表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/34

11 危機一髪

 マヤの背中を見送ったジェシカは、耳を澄まし馬車の音を探した。

 はるか遠くで、(ひづめ)の音がする。


(時間がないわ)


 落ち着いて自分の姿を月明かりで見てみると、まだまだ目立つ。

 白いシルクのアンダードレスが、暗闇に浮かび上がっていた。

 ジェシカは急いで地べたにゴロゴロと寝転がり、 身体中に土をなすりつけた。 

 草原の青臭い匂いが、鼻腔に広がる。


(侯爵令嬢がこんなドロだらけなんて)と、ジェシカの口元が緩む。

(さて、どちらに逃げようか………)

 キョロキョロと辺りを見回すが、どちらを向いても草原しか無く、身を隠す場所もなさそうだ。

 そうとなれば………

(マヤとは逆の方だわね)


 ジェシカは、草を掻き分け走り出す。

 少し泥濘んだ地面に靴がめり込み、派手に転んだジェシカは靴を投げ捨てた。 身体中に痛みを感じながら、必死に脚を動かした。

 何度も何度も転びながら、必死に走る。 マヤが助けを連れて戻るを信じて。


 ―――その頃マヤは、貴族街に続く門の近くで身を隠していた。

 その門の辺りでは、松明が忙しげに行き交っている。 


(たぶん、衛兵なのだろう)と、マヤはふんでいたが、念には念を入れ彼らの会話を盗み聞こうと、目を閉じ耳を澄ませていた。

 だが、気持ちは焦る。早くお嬢様の元に駆けつけたい、と。


「………ブル………戻って………らしい」

「………馬車…………走り………」

「黒狼…………探し………」


(黒狼? 辺境伯家だわ!)


 嬉しさのあまり何も考えず、マヤは彼らの前に飛び出した。

 彼らからしてみれば、暗闇から怪し気な()が飛び出してきたのだ。

 当たり前だが、瞬時にマヤは取り押さえられた。


「何だ?」

「お前も暴徒の一味なのか?」


 地べたにギュウギュウと押さえつけられながら、マヤは叫んだ。


「助けて下さい! お嬢様が襲われてます。ブルムスト侯爵令嬢です!」


 マヤを押さえつける手が緩んだ。


「ブルムスト侯爵と言ったか?」

「はい。ブルムスト侯爵令嬢、ジェシカ様です」

「今、どこに?」

「この先の………」と言いながらマヤは、緩んだ手の下で頭を動かし、門の先の暗闇を睨む。

「この先の街道で別れました。 お嬢様は私が助けを連れて戻るのを待っています。 お願いです。お嬢様を助けて下さい」


 すると、何かに気付いた衛兵が、弾かれたようにマヤから離れ、(こうべ)を垂れた。

 何事かと、恐る恐るマヤが立ち上がると、見るからに身分の高そうな騎士が馬上に見えた。


「今、ジェシカ………と言ったか?」


 月明かりに照らされて銀色の髪が輝いて見えるが、その表情(かお)は影になって見えない。

 見えないが、声色から怒っているように感じた。


「はい。お願いです。()()()()様をお助けください」


 マヤは(ひざまず)き手を合わせ懇願した。

 ジェシカを助けたい。 その一心だった。


「チッ」


 マヤの耳に舌打ちが聞こえた。

 同時に、馬上の騎士は手綱を引いたようで、いななきと共に方向転換をしていた。


「ハノン。彼女を頼む」


 そう、言い残すと銀髪の馬上の騎士は、単騎で暗闇へと駆けていってしまった。

 ハノンと呼ばれた騎士は、大きく長いため息を付くと、数人の騎士に声をかけ、先程の騎士を追いかけるよう命令をしていた。

 すぐさま、灯りを携えた騎馬数体が、暗闇へと駆け出した。


「あの………」


 急に不安が押し寄せてきた。 マヤはハノンと呼ばれた騎士を見上げ、説明を求めるように、恐る恐る話しかけた。

 その怯えたマヤの視線に気付いたハノンは、優しく微笑んだ。

「問題ありませんよ。 彼は、ブルーエ辺境伯子息で、あなたのお嬢様の婚約者候補ですよ」


 マヤは、ドッと身体の力が抜けていくのを感じた。

「良かった………」とつぶやくと、その身体はユックリと崩れ落ちドサリと地面に倒れ込んだ。

 安心したのだろうか。 意識を手放したマヤの顔は、薄っすらと微笑んでいるようにも見えた。


 ―――丁度その頃、ジェシカは追われていた。 正確には追い回されていた。


 背丈ほどの草むらを見つけ、そっと身を隠し魔法で気配を消した。

 このままマヤを待つつもりだった。 見つからないと、ふんでいた。

(さすがに馬車は、この草むらを走れない)

 そう確信していたのだ。


 ところが戻ってきたのは、馬に乗った()()か達だった。

 一人は従者の声に似ていた………。


(―――どうして?)

 不思議だった。 身を挺して自分を守ろうとする侍女と、自分を裏切り命を脅かす従者がいる事が。

 詳しい事はわからないが、身元のしっかりした者を雇い入れているはずなのに。


(確か………)

 ジェシカはマヤを紹介された時の事を思い出す。母の専属侍女の娘で学園を優秀な成績で卒業した。と、紹介された。

 従者まではわからない。 名前さえも知らない。

(それが、裏切るかどうかの差なの? まさか………ねぇ?)


 自問自答しても分からない。

 今は先ず、この場を乗り切る事だ。全てはそこから………。

 全神経を耳に集中する。 風に乗って、()が流れてくる。


((ひづめ)の音は………、一頭分かしら。 声は………、やっぱり二人ね。 という事は、御者台にいた知らない声の持ち主と()()()()()なのね)


 ジェシカの頭の上を、雲の影が流れていく。

 暗闇と銀色の光が交差する。 見上げれば、月に照らされた薄雲が、淡く黄金に輝いていた。


 一秒がとてつもなく長く感じる。 


 馬は街道をユックリと歩いているようで、カポカポと乾いた音が響いていた。

 息を殺し聴き耳を立てるが、自分の心音がやけに大きく、足音が聞きとりにくい。

 何度か街道を往復しているようで、馬の足音が近づいたり遠退いたりを繰り返す。

(このまま遠ざかって………)という祈りは届かず、足音は再び戻ってくる。


 トサリ………。


 馬から降りたのだろうか………。


 カサ………ガサ………カサガサ………。


 ジェシカは恐怖に囚われ、頭を抱え縮こまった。

 ヤツは草を掻き分けやって来る。 だんだんと近づいてくる。

 それも、躊躇なく自分に真っ直ぐに。


 足音が直ぐそこに聞こえた。 ジェシカは思わず口を押さえた。

 そうでもしないと悲鳴を上げ、駆け出しそうだった。 それほどの恐怖を感じていた。


 ガサリ………ガサリ………。


 ガサリ。

 頭上の草が、掻き分けられた。


「みぃ~つけた」


 口を押さえ見上げたジェシカの瞳に、月光に照らされ、ニタリと笑う男の()が見えた。


 弾かれたようにジェシカは駆け出した。 

 何度も、転び膝が痛い。 喉が焼け付くように痛い。 息が苦しい………。

 それなのに、その男は高笑いをしながらユックリと近づいてくる。

 どんなに懸命に脚を動かし走っても、その男はジェシカの真後ろで笑っていた。


(もう………動けないわ)


 ジェシカは両手両膝をつき、肩で激しく息をする。

 ジェシカの耳にはもう、自分の(せわ)しない呼吸音しか聞こえない。


「なんだ。 もう、終わりかよ」


 心底残念そうにその男は言い捨て、ヒョイとジェシカを担ぎ上げた。

 ジェシカにはもう、抵抗するだけの力も、気力も残っていなかった。

 ただ、ただ後悔していてた。 

『騎士を持つように』その忠告を聞けば良かった。まさに自業自得。


「なぁ、そいつを渡すんだから妹は返してくれるんだろ?」

 従者の声が聞こえてきた。 

(そうか、妹がいたのね)

「バカか。 そんなんで、お前の家の借金が払えると思ってんのか?」

 地響きのような男の笑い声が、ジェシカの頭に響き、彼女の身体も男の笑い声に合わせて上下する。

「話が違うじゃないかっ」

「うるせぇっ!」


 ジェシカの耳に鈍い音と共にドサリと何かが倒れ込む音、それとうめき声が聞こえた。


 男がジェシカを馬の背に乗せた。が、ジェシカは身動き一つ取れない。 だんだんと気が遠くなっていた。


 朦朧とした意識の中で、ジェシカはマヤを心配していた。

(無事に、助けてくれる誰かに、会えただろうか………)

 後は、マヤへの感謝。 こんな自分を守ろうとしてくれた彼女への感謝。

 それと、もう会えないかもしれない母への懺悔。

 こんな自分に親身に忠告してくれたのは、母だけだった。


「ごめんなさい………」

そう呟いて、ジェシカは意識を手離した。


 ―――どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 ジェシカはまだ、馬の背に揺られていた。


「綺麗な綺麗なご貴族様のお嬢ちゃんが、こんな泥だらけになっちゃって。 しっかりキレイにしないとね。 隅々まで………」


 野蛮な男が卑猥な言葉を吐きながら、馬の背に横たわるジェシカの剥き出しの背中を、ゴツゴツした指先で撫で回わす。

 背骨に沿うように、何度も男の指先が往復する。 ジェシカは、鳥肌が立った。


 だが、恐怖と緊張と駆け回った事による疲れと馬の揺れが、再びジェシカを眠りへと誘う。


(もう、どうでもいい………)


 全てをあきらめていたジェシカの耳に、遠くから近付いてくる馬の蹄の音が聞こえてきた。

 男の舌打の音が聞こえ、急に駆け出す馬。 

 ジェシカは「振り落とされて、死んでしまうのかしら?」と、ぼんやり考えていた。


 そんなジェシカの耳に、唐突に「飛べっ!」という言葉が響いた。

 反射的にジェシカは飛んだ。 馬の背を踏み台にして。

 何処にそんな力が残っていたのか。何かに弾かれたようだった。


 ジェシカに蹴られた馬はいななき、野蛮な男は声を荒げる。

 馬から飛び降りたジェシカは、逃げようと必死に手足を動かすが、地べたを這いずる事しか出来ない。

 どうにかこうにか立ち上がった時には、野蛮な男が必死の形相でジェシカに向かってきた。

 正確には、その表情は見えないが気迫を感じた。


 とたんジェシカの身体は宙に浮いた。

 鬼のような形相の男が、どんどんジェシカから離れていく。


 いつの間にかジェシカの身体は馬上にあり、しっかりとした腕に腰を支えられていた。

「これを着ろ」

 そう言われると頭上から上着が落ちてきた。

 月明かりに黒狼の紋章が見えた。


「黒狼………騎士団………」


 見上げると色素の薄い、リーンハルトのアクアマリンの瞳が、細くジェシカを見つめた。

 彼はジェシカの頭を、自分の胸にしっかりと、かき(いだ)く。


「よく、頑張ったな………」


 森林の香りがする彼の胸の中で、ジェシカは上着を両手に握りしめて泣いた。 声を上げて泣いた。


(助かった。助かったんだ)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ