3 最後の婚約者候補
自分の行動を顧みず、相手との相性が悪くて婚約までたどり着かない。と、割と本気で残念な勘違いをし続けている侯爵令嬢のジェシカ。
そんな残念令嬢なジェシカに、突然降ってきた婚約話。 王家からの紹介だった。
隣国に接する辺境伯が、優秀な魔法使いを捜していると言う。
そして、そこの三男が未だ独身で年齢的にもジェシカと釣り合うのではないか。といった話だった。
「王家が私の心配をしてくれるなんて」
ジェシカは盛大に勘違いをしているが、侯爵家の使用人たちは訂正しない。
下手に訂正して、癇癪を起こされても困るからだ。
どちらかというと、王家からの推薦を元にしたブルーエ辺境伯家からの申し入れであり、それも、あちらは魔法使いとして、騎士団に迎え入れたい思惑が色濃いのは誰がみても明らかなのだが、使用人たちはジェシカを持ち上げる。
「さすがジェシカ様。 国王陛下にも認められているのですね」
「ジェシカ様程にもなると、国王陛下までもが、その嫁ぎ先を気になさるのですね」
その裏にある悪意にジェシカは気付かない。
「私の婚姻は、国家レベルの重大事項なんだわ」
勝手にそう思い込み、一人で悦に入る。
そんなある日、最近手放せなくなった胃薬を手に、夫人はジェシカの私室に向かった。
この頃、体調が悪い事を気にしている夫人は、自分にもしものことがあれば、誰もジェシカを気にしなくなるだろう事を心配していた。
そもそも、あんなワガママになってしまったのは、自分が甘やかしすぎたせいだ。と、気を病んでいた。
丁度、お茶を楽しんでいたジェシカの向かい側の椅子に座る。
しばらく世間話をした後に、神妙な面持ちで夫人はジェシカに言う。
「あちらは、優秀な魔法使いを捜しているのよ? 婚約どころか、ついでの紹介話よ。 騎士団に入団するのが前提かもしれないわ」
あの紹介話の裏側を、夫人がやんわりと伝えてみるが、キョトンとするだけのジェシカには、夫人の言いたい事が伝わらない。
「お母様。 何言ってるの? あちらは優秀な魔法使いでもある私を、婚約者に欲しいのでしょ?」
「ジェシカ。良く考えて。優秀な魔法使いを逃さないための婚姻話なのかもしれないわ。 それも三男なんて家を継げないし、あの辺境伯家は荒事が好きだとも聞くわ。 それにあなた、学園でも実戦形式の授業は受けなかったじゃない。 無理よ」
夫人は尚も食い下がる。
そんな夫人の心配を一笑してジェシカは言う。
「まかさ、こんなか弱い侯爵令嬢を、戦場のど真ん中に魔法使いとして駆り出す事は、いくら何でもしないでしょ? 」
コロコロと可愛らしく笑うジェシカに、どんな言葉も届かない。
眉間にシワを寄せる夫人にジェシカは言う。
「大丈夫よ、お母様。 今度は上手くやるわ」
どこか自信満々なジェシカに、侯爵夫人の胃痛は増すばかりだった。
ジェシカの私室から夫人が去った後、彼女はいそいそと別棟に向かった。 第二夫人の生活域だ。
そこには、一つ年下の弟と三つ離れた妹も住んでいる。
ジェシカはその義妹に助言を頼んでいた。
彼女はジェシカを賞賛する。彼女の言葉は心地良い。彼女ならば、上手く取り入る方法を教えてくれるだろう。 耳触りの良い言葉で。
丁寧に整えられたトピアリーガーデンの植栽の間にある廻廊を抜け、別棟のエントランスホールに入る。
使用人が応接室に案内しようとしていたその時、階段上から可愛らしい声が響いてきた。
「お義姉様!」
転がるように階段を駆け下りてきた義妹が、ジェシカに飛びつく。
「お義姉様、お待ちしてました!」
「今日はよろしく頼むわね………」
「えぇ。 もう、次はありませんものねっ」
一瞬、眉をひそめたジェシカだったが、愛くるしい表情で顔をのぞき込んでくる義妹に、頬がゆるむ。
「このまま私のパートナーも決められないのかと、少し心配していました」
ジェシカの腕をギュッと掴んで、心から安心したとでもいうように、ニッコリと微笑む。
「あぁ、そうね。 あなたももう、卒業なのね………」
(―――そうか、卒業してもう三年も婚約者が決まらないのね………。流石にまずいわ。 そう言えば、『属性判定の儀式』もあったわね)
どこか楽しそうな義妹の顔を微笑ましく見ていたジェシカは、気が付くと、もう既に応接室の中にいた。
マリベルに誘導されるように座らされた椅子からは、サイドテーブルの上に積み上げられた、カラフルな台紙の山が見えた。
「やだ、お義姉様。 気付いちゃいました? あれ、全部お見合いの書類なんです。 でも、やっぱり、好きになった人とお付き合いしたい気持ちもあって、なかなかその気になれないんですよねぇ」
「あら、そうなの?」と言いながらジェシカは、タイミング良く目の前に置かれたカップに手を伸ばす。
爽やかなの香りが鼻を抜ける。
(好きになった人………。 好きになるって何かしら?)
そもそも相手に望まれて、婚約するものでは?と、疑問に思うが、プライドの高いジェシカは、些細な疑問も口にしない。
「もちろん、お義姉様に来たお見合いの数の比ではな無いんですけどね」
そう言いながら、椅子に腰掛けた義妹はズイッと身体を乗り出した。
ジェシカの胸はチクリとした。 ジェシカにきた見合い話は、数える程だった。
「私、考えたんですけど、お義姉様は所作だけは美しいので、敢えて何も喋らない。ってのは、どうてしょうか」
カチンときたジェシカだったが、義妹に指導を頼んだ手前、提案を断る訳にもいかない。
ジェシカはユックリとカップをテーブルに戻し、姿勢を正して義妹を見つめ微笑んだ。
「流石です、お義姉様。 完璧です」
パチパチと手を鳴らし喜ぶ義妹を見てたジェシカは、彼女に相談して正解だったのだろうか?と、少し後悔していた。
「ただ、やっぱり会話が続かないとお相手との距離は縮まらないので、王都の流行りの話題は抑えておいた方がいいですね。 お義姉様はお友達がいないので、私が教えて差し上げますっ」
再び、何か引っかかる言い方をされたジェシカだったが、母親である第一夫人か専属侍女以外と話をする事の無い、引きこもりのジェシカは、可愛らしく首を傾げている義妹の提案に乗ることにした。
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ジェシカが義妹に感謝を伝え、本邸へと帰っていく。
その義姉の姿がトンガリ帽子のトピアリーの影に消えてから、義妹は堪えきれなくなり笑い出した。
「お義姉様は、ホントかわいらしいわ」
それからは日課のように、ジェシカと義妹との二人きりのお茶会が行われた。
毎回義妹は、チクリとする言葉もあるが、ジェシカが喜ぶ言葉をくれた。 それは、耳触りが良く心地良い。
その心地良さが癖になり、ジェシカは義妹に全信頼を寄せていった。
そして、実際に辺境伯家の三男と会う数日前に、義妹主催の小さなお茶会にジェシカは呼ばれた。
どこか微妙な雰囲気が漂う中、ジェシカは義妹から学んだ通りに、流行りのファッション、お菓子などの話題を提供する。
相手の話を聞いて相槌を打つ。 簡単な事だった。
だがしかし、なぜか話し相手は早々に、作り笑いを残して去ってゆく。
でもまぁジェシカは、あまり気にならなかった。
入れ替わり立ち替わり、知らない人々が挨拶に来るので、それなりに忙しかった。
ふと視線を上げると常に義妹と目が合う。
見守ってくれているのか『頑張れ』とでというように、小さな拳を胸で上下する。
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「はぁ………」
流石に疲れたな。と、ジェシカはグラスを片手に一団から離れた。
こんなにたくさんの人々の中に入るのは、学生以来だった。
何だかんだと理由をつけ、社交をサボっていたツケだと、一人静かに反省しているところに義妹が足取りも軽くやって来た。
「お義姉様、流石です。 もう、完璧ですね」
「主催者のあなたに、迷惑をかけないように必死だったわ………」
驚いたように目を見開く義妹に気付かず、ジェシカはグラスの中身を一気に飲み干した。
「―――きっと、辺境伯家の方とも上手くいきますよ。 そろそろ、お部屋にお戻りになっては如何ですか? お疲れでしょ?」
「そうね。 そうさせてもらうわ」
ジェシカは自然な仕草で、空のグラスを義妹に渡した。
義妹も当たり前のようにグラスを受け取り、ヒラヒラとジェシカに向かって手を振った。
一度会場に戻って挨拶してから帰ろうかしら………と、思ったジェシカだったが、そちらの小路に義妹が立ち塞がっていたので、仕方なく裏道から部屋に戻る事にした。
「ありがとね」
「いえ。 明日でしたっけ? 上手くいくように応援してますわ」
ニッコリと微笑む義妹に手を振り、ジェシカは彼女に背を向け歩き始めた。
―――裏道に咲き誇る草花の間を満足気に歩いているジェシカの耳に、風に乗ってグラスの割れる音と悲鳴が聞こえてきた気がした。
(義妹に何かあったのかしら?)と、取って返そうとしたジェシカだったが、第二夫人のテリトリーで余計な事はしない方が良いだろうと思い直し、再び歩き始めた。