6 正体
翌日、ブルーエ辺境伯家のエントランスホールに立つジェシカは、目の前のその男の容姿に釘付けになっていた。
昨日王宮で見かけた、艷やかな絹糸のような銀の輝きを持つ髪と、陽を浴びて光り輝く海面のようなアクアマリンの瞳を持った、容姿端麗なあの男にそっくりだった。
辺境伯家の衛兵らしきその男が、侯爵夫人から受け取った手紙をブルーエ家の執事に渡すその様子を、ジェシカは苦々しい気持ちで見つめていた。
その男は、ジェシカの視線に気が付いたようで、顔をこちらに向ける。
月の雫のような銀糸の髪が、一房ハラリと肩から落ち、彼の涼し気なアクアマリンの瞳が微笑んだように見えて、思わずジェシカの心は跳ねた。
いったい彼は何者なのだろうか。 ジェシカは考える。
騎士らしい服装からして衛兵なのだろうとは思うのだが、昨日王宮で、自分に辛辣な物言いをしながら、扉の隣に立っていたあの衛兵と同一人物にしか見えない。
ブルーエ家の黒狼騎士団はメインの色は黒だ。 王宮の騎士は所属によってメインの色が違う。 昨日、王宮で見かけたのは黒っぽいの騎士服が多かった。
(黒の騎士服だから、ブルーエ家も王宮の衛兵もあり得るわね。 紋章を確認しておくべきだったわね………)
騎士にまったく興味のないジェシカにとって、騎士の装いはみんな同じに見える。
「色もそうだけど、装飾が違う」と言われるが、サッパリわからない。 それに、そもそも騎士に興味はない。
(どちらにしろ、私には関係ないわ)
ジェシカは考えるのをやめた。 ブルーエ家の者であるのは確かなはずなので、その案内人の後ろを大人しくついて行く事にした。
花々が咲き誇る中庭の廻廊を通り、しばらく歩くと別棟らしきエントランスホールに着く。
随分と殺風景なそのホールに、昨日の出来事が思い起こされた。
ハッとしたジェシカは、案内人の顔を見る。
ところが、彼は歩みを止める事なくズンズンと進んで行く。
嫌な予感を感じながら、しかめっ面のジェシカは案内人の後ろを歩く。
だんだんと騒々しい物音がしてきた。 金属の触れ合う音もする。
そして通された部屋は、実用的な執務室だった。 それも、たぶん騎士団の………。
開け放たれた扉の向こうに、机に向い何やらペンを走らせているハノンが見えた。 確定だ。
「ねぇ、どういう事? 今日は辺境伯のご子息に会えるんじゃなかったの?」
ジェシカは案内人の袖を引き、よろめいた彼の耳元に囁いた。
彼は少し頬を緩め、光が揺らめく湖面のような、そのアクアマリンの瞳を細めた。
「ずいぶんと積極的なお嬢様ですね」
「なっ………」
ジェシカは一瞬、怒りと恥ずかしさを感じだが、よくよく思い返してみれば、異性の耳元で、それもよく知らない異性の耳元で囁くのは………、確かにそう言われても仕方がないように思えた。
「ごめんなさい。 迷惑だったわね」
「おや、ずいぶんとしおらしいのですね」
彼は驚いたように瞳を見開いて、楽しそうにクスクスと笑い出した。
その笑顔にかすかな苛立ちを感じ、ジェシカは彼の脇腹を指で突いた。
「コホン」
咳払いが聞こえ、ジェシカは我に返る。
立ったままのハノンが、何とも表現し難い顔で、自分たちを見ていた。
まだニヤニヤしている案内人の彼にエスコートされるまま、ハノンの執務机の前に配置されている応接セットのソファに腰を下ろす。
すると、案内人の彼も当たり前のようにジェシカの向かい側のソファに腰を下ろし、ベルを鳴らす。
ため息をつきながらハノンが、案内人の隣にあるソファに腰を下ろた。
「まずは………謝罪から………」
そうハノンが前置きをし、今日、会うはずだった令息の都合がつかなくなった事を伝えてきた。
「わかりました」
ジェシカは驚きもしなかった。
騎士団近くの建物に通されているのだろうと勘付いた時から、そんな気がしていたから。
そんな事よりも、ジェシカには解明したい事柄があった。
背筋を正し、ハノンに真っ直ぐ向き合った。
「ハノン卿。 お聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんでしょう。 私に答えられる事ならば」
ハノンは、穏やかな笑みをジェシカに返す。
執務室の扉が開いて、数人の侍女がテーブルの上にティセットを並べ始めた。
昨日、ジェシカが食べられなかったお菓子が、ティスタンドに並ぶ。
「あの案内人の正体を教えてください」
ジェシカは案内人をピシッと指差した。
「ううっぷ………」
案内人と指さされた彼は、口に含んだ飲み物を噴き出しそうになる。
「案内人かぁ………」
その声色は、少し残念がっているようでもあり、面白がっているようにも感じられる。
「だって、王城の衛兵だと思っていたのに、ブルーエ辺境伯家の馬車に乗って迎えにくるのだもの。 ブルーエ家の衛兵が、わざわざ私を迎えに来るわけないでしょ? 侍従にしては、その、服装が………ねぇ」
「なるほど………」と言いながらハノンは案内人の顔をチラリと見て「実は………」と言いかけた。
「そうだ。 このお菓子、昨日食べたそうにしていたよね?」
急に大声を出す案内人に、ジェシカはビクリとする。
「あなた、ワケアリなの?」
「えっ?」
ジェシカの小皿に、お菓子を取り分けてる最中の案内人が、不思議そうにジェシカを見上げた。
「だって、急に話をさえぎったから………」
取り分けられたお菓子を、ジェシカがパクリと一口で頬張る。
「ぅぅん、美味しい」
ニンマリするジェシカを見て、二人は笑い出す。
「そうですね。 彼は黒狼騎士団の団員です。 昨日の隊服は登城用で、本来はこの隊服です」
「なるほど………」と、ジェシカはハノンの騎士服の紋章を、マジマジと観察する。
黒狼騎士団というだけあって、黒い狼の刺繍が施してある。
その回りは領の名にあるコーンブルーメの青紫の花で彩られていた。
しばしお菓子とお茶を堪能していたジェシカは、質問をはぐらかされた事に気が付いた。
いち団員が何故、この部屋に当たり前のように座っているのか。
(まぁ、いいか)
ジェシカはチョロかった。 お菓子に騙された。
それに、ブルーエ家子息に会えないのだろう。と、ジェシカは感じたが、それももう、どうでも良かった。
案内人が何者であろうと、ジェシカには関係ない。
ただ、案内人の彼と話すのは楽しい。と感じていた。
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数日後、ブルーエ辺境伯三男がジェシカを迎えに来る事になった。
母の代理で出席するガーデンパーティーのドレスを選びに行こう。と誘われたのだ。
当日、ブルーエ辺境伯三男が待つ応接室の扉の向こうを見たジェシカは驚いた。
「あなた………」
「こんにちは、ブルムスト侯爵令嬢。ブルーエ辺境伯三男、リーンハルト・コーンブルーメと言います」
銀糸の髪を赤紫のリボンで結んだスラリとした令息が、アクアマリンの瞳を細めながら紳士の礼を取る。
アイツだ。
王宮で辛辣な物言いをし、辺境伯邸では親しげに接してきた案内人のアイツだった。
「おや? 何も投げないのかい?」
カラカラと笑いながら両手を広げ、おどけてみせる。
「なんだ。二人は初めてじゃないのか?」
ブルムスト侯爵が、不思議そうに二人を交互に見ていた。
「いえ、初めてですわお父様」
ジェシカは真顔でリーンハルトに向かって淑女の礼を取り言った。
「初めまして、コーンブルーメ様。 ブルムスト侯爵の娘、ジェシカ・ブルガリスです」
ジェシカは何事も無かったかのように、父、ブルムスト侯爵の隣にすまして座った。
ジェシカは焦っていた。 『猫を被る』と決めていたのに、まさかアイツが婚約者候補だったなんて。
(どうすればいい?どうしたらいい?)
ブルムスト侯爵とリーンハルトが何やら話ているが、ジェシカの頭に入ってこない。
自分がどう振る舞うのが正解なのか、考えていた。
気が付けば二人の会話は終わっており、目の前にリーンハルトの微笑みがある。
「それでは侯爵様。 お嬢様をお借りいたします」
どこまでも紳士的な彼に手を取られ、ジェシカは立ち上がった。
(決めた。初志貫徹。猫を被るわ)
そう決めたジェシカは、リーンハルトに微笑んだ。