筑波型高速戦艦
ロンドン海軍省の会議室には、興味の薄い空気が漂っていた。
冬の曇天が窓を叩き、書類の束が無造作に机に積まれている。
「日本の新型艦だが……」
少将は、報告書をめくりながら淡々と読み上げた。
「主砲十二インチ、三連装三基。公称速力三十ノット。排水量は三万一千トン前後」
誰も顔を上げない。
「……三十ノット?」
若い中佐が確認するように呟いた。
「金剛と同程度ですね。高速艦というほどでもない」
「そうだな」
少将は、特に感情を込めることなく頷いた。
「高速性を売りにするなら、最低でも三十三ノットは欲しい。三十ノットでは“普通の戦艦”だ」
机を囲む将校たちは、すでに別の資料に視線を移していた。
「主砲も十二インチ。装甲を厚くしたと言っても、決戦用ではない。おそらく通商破壊用の廉価戦艦だろう」
評価書には、簡潔にこう記された。
“Tsukuba-class: conventional fast battleship, limited strategic value.”
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パリでは、さらに関心が薄かった。
「三十ノット?」
フランス海軍の分析官は、紙面を一瞥して鼻を鳴らした。
「それで“高速戦艦”を名乗るのか。ダンケルクにすら及ばん」
「日本は速度を捨てた?」
「いや、最初から持っていないのだろう。主砲も小さい。結論は一つだ」
記者が尋ねる。
「脅威ではない?」
「少なくとも、我々が気にする必要はない。日本は量で補おうとしている」
翌日の新聞は短い記事で済ませた。
「日本、新型戦艦を就役――性能は平凡」
見出しは一段、写真も小さかった。
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ベルリンでは、評価はほとんど事務的だった。
「三十ノットなら、我がシャルンホルストと同程度以下だ」
「主砲は劣る」
「装甲は未知数だが、速度が平凡なら戦術的脅威にはならない」
分析官は報告書に線を引き、結論を書いた。
“No exceptional speed. No decisive firepower.”
その書類は、他の案件の下に埋もれていった。
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ワシントンでも、筑波型は話題にならなかった。
「三十ノット? それで軽空母と組む?」
情報部の士官が首を傾げる。
「意味があるのか?」
「日本はまだ戦艦に固執しているだけだ。空母時代には遅れている」
結論は明快だった。
“Tsukuba-class does not alter balance of naval power.”
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それらの評価が、太平洋を越えて届く。
呉。
筑波の艦橋で、通信士官がまとめた翻訳文を、艦長が静かに読んでいた。
「……三十ノットでは高速とは言えない、か」
艦長は紙を畳み、双眼鏡を下ろす。
「計算通りだな」
傍らにいた機関長が、低く答える。
「公試は予定どおり三十で切りました。缶も主機も、まだ余力があります」
「十分だ」
桟橋の向こうでは、雲仙の艤装が進み、阿蘇の砲塔が据え付けられ、桜島の艦首が夕闇に沈んでいた。
どの国の報告書にも、
「余力」
という言葉はなかった。
誰も知らない。
この艦が、夜に三十五ノットで走ることを。
追いつけない距離を、追いついてしまうことを。
世界は、三十ノットと書かれた数字だけを信じていた。
それで十分だった。
夜が来るまでは。




