8 小さなきっかけ
さて、ジェシカの義妹、マリベルだが、第二夫人である母親に「自分もガーデンパーティーに出たい」と、駄々を捏ねていた。
「まだ、デビュタントも終えてないのに社交界に出られる訳が無い」と、第二夫人は諭しているが「お義姉様だって、デビュタントをしてないじゃない」と、屁理屈で対抗していた。
そもそも侯爵家での立場が違う。と説明するのだが、マリベルには理解出来ないらしい。
結局、父親のブルムスト侯爵に諭され不貞腐れたマリベルは、部屋に籠もってしまった。
マリベルの兄、ノアもブルムスト侯爵の会合に参加する事になり、社交デビューをする。
義姉も遅ればせながら、侯爵夫人の代理出席で社交デビューをする。
卒業前のマリベルだけ、社交界に出られない。
「私だってブルムスト家の一員なのに。 家族なら、ガーデンパーティーに参加してもいいじゃない。 私たち姉妹なのに」
なぜ義姉と一緒に参加してはいけないのか。 納得いかないマリベルは、ジェシカに直談判をする事にした。
別棟のマリベルは本邸の私的部分に立ち入る事を禁止されていた。
彼女が入れるのは一階の公用部分、広間や食堂、応接室などだ。
これも立場の違いなのだが、マリベルは気付かない。
なせなら、物心ついた時からそうたったから。
本邸の使用人に義姉の居場所を尋ねた彼女は、ジェシカが居るという温室へと向かった。
温室と言っても植物園と広間が合わさったような建物で、パーティーも催される程の広さはある。
この温室は先代の侯爵夫人が手掛けた物で、本来なら第一夫人が引き継ぐはずだったが、病弱なため例外的に第二夫人が引き継いでいた。
この時期は大きな窓が開け放たれ、涼やかな風が通り抜けていた。
「―――お義姉様?」
噴水から流れ出る小川近くのガゼボ風の建物に、ジェシカの姿を見つけたマリベルは、小走りで近付いた。
テーブルに手を付き、身体を乗り出しマリベルは言う。
「お義姉様! 私もガーデンパーティーに行きたいわ。 家族なら同伴しても良いのでしょ?」
ジェシカは刺繍をしていた手を止め、驚いたようにマリベルを見つめた。
「それは無理よ。私は母の代理で出席するのだから」
「なぜ? 私たち姉妹でしょ?」
「姉妹だけと、私の母とあなたの母は違うでしょ?」
「どういうこと?」
マリベルには、サッパリわからない。
困ったようにジェシカは彼女を見つめる。
「私はブルムスト侯爵夫人代理として参加するの。 でも、あなたは………」
ジェシカは言い淀む。
「何? なんなの?」
「あなたはブルムスト侯爵夫人の娘ではないでしょ? だから駄目なの」
不満気なマリベルに、ジェシカはふと笑みを漏らす。
「これが、ブルムスト侯爵が招待されている催しなら話は別だけど、今回はブルムスト侯爵夫人だから無理なのよ。 次の機会を待ちましょう?」
ジェシカは再び視線を手元に落とし、刺繍の続きをし始めた。
ところがマリベルは、肝心な所を聞き逃していた。
『ブルムスト侯爵』宛の案内であれば、第二夫人の娘であるマリベルも参加出来た。という所を。
「わからないわっ! だって、兄様はお父様と今度、会合に出るって。 なんで兄様は良くて、私はダメなの?」
「それは、ノアがブルムスト侯爵家の跡取りだと公表するためでしょ? 必要な事よ?」
「私は? 私はブルムスト侯爵家の令嬢じゃないの?」
ジェシカはため息をつき、再び刺繍の手を止めた。
マリベルの相手が、心底面倒になってきていた。
だから、言ってるじゃないか。
マリベルはブルムスト侯爵令嬢ではあるが、ブルムスト侯爵夫人の娘ではない。
侯爵夫人の娘と第二夫人の娘では立場が違う。
ノアは侯爵家の嫡男であり、跡取り息子。
ジェシカやノアとマリベルは立ち位置が違う。
「私が言うのも何だけど、あなたは社交的なのだから、そんなに慌てて社交界に出なくても大丈夫よ。 どちらかというと、学校の成績を上げて学業も出来る事をアピールした方がいいわよ?」
「やだ。 お母様と同じ事を言うのね………」
マリベルは眉間に皺を寄せる。
「とにかく、あなたが私の変わりになりたいのなら、私の母が亡くならない限り無理ね」
これで、この話はオシマイ。とでも言うように、再びジェシカは刺繍に集中する。
今度リーンハルトに会う時に、ドレスのお礼として、このハンカチを渡したいジェシカには時間がない。
そそくさと白いハンカチに、青紫の刺繍糸でブルーエ辺境伯の紋章であるコーンブルーメをチクチクと刺し出した。
「お義姉様?」
甘えるような声で、マリベルは話かける。
しかし、ジェシカは答えない。 無理なものは無理なのだ。
「もうっ!」
マリベルは足を踏み鳴らし、ジェシカに背を向けた。
その後ろ姿を見送りながら、ジェシカは長いため息をついた。
温室から別棟へと続く庭園の小道を、マリベルは泣きながら歩いていた。 ワンワンと声を上げ。
本邸の使用人たちが、自分の様子を盗み見ているのに気が付いていた
マリベルは、ワザと泣く。 注目して欲しくて、構って欲しくて。
第二夫人のテリトリーに近付くと、別棟の使用人がマリベルに駆け寄った。
「お義姉様が………、お義姉様が………」
マリベルは、ヒックヒックとシャクリあげる。
「お前とは立場が違うのよって。 どういう意味なの? ねぇ、私とお義姉様と何が違うの? 同じお父様の娘じゃないっ!」
―――悪意は恐ろしい速さで広まっていく。 尾ひれをつけて。 それが真実かどうかは関係ない。
元々評判の良くなかったジェシカは尚更だった。
『愛人の子って嘲笑したらしいわよ』
話を聞いた、ジェシカの専属侍女が否定したが関係ない。 面白可笑しく広まっていった。
ジェシカ側に付く使用人と、それ以外の侯爵家の使用人との間の溝は深まり、第一夫人側の使用人たちは中立を守る。 ブルムスト侯爵家は静かに分裂し始めた。




