冒険案内所
「ついた!ここが冒険の街!アドバンス!」
「長かったわ……」
「まずはギルドによって街の地図をもらいに行こうよ」
青年の瞳には大きな街にも関わらず防護壁のようなものが一切ない美しい都市が見えていた。
青年の隣には疲れた様子の二人の女の子が立っている。二人がそれぞれ魔法の杖と狩猟用の弓を持っていて青年の背にも剣があることから3人が戦う人間であることは見て分かる。
3人は自分たちの故郷から遠く離れたこの街まで幾度も馬車を乗り継いでやってきた冒険者。
野宿や野営なんてものは冒険者になると決めた時点で覚悟もしていたが、こう何日も続けば疲労も蓄積する。
汚れを気にする年頃の女性であれば尚のことだろう。
宿の場所や冒険で必要な道具を売っている店なんかの情報は全てギルドで手に入る。
そのため弓を背負った娘は青年に提案したのだ。
青年も頷き、徐々に近づく街に思いを馳せながら自分の未来を想像していた。
街に入ると馬車は速度を落とし停留所へと向かう。
ここからは馬を変え人を変えアドバンスから他の街へ向かう人間を乗せるのだ。
3人はここまで乗せてくれた御者の男性に礼を言ってギルドへ向かう。
大抵の場合ギルドは街の外壁と中央に鎮座する領主邸の間に配置されているのだが、ここアドバンスには貴族の邸宅が無い。そもそもアドバンスには統治を任されている領主というものが居らず全ての管理は冒険者ギルドのギルド長に一任されている。
そのためアドバンスの中心には貴族の邸宅ではなくギルド支部がある。
それがアドバンスを”冒険の街”と言わしめる所以の1つでもある。
「見慣れないよなー!街の中から外の景色が見えるなんてさ!」
「そうね。王国の中ではアドバンスだけだったと思うわ」
城壁が無いというのは世界的に見ても珍しい。
賊の襲来や凶暴で凶悪な魔物の襲来に人の生存圏を奪われないよう外壁を設置しているのだ。
その外壁が無いということは外壁が無くとも魔物や賊程度は脅威にならない、そう示していることになる。
停留所からギルドまでの表通りには冒険者のための宿や冒険に必要な道具を売る商店が並んでいる。
店頭に並ぶ商品は他の町と変わらないにも関わらず金額が他の街より安い。
「見えたよ」
弓を背負った娘が3人の歩く先を指さした。
そこには他の街よりも数段大きいギルドが佇んでいた。
時刻は冒険者が仕事をしている日中にも関わらず多くの冒険者が出入りしている。
人ごみを掻き分けて中へ入るとそこは意外と綺麗な空間が広がっていた。
ここに来るまでに立ち寄った街のギルド支部は冒険者たちが酒を飲み喧嘩をしてそこら中に食べかすや酒を溢した跡があったので相当管理が行き届いている。
そもそも血気盛んな冒険者が1つの場所に集まって騒がないわけがないのだ。
それなのに今いるギルドは冒険者たちが律義に列を作って依頼の書類を提出したり喧嘩をすることなく互いの経験について語っている。
珍しく品行方正な冒険者が多いようだ。
ギルドのカウンターにはそれぞれ依頼受付、達成受付、その他という風に列が作られ事務員が対応している。
依頼受付には近隣の村や街の住人が並び冒険者に依頼したいことを書いた紙と依頼金を持って並び、達成受付には依頼を達成したことを報告しに来た冒険者が並ぶ。
その他には新しくアドバンスで登録しようとしている冒険者や冒険者が起こした問題を報告しにきている人が列をなしている。
青年たちは他のギルドで正式に冒険者として登録されているが他の支部で本格的に始動する場合は移動届を出さなければ活動を認められないためギルドに立ち寄ったのだ。
列に並んでいるとすぐ隣には依頼書を載せている掲示板が見える。
「やっぱり依頼の数が多いのね」
「そうだね!わくわくする!」
「あまり先走らないでね?援護するの大変なんだから」
青年はすでに依頼書のいくつかを見ながら興奮が治まらないとでも言うように眺めている。
それを見ていたベテランの冒険者が声をかけてきた。
「お前らは新入りか?」
「はい!今日からアドバンス支部でお世話になります!」
「おう。元気が良いのは良いことだな。依頼書を眺めているところを見ると冒険者としても新人なんだな」
ベテラン冒険者は青年の様子を見ていろいろと察したらしい。
娘たちは青年の燥ぎ様が周りに見られていたことに恥ずかしさを覚えながら少し警戒する。
他の支部では新人と見るや否や喧嘩を売って来たり少女2人を奪おうと襲ってきた連中がいた。この人もその類かもしれないと。
しかしベテラン冒険者は3人の目をそれぞれ見てから、1つ教えといてやると前置きを置いて話し出した。
「依頼を持って依頼人の元へ行く。これは他のギルドとも変わらねえが、アドバンスにはもう1つルールがある」
「なんですか?」
まさかベテランに金を貢げとでも言うのだろうか。
しかしベテラン冒険者はあくまでも真剣な表情を貫く。
「依頼書を持ったら依頼人の前に”案内所”へ行け」
「……案内所?」
冒険者にとって依頼についての案内をするのがギルドという場所。それ以外に案内所というのがあるのだろうか。
「知らないのも無理はねえ。他の街には無いからな。とにかく依頼書を持ったらギルドの裏通りにある案内所へ行け。死なずに強くなりたいならな」
ベテラン冒険者は青年の胸にこつんと拳を当てると仲間たちと去って行った。
すぐに列は進み青年たちの順番が回ってくる。
「――はい。レックスさん、ヘスターさん、マリーンさんの移動届は受理いたしました。以降、アドバンス支部の冒険者として活躍と栄光を期待します」
移動届を無事渡せた青年、レックスは受付の女性に先ほどのベテラン冒険者の話を聞いた。
「そうですね。この街にはギルドとは別に”冒険案内所”というものがあります」
「そこはギルドと何が違うんですか?」
レックスの背後から弓を背負った少女、へスターが顔を出して聞いた。
同じ質問を抱えていたであろう魔法使いの少女、マリーンも耳を澄まして聞いている。
受付嬢はレックスたちの背後に誰も並んでいないことを確認すると説明を始める。
「冒険案内所、略して案内所と呼称しますが、案内所は決してギルドと提携しているわけではありません。ただ案内所に依頼書を持っていくと”冒険をさせてもらえる”というのが冒険者の間で有名な噂です。私たちではそれ以上は知らないのですが、ただアドバンスで死者が出ないのは全て”案内所”のおかげだそうですよ」
ギルドと提携しているわけでは無いのに冒険者から全幅の信頼を得ている”冒険案内所”。
冒険をさせてもらえる、という不思議な言葉。冒険者である以上冒険をするのは当たり前ではないのだろうか?
何より冒険者の死亡率が0%という話。
噂としては聞いていた、というよりその噂を聞いて長い旅路を耐えてここに来たのだ。
冒険者ギルドの受付が言葉にするのなら噂は真実だったのだと確定された。
冒険者はその職業ゆえ怪我はもちろん死者がでることも当たり前にある。
生涯をかけて初めて組んだ仲間とそのまま現役引退を迎えるなんてごく一部の頂上に君臨する冒険者のみ。
それぐらいには危険性も高くだからこそ将来性も高い、夢の職業が冒険者なのだ。
それなのにこれだけの冒険者が死ぬことも無く強くなれる環境が整っているなんて、本当にその案内所が担っているなら他の街でも造るべきなんじゃないだろうか。
忙しい中で丁寧に説明してくれた受付のお姉さんに礼を言った3人は依頼表が張ってある掲示板を見上げる。
そこには冒険者の強さの指標である”等級”に準じた依頼表が並べて張ってある。
他の街から来ているとはいえ冒険者になりたてであることは変わらないレックスたちは白等級の依頼書を眺める。
「やっぱり白だと報酬も安いのは変わらないかー」
「そうね。でも討伐報酬は多いから稼げそうよ」
「わたしたちはやっぱり採取依頼からやるべきだと思う」
もっとも位の低い白等級で受けられる依頼では達成報酬も安い。
弱く経験の浅い冒険者でも達成できるような難易度の物が振り分けられているから。
ただアドバンスはその都市を囲む環境ゆえに人から出された正式な依頼とは別に”討伐報酬”というものがあり、これは『依頼には含まないけれど道中で遭遇し倒してしまった場合、討伐を証明できる部位を提出できれば報酬を上乗せするよ』というギルドからの直接報酬が設けられている。
ヘスターのいう”採取依頼”というのは薬屋や魔物の特徴的な部位を売り買いする業者が出す依頼であり、時間はかかるが危険性が少なく初めての土地に順応するにはもってこいの依頼である。
危険性が少ないということは報酬も少ないのだが。
「これにしよう!」
そう言ってレックスが手に取ったのは白等級依頼の中でも報酬高めな角兎の角採取依頼、角兎というのは通常の兎と異なり赤い瞳と額にある角が特徴的な魔物である。
魔物としては弱い部類に属するが角は細かく砕いて煎じることで薬になり瞳は心臓が止まると同時に高質化し「ルビーアイ」として希少価値があることから貴族や商人から好まれる。
ただ角兎を見つけることも難しいため冒険者は他の依頼のついでに探すことが多い依頼でもある。
レックスたちは角兎を探しながら他の魔物を狩れるようなら討伐報酬も貰えるという考えで依頼を受けた。
冒険者ギルドで受付を終えた3人はギルドを出て裏通りに回る。
そこは表通りの店が並んでいる雰囲気とは異なりアドバンスに定住することを決めた冒険者の住居や商人たちの住居が建ち並ぶ住宅地だった。
しばらく歩くと住宅地の中で一際大きな建物が見える。
レンガ調の立派な建物の中からは鉄を打つ甲高い音が響き、建物の奥から真っすぐ伸びる煙突からは怪しげな色の煙が出ている。
大きな建物の隣には可愛い文字で「フェンの小屋」と書かれた小さな家が建っている。中にはとても美しい純白の毛並みを揃えた狼が眠っていた。
見るからに街の中で飼っていいような動物では無かったが周囲の人間は気にしていないため調教が済んでいるのだろう。
怪しい要素が盛りだくさんの入りにくい店構え、しかし看板を見れば正しく『冒険案内所』の文字が見える。
レックスは珍しく少し中を伺いながら店内へ入る。
「こ、こんにちはー!」
レックスたちが見たのは木造建築の美しい店内だった。
店内にはレックスたちの他に2組の冒険者がいる。どちらも店内にあるカウンターでそれぞれの店員らしき人物と話している。
それぞれのというのは店内にあるカウンターが壁のようなもので仕切られており、真ん中には「案内」その両隣には「鍛冶」と「道具」と書かれた看板が吊られている。
何より驚くのは「鍛冶」と「道具」のカウンターに座っているのが自分たちより若いというか幼い少年少女であったことだろう。
「なあなあ、頼むぜ。スピカちゃん。今月厳しいから少しまけてくれよー」
「駄目なのです。それにいつも言ってるです。ここが安くしたら商店が崩壊するですよ」
「分かってるけどよー。そうだ!今度新商品の甘い氷菓ってのが出るらしいぜ!買ってくるからさ!」
「……今日だけですよ?」
「やったぜ!」
「道具」と書かれたカウンターではいかにも強そうな強面の冒険者が幼い少女に対してカウンターに頭を擦り付けながら靡いている。
少女は年相応な様子であっさりと口車に乗せられていた。
しかし中央に鎮座する男性が壁越しに少女を微笑むと、少女の顔から新たな甘味を待つ笑顔が消え冒険者に渡そうとしていた薬剤を瞬時に奪い取ると般若のような表情に変わり。
「――やっぱり不正は駄目なのです」
と正規の料金を催促した。
冒険者はまさかという表情をすると中央カウンターの男性を見て膝から崩れ落ちた。
そして反対のカウンターでは同じような年齢の少年が1本の剣をカウンターに置いて3人の冒険者と話している。
「どうかな、アーク君。この剣はまだ”解放”可能かい?」
「……まだ出来る、けれど。個人的にはオススメしない」
少年は職人肌のようで真剣に剣を見つめたあと冒険者と謎の会話をしている。
「どういうことかな?」
「すでに”昇華”3回、”解放”2回。剣に対して負荷が大きい。これで冒険に限界が来ているなら交換を勧めるね」
「……そうか。思い入れもあるのだが……」
「なら、この剣を元にして新しいのを作ればいい」
「そんなことが出来るのかい?」
「出来なきゃ提案してない。僕は世界一の鍛冶師だ。武器のことならできないことは無い」
「じゃあ、頼むよ。あとは仲間の防具も見てほしいんだがいいかな?」
「全部見るから置いといて。それぐらいならお代は――お代もそこに置いといて」
「ははっ。大丈夫ですよ。僕らも分かっていますから」
武器の話を一通り終えた後、少年は優しさからお代はいらないと言おうとした。
これもまた中央の男性がニコリと微笑むと同時に今までの冷静な分析が嘘のように慌てて訂正したのだ。
ただ冒険者は少年の言葉に甘えることなく、すでに金銭をカウンターに置こうとしていた。
両サイドではっきりと分かれる冒険者がいるのにレックスたちの抱いた感想は1つだった。
(あの真ん中の人、怖い)
初めての場所で衝撃的なものを見て固まるレックスたちに凛とした綺麗な声が聞こえてきた。
「こんにちは。今日はどんな御用ですか?」
その声の主は背後から話しかけてきた。
驚いて振り返ると、そこにはエメラルドグリーンの美しい髪をした女性が立っている。
耳が長く先が尖っている形をしているため希少種族のエルフである。
一瞬呆けたレックスだったがヘスターが肘で脇腹を小突いたことで正気を取り戻す。
「あ、あの!僕達初めてアドバンスに来て、さっき冒険者ギルドでここの噂を聞いたんですけれど……」
「では、中央カウンターへどうぞ。店主より説明させていただきます」
まさか、あの人の前に行かないといけないとは。
最も避けたかった場所に案内される3人は死地へ赴くような雰囲気を纏いながら女性の後ろをついていく。
「大丈夫です。あの2人はルールを破ろうとしたので叱っただけですよ」
中央カウンターで待っていた男性はレックスたちが何を考えているのか分かったように先を読んでそういった。
そんなにもあからさまに顔に出ていたのかと心配になるが。
「ご心配なく、当店にいらっしゃったお客様は皆さん同じような顔をなさるので」
これまた店主に説明されてしまった。
「私は店主のヴィルヘルムと申します。本日は”冒険の案内”をご利用ですね」
「は、はい!でも、冒険の案内ってどんなことをしているんですか?」
依頼の場所への案内ならギルドでされている。討伐報酬狙いの魔物生態域であればギルドにある本を読めば分かる。
安全な道を教えてくれるのか?はたまた偶然でしか会えない角兎の生息地を教えてくれるのか?
そんなものを知っている人がいるなら冒険者も苦労はしないだろう。
「そうですね。レックスさんは”冒険”というものをどう考えていますか?」
いつ自分の名前を知ったのか。若干の恐怖もあるが素直に答えることにした。
「冒険者は困っている市民を助け、人を害する魔物を倒す職業です!」
自分の考える冒険者像を伝えたが、店主は少し首を傾げる。どうも間違えたようだ。
「それは”一般的な冒険者”であって本質は違います。”冒険”とは未知を切り開き、まだ誰も歩いたことのない道を歩く。そして”冒険者”はその道を歩く力を持った者達のことです。人を助け街を守るのは騎士の役目、そういった意味では正しく”冒険者”を名乗れる者は少ない」
それはそうだろう。
冒険という言葉の意味を考えれば店主の言うことが尤もではあるが、そんなことが出来るのは冒険者の中でも一握りの存在のみ。
知らない場所、未踏破の地に行くには環境への慣れや強い魔物との戦闘経験などあらゆる強さが求められる。
「ですので、当店では『”冒険”の出来る”冒険者”の育成』と称してその人物にとっての”冒険”を案内させていただきます」
言っていることが高度すぎて途中から何を言っているのか分からなくなってしまった。
「うーん。なんと言えばいいのでしょうか……」
「つまり、強者になるための実戦経験と冒険者として必要なものの手配を行う施設が冒険案内所となります」
レックスたちが理解していないことで困った店主をレックスたちの隣に立っていた女性がフォローした。
冒険案内所では冒険者が持ってきた依頼に対して依頼を受注した冒険者の強さや経験に基づき、必要な道具の個数や足りない経験を埋めるための道筋を教えてくれるのだという。
でも冒険者にとってイレギュラーはどこかで必ず発生するもので、万が一強敵と出会ってしまったときに死なない方法なんてあるのだろうか。
「そちらも万全です。店の入り口に置いてある鈴、あちらを1人1つ必ずお持ちください。肌身離さず持っていれば死ぬことはありません」
レックスたちが振り返ると気づかなかったが店の入り口には『必ずお持ち帰りください』という立札の下に置かれた小さい箱に鈴が入っている。
ヘスターが近寄り1つ持つと真珠のような美しさを持った綺麗な鈴だった。
振っても音はならず、持っても特殊な効果が働く様子は無い。
本当に特別なものなのだろうか。
「まあ、今まで使われたことは無いのですが……一先ずそちらの鈴を持ち、私の提案する冒険をしていただければ強く賢くなれますよ」
現状からすると対して信用できることでは無いが……しかし冒険者ギルドでも言われた通り、この店にはすでに信頼の置ける実績が存在する。
「じゃ、じゃあ、お願いします」
「はい。と、その前に料金の説明をさせていただきます」
そういえば忘れていた。
ギルドのように国家から運営資金を得ているわけでは無く、ここは個人で経営している商店のようだ。
つまり利用するサービスには店主の言う通り金額が発生する。
まだ冒険者になりたてであり幾度かの依頼を受けたことはあるが懐の寂しい3人は少し構えた。
そのようすを見た店主は邪気を感じさせない笑顔で微笑み説明する。
「料金とはいえ”冒険案内”でかかるのは銅貨1枚です」
「ど、銅貨1枚ですか!?それってお店の経営的には大丈夫なんでしょうか?」
驚いたヘスターが声を上げて突っ込んだ。
冒険者の街とはいえ”冒険案内所”という名目の店であるにも関わらず”冒険案内”で稼いでいない。
先ほどまで静かに聞いていたヘスターが急に前に出てきたことで店主は驚きながらも説明を続ける。
「そこまで心配されるとは……大丈夫です。この店は実際のところ他からの資金で賄っていますので。それでも、もし心配なされるのでしたら両隣の店から何か買ってあげてください」
「そ、それは……うぅ……」
道具屋の方はカウンターに並べられた商品ですら桁が違う。
なぜそんなに商品の値段を釣り上げているのか。そしてなぜ先ほどの冒険者はその商品を買おうとしていたのか。
さらに反対側の武器屋では少年も腕に相当自身がありそうだったが、それ以上に冒険者の男がカウンターに出していた金額がとんでもなかった。
今のレックスたちには1年依頼を毎日受け続けても払えないような額だったのだ。
「心配ありません。多少金額はしますが、それでも質は保証しますよ。何より新人である白等級の冒険者の方からは”冒険案内”は無料、両隣でかかる金額も半額とさせていただきます。まあ一種の応援期間というわけですね」
武器屋の方はよもかく道具屋の物に関しては半額なら手が出そうだ。
何より冒険者がカウンターに額をつけてでも買いたい商品の質が気になる。
「というわけで。レックスさんたちから”案内”で料金をいただくことはありません。ご利用されますか?」
金銭がかからず自分たちの命が保証されるのであれば受けるしかあるまい。
レックスの頷きに応じた店主はレックスたちに”案内”を始めた。
ヴィルヘルムの冒険案内を受け案内所を出たレックスたちが真っ先に向かったのは商店通りの道具屋。
そこで待っていたのは依頼主……ではなく、普通の道具屋店主だった。
1つ1つの所作が緩やかなのだが無駄は無い、黒く靡く長髪が光の加減で緑がかって反射する美しい女性はカウンターの奥で東方の地域で有名な着物を羽織り畳に座って作業している。
店の雰囲気は”道具屋”というよりも”薬屋”という方が似合っている気もするが、店内の棚には多くの薬と冒険者が使う野営テントなども置いてある。
「おいでやす~。何かお探しどすか?」
「ヴィルヘルムさんにまずここで買い物を済ませるように言われて」
「あぁ~。ヴィルはんに……初めまして、うちが道具屋店主のフツと申します。では手帳を出しとぉくれやす?」
フツは訛った言葉使いでレックスに手を差し出した。
レックスはヴィルヘルムにフツから手帳と言われたらこれを出すように指示を受けたものを提出する。
それは切り取り式の紙束で1枚には道具屋で仕立てるべきものの名前がずらりと書かれている。
その全てはレックスたち3人の持っている金額からヴィルヘルムが考えた、今回の冒険で買うべきものリストであった。
フツは慣れた手先で棚から薬をいくつか取り、さらには店内の道具を何個か布袋に入れてカウンターに置いた。
「これで全部やね~。金額はヴィルはんの計算通り銀貨2枚になります~」
「はい!これでお願いします!」
銀貨2枚は一般的に2日分の宿代に相当する。
新人かつアドバンスで初の依頼となるレックスたちにはかなり厳しい金額だった。
それでも今日の宿代は残してもらっているし、何よりヴィルヘルムさんから「これだけ無いと死にますよ」と何気に怖いことを言われてしまったので買うしかなかった。
道具屋を出た3人はこれもまたヴィルヘルムから教えてもらった格安の宿へ向かう。
案内所ではもう少しグレードの高い宿がいいとごねていた女性陣2人だったが、実際に宿に入ってみれば満足気な表情を浮かべている。
格安の宿だというのにベッドは軋まず部屋に虫がいるような汚さも無い。完全に管理が行き届いた良い部屋だった。
3人1部屋ではあるもののベッドの間に仕切りはあり、寝てしまえばお互いの顔は見えない。
本来であれば女性と男性で分かれるべきなのだが、そこまでの余裕は懐に無かった。
次の日の朝、宿で軽食を取った3人は装備を身に着け初めての冒険に出る。
初めてといってもアドバンスに来て初めてというだけであり、何も冒険自体が初めてではない。
軽い緊張感だけを持ちつつ街を出た。
アドバンスの周辺はとても特殊な環境が揃う。
城壁が無くても人の出入りがあるのは街から4つのみ。
1つ目は王国王都へ続く最も人の出入りが激しい街道、2つ目は少し進むと海岸沿いに出るため海産物採取や海での魔物退治を主軸に活動する冒険者が使う道、3つ目は多数の強力な魔物が生まれやすく最も危険な道、4つ目は高い山がいくつも聳え立ち迷宮と呼ばれる洞窟がいくつも発見されている道。
レックスたちの依頼である角兎の主な出現域は4つ目の道から入れる迷宮地域の入り口周辺である。
不思議なことに迷宮の中には宝物が多く発見される。そのため冒険者や商人が挙って探検を進めているが中にいる強力な魔物のせいで大した戦果はあげられていない。
そしてなぜか迷宮にいる強力な魔物は迷宮から出てこない。
過去には迷宮が自然崩壊を起こしたことで中にいた魔物が街を襲う災害もあったらしいが、ここでは触れなくてもいいだろう。
そういうわけで強力な魔物は出てこなく人の手も入らなくなった。角兎のような弱い魔物にとっての楽園が出来上がったのだ。
「ここらへんから、だよね」
「そうね。一応、認識阻害の魔法をかけておくわよ」
「周囲から音は無いから魔物はいないと思うけど……」
レックスは腰に差した愛剣を掴み、マリーンは自分たちが魔物に気づかれにくくする魔法をかけ、ヘスターは狩りで得た聴力を生かして周囲を探る。
出てくるのは角兎だけではない。
弱い魔物は角兎以外にも多く存在し、冒険者の多くはその”弱い”魔物に殺されている。
経験を多く積んだ冒険者であれば少しの異変を察知して態勢を整えることが出来る。
ただ新人であるレックスたちにとって魔物側からの奇襲は避けたいところだった。
ヴィルヘルムからは『まず1回、下位の魔物と戦闘をしてください』と言われている。
そこで仲間の体調や連携を確認し次に移れと。
緊張感を持ちながらしばらく歩いているとのっそのっそと小さい花が移動しているのが見えた。
食人植物の幼体だ。明確な名前はついていないが成体になると人の身体より大きく育ち、花に化け近くを通った人間を捕食する魔物である。
本来なら森にいるはず、おそらく群れから逸れたのだろう。
幼体の場合、倒し方はいくらでもあるため一応慎重に近づいたレックスが振りかぶった剣で切りつける。
「プシュゥゥゥーッ」
煙を出しながら萎んでいく食人植物、吐き出した煙には毒があるため切りつけたあとすぐに飛びのいていたレックスは仲間を見る。
「いつもと変わらないわね」
「大丈夫だと思う」
確認したのは2人からしてレックスの動きがいつも通りであったか。
2人の頷きを見て剣を腰に戻す。
食人植物の幼体は倒してしまうと萎んで使い道がないためマリーンの魔法で燃やした。
そうして歩いているうちに出会った弱い魔物をそれぞれマリーンは魔法で、ヘスターは弓で倒しお互いの調子を確かめたときには太陽が真上に登っていた。
「確か、ヴィルヘルムさんは最初の戦闘で太陽が傾いていれば帰還を勧めるってことだったけど大丈夫だよね!」
「ええ魔力もほとんど消耗していないわ」
「こっちも余裕ね」
しばらく山の地図を見ながら歩いていると、前を歩いていたヘスターが2人にしゃがむよう指示を出した。
半ば反射的にしゃがんだ2人はゆっくりと移動してきたヘスターを待つ。
「……この先に緑鬼が3体いるよ」
緑鬼というのは魔物として弱い部類に属する。
幼体から成体にかけて大きさも変わらず緑の肌をした子供のような姿をとる。
「……武器は?」
「……見たところ持ってない。でも成体ではあると思う」
「……3体なら魔法と弓で2体に牽制しながら倒せるわよ」
「……そうだね。……やろう」
小声で密談を終えた3人はそれぞれ位置につく。レックスは緑鬼に数歩で斬りかかれるところまで、そしてヘスターとマリーンはレックスが近づくのを待ちながら魔法と弓で照準を当てる。
3人が位置に着いたところでレックスが2人に頷く。
「……ふっ!」
「……風刃!」
研ぎ澄まされた集中から解き放たれた矢と全てを切り裂きながら進む風の刃はそれぞれ2体の緑鬼の頭を飛ばした。
残された緑鬼は慌てて声を上げるがもう遅い。
背後には剣を振りかぶったレックスが迫っており最後の1体も抵抗無く息絶えた。
「……はっ……はぁあ~」
ここに来て初めて複数の魔物を相手にした戦闘、緊張感から解放されたレックスが息を吐いた瞬間。
ヒュッ、という音と共にレックスの腕に何かが掠った。
「痛っ!」
「レックス!?」
背後の木に当たりカランと地面に落ちたのは見るからに粗末な矢だった。
矢の飛来してきた方を見ると弓を構えた緑鬼が1体いる。
剣を抜いて走ろうとするが足に力が入らない、落ちている矢の先には茶色の液体が塗られている。――毒だ。
レックスが動けないことを悟ったヘスターは矢を番え照準を緑鬼に合わせる。
ヘスターの放った矢は綺麗な直線で緑鬼を討った。
マリーンは慌ててレックスに駆け寄る。魔法の中には人間の修復力を向上させたり失った組織を戻す魔法もあるがマリーンは使えない。
無力さに苛まれながら拳を握る。レックスが痛みに顔を顰めているのを見てふと思い出す。
ヴィルヘルムから毒消しの薬を渡されていたことを。
緑鬼用の毒消し薬は冒険者として大した需要が無いため持っていることを忘れていたのだ。
フツから渡された布袋の中からガラス瓶に入った液体薬を飲ませる。
レックスの表情が落ち着き、マリーンとヘスターは周囲を見渡した。
他に緑鬼の援軍はいなさそうだ。
レックスの意識もすぐに戻り3人はその場から離れた。
すこし歩いたところに岩場があり、その岩陰なら休めそうだったので初めての休憩を取る。
「……ここからどうするのよ」
「レックスも怪我してる。今日は帰った方が良いんじゃないかな?」
2人の言うことは正しい。油断していたとはいえ緑鬼程度に傷を負わされてしまった。
ここから冒険を進めても良い結果が得られるとは限らない。
レックスはしばらく悩んで決めた。
「今日は帰ろう。ただ帰りながら見られるところは見て行こう」
レックスは冷静に判断する。
怪我をしている自分、使ってしまった道具、ヘスターも矢が減り始め、マリーンにも疲労が見える。
これ以上は危険になる。
ただ角兎の生息域が帰り道にもいくつかあるため、それを見ながら帰る時間はあるだろう。
最大の緊張感を持ちながら山を下っていく。
希少な角兎、日が昇る前から捜索を始めているのにここまで見つかっていない物が帰り道で見つかるわけが無い。
そう諦めながら進む3人の少し先にある茂みがカサカサと揺れたと同時に角兎が3匹飛び出してきたではないか。
驚くレックスは腰の剣に手を伸ばし抜き放とうとする。
3歩先には角兎が迫っている。
これはチャンスだと構えた瞬間、剣を握るレックスの腕を後ろに立っていたヘスターが強く引いた。
こんなときになんだと振り返ると冷や汗をかき真っ青な顔で前を向くヘスターとマリーンがいた。
角兎が次から次へと茂みから出てくる。
しかし彼らはレックスたちを無視して後ろへ飛び跳ねていく。
その姿はまるで何かから逃げているようで――。
咄嗟に身を屈めた。
完全な勘だったが先ほどまでレックスの頭があった位置に風の刃が通る。
その刃が消えたと同時に周囲の木々が大きな音を立てて倒れていく。
完全な魔法による攻撃、しかし周囲に人はいない。
どういうことだと身を屈めながら必死になって敵を探すレックスの身体に横から衝撃が加わった。
「――かはっ!」
突然の衝撃により2メートルほど飛んだレックスの身体は偶然にも倒れた木々の上に着地する。
新人とはいえ鍛えた冒険者の身体、それを2メートルも吹き飛ばす魔物が弱いはずも無く。
「……りょ、緑鬼」
レックスのぼやけた視界に映ったのは緑の肌に巨大な牙の大太刀を持つ巨人。
冒険者にとって緑鬼と呼ばれるのは強い魔物ではない。
本来であれば緑の体は瘦せ型の子供のようで武器も持たない。人を襲うが大概は群れで行動している弱い魔物。冒険者としては緑鬼を相手に出来れば白等級で十分な力を持つというレベル。
しかし目の前の魔物はその強さを遥かに超えている。
魔物には人間と同じく成長段階がある。
人が大人になるように、食人植物が成体になるように。
魔物は人や他の魔物を食らい長いときを生きることで強さを増す。
どれだけ生まれたときに弱い緑鬼でも群れでたくさんの獲物を狩り続ければ身体は成長し武器を持つ。
群れの統率を行ったりする特殊な個体もいるようだが……。
緑鬼の成体は複雑に分岐しているが目の前の個体は明らかに。
「緑鬼、将軍級……2人とも!逃げろ!」
苦し紛れ、失いそうになる意識を腹に力を籠めることで保つレックス。
緑鬼の将軍級で魔法を使えるかもしれない特殊個体、そんなものに自分たちが勝てるはずがない。
今の自分は意識を保つことが精いっぱいの足手まとい。2人を逃がして残りの力で時間を稼ぐ。それが今の自分に出来ることだと叱咤して立ち上がる。
レックスの声が聞こえているはずの2人は一向に動こうとしない。
よく見ると2人の目が緑鬼を捉えていない。
まさか魔法だろうか。ならマリーンが抵抗しないわけがない。
そこまで高位の魔法を使えるとなると……。
レックスは渾身の力を込めて剣を振りぬいた。
立ち上がり己めがけて走ってくる人間に苛立った緑鬼は激しく雄叫びを上げて大太刀を振りかぶる。
一瞬の駆け引き、
剣を正面に構えて走るレックス、
強大な力を見せつけるようにして大太刀を振り下ろす緑鬼、
レックスは構えていた剣を緑鬼に向かって投げる、
その柄にはいつの間にか小さな玉が括りつけられており、
剣が緑鬼に当たると小さく煙を出して弾けた、
武器が無くなったレックスに緑鬼はニヤリと笑い大太刀を再度振りかぶる、
振り下ろされる大太刀を命を懸けた勝負の中で研ぎ澄まされた感覚のレックスは自然と避けた。
「お前のおかげで良くわかったよ。これは、僕にとって初めての”冒険”だ」
腰に差してある愛剣の鞘、その裏に隠された透明な液体が塗られた小さな短刀を緑鬼に突き刺した。
そんな小さな剣で自分はどうともならないとでもいうようにレックスの無防備な頭を掴もうとする緑鬼だったが、伸ばした腕には力が入らず緩やかに崩れ落ちた。
短剣に塗られた液体は食人植物の成体が分泌する毒。食人植物は花から分泌される毒で捕獲した対象を徐々に溶かすのだが、その毒を改良したのが剣に塗られていた物の正体である。
生き物の外皮からでは効果が薄いが直接体内に入れることが出来れば即効性を持ち体内器官を溶かす。
つまり剣を刺したことで緑鬼の体内を侵食した毒が心臓を止め確実な死をもたらした。
それも自分より仲間の命を大事に想ったレックスが死に体の身体で最後の力を振り絞り、本来であれば剣で切りつけることすら不可能な緑鬼の身体に剣を突き刺すという奇跡的な力を発揮したこと。それ自体に彼の強さがあったのだが。
レックスの奮闘により倒れた緑鬼を眺めていると、催眠のような状態にあったヘスターとマリーンが意識を取り戻した。
「……ぁ。れ、レックス……」
「……これは……」
立っているのがやっとの様子でいるレックスと、先ほどまで怯えるだけで何もできなかったはずの倒れた緑鬼を前に唖然とする2人。
「……良かっ――」
怪我もせず魔法から抜け出せた2人を確認したレックスは安心したように、その場に倒れた。
後日、回復のために教会へ運ばれたレックスの身体は順調に治りギルドへ引き渡された。
その間、一向に目を覚まさなかったレックスだったが教会で回復を務めた司祭は「この街ならよくあること」と心配する2人に伝え、必ず目を覚ますから待っていなさいと安心させた。
レックスの心配だけで緑鬼の討伐報酬部位の回収を忘れ角兎の依頼も達成できなかったため、しばらくギルドの空き部屋を借りていた3人だった。
レックスが起きたのはギルドに移った2日後だった。
意識が戻ったことで喜び回復を祝う3人の元にギルドの受付がやってきた。
「ギルドで将軍級緑鬼の討伐が確認されました。討伐報酬として銀貨50枚とレックスさんたち3名を緑等級に昇級いたします」
銀貨50枚を1回で稼げるのは中堅以上、しかし今回の将軍級緑鬼は中堅が1人で相手するのに十分な相手だった。
報酬としては上等だろう。
「――ありがとうございます」
後日、怪我も完全に治り今日から復帰する3人はギルドで依頼を受領した足であそこへ向かう。
「こんにちは!」
「いらっしゃいませ。レックスさん、怪我は大丈夫でしたか?」
「はい!この通り!」
ブンブンと元気に腕を振り回すレックスに店主は嬉しそうに頷いた。
「初めての”冒険”、お疲れさまでした。今日から3名で緑等級の依頼ですね」
レックスの乗り越えた死闘もとい冒険を全て計算だったとでも言うように言い放つ店主。
未来を読み当て、未来を映し出すこの店主の言うことは常に真実である。今回を除いて……。
「いえ、白等級の依頼を持ってきました。僕達昇級せずに、しばらくは白等級として足りない経験を積んでいきます!」
レックスの言葉にここへ来てから初めて見る店主の驚き顔を見た。
しかし一瞬で店主はもとの微笑みに戻ってしまう。
「堅実で素晴らしい。”冒険”を乗り越えても慢心せず正しく前を向く。あなたは立派な”冒険者”ですね」
ここに来て初めてこの人から褒められた気がする。
全てを見透かす店主に褒められたのが嬉しくて今日もまた”冒険”へと向かう。
これは強さを求め自由へ飛び立つ。
そんな人を支えるために出来た、1つのお店の話。
「いらっしゃいませ。本日はどのような”冒険”をお求めですか?」