き止めるために紡いだ言葉だ。

 世界には程遠く、条件もあるが、理想に向かって大きく前進したのだ。

 だから、祈る。

 この理想をより多くの人と分かち合えますように、と。



 エレインは『シナー貿易組合』の社屋でティリアの言葉を聞いていた。

 一人ではなく、シルバニアの顔役も一緒だ。


『では、等しい価値とは何なのか? それは出自を理由に不利益を被らないということであり、法を犯せば誰もが同じように裁かれるということである』


 割と酷いことを言っているような気はするのだけれど、とエレインは脚を組んだ。

 まるで等しく価値を持たないと言われているような気さえする。

 だが、それはそれで面白いと思う。

 ティリア皇女は言葉を続ける。


『それだけで等しい価値を持つと言えるだろうか? 今まで一部の者が決めていた国の在り方、施策に皆の意見を反映させて初めて等しい価値を持つと言えるのではないか。とは言え、完璧な意思統一は不可能だ。いや、可能かも知れないが、そのためには莫大な時間が必要となる』


 それはそうよ、とエレインは微笑む。

 人間は勝手な生き物だ。

 完璧な意思統一などできるはずがない。


『さらに言えば平民と貴族では価値観が異なる。平民は日々の生活の中でどうあって欲しいかを考え、貴族は大局的な見地からどうあるべきかと考える。そこで平民の代表者からなる平民会と貴族の代表からなる貴族会を設置し、両会が必要と判断した施策を皇帝が承認するという方法で国を動かして行くべきではないか』


 エレインは笑みを深めた。

 それは娼婦上がりの自分が国を動かせるかも知れないということだ。

 まあ、そのためにはティリア皇女に勝って貰わなければならないが。



『もっとも、この方法にも問題はある。代表者を正しく選ぶには甘言に騙されない知識が必要になる。恐らく、この方法を実現するためには最低でも二十年の歳月が必要になるだろう。困難な道のりだ。それでも、私は二十年の歳月を掛けるだけの価値があると信じている』


 アーサーは侯爵邸でティリア皇女の演説に耳を傾けていた。


『クロノが今まで行ってきた施策はそのためでもある。民の力が強まれば私達の理想は実現すると強く信じていた』


 だが! とティリアは語調を強めた。


『アルフォートはそれを許さなかった! こともあろうに無実の罪をクロノに着せようとしたのだ! このような不法が許されて良いのかッ? 否、許されて良いはずがない!』


 ダンッという音が響く。

 恐らく、ティリア皇女が机を叩いたのだろう。


『これは私とクロノの問題ではない。私達の問題なのだ』


 アーサーはティリア皇女の思惑を理解している。

 これは兵力差を埋めるため、義勇兵を募るための演説だ。

 だが、この国は変わるという確信めいた思いが胸を支配していた。



 ハシェルの一角――。


「母ちゃん、母ちゃん。ティリア皇女は何て言ってるの?」

「……それはね」


 息子に問いかけられ、女は戸惑った。

 凄いことを言っているのは分かるが、どう凄いかを理解する学がない。

 多分、ここにいる連中もそうだ。

 私達の問題と言われても実感がない。

 女が戸惑っている間にもティリア皇女は言葉を紡ぐ。


『貴方達は己の出自に苦しめられたことはないだろうか。理不尽に受けた痛みに涙を流したことはないだろうか。自分の無力さに嘆いたことはないだろうか。希望が欲しいと思ったことはないだろうか。今を変えたいと思ったことはないだろうか。自分の子どもに幸せになって欲しいと願ったことはないだろうか。もし、そうなら力を貸して欲しい。私からは以上だ』


 女はティリア皇女の言葉に強い共感を覚えた。

 自分の子どもに幸せになって欲しい。

 母親であれば、いや、親であれば誰でもそう願うだろう。


「お前を幸せにするために母ちゃんと父ちゃんが頑張んなきゃならないってことだよ」


 そう言って、女は息子に笑いかけた。

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