第六話:初灯(はつとも)
秋の終わり、茶屋の提灯は少しだけ色褪せていた。
灯は、棚の茶葉を整えながら、遥の背中を見つめていた。
彼は、記録帳を読み終えた。
忘却茶を飲んだ人の涙、夢見茶に映った記憶、心茶に触れた痛み――
そのすべてを、静かに受け止めていた。
「灯さん。僕、淹れてみたいです。誰かのために。」
灯は、囲炉裏の火を見つめながら頷いた。
「では、あなたの“初灯”を。誰の心に灯したいですか?」
遥は、少しだけ迷ってから言った。
「僕自身に、です。僕はまだ、自分の心に火を灯せていない気がするから。」
灯は、棚の奥から一つの茶葉を取り出した。
それは、“灯火の芽”――火を継ぐ者が初めて使う、未熟な茶葉。
「この茶葉は、あなたの心を映します。嘘をつけば、茶は濁ります。」
遥は、囲炉裏に火をくべ、茶を淹れ始めた。
手は震えていたが、目は真っ直ぐだった。
湯気が立ち上ると、店内の空気が変わった。
灯は、静かに見守っていた。
遥は、茶碗を自分に差し出し、ゆっくりと口にした。
――その瞬間、彼の瞳が揺れた。
見えたのは、幼い頃の記憶。
誰にも認められず、孤独だった日々。
それでも、誰かの笑顔に憧れていた自分。
遥は、涙を流した。
「僕、ずっと誰かになりたかった。誰かの“役に立つ人”に。
でも、今は――僕自身の灯りを見つけたい。」
灯は、そっと言った。
「それが、初灯。自分の心に火を灯すことが、すべての始まりです。」
その夜、茶屋の提灯は、遥の灯りに呼応するように、ふたつの火を揺らしていた。
狐火の茶屋は、ふたりの灯りで、夜を照らし始めた。




