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16 ハプニング

 リーンハルトの連日の訪問は、ジェシカにとって()()()をもたらした。


 二人の仲睦まじい様子が、侍女たちの噂に乗って街に流れる。

 そして、人々はかってに憶測する。 今回は、良い方に。

 ―――あの()()()が足繁く通う令嬢なのだから………。

 ―――今まで婚約に進まなかったのは、令嬢の()()ではないのでは?


 また、使用人の仲間内でも、ジェシカ付きになって日の浅いリヴが、ジェシカに好意的なのも『良い噂』の()になっていた。

 それに、マヤの解雇をジェシカが拒否した事も、ジェシカのイメージを変えた。


 ジェシカが心を入れ替えてまだ数日だが、良い方向に向かっていた。

 少なくとも、本邸の使用人たちはジェシカに対する見方を変えた。

 ジェシカは母の、第一夫人からの試練を一つクリアした。


 ところが、残念なジェシカはそんな話は、スッカリ忘れている。

 彼女の中の優先事項は、リーンハルトとの婚約式を無事に済ませる事。 この一点のみだ。

 信頼できる侍女も、二人もできた。 マヤとリヴだ。

 正直、リヴの事はまだよく分からないが、この数日で彼女の有能さはハッキリしていた。


 ジェシカは決めていた。


 どんな手段をつかってでも、この二人、マヤとリヴはブルーエ辺境伯家に連れていく―――と。


 ****

 ―――ガーデンパーティー当日。

 ジェシカは鏡の中の自分自身を、ウットリと見つめていた。


 初めてだった。 こんなに、シッカリと着飾ったのは。


 リーンハルトから贈られた深紅のドレスは、針子の手技により自分の身体一部の様に変化していた。

 それに、動くたびに銀糸の薔薇がキラキラと光を反射するのが、見ていて飽きない。

 髪はリヴの手によって器用に編み上げられ、繊細な銀の薔薇の飾りが散りばめられていた。

『目つきが悪い』と言われ続けていた、少しキツめの瞳は、暖色の色使いで妖艶に仕上げられていた。


「リヴ。 スゴイわ………」

「久しぶりの社交ですからね。 頑張りました」


 リヴも満足気に、鏡の中のジェシカを眺めている。


「では、参りますか? リーンハルト様がお待ちですからね」

「フフッ。そうね。これ以上待たせたら悪いわね」


 ジェシカは名残惜しげに鏡の前から離れた。


「では、参りましょうか。 戦場に」

「えぇ。 一瞬たりとも気は抜かないわ」


 二人は意味深な微笑みを交わし、リーンハルトの待つ階下へと、応接室へと向かった。


 ―――結果は上々だった。


 ジェシカを一目見たリーンハルトが絶句していた。

 言葉を失う彼を見たリヴは、小さくガッツポーズを取る。


 いつも以上に言葉少ななリーンハルトのエスコートで、リヴと共にジェシカは馬車に乗り込んだ。

 が、車内でも彼は何も話さない。 ジェシカは褒めて欲しかった。 綺麗だと言って欲しかった。


()()()()()()()様。 素敵なドレスをありがとうございます」


 意地悪なジェシカは、わざと『コーンブルーメ』と苗字で呼んだ。

 だが、リーンハルトは生返事をするだけで、何も言わない。言ってくれない。

 不貞腐れたジェシカにリヴが耳打ちする。


「きっと、照れてらっしゃるんですよ」


 それならば良いか。と、ジェシカは気分を良くした。


 ガタゴトと小気味よい音を立て、馬車は貴族街の石畳を進む。

 程なくして、ガーデンパーティーの会場に到着した。


 母の代理で参加するガーデンパーティーは、母と親交の深い人々で、ジェシカの幼い頃を知っている御夫人もいた。


 また、昼間という事もあってか仰々しい雰囲気もなく、長らく社交をサボっていたジェシカには丁度良かった。


(いきなり()()と言われたけれど、私の事………考えてくれていたのね)


 思わぬ所で、母の愛を感じるジェシカだった。


 また、母の期待を裏切らないように、母との約束を破らないように、心を入れ替えたジェシカは自制を忘れずに、社交に勤しんだ。


 リーンハルトも、ジェシカとの付き合いはまだ短いはずなのだが、本当に()()()なのだろうか?と思うほど、ジェシカとの仲睦まじい様子を見せていた。


 心を入れ替えたジェシカの社交デビューは、上々の内にお開きとなった。

 気分良く馬車に乗り込むジェシカだったが、唯一の不満はリーンハルトだった。


 何処となく余所余所しく、何か思い詰めているようにも感じる。

『照れている』だけではない()()がありそうだった。


 馬車の揺れだけが聞こえる静寂の空間で、ジェシカはボンヤリと窓の外を眺めていた。


 夕陽を浴びて建物の壁面が、オレンジ色に染まっていた。

 通り過ぎる街灯には、ポツポツと明かりが灯る。

 ガタゴトと音を立てて走る馬車。 心地良い揺れ………。


 ジェシカは急に、背中にゾワリとする不快感を感じた。

「?」

 彼女はキョロキョロと回りを見渡すが、不快感の正体が分からない。

 気を取り直し、再び外を眺める事にした。


「―――君を拐った者たちの処分が行われたよ」


 ボソリとリーンハルトが呟いた。

 彼は先の事件のあらましを、どうジェシカに伝えるか悩んでいたのだ。

 社交に向かう前にこんな話を聞かされるのは気分の良いものじゃないだろうと、今、伝える事にしたのだ。

 何も伝えない。という手もあったが、事実がネジ曲がって伝わるのもいけないだろう。と、彼なりに考えたいた。


 リーンハルトは、馬車の床の木目()()を見つめ、言葉を選びながら話し始めた。


「君の従者………、ブルムスト家の従者には妹がいて、彼女の婚家が借金で回らなくなっていたそうだ。 その借金の()()に『妹を娼館に売る』と彼を脅されていたらしい。 婚家から借金を回収するのをあきらめたんだろうな………。 


 それでも(らち)が明かなくて、君を誘拐してブルムスト家から身代金を取ろうとしたようだ。 言い難いのだが………評判の悪い君なら、大騒ぎにならないんじゃないか………と、踏んだらしい。 まぁ結局、妹の婚家の借金はそのままなんだが………。 ―――ジェシカ? どうした?ジェシカ!」


 荒い呼吸音とカチカチといった音に気が付いたリーンハルトが顔を上げると、ジェシカが真っ青になり自分自身を抱きかかえるようにブルブルと震えていた。

 カチカチというのは、歯が震える音だった。


「………」

「何? どうした?」

「お嬢様?」


 慌てるリヴと席を変わり、隣に座ったリーンハルトは、ジェシカの肩を抱き彼女の口元に耳を寄せる。


「―――お願い。止めて。馬車を止めて」


 微かなジェシカの呟きを拾ったリーンハルトは、すぐさま従者に馬車を止めるよう伝える。


「どうした?」


 静まりかえる車内で、怯えるジェシカの荒い息づかいだけが聞こえていた。


「ジェシカ?」


 リーンハルトは、彼女の言葉を聞き逃すまいと口元の動きに集中した。


「怖い………怖いんです」

「怖いって………。 あっ………」


 ()()()()、令嬢に、ジェシカに聞かせるべきではなかったのか。 リーンハルトは猛省した。


「悪い。あんな話、聞きたいものじゃなかったよな」

 リーンハルトは、ジェシカの髪が乱れないように気をつけながら、彼女をそっと抱きしめた。


「違うんです。 思い出してしまって………」


 流れるオレンジの街灯の灯りが、あの日の出来事をジェシカに思い起こさせたのだ。

 馬車の揺れが、あの日の恐怖をジェシカに思い起こさせたのだ。


 ジェシカはどうすれば良いのか、サッパリ分からない。

 身体の内側から恐怖が湧き出てくる。

 喉をかきむしりたい衝動にかられる。

 ジッとしていられない………。

 今すぐ、馬車から逃げ出したい。 

 その衝動を、ジェシカの侯爵令嬢としてのプライドが押さえ込んでいた。


「―――!!」


 唐突に、ジェシカは喉を押さえた。 まるで、自分で自分の首を絞めているような格好だ。


「ジェシカ!? 何してるんだ! 止めろ、手を離せ!」


 リーンハルトがジェシカの手を首元から離そうと力を入れるが、とてもじゃないが外す事が出来ない。

 とても女性の力とは思えない。

 ジェシカは目を見開き、涙を浮かべリーンハルトに助けを求めていた。


(違うの。 苦しいの。 助けて………)


 喘ぐように空気を求めるが、ジェシカの肺には入らない。

 リヴは両手で口元を抑え、アワアワと震え彼らを見ている事しか出来ない。


 何かに気付いたリーンハルトは、いきなりジェシカに口吻(くちづけ)た。


 リヴが驚き小さな悲鳴をあげたが、彼の行動が情欲に駆られたものではないように感じた。

 そもそも、こんな状況で欲に駆られる訳が無い。―――そう考え直したリヴは、驚きで押さえた口元の手はそのままに、リーンハルトの行動を見守っていた。


 長い長い口吻(くちづけ)だった。


 すると、あんなに苦しそうだったジェシカの表情が落ち着いてきていたのだ。


 今度、驚いたのはジェシカだった。

 苦しさから開放され目を開けると、至近距離で眉目秀麗なリーンハルトの涼し気な閉じた瞼があるのだ。

 そして、彼がゆっくりとジェシカから離れると、今まで彼女に触れていた彼の口唇が弧を描く。


「落ち着いた?」


 もう、ジェシカは蕩けそうだった。 いや、溶けていたかもしれない。

 パクパク口元を動かすだけのジェシカを愛おしそうに見ていたリーンハルトは「まだ、足りない?」と言い、再び口吻(くちづけ)けたのだ。


 軽くついばむように、だが、ペロリと口唇をなめるイタズラを忘れないリーンハルト。

 ジェシカは背中に、素肌に、手袋越しだが彼の熱を感じ、心臓が跳ね上がる勢いだった。


 その後もリーンハルトは「また思い出すといけないから」と、ジェシカを自分の膝の上にシッカリと抱え込み、乱れた髪を愛おしげにすくい上げ、肩に掛け直す。


 その様子を間近に見せられて、リヴは目のやり場がなかった。

 ジェシカもリーンハルトの膝の上で、どうして良いのかサッパリ分からず、身を固くして、ただ、彼が満足気に微笑むのをドキドキして見つめるだけだった。



「あの………、まだ出発しませんか?」


 なにやら生暖かい雰囲気に耐えられなくなったリヴが、恐る恐るリーンハルトに尋ねると、リヴの存在をすっかり忘れていたリーンハルトは、ジェシカをシッカリと抱きかかえたまま、馬車を降りてしまった。


 あわててリヴもその後を追う。


 我に返り、恥ずかしさが込み上げてきたジェシカは、リーンハルトの胸に顔を埋めていた。


 ********


「―――本当に、申し訳ありません」

「いや、構わない。 何ともなくて良かった」


 リーンハルトはジェシカの謝罪に、彼女の化粧で汚れた上着を脱ぎながら答える。


「窓から外を見なければ、馬車には乗れそうか?」

 リーンハルトがジェシカの涙を拭いながら尋ねる。

「わかりません………」

 本当にジェシカにはわからなかった。 ただ、これ以上リーンハルトに迷惑をかけたくなかった。


「そうか………」と言ったリーンハルトは、少し離れた所に控えてるリヴの元に向かい、何やら話をし始めた。

 ジェシカには、二人の会話は聞こえない。


 再び戻ってきたリーンハルトは、片手に馬を連れていた。

「ジェシカ。 コレで帰ろう」

 そう言って彼は、ニッカリと笑った。

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