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異世界恋愛の短編

死に戻り悪役令嬢ですが、今回だけ世界が優しすぎる

作者: スナハコ
掲載日:2026/04/26

「お嬢様、お目覚めのお時間ですよ」


 柔らかい声に、私——マリエッタ・フォン・ローゼンクロイツは、寝台の上で跳ね起きた。即座に枕の下に手を差し込む。隠しておいたはずの、護身用のナイフ。指が、空を切った。


「あら、ナイフでしたら、厨房にお返ししておきましたわ」


 侍女のアンナが、にこにこ笑いながらカーテンを開けた。朝の光が部屋いっぱいに溢れる。


「お休み中にお怪我をされてはいけませんから。ね?」


「……」


「お嬢様?」


 おかしい。

 おかしい、おかしい、おかしい。


 ナイフを取り上げられた——のに、私の首はまだ胴体についている。


「ま、マリエッタお嬢様? お顔が真っ青ですわよ。もう一度お休みになりますか?」


「……いえ」


 ぐっと拳を握りしめて、深呼吸をした。落ち着け、私。落ち着くのよ、マリエッタ・フォン・ローゼンクロイツ。


 なにせ私は、十七回目の人生を生きている悪役令嬢なのだから。


      *


 最初の人生は、十六歳の春、婚約破棄からの修道院送り、そして毒殺で終わった。


 二回目は、馬車の事故で顔を潰された。

 三回目は、自宅の階段から落ちた。誰かに、押された。

 四回目から十回目までは、毒、毒、毒、刃物、毒、絞殺、毒。

 十一回目、ようやく婚約破棄を回避できたと喜んだ結婚式の当日、祭壇の前で刺された。

 十二回目、隣国に逃亡したら、その隣国でも謀殺された。

 十三回目、修道女になったら教会ごと火事に巻き込まれた。

 十四回目、平民に身をやつしたら、その日のうちに強盗に襲われた。

 十五回目、男装して旅の楽団に紛れ込んだら、毒キノコを食べさせられた。

 十六回目、もう全部諦めて、自分から毒を飲んだ。


 ——そして今、十七回目。


 もはや何をしてもこの世界は私を殺すのだと、十六回目の最後で完全に理解した。だから今回はもう、抗うのをやめようと思っていた。優雅に紅茶を飲んで、優雅に断罪されて、優雅に死のうと。


 なのに。


「お嬢様、本日のお茶はどちらになさいます? いつものダージリンに、新しく届いたウバ、それからお嬢様のお好きな薔薇のお茶も」


 アンナが嬉しそうにワゴンを押してくる。


「……アンナ」


「はい」


「毒は、どれに入っているの?」


「えっ」


 アンナの動きが、止まった。手のひらにトレイを乗せたまま、ぱちくりと瞬きを繰り返している。


「……毒、ですか?」


「ええ。毒よ。飲むと死ぬやつ」


「ま、まあ、お嬢様ったら……寝起きでなんという物騒なご冗談を」


「冗談ではないのだけれど」


「あらあら、悪い夢でも見られたのね。今日はお薔薇のお茶にいたしましょうね、心が落ち着きますから」


 アンナは困り顔で笑って、ポットにお湯を注いだ。注ぎ口から立ち上る湯気を、私はじっと観察した。色は普通。匂いも普通。傍目には、毒の入る隙はない。

 ——いや。

 目に見える毒なら、私はもうとっくに気づいている。これだけ繰り返してきたのだ。一口含んで舌の上で転がせば、わかる。


 覚悟を決めて、唇に運んだ。


 ……薔薇の香り。

 ……蜂蜜の甘さ。

 ……苦味、なし。


「いかがですか、お嬢様」


「…………普通に、おいしい」


「まあ、よかった」


 アンナが心底ほっとした顔をして、私の髪にブラシを通し始めた。

 優しい手つきだった。母が生きていた頃のような——いや、こんな例えは適切ではない。あの母も、最後は私を殴って死んだのだった。八回目の人生で。


 でも、アンナの手は、本当に、優しかった。


      *


 朝食の席で、父が言った。


「マリエッタ。今朝は顔色がいいな」


「……お父様」


 私は、フォークを止めた。


 知らない、この父を。

 最初の人生での父は、私が断罪された日、ハンカチで顔を覆って泣いていた。あれは哀れみの涙ではなく、世間体への嘆きの涙だった。三回目で知った。

 二回目以降の父も似たようなもので、私個人にはまるで興味がなく、ローゼンクロイツの家名にしか目がいっていなかった。


 なのに、目の前の父は——、


「マリエッタ。最近、何か悩み事はないか」


「えっ」


「庭で、ぼんやり座っているのを何度か見かけた。父に話せることがあれば、いつでも聞くから」


 ——誰、これ。


「お父様」


「うん?」


「わたくしは、お父様に、何か悪いことをいたしましたか」


「は?」


「それとも、お父様がわたくしに、何か後ろめたいことを?」


「……マリエッタ。お前、本当に大丈夫か?」


 父は、本気で心配そうな顔をしていた。


 わからない。

 わからない。

 なぜ。


 目の前のオムレツが、急にぼやけて見えた。あ、これは、涙だ。十七回目にして初めて、朝食の席で泣くという醜態。


「お、お父様、わたくし、少し胸が苦しゅうございます」


「医者を呼ぼう」


「いえ、結構です。少し、お庭で風に当たってきます」


「アンナをつけよう」


「ひとりで大丈夫です」


「ひとりは駄目だ。アンナ、頼んだぞ」


 父が私の意見を最後まで聞かない。これは——いつもの父、ではある。

 でも、その目の中にある感情が、いつもと違った。家名でも体面でもなく、ただ、娘を案じている目だった。


 ますます、おかしい。


      *


 学園に着くなり、私はまず校門の柱の陰で立ち止まった。

 今日は——あの日だ。


 最初の人生では、王太子オクタヴィアン殿下から、衆人環視の中で婚約破棄を言い渡された日。聖女ソフィアへの嫌がらせを理由に、それは見事な公開処刑だった。


 二回目以降も、形は違えど、必ずこの日にろくでもないことが起きる。

 毒の入った焼き菓子を渡された日。階段の上から手紙を読み上げられた日。中庭で婚約者の不実を目撃させられた日。


 覚悟は、できている。今日はもう、笑顔で全部受け入れる予定だった。

 優雅に。死ぬまで、優雅に。


「マリエッタ嬢」


 背後から声をかけられて、私はびくっと肩を跳ね上げた。

 振り返ると、そこに——王太子オクタヴィアン・グランディアが立っていた。

 金の髪、青い目、私を十六回殺してきた男(直接ではないものもあるが、関与は確実だ)。


 覚悟を決めて、私はゆっくりと膝を折った。


「殿下にご挨拶申し上げます。本日も麗しいお姿、何よりにございます」


「……あ、ああ。うん。おはよう」


 あれ。

 声が、どこか変だ。


 顔を上げると、オクタヴィアンが視線を泳がせていた。耳が、赤い。

 ……耳が、赤い?


「あの、マリエッタ嬢」


「はい、殿下」


「今日の、その、髪型」


「は」


「……いつもより、可愛らしいと思う」


「は???」


 声が出た。淑女らしくない声が出た。


 オクタヴィアンが、ますます赤くなって、ぱっと顔を逸らす。


「いや、その、変な意味ではない。ただ、その、似合っていると、思っただけだ」


「……は」


「邪魔をしてすまない。では」


 お辞儀もそこそこに、王太子は早足で去っていった。背中が、ちょっと小走りだった。


 ……何、今の。


 校門前の生垣に隠れて、私はしばらく息を整えた。

 ありえない。


 あの男は、私を蛇蝎のごとく嫌っているはずだ。第三回目の人生で、彼が学園の友人に「あの女は触れるのも汚らわしい」と言っているのを、私はこの耳で聞いた。


 なのに、髪型が、可愛い?

 可愛い???


 頭を抱えていると、生垣の向こうから、少女の声がした。


「マリエッタ様! いらっしゃったのですね、お探ししました」


 ……来た。


 覚悟を決めて、私は顔を上げた。

 目の前にいるのは、聖女ソフィア。銀の髪、紫の瞳、私を十六回殺してきた女(直接手を下したのは、十一回目の祭壇刺殺くらいだが、教唆は確実だ)。


「ソフィア様。ご機嫌うるわしゅう」


「あの、これ! よろしければ、お受け取りくださいませんか」


 差し出されたのは、小さな包みだった。


 ……おお。

 毒入り焼き菓子、第十二案件。


 覚悟を決めて、私は受け取った。


「ありがとうございます、ソフィア様。早速、いただいてもよろしくて?」


「えっ、今ですか?」


「ええ」


 包みを開ける。中には、丸い白いクッキーが三枚、行儀よく並んでいた。

 ふん、と鼻先に近づける。普通の、バターと砂糖の匂い。


 覚悟を、決めた。

 もう、いいや。

 十七回も死んでいるのだ。十八回目を堂々と迎えてやろうじゃないか。


 ぱくり、と一口。


 ……うん。

 おいしい。

 ……あれ。

 おいしい???


「ど、どうですか、マリエッタ様」


「……普通に、おいしいですわね」


「よかったぁ……!」


 ソフィアが、心の底から安堵した顔で、両手を胸の前で握りしめた。


「実は、初めて自分で焼いてみたんです。マリエッタ様、いつも凛としていらして素敵だなって思っていて、でも、なかなかお話しする機会がなくて。いつかご一緒にお茶でもいかがですかって、お渡ししたくて」


「……」


「お忙しいでしょうから、ご無理にとは申しませんけれど」


 頬を染めて、ソフィアはもじもじと両手の指を絡ませた。


 ……。


 ……。


 ……これは、罠ね。

 ええ、罠よ。

 罠に違いないわ。

 だって、そうじゃないと辻褄が合わないもの。


「ソフィア様」


「は、はい」


「正直におっしゃってくださいませ。わたくしを殺したいのでしょう?」


「……えっ」


「お気持ちはわかります。わたくしも、何か殿下にお気を引くような真似をしたかもしれませんし。ですから、はっきりとおっしゃってくださいませ。今日はお毒見の侍女もおりませんし、わたくしひとりで死ねば、貴女の罪も最小限で——」


「マリエッタ様!?」


 ソフィアの紫の目から、ぽろりと涙がこぼれた。


「な、なんで、なんでそんなこと、おっしゃるのですかぁ……っ」


「えっ」


「わ、わたくし、ただ、お友達になりたかっただけで……っ、お、お菓子も、お毒なんて、入れる訳が……うっ、ううっ」


「あ、あの、ソフィア様」


「ご迷惑、だったのですね……っ、すみません、わたくし、平民育ちで、貴族の方の作法も、よく知らなくて……っ」


 ……あ、これは。

 ……これは、まずい。


 悪役令嬢が、聖女を泣かせるという、十七人生で何度も繰り返してきた失態の、まさかの自爆バージョン。


「ち、違うのです、ソフィア様。違うのです。わたくし、その、ちょっと、寝不足で。頭がおかしくて。今のは全部、忘れてくださいませ」


「ぐすっ、本当に、ですか……?」


「本当ですとも。お菓子、とてもおいしゅうございました。あと二枚、いただきますわ。ね?」


 慌ててクッキーを口に詰め込む。本当においしい。本当に、毒なんて入っていない。


 ソフィアが、涙を拭いながら、おそるおそる微笑んだ。


「……マリエッタ様、本当に、お友達に、なってくださいますか」


「……ええ。喜んで」


 声が、勝手に答えていた。


      *


 その日の放課後、私は学園の中庭の噴水のへりに腰掛けて、ぼんやり水面を眺めていた。


 わからない。

 何も、わからない。


 侍女が、優しい。

 父が、優しい。

 婚約者が、優しい。

 聖女が、優しい。


 誰も、私を殺そうとしない。


 考えうる罠は、全部考えた。

 優しくして油断させてから一気に断罪する罠? ありそう。

 毒の効きを良くするために体力を回復させる罠? ありそう。

 ソフィアが裏で誰かと組んでいる罠? ありそう。

 オクタヴィアン殿下の発作的な気の迷い? ありそう。


 でも——、

 でも、と、頭の片隅で、別の声がする。

 もしかしたら、本当に。

 もしかしたら、本当に、ただ、優しいだけかもしれない。


「マリエッタ嬢」


 声に、また肩が跳ねた。

 顔を上げる。オクタヴィアン殿下が、噴水の前に立っていた。今度は、耳は赤くない。代わりに、すごく真剣な顔をしている。


 ……来た。

 来たわ。これが、本命の罠よ。


 覚悟を決めて、私は立ち上がった。


「殿下、ご用件は」


「単刀直入に、聞きたい」


「はい」


「君は、最近、何かに悩んでいるのか」


「は」


「君はずっと、何かに怯えている。誰かを警戒している。その、私には、その理由がよくわからない」


「……」


「君は、聡明で、芯が強くて、——その、可愛らしくて、本当は、ずっと誰かに頼りたいのに、頼り方を知らない人なのだと思う。違うか」


「……は」


 声が、出ない。


「私は、君の婚約者だ。君が困っているなら、力になりたい。誰に脅されているなら、私が排除する。何が嫌なら、私が変えさせる。だから、——」


 オクタヴィアン殿下が、片膝をついた。

 噴水の前で、私の手を取って。


「マリエッタ。私は、君が、好きだ」


 ……。


 ……。


 ……ぐにゃり、と、世界が歪んだ。


 膝から力が抜けて、私は噴水のへりに座り込んだ。視界が滲む。鼻の奥が、痛い。


「も、もう、いやです……」


「マリエッタ嬢?」


「もう、わたくしを、殺さないでください……」


「は」


「十七回もです。十七回も殺されたのです。もう、優しくしないでください、お願いです、お願いですから、いっそ、はっきり、断罪してくださいませ。修道院でも、毒杯でも、断頭台でも、なんでも構いませんから、こんな、こんな、優しいの、はじめてで、わたくし、わたくし、どうしていいか、わからな……っ」


 ぼろぼろ、と涙が止まらなかった。


 オクタヴィアン殿下は、何か言いたげに口を開けて、閉じて、また開けて、また閉じて、最終的に、片膝をついたまま、おろおろと私の頬に手を伸ばした。


「あ、あの、マリエッタ嬢、その、十七回というのは——」


「人生、十七回目です」


「は」


「皆様にとっては、初めての人生でしょうけれど、わたくしには、十七回目です。これまで毎回、どこかで誰かに殺されてきたのです。今回もそうなると思っていたから、覚悟していたのに、なのに、皆さんが、皆さんが、優しすぎて、わ、わたくし、どう、すれば」


「なるほど」


「えっ」


「……なるほど」


 オクタヴィアン殿下は、もう一度繰り返してから、ゆっくりと頷いた。

 信じてくれた、わけではないだろう。たぶん、頭のおかしい令嬢の世迷いごとを、とりあえず受け止めてくれただけだ。

 でも、その目の中に、嘲りはなかった。


「マリエッタ嬢」


「はい」


「事情は、よくわからないが、ひとつだけ、約束する」


「はい」


「君が十八回目を迎えることは、ない。少なくとも、私の目の届く範囲では、絶対に」


 ……。


 堰を切ったように、涙が溢れた。

 オクタヴィアン殿下が、おろおろと、ハンカチを差し出してくれる。手つきが下手で、半分くらい私の鼻に押し当てる形になった。

 ……ふふ。

 泣いている最中なのに、なぜか、笑いが漏れた。


      *


 その夜、寝台の中で、私はようやく気づいた。


 考えてみれば。


 最初の人生で婚約破棄された日、私はオクタヴィアン殿下に向かって「殿下のような無能と婚約していたのは時間の無駄でしたわ」と言い放っていた。


 二回目で馬車事故に遭った日、私は御者に三度も鞭打ちを命じていた。

 三回目で階段から押された日、私はその直前、屋敷の侍女頭を理由もなく解雇していた。

 毒、毒、毒の連続だった頃、私は紅茶の温度が気に入らないと言っては、毎日のように侍女を叱責していた。

 十一回目、結婚式当日に刺された時、私は花婿の胸ポケットに前夜から「処分しておけ」と書いた手紙を忍ばせていた。誰宛て、とも書かずに。


 ……。


 ……もしかして。

 もしかして、なのだけれど。


 わたくしが、これまで、ちょっと、性格が、悪かっただけ、では?


 そして今回——

 今回は、十六回目で完全に諦めて、もう抗うのをやめて、優雅に紅茶を飲んで優雅に死のうと、誰にも何も求めず、ただ穏やかに過ごそうとしていた。

 侍女に毒を疑う以外、誰も叱責しなかった。

 誰にも嫌味を言わなかった。

 誰にも命令しなかった。

 ただ、静かに、生きていた。


 ……。


 ……気づくの、十七回目か。


 枕に顔を埋めて、私はくぐもった声でうめいた。

 窓の外、月が、信じられないくらい綺麗な丸い形をしていた。


 明日の朝、アンナに、「ありがとう」と言ってみよう、と思った。

 たぶん、人生で初めて。


 たぶん、それから、ようやく、十七回目が、本当に始まる。


お読みいただきありがとうございました!

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