フェネエア夫人の後妻紹介所
貴族街に大きく美しい屋敷が立ち並ぶ中、一際大きな屋敷の中にぽつんと建てられた小さな小屋。
その小屋の中で、フェネエア夫人は今日も香りの良い紅茶を自ら淹れていた。
カランコロン
小屋のベルが鳴り、屋敷の執事が現れた。
「あら、セバス。お客様かしら?」
「はい。奥方様。お約束のジズラータ伯がおいでです」
いつのまにかお茶菓子を並べ終えた夫人が、執事に振り返る。
「お通ししてちょうだい」
左胸に手を当てて頭を下げた執事が下がるのを見て、夫人は戸棚の中に並べられた何冊かの革張りの冊子から、数冊を取り出し、中身を改める。
「……この子達あたりなら、ご希望と合致するかしら」
冊子に映る少女たちの写真を見た夫人はそう言って、ゆったりとした動作で窓際の席に腰掛けた。
「ごきげんよう。ジズラータ伯爵」
歳を重ねたといえ、花が開いたような笑顔を浮かべた夫人に、一瞬面食らったように固まった伯爵は、慌てて笑顔を作って空いている席に向かって歩みを再開した。
「フェネエア夫人。お久しぶりですな」
タオルで汗を拭きながら、ジズラータ伯爵が腰掛けるのを見て、夫人はゆっくりと口を開いた。
「ようこそ。わたくしの後妻紹介所へ。こちらでは、年若い娘たちを後妻を求める殿方に紹介しておりますわ。二人の相性はわたくしの一存で判断しております……よろしいでしょうか?」
「あぁ、はい。わかっております」
頷く伯爵に、夫人は微笑みを浮かべてその様子を見守った。
「いやいや、街の若い娘達にもよく筋肉を触らせてくれって言われてなぁ」
世間話をいくつか挟んだのち、聞き上手な夫人は、伯爵から自慢話を引き出した。笑顔で頷き、反応を返す夫人の様子に上機嫌になった伯爵は、嬉しそうに自慢を続ける。伯爵は先の戦争の功労者だ。
と言っても、実際は伯爵の鍛え上げた自領の軍が活躍したのみで、彼の自認通りの筋肉質な身体はもう見当たらず、年齢通りに、いやそれ以上に身体は鈍っている。
タプタプと脂肪のついた身体に、不潔な加齢臭の漂う身体。
平民街の花街の女子たちの言葉を間に受けている伯爵の言葉に、夫人は頷き、しっかりと話を聞いている。
「若い娘たちからものすごく人気で、こんな俺なら、まだまだ愛し合える後妻ができるだろうって」
ニヤニヤとそう語る伯爵は、借金の肩にと数年前に十五歳年下の妻を娶ったはずだ。離縁したという噂は聞かないが、と思いながら、事前に貴族院に問い合わせて確認した伯爵の家族には、しっかりと弾が記載されている。
「もう妻も年老いてきておりまして。武器と一緒で、妻も定期的に若くて綺麗なものに入れ替えないとな、ははは」
そう笑う伯爵に、微笑んで話を聞く夫人。
一通り、伯爵の主張を聞いてから、夫人はやっと口を開いて言った。
「伯爵。まずは離縁なさってください。妻と別れた方にしか、わたくしも後妻の紹介はできません」
夫人が笑顔で言った言葉に、伯爵は困ったように頭を掻いて言う。
「妻が離縁されたら困ると騒ぐんだ」
伯爵の言葉に、夫人は大きく頷く。
「もちろん、離縁なさる時には、どれだけ今の妻に労を労ったか、しっかりお聞かせくださいまし。伯爵ほどのお方でしたら、きっとかなりの額の手打ち金をお渡しになるのでしょう?」
ニコニコと持ち上げる夫人に、伯爵はついついと言った様子で頷いた。
「では、また来週。しっかりとした手打ち金をお渡しになった証拠と離縁をなさった証明をお持ちになっていらっしゃいませ。お待ちしておりますわ」
そう言って立ち上がった夫人の身体が、積まれていた冊子にぶつかり、パラパラと冊子は床に落ち、数冊が開いた。
「あ、」
慌てたように、でも優雅に冊子を拾いにいこうとする夫人に対し、冊子に映る若く美しい娘たちの写真に笑みを浮かべた伯爵が、足元に落ちた一冊を拾って夫人に手渡す。
「フェネエア夫人。来週には必ず離縁証明書をお持ちすると約束いたしましょう」
翌週。離縁証明書とどれだけ資産を渡したか書いた紙を持参した伯爵は、ニマニマと笑みを浮かべながらハンカチで汗を拭き取って席についた。
夫人は笑みを深めて、伯爵に言った。
「まず、ジズラータ伯爵ご自身の考える伯爵像と客観的な伯爵像が異なるので、そこの擦り合わせから始めましょうか?」
目をぱちぱちと瞬かせた伯爵は、夫人に案内されるまま、椅子から立ち上がり、四角い布を被せられた何かの前に案内される。
「フェネエア夫人。これはいったい……?」
困惑する伯爵に有無を言わさぬ笑みを浮かべた夫人が、その何かにかかった布をばさりと外した。貴重とされる大きな鏡を使った全身鏡が現れ、夫人は驚く伯爵を押して自身の姿を見せた。
「ジズラータ伯爵、最近何か運動はなさっていますか?」
「いや、特に……」
鏡に映った自分に目を向け、少し顔を顰めながら伯爵は答えた。
「ジズラータ伯爵ご自慢の筋肉は全て脂肪になりかわっておりますわ。ご覧になってこのブヨブヨとしたお腹を」
どこからか出した物差しのような木の棒で、伯爵のお腹をパシパシと夫人は叩き、頬に手を当てて困った表情を浮かべた。
「ご自身の臭いには気が付きにくいといいますもの。気がついていらっしゃらなくても仕方のないことですわ。わたくし、はっきり申し上げます。ジズラータ伯爵。刺激的な香りが香っていらっしゃいますが……きちんとお身体は洗っておいででして? 加齢臭はどうしようもないにしても、もう少ししっかり洗った方がよろしいですわ」
そこまで言って、夫人はどこからか出した洗面桶と石鹸で泡を作る。
「こちら、最近売り出している香りがよくなる石鹸ですわ。ぜひご利用になってくださいまし。お顔や耳元だけでも、えぇ、えぇ」
夫人に言われるがまま、伯爵はタオルを首に巻かれ、顔を洗うように指示される。
「こちらのタオルで洗うと身体の汚れに効果的ですわ」
次々と取り出される商品に、伯爵はあたふたとしながらされるがままになる。
「あら、伯爵。とてもいい香りにおなりになりましたわね。こんないい香りの殿方でしたら、年若い女子たちがきっと夢中になりますわ」
「……それを買おう。送っておいてもらえますかな?」
伯爵の言葉に夫人は笑顔を浮かべたまま、さらさらと伝票に書き記す。
「伯爵ご自慢の筋肉、ぜひ拝見したいですわ。その脂肪の下にはきっと素晴らしい筋肉が隠れておいでですもの。少々運動すれば、伯爵の素敵な筋肉を拝見できるのですね」
うっとりとした表情を浮かべる夫人に、伯爵が頭をボリボリと掻きながら言った。
「うーん……確かに最近運動もできておらぬし、我が軍で鍛錬でもするか」
伯爵の言葉に頷いた夫人が、さらさらと何か書類を書き上げて伯爵に手渡した。
「せっかくですもの。伯爵の強さの秘訣を我が国の軍にも教えてくださいませ」
自領の軍で鍛錬する予定の伯爵を言いくるめた夫人の手によって、伯爵は翌日から国王軍で鍛錬することとなった。
そして、伯爵が手渡した書類を確認していた夫人が、伯爵に席に戻るように促し、笑顔を浮かべた。
「さすがはジズラータ伯爵でいらっしゃいますわね。前の奥様にこんなにも財産をお与えになったなんて……なんと漢気に溢れたお方なのかしら」
夫人の言葉に気をよくした伯爵が笑顔を浮かべていると、夫人も美しい笑顔のまま伯爵に言った。
「ジズラータ伯爵、あなたは以前、古くなった妻を変えればいいとおっしゃいましたが、古くて汚い武具を欲しいものはおりますか?」
「武器も新しくて綺麗な方が丈夫いだろう」
伯爵の言葉に、夫人は「えぇ、そうですわね」と頷いた。
「今、あなたは伯爵位はあるけれど、汚くて自信に満ち溢れた中年男性ですわ。そんなお方……誰が欲しがるかしら? 愛される? 面白いご冗談ですこと。平民の娼婦たちがあなたの気を害すことを言えるとお思い? そうお思いなら、一度世間を見直した方がよろしいですわ。あと、伯爵位程度なら、ある程度若い男性も満ち溢れておりますの。財力もさほどなく、今の年若い妻も大切にしていない。ご自身のことを若い娘が愛して嫁ぐ相手だとお思いですの? 財力? その程度の端財産で? ふふふ、面白いことをおっしゃるわ。では、まず事業を何か起こして金を稼ぎましょう。そうすれば、前の奥様より若い娘を借金の肩に買えますわ」
夫人はそう言って、冊子を何冊か重ね、伯爵の前におすすめの娘の写真を並べる。そんな夫人に、伯爵は弱々と反論した。
「……愛されたいんだ」
「ならばせめて、まずはあなたと同じ50代の女性になさい。あなたが80代の女性を愛せると言うのなら今すぐ紹介しますが、親愛の情を抱けても恋愛の情を抱くのは難しいのでしょう? 相手も同じです。30も上の殿方に魅力を感じるとお思いで? 国王の新しい側妃? あんなのは例外に決まっているでしょう?」
にっこり微笑む夫人によって、伯爵は見た目も中身も美しく生まれ変わらせられ、同年代の女性を紹介され、平穏で暖かな愛し愛される家庭を築いたのだった。
そしてまた、フェネエア夫人の後妻紹介所のドアが叩かれるのだった。




