26 馴れ初め
ジェシカの母、アンネの容体は相変わらずだった。
父である侯爵は一日でも早く、アンネをムルテに連れていきたかった。
ところが彼女は、ジェシカの『属性判定』を見守りたい。と、拒否し続けた。
その『属性判定』の日が明日に迫っていた。
ジェシカは母のベットサイドに座り、ぼんやりと外を眺めていた。 母の穏やかな寝息が聞こえてくる。
薬品の匂いが入り交じり鼻につく。 その独特な匂いには、もう、慣れてしまった。
侍女の話では、もう食事もろくに取れていないと言う。
「私はどうすれば良かったのかしら………」
ジェシカは婚約パーティーでの事を思い返す。
リーンハルトの言葉を思い返す。
身体の奥からむず痒い感情が湧き起こるが、そのまま、この淡く色付いた気持ちに流されても良いのだろうか。と、思い悩む。
彼の言葉を真に受けたところで、明るい未来は見えて来ない。
騎士団を継ぐ彼には『高度な魔法使い』が相応しい。
「やっぱり、私には過ぎた人なんだわ………」
ジェシカは焦燥感に駆られる。 告白もしていないのに、フラれた気分だ。
ジェシカは、本日、何度目かのため息をつく。
数カ月前よりも、骨張っている母の手を取り独りごちる。
「お母様は、どうしてお父様を選んだの?」
ジェシカは母の手に頬を寄せ、目を瞑った。
―――窓から差し込む陽の光が、だんだんと色を付け、ジェシカの頬をオレンジに染め出していた。
彼女の母アンネは、変わらずに穏やかな寝息を立てている。
もう、目覚めている時間は少なくなっていた。
執務の合間にアンネの様子を見に来たブルムスト侯爵は、寝入るジェシカの横に椅子を並べ、気持ち良さそうに寝息を立てている二人を眺めていた。
つい先程、といっても昼過ぎになるがリーンハルトがジェシカを訪ねてきた。
「ジェシカに会わせて欲しい」と言っていたが、侯爵は追い返した。
「いったい、いまさら、何の用なんだ………」
ブルムスト侯爵は、頭を抱える。
ジェシカの将来を考えて、幸せを考えて、婚約者を選んできたつもりだったが、それがすべて裏目に出た。 結果、娘を傷付けてしまった………。
「結局、魔法なのか………」
高度な魔力は高位貴族の証にもなった。
だから、魔法が使えなくとも………。と、考えたのが甘かったのか。
「―――お父様?」
いつの間にか目を覚ましていたジェシカが、不思議そうにブルムスト侯爵の顔を覗き込む。
先程の独り言を聞かれてはいないかと、侯爵はギクリとする。
「ジェシカ………」
侯爵は娘に掛ける言葉を探していた。
「悪かった」なのか「申し訳ない」なのか、はなたまた「残念だったな………」なのか。
「―――彼が来ていたよ」
どの言葉も違うような気がした侯爵が選んだのは、思いやりも何も無い言葉だった。
とたん、ジェシカの整った涼しげな眉が曇ってゆく。
「いったい何の用ですか?」
「さぁ? 何か言いたそうだったが………」
侯爵はジェシカの顔を見ることができず、さりげなく夫人の寝顔に視線を向けていた。
「何があったんだ?」
侯爵の所にも、先だって行われたパーティーでの二人の様子の報告は来ていた。
苦々しく、ドス黒い感情が、侯爵の心を支配する。
「………」
俯き黙り込む娘に、どう対処すれば良いのか分からない侯爵は再び黙り込む。
―――沈黙が続く。
すると、ジェシカは唐突に尋ねた。「お父様とお母様は、どうして結婚したのですか?」と。
侯爵は思わず仰け反った。 そんな話題になるとは思っていなかった。
ジェシカは幼い頃、回りの大人たちの穏やかではない会話から『普通ではない婚姻をした』と想像していたのだ。
でも、それならば、それなのに………、なぜ、そこまでして婚姻する必要があったのだろうか。
ジェシカの疑問はそこにあった。
なぜ、母でないといけなかったのか?
リーンハルトとの事を考えると、その疑問がフツフツと湧き上がってくるのだ。
黙り込む父に「聞いてはいけなかったのかしら?」と、ジェシカは気不味い思いを感じ始めた。
そんな二人の間に、なんともいえない、ぎこち無い緊張感が漂い始めた。
その時………。
「フフフッ………」
こらえきれなくなったような小さな笑い声が、二人の耳に届いた。
寝息を立てていたはずのアンネの瞳が、薄暗くなった室内の灯りにキラキラと煌めいていた。
「お父様は、あの頃には珍しい程、熱烈なアプローチをしてきたのよ?」
普段の父からは想像のつかない話に、驚いたジェシカが振り向き父の顔を見ると、ほんのり顔が赤く見えた。
灯りのせいだけでなはい。照れていたのだ。
アンネは昔を思い出すように、嬉々として昔話を始めた。
侯爵はいたたまれないのか「用事を思い出した」と部屋を出ていこうとしたが、アンネの視線が、それ許さない。
一度浮かせた腰を、降ろすしかなかった。
二人の出逢いは、やはり互いの父親が決めた『紹介話』だった。
当主の決めた事に、子供が異を唱えられる訳もなく、二人は婚約をするのだが………。
「なぜか、破談になったのよねぇ」
そう言うアンネはクスリと笑う。
「遺伝なのかしらね?」
ブルムスト侯爵家に言われれば、アンネの伯爵家は従うしか無い。 アンネの家には、侯爵家に物言いをする力は無かった。
ところが破談から一年が経とうとした頃、突然その破談の相手がダグフィン・ビドルク子爵と名乗り訪ねてきた。
どうやら、地道な功績の積み重ねと、複雑な手続きを経て子爵位を手に入れたらしい。
その上、王家の推薦書まで携えてアンネに結婚を申し込んだのだ。
「もちろん、断ったわよ? だって、向こうが破棄を申し込んできたのに、意味がわからないでしょ? でもね、その日から毎日、一本の薔薇とメッセージが届くようになったのよ」
アンネはジェシカに微笑んだ。侯爵の視線は空を彷徨う。
「そのメッセージがまた、面白くて。 昨日食べた〇〇が美味しかった、とか。 寝坊しそうになって、慌てて駆け出したら転んだ、とか。 本当にくだらない事しか書いてないの。 小説に出てくるような甘い言葉は、一文字として無かったわね」
残念そうに言っている割には、楽しそうな表情を浮かべている。 侯爵はピクリとも動かない。
「ところがある日、パタリと花もメッセージも来なくなってね。 とうとうあきらめたのかと安堵していたんだけど、毎日あるものが急に無くなるっていうのは、案外気になるみたいで………、急にダグフィンの事が気になり出したのよ。 そうなってくると、怪我をしたのでは? 何かあったのでは? と気になりだしてね………」
「ねぇ?」とアンネは侯爵を物言いたげに見つめた。
何か言いかけようとした侯爵を制し、アンネは話続ける。
「どれくらい経ってかしら? 王宮の催しでダグフィンを見かけて………、思わず駆け寄ってしまったのよね」と、アンネはコロコロ笑う。
「良くわからないわ。 どうして、嫌いになった相手を心配して、駆け寄ったりするの? 嫌いになった訳ではないの? それに………」と言いながらジェシカは、真っ赤になって俯いている父親を見る。
「なんで断った相手にまた、婚姻を申し込むの?」
「実は………、私の叔母がアンネの家を苦手としていてね………」
言葉を選び言いにくそうに説明する侯爵を、ピシャリとアンネが制止する。
「ハッキリ言いなさいな。 あなたの叔母様が、私の家を毛嫌いしてるって。 気持ち悪いって言っているって」
「いや………、それはそうなんだが。まぁ、叔母の反対で婚姻が破談になった訳で………、私はアンネと一緒になりたいと思っていたよ。 だから、爵位相続を放棄したんだ。 弟もいたしね」
平民と同位になったダグフィンは、貴族の証『爵位』を得るために騎士となり、功績を積み上げて子爵となった。
そして、アンネとの連絡が取れなくなった数カ月の間は、王子の成人の儀である『ドラゴン討伐』で、王子を庇い傷を受け、生死をさまよっていたのだ。
そして、その王子の立太子の催しで、アンネは伯爵となったダグフィンに駆け寄ったのだ。
「つまり、ジェシカの疑問の答えは………」
アンネは身体を起こし、侯爵の腕に手を重ねて言った。
「あなたのお父様の一途な想いに、私が絆された。かしら」
ジェシカは互いを想い見つめ合う両親を目の前に、リーンハルトと自分の関係を思い起こす。
彼に『好きだ』とは言われたが、属性判定で幻獣が現れた時の布石とも考えられる。
どうも、リーンハルトを、ブルーエ家を信用出来ない。
なにやら考え込むジェシカを見て、侯爵は自身の若い時の行動とリーンハルトを重ね合わす。
だが、侯爵も彼に不信感を抱いていた。
「ジェシカ、結婚については、あまり考え込まなくていい。 アンネの家は隣国に知り合いが多い。 それに、アンネの伯爵位をお前が継ぐ手もある。 何とかなるから思い悩まなくていい。 ジェシカの思う通りにすればいい。 昔のようにな」
そう言うと、侯爵とアンネは顔を見合わせて笑う。 とても楽しそうに。
「お父様、その言い方はトゲがあります。 もう、私は昔の私じゃありません。 良き淑女になるために努力しているのに、ひどいです」
プンスカするジェシカも、侯爵にとっては愛らしい娘だった。




