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第9話『救貧院』



 草原に刻まれた傷のような道を辿り、荷馬車は『黄土神殿』を目指していた。

 救貧院を再開するに当たり、院長を務めることになったシオンの荷物を運ぶためだ。

 往路と言うこともあり、乗車スペースは十分にあるが、所詮は荷馬車だ。

 車輪は鉄を巻いただけ、サスペンションなんて気の利いた物はない。

 小石に乗り上げただけで突き上げるような衝撃が荷台を襲う。

 クロノがうんざりした気分で景色を眺めていると、隣にいたケインが遠慮がちに太股を叩いた。


「あの女が睨んでるんだけど、何かしたのか?」

「……何も」


 ちらりとシオンを盗み見ると、彼女は険しい目付きでクロノを睨んでいた。

 出会った時は、目元が幸せそうに緩んでいたのだけど。


「きっと、僕はヤマアラシなんだ」

「の割にハリが見えねーな?」

「見えない茨を体に巻き付けているのかも」


 良かれと思って相手を傷つけ、ついでに自分まで傷つくような自爆野郎です、とクロノは付け足した。


「あ~、あれだな。義賊を気取って貧乏人に金をばらまいたら、その貧乏人が打ち首にあったようなもんだな」

「いや、そこまでは」


 ちらりとシオンを盗み見ると、彼女は膝を抱えて唸っていた。


「心情的にはそれくらいのことをしてるかも」

「良いことをしてるのに、八方丸く収まらねーもんなんだな」

「そうだね」


 天を仰ぎ、クロノは溜息を吐いた。


「そろそろ、『神殿』が見えるはずです」


 馬車が緩やかな傾斜の丘を登り切ると、五百メートルほど先に巨大な岩が地面から突き出していた。

 岩と言うよりも岩盤だろうか。何かの切っ掛けで岩盤が砕け、そのまま地面に押し出されたように見える。

 岩盤の高さは二十メートル以上、その影に隠れるように『黄土神殿』は建っていた。


「……イメージと違う」

「ち、小さくて、悪かったですね」


 クロノはパルテノン神殿のような建物をイメージしていたのだが、『黄土神殿』は古い煉瓦造りの建物だった。

 丘の上から見ると、アルファベットの『T』を高く積み重ねたように見える。

 神殿の周囲は全て畑になっていて、青々とした葉が茂っている。

 神殿の近くに馬車を止め、クロノは岩を見上げた。


「行きますよ」

「は~い」


 シオンに促され、クロノとケインは神殿に足を踏み入れた。

 当然のことながら……と言うのは失礼だが、神殿の中は閑散としていた。

 信者が座るためのイスはなく、奥に小さな祭壇があるだけだ。


「なんか、礼拝堂みたい」

「?」


 クロノが呟くと、シオンは不審そうに首を傾げた。


「……この裏手が神官の居住スペースです」

「お邪魔しま~す」


 祭壇の横にある扉を潜ると、短い通路を挟んで扉が三つずつ並んでいた。


「誰もいません」

「一人で炊き出しをやってたの?」


 シオンは不満そうに唇を尖らせ、クロノを睨んだ。

 険悪な空気を察したのか、ケインがシオンとクロノの間に割って入った。


「クロノ様。神殿つーのは見返りがなきゃ、基本的に何にもしてくれねーの」

「違います! 私と父さんはみんなのために……」


 ケインが睨み付けると、シオンは気勢を削がれたように黙り込んだ。

 クロノの部下になったとはいえ、ケインは傭兵兼盗賊として修羅場を潜り抜けてきた男である。

 そんな彼にとって、シオンのような娘を視線のみで黙らせることは難しくないのかも知れない。


「神殿は寄付金を出して、初めて色々なことをしてくれるんだよ。寄付金の見込めない所は真面目だけが取り柄の下級神官を配置しておく。そうすりゃ、一から関係を築く必要がねーからな」


 クククッ、とケインは陰惨な忍び笑いを漏らした。


「……私は自分の荷物を運ぶので、二人は奥の部屋をお願いします」


 藪蛇になることを恐れたのか、シオンは自分の部屋に入った。


「神殿に嫌な思い出でもあるの?」

「そりゃ、盗賊だったしな」

「……そう」


 クロノは小さく呟いた。

 かつて、ケインは両親を槍で突き殺され、逃げる途中で妹も死んだと言ったが、実際は言葉で済ませられるような過去ではないはずだ。


「昔のことさ。さっさと運んじまおうぜ」

「分かったよ」


 ケインが気遣うように肩を叩き、クロノは頷いた。

 シオンに指示された部屋は物置として使われているようだった。

 麻の袋に入った切り干しビートが二十袋、鎌や鍬などの農具が置かれ、棚には古びた本や汚れた袋が並んでいた。


「取り敢えず、麻の袋を運ぼうか?」

「そっちは俺がやるんで、クロノ様は軽めのものを頼んます」


 ケインの気遣いに感謝し、クロノは棚の小物を手に取った。

 元々、物が少なかったこともあり、予想よりも短い時間でクロノとケインは荷物を馬車に運び終えた。

 それはシオンも同じで……彼女の荷物は一抱えもある袋が二つと本が十冊程度だ。


「……ビートはどうすれば良いでしょう?」

「ああ、畑の世話は俺の部下にやらせておく」


 ケインが答えると、シオンは驚いたように目を見開いた。


「今でこそ騎兵なんてやってるが、ガキの頃は俺も、俺の部下も畑を耕してたんだよ」

「苦労されたんですね」

「……言い表せないくらいな」


 ケインが悲しげに微笑むと、シオンは感極まったように手を合わせた。

 農民から騎兵なんて信じられないようなサクセスストーリーだ。

 僕と対応が違うな、とクロノは荷物を積んで狭くなった荷台に乗り込んだ。



 これといったトラブルもなく、クロノ達はハシェルの街に帰ってきた。

 シオンがケインにキラキラした視線を向けているのが印象的といえば印象的だった。

 女の子に嫌われるって辛いなぁ、とクロノは荷馬車の隅で膝を抱えた。


「クロノ様。荷台で膝を抱えて、どうしたんだい?」

「うん、ちょっと凹んでた」


 女将に声を掛けられ、クロノは顔を上げた。

 いつの間にか、救貧院……以前、救貧院として使われていた建物……に着いていたらしい。

 何年も使っていなかったので、女将と彼女の友人に掃除を頼んでおいたのだ。

 救貧院は煉瓦造り、クロノが入院していた病院のように一階がホール、二階が職員のための部屋になっている。

 建築費節約のためか、普通は見栄えを良くするために漆喰を塗るのだが、この建物は煉瓦が剥き出しだ。

 よろよろと荷馬車から降り、クロノは救貧院に足を踏み入れた。

 少し遅れて、シオンとケインが続く。


「クロノ様がいらしたよ、挨拶しな!」

「「「「は~い!」」」」


 女将の声に応じ、ホールを掃除していた四人の女性がクロノに走り寄る。

 年齢は女将と同じか、少し上に見える。

 まあ、これは女将が侯爵邸の備品を自由に使えるからだろう。


「……お願いがあるんだけど、聞いてくれるかい?」

「まず、聞くだけなら」


 クロノが予防線を張ると、女将は呆れたように溜息を吐いた。


「この子らを救貧院の職員として雇っちゃくれませんかね?」

「う~ん」


 クロノは女将の友人を見つめた。


「救貧院って、柄の悪い人も来ると思うんだけど?」

「腕っ節は男にだって負けませんよ。だから、お・ね・が・い」


 女将は豊かな胸をクロノに押しつけ、甘えるように囁いた。


「みんな、読み書きはできる?」

「ええ、読み書きと簡単な計算くらいなら」


 腕っ節が強くなくても、最低限の学力があるだけでも採用の価値はあるか。


「採用するよ。ただ、シオンさんを一人にしたくないから、最低でも一人は救貧院にいて欲しいんだけど」

「良いね、あんたら? 分かったら、掃除に戻りな!」

「「「「はい!」」」」


 四人は再び掃除に戻った。

 友人というよりも、指揮官と兵士のようだ。


「女将って、従軍経験とかある?」

「そんなもの、ありゃしませんよ」


 カラカラと女将は笑った。


「ん?」


 視線を感じて振り向くと、シオンが険しい目でクロノを見ていた。


「な~に、クロノ様を怖い目で睨んでるんだい?」

「あぅ!」


 女将は空気を読まずにシオンの額をチョップした。


「……わ、わたしは、そんな簡単に何でも決められてズルイと」

「それが領主ってもんなんだよ!」


 女将は再びシオンの額をチョップし、偉そうに腕を組んだ。


「傍から見りゃ簡単かも知れないけどね、この傷を見てごらん!」


 女将はクロノをヘッドロックし、右目の傷をシオンに向けた。


「クロノ様は体を張って領地を守ってるんだよ!」

「私や父さんだって、みんなのために頑張ってました!」

「……アンタの言う『みんな』って誰だい?」

「農村の人達や貧しい人達です」

「ハッ、笑わせるんじゃないよ」


 女将はシオンの真剣な眼差しを真っ向から受け止めた上で、小馬鹿にするように鼻で笑った。


「アンタの言う『みんな』ってのはアンタのことさ。だって、そうだろう? 農民や貧民のために頑張っていたんなら、アンタにできないことをしてくれるクロノ様を睨むなんてできやしないんだよ」

「女将、マズ……グッ!」


 女将は腕に力を込め、クロノの言葉を封じた。


「アンタはアンタのために頑張って、それが報われなかったから拗ねているだけなのさ」

「わ、私の父さんはビートの品種改良を……そ、そのビートから砂糖が採れると」

「アンタの父親の功績は認めるよ。けれど、ビートから砂糖を作ったのはクロノ様さ。アンタの父親はビートから砂糖を採れるなんて知らなかったのに、どうして、ビートの品種改良なんかしたんだい?」


 女将は容赦なくシオンから逃げ道を奪っていく。


「……そ、それは、『みんな』のために」

「そんなことをするよりも、地道に新しい作物の育て方を教えたり、新しい農法を広めた方が『みんな』のためだろ?」


 完全に逃げ道を潰され、シオンは顔面蒼白で喘いだ。


「アンタの父親だって、自分のためにビートの品種改良をしていたのさ」

「と、父さんは、父さんは……っ!」


 シオンは何も言えずに救貧院から飛び出した。


「ちょ、ちょっと、女将」

「言い過ぎちまったかね?」


 ヘッドロックを解き、女将は気まずそうに頬を掻いた。


「言い過ぎだよ。今までの努力どころか、目的まで否定しちゃってるし」

「けど、あれくらい言わないと、クロノ様もやりにくいし、あたしの友達も働きにくいだろ?」

「確かに、そうだな」


 女将が言うと、ケインが無精ヒゲを撫でながら同意した。


「……ケインまで」

「個人的な事情でパトロンに噛みつくくらいなら、最初から断れって話だろ? 救貧院にしても、ビートの栽培にしても、あの女じゃなきゃいけない理由はないしな」

「いやいや、必要な人材だよ」

「そんなのビートを盗めば、自分達で栽培できるようになるし、『黄土神殿』に金を積めば協力的なヤツが派遣されてくると思うぜ?」


 あれだけシオンから好意を向けられていたのにケインはドライだ。


「ここから先はクロノ様の判断次第だね」

「ああ、クロノ様の判断なら文句は言わねーよ」


 女将とケインは意地悪そうに笑った。

 深々と溜息を吐き、クロノはシオンの後を追った。



「ああ、もう神官の割に健脚だ!」


 一度、往復した『黄土神殿』までの道を走りながら、クロノはぼやいた。

 部下からハシェルの街から出て行ったと報告を受け、走れば追いつけるだろうと高を括っていたのだが、走っても、走っても、シオンの姿は見えない。

 馬に乗ってくれば良かった、とクロノが本格的に後悔し始めた頃、シオンらしき人影が見えた。

 泥に足を取られたのか、シオンらしき人影は転び、立ち上がろうとしなかった。


「シオンさん?」

「……」


 ようやく追いついたクロノは地面に突っ伏したシオンに声を掛けた。

 何度も転んだのか、シオンのローブは泥に塗れていた。


「……うぐ」


 シオンは嗚咽を堪えるように唸り、震える手で体を起こした。

 ずるずると鼻水を啜り、シオンは不確かな足取りで歩き始め……十歩も進まない内に泥濘に足を取られて転んだ。

 手も、足も、顔も泥まみれだ。


「……ヒッ、ヒグゥ」


 シオンは体を起こし、子どものように泣き始めた。


「子どもか、君は」


 ハンカチを持っていなかったので、クロノは服の袖でシオンの顔を拭ってやった。


「ど、うして、みんなのためじゃ、ダメなんですか?」

「『みんな』のためってお題目みたいに唱えるのが気に入らなかっただけじゃない? 女将じゃないから分からないけど」


 けふ、けふっとシオンは咳き込んだ。


「あ、貴方だって、『みんな』のために戦ったんじゃないんですか?」

「……部下のために戦場に残ったつもりだけど、結局は自分のためかもね」


 クロノは指で右目の傷をなぞった。

 立場や状況などの要素を排除すれば、自分が嫌だったからという身も蓋もない結論に辿り着いてしまう。

 工房に投資しているのも、和紙を量産しようとしているのも、農業改革だって、巡り巡ってクロノの利益になるのだ。


「自分の心を偽ったから、『黄土にして豊穣を司る母神』は私から神威術を取り上げたのでしょうか?」

「神様の気持ちなんて分からないよ」


 そうですよね、とシオンは打ちのめされたように俯いた。


「……私、最悪です。言い訳して、拗ねて、当たり散らして、何にもならなくて、神威術までなくして、折角、掃除の手伝いをしてくれた人まで怒らせて。穴があったら、埋まってしまいたいです」


 埋まってどうする、とクロノは心の中で突っ込んだが、本当に埋まってしまいそうな落ち込み加減である。


「シオンさん」

「ひゃっ!」


 ばしっとクロノが両肩を叩くと、シオンは驚いたように顔を上げた。


「きっと、今のシオンさんは神様と喧嘩中なんだ。そうでなければ、神様が冷静になるための時間をくれたんだ。そうに決まってる」

「あ、あの、さっきは神様の気持ちなんて分からないと」

「シオンさんがしっかりと自分の気持ちを見つめて、神様と仲直りできたら、神威術だって使えるようになる……はず」


 ぽかんと口を開けて、シオンはクロノを見つめた。


「取り敢えず、そう思っておいてよ。神威術が使えなくても……シオンさんにお願いしたい仕事はあるんだからさ」

「例えば、どんなことが?」

「救貧院の院長に、救貧院に入りたくない人のための炊き出し、農業技術の指導、僕の部下に勉強も教えて欲しいし……職業斡旋みたいなこともしたいから、各方面との折衝もよろしく!」


 クロノは立ち上がり、シオンに手を差し伸べた。


「……人使いが荒いです」


 ぼやくように言って、シオンはクロノの手を握り返した。



 一週間後、クロノはシオンと共に漆喰の塗られた救貧院を見上げた。

 あれからシオンは不満を口にしていたのが嘘のように懸命に働き、居住者が自分の空間を持てるようにホールを板で仕切ったりとアイディアを出してくれた。


「いよいよだね」

「少し不安ですけど、その時は職員やクロノ様に遠慮なく力を借りようと思います」


 シオンは柔らかな笑みを浮かべていった。

 この一週間で自分の感情を上手く処理できるようになったらしい。

 いや、努力した分だけ成果が出るのが嬉しいだけなのも知れない、


「院長、居住者の受付を始めます!」

「あ、すぐに行きます!」


 職員に呼ばれ、シオンは申し訳なさそうにクロノを見つめた。


「僕のことは気にしなくて良いから」

「はい!」


 クロノはシオンの背を見つめ、小さく微笑んだ。

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