9 お礼を言いたい
第一夫人の代理として参加するガーデンパーティーの数日前、ドレスショップから注文していたドレスが届いた。
ジェシカの髪色に合わせたガーネット色のドレスで、デコルテ付近やドレスの裾に、店内で見た時には無かった銀色の薔薇が施されている。
既製品ではあったが、少し手を加えられた事で急場しのぎ感が消えていた。
「まぁ………」
ドレスを手に取ったジェシカは、感嘆の声を上げた。
「嫌なヤツだったけど、気が利くわね」
補正の為にドレスを試着したジェシカは、姿見の前で満足気にポーズを取る。
そんなジェシカの傍らで、針子たちが忙しく手を動かしている。
ジェシカは感心していた。 リーンハルト自身の色である銀糸を使う所が憎い。 自身の色をねじ込んでくる辺りが、抜かりない。
(―――ということは、私との婚約に前向きなのかしら?)
既製品のドレスが、針子たちの手で、だんだんと自分の身体に馴染んでいくのを眺めながら、ジェシカは明るい未来を想像する。
婚約さえ、してしまえば。 結婚さえ、してしまえば。 以前のように屋敷に引きこもる生活を送れる………はずだ。
多少の社交には駆り出されるだろうが、社交は最低限でいい。 始終悪意にさらされるのは疲れる………。
今は我慢の時だわ。
そう考えて、ジェシカは自分を奮い立たせていた。
―――さすがのジェシカもバカではない。 自分への悪意には気付いていた。
自分が癇癪持ちで、傲慢でワガママなのも知っている。 そう、言われているのも。
学園時代に正そうとした。 気を付けようとしていた。 馬鹿らしい噂を否定したりもした。
でも、全てが無駄だった。
噂を否定すればするほど、その噂は真実味を帯び、悪意は増殖していった。
『否定してもしなくても変わらないなら、好きにした方がいいじゃない』
これが、ジェシカの出した結果だった。
それからは、極力他人と関わるのをやめ、噂の元を絶つ努力をした。
そして、虚勢を張る事で自分自身を守った。
それが、彼女の、ジェシカの処世術だった。
その結果、卒業パーティーの騒ぎもあいまって『傍若無人なジェシカ』が作りあげられた。
贈られたドレスを着て満足気に鏡の前に立つジェシカを『異性からのプレゼントに喜ぶジェシカ』と、捉えるか『高価なドレスを贈られて喜ぶジェシカ』と捉えるかで印象はだいぶ違う。
この時の正解は『リーンハルトが、婚約に前向きかもしれない事に喜ぶジェシカ』であった。
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ドレスの直しが終わり一段落したジェシカは、リーンハルトにお礼の手紙を書こうとペンを取った。
少し陽が陰ってきた窓辺で、白い便箋にペンを走らせる。
ところが、だんだんとジェシカの表情は険しくなる。
書き終えた便箋を眺めては睨み破り捨てる。 それの繰り返しだった。
ジェシカとしては、ドレスのお礼と今度のガーデンパーティーでのエスコートへの感謝を述べているつもりだったのだが、どうも表現が違う気がするのだ。
端的に言えば、その文章は偉そうに感じるのだ。
何度も表現を変え書き直すが、よりひどくなっていく………気がする。
とうとうジェシカは唸りだした。
その頃、ジェシカの専属侍女のマヤは、隣室で彼女に呼ばれるのを、今か今かと待ち構えていた。
ところが、何時になってもお呼びがかからない。
早くしないと、日が暮れてしまう。
(日が暮れ落ちてからのお使いは怖い。 同じ怖いなら、怒鳴られた方がましだ。)
そう思い立ったマヤは、怒鳴られるのを覚悟でジェシカの私室のドアをノックした。
ところがジェシカは怒るでもなく、マヤの顔を見るなり何かを思いついたようだった。
いきなり立ち上がり、言い放った。
「今から出かけるわ。 支度をお願い」
「今からですか? 日が暮れてしまいますよ?」
「そうよ。 だから、早くして」
(なんとまぁ傲慢な………)
いつもの事だ。と、衣装部屋へと向かう途中、足元に一枚の便箋が落ちているのに気が付いた。
書き損じの手紙だろう。と、手に取った時、目に入ってしまった………。
リーンハルトへの感謝の文面が。
感謝の気持ちが、様々な表現で書かれては消され、書いては消され………、グチャグチャに線が引かれていた。
そして、気が付いた。
(直接、感謝の気持ちを伝えた方が語弊が無いと考えたんだわ)
クスリとマヤは笑う。
(―――まったく、お嬢様らしい)
そして、イソイソと衣装部屋へと入っていった。