4 顔合わせ
ジェシカとリーンハルトの初めての顔合わせは、王宮の一室で行われる事になった。
馬車に揺られたジェシカは、初めて王宮の門をくぐった。
本来なら、卒業後のデビュタントで登城しているのだが、なにせジェシカは我儘で傲慢な引きこもりだ。
なんだかんだ理由をつけては、デビュタントをはじめ、公の場への出席の一切を拒否していた。
公衆の面前で嘲笑された事を思い出すと、今でもジェシカの腹部は、キリリと痛みだす。
回りを威嚇する態度は、弱い心の裏返しだ。
あの時の心の傷は、そう簡単に癒えたりしない。
もう、誰も信じない。 あの日、そう決めた。
それはそうと、婚約者がなかなか決まらない事も、ジェシカ自身が思っている以上に、そうとう応えているようだった。
(でも、それも今回で終わり。 品行方正な令嬢の印象を植え付けるのよ)
馬車を降りたジェシカは、フンスと意気込んだ。
傲慢なジェシカも、四回も婚約話が流れたとなれば、多少なりとも己を振り返る。
自分に非があるとは微塵にも思っていないが、第一印象が悪かったのでは? と、思いついた。
そこで、義妹の力を借りて『第一印象』に力を入れる事にしたのだ。
好印象を持ってもらえさえすれば、後はどうにかなる。
所詮、結婚なんて上っ面だけで、家同士の契約なのだから。
どこまでもお気楽で、呑気で、間抜けジェシカだった。
見惚れる程の美形な衛兵に案内された部屋は、驚く程に殺風景だった。
部屋を間違えているのではないか?と疑うレベルだ。
思わず入口で立ち止まるジェシカを、そっと衛兵が椅子へと促す。
「あの………」
『部屋、間違えてるんじゃないの!?』という言葉を飲み込み、小首を傾げる。
義妹がよくやる技だ。 納得いかない事がある時、こうしていた。 ………はずだ。
するとその衛兵は、鼻で笑った。
確かに、鼻で笑った。
メラメラと湧き上がる怒りを抑えきれないジェシカは、近くの飾棚に手を伸ばすが………、何も触れない。 何も飾られていなかった。
飾棚を二度見するその姿を見て、衛兵の片側の口角が上がる。 馬鹿にしたように。
「危ないので、片付けました」
「は?」
ジェシカが呆気に取られていると、ドアがノックされ、侍女たちがティセットの乗ったワゴンと共に部屋に入って来た。
ティスタンドには、先日義妹が教えてくれた店のらしきケーキも乗っている。
(何とか話題はありそうね………)
ジェシカは胸を撫で下ろす。 失敗は出来ない。
何事も無かったかの様に、先程勧められた椅子に静かに腰を下ろした。
それを合図にしたかのように、ジェシカの目の前にティセットが並べられ始めた。
ところが、衛兵はまだ話しかけてくる。
「先日、ご義妹にグラスを投げつけたのですか?」
「何のことかしら?」
不躾な質問にジェシカは、不快感で眉をひそめる。
「人づてに聞いたんです」
彼はおどけたように、肩をすくめた。
ジェシカは睨みつけるように、その衛兵の顔をマジマジと見ていた。
(どんなに評判が悪くとも、私は侯爵令嬢だ。
なぜ、王城の一兵士に、気安く話しかけられないといけないのかしら?)
一応、ジェシカは自分の評判が悪い事だけは、使用人の噂話で知っていた。
「あなた………、どこかでお会いした事がありましたか?」
『態度を改める』と心に決めたジェシカの、今、考えられる最大限の不快感を言葉にした。
「おや? お誘いですか?」と、その男は扉の横を陣取ったまま、イヤらしい笑みを浮かべ言い放った。
ジェシカはティカップに手を伸ばした。
すると、その男は「待ってました」とばかりに、ニヤリとしたのだ。
その時、再びドアがノックされる音がした。
何事もなかったかのように澄ましてドアを開けるその男を睨みながら、ジェシカもカップに伸ばした手を引っ込め、静かに立ち上がり礼を取った。
「ご令嬢。 そのままでいいですよ。 私は黒狼騎士団の第一隊隊長、ハノンと言います」
丁寧な挨拶の後、爽やかな微笑みでジェシカに席を勧めたハノンは、自身もゆったりと椅子に腰掛けた。
ジェシカの頭の中は『?』でいっぱいになる。
なぜなら、紹介相手の男性が座るであろうジェシカの正面に、ハノン、まったく関係のなさそうなハノンが腰掛けているからだ。
状況が理解できないままのジェシカは、お茶の注がれるカップとハノンと名乗った騎士を代わる代わる見やる。
そんな混乱の内にいる彼女をそのままに、ハノンはジェスチャーで『どうぞ』とお茶を勧めてくる。
訝しげにハノンを見ながら、ジェシカはカップに口をつけた。
黒狼騎士団と言っただろうか。 全身黒の騎士服は少し異様にも見える。 銀糸の縁取りが、これまた怪し気な雰囲気をかもし出す。
肩章が華やかなのは、隊長だからなのだろうか。
マジマジと見ていると、ハノンと視線が合ってしまった。 慌てて目を反らすが、ハノンはフワリと微笑んで話始めた。
「今日、私が来たのは、黒狼騎士団の事を知って頂くためです。 ご存知だとは思いますが黒狼騎士団はコーンブルーメ領の私設騎士団で………」
彼が言うには、長年黒狼騎士団の幻獣隊を仕切っていた魔法使いが、年齢を理由に引退する事になったので、その変わりに幻獣を使役できる程の能力がある魔法使いを捜していると言う。
―――幻獣。野生の幻獣は、滅多に人前にその姿を現す事は無いという。
話には聞いたことがあるが、ジェシカは実際に幻獣を見たことはない。
魔法使いの魔力の系統にあった幻獣が、ある日突然現れる、と聞いているが、そもそも幻獣に選ばれなくてはならない。
そんな貴重な幻獣が集まる隊があるなんて。 ジェシカは興味を惹かれた。
目をキラキラと輝かせながら、ティスタンドのお菓子を摘みつつハノンの話に聞き入っていた。
「ブルムスト嬢はまだ、属性判定の儀式はされていませんよね? できれば前倒しで行って頂きたいのですが。 よろしければ、こちらで準備しますよ」
幻獣に心を奪われているジェシカは、直ぐに承諾した。
「でも、その引退される魔法使いの変わりになれる程の魔法使いに、私は成れるのでしょうか?」
幻獣隊を率いる程の魔法使いなど、そうそう居ない気がしてきたジェシカは、素直な疑問をぶつけた。
そもそも自分に、幻獣が現れるかどうかもわからないのに。
「大丈夫ですよ。 心配はいりません。 緊急に必要なのは、優秀な魔法使いですから。 幻獣が現れたらラッキー位の事ですよ」
その後も幻獣隊と魔法使い、黒狼騎士団の説明を長々と受け、それらの資料を両手に抱えるほど受け取った。
「ちなみに、辞められる方の幻獣は、どれでしょうか?」
パラパラと資料をめくりながら、ジェシカは尋ねた。
もう、幻獣が見たくて仕方がない。
「ラタトスク、ですね」
ハノンはジェシカの資料の中から、可愛らしい幻獣を指差した。
それは、リスだった。
「………」
ジェシカは驚きハノンの顔を眺めた。きっと間抜けな顔をしていた事だろう。
想定内の反応だったのだろうか。 ハノンはクスクス笑いながら言う。
「期待通りの幻獣もいますよ。 幻獣隊にはペガサスがいます」
「まぁ………」
ペガサスなら挿絵で見たことがある。 翼の生えた馬。 実在しているとは思っていなかった。
「―――と言うことは、ペガサスが現れないと幻獣隊には入れない。と言うことはなのですか?」
ペガサスが現れる系統の魔法使いしか、幻獣隊に入れない。という事なのだろうか。
随分と狭き門だ。
「いえいえ違いますよ。 幻獣隊にペガサスが現れたんです」
「えっ?」
ジェシカには意味がわからない。人ではなく隊に現れる。とは?
「幻獣は、人につくのではないのですか?」
「随分と、わが黒狼騎士団に興味をお持ちですね」
ハノンは、ニヤニヤしながら言う。
「詳しい事は、黒狼騎士団に来ていただかないと………。 おっと、そろそろ時間ですね」
そう言うとハノンは立ち上がり、ジェシカの側で手を差し出す。
差し出された手を取りながら、ジェシカは、再び湧き上がってきた疑問をぶつけた。
「あの、辺境伯のご令息とお会いできるとおもっていたのですが………」
「あぁ、そうでした。 申し訳ありません。 本日は、時間が無くなってしまったので、また改めて。 よろしければ、明日にでもお誘い致します」
「わかりました。お待ちしています」
なんとなくスッキリしないままのジェシカだったが、両手いっぱいの黒狼騎士団の資料と共に、迎えの馬車に乗る頃には、幻獣を見てみたい。触ってみたい。という好奇心でいっぱいになっていた。
もう、辺境伯の令息に会うよりも幻獣に会いたい気持ちが勝っていた。