第四章:村への道
森の端を抜けて、開けた小道に出る。
ナゴミは、ゆっくりと歩きながら、背後にある小屋を一度だけ振り返った。
煙はまだ細く立ちのぼっていた。
老女は出てこなかった。扉も閉まったままだ。
「……ありがとうございました。」
誰にともなく、そう呟いてから再び歩き出す。
◇ ◇ ◇
道は細く、左右には野生の草花が広がっている。
空は晴れているが、雲がゆっくりと流れていた。
風が吹くたびに草が揺れ、葉の音が微かに耳に届く。
「……静かすぎるな。」
ナゴミはそう言いながらも、その静けさが嫌いではなかった。
都会の雑音も、電子音も、車のエンジンもここにはない。
彼は草むらの中に咲いた小さな青い花を見つけた。
しゃがんで、そっと指で触れる。
「これ、なんて名前だろう……」
答える者はいない。だが、それも悪くないと思えた。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎても、村は見えなかった。
道はなだらかに続き、時々小川を越え、倒れた木を避けて進む。
途中、倒木の陰で休憩を取った。
ナゴミは小さな木の実を見つけたが、見たことのない種類だった。
「アニメだと、ここで主人公が無謀に食べて倒れる展開があるけど……」
彼はそれを見つめたまま、ポケットに入れずにそっと地面に戻した。
「まあ、俺はそうならないけどな。」
独り言が自然と口をつく。
◇ ◇ ◇
夕方近くになって、空が赤く染まりはじめたころ。
道の先に、小さな標識が立っていた。
それは木でできた素朴なもので、古びていたが、文字が彫られていた。
「……『レーニ村』?」
ナゴミは指で軽く触れた。
彫りは手作業のようで、少し歪んでいる。
「ついに……地名らしきものが出た。」
地面に置かれた小石が、整った円形を描いていた。
まるで誰かが意図的に配置したかのように、丁寧に。
ナゴミはその石を見つめたまま、ふと呟いた。
「……誰かが、こうしてるってことだよな。」
自然の中にも、人の痕跡は残る。
それがあるだけで、どこか安心する。
◇ ◇ ◇
少し歩くと、ようやく建物の影が見えてきた。
低い石の塀、木造の小屋、畑のような区画。
ナゴミは、深く息を吸った。
「……あれが、レーニ村か。」
歩みを進めるたびに、足音が土に吸い込まれる。
村の入り口に立ったとき、ナゴミは軽く周囲を見渡した。
人の気配はある。だが、誰も声をかけてこない。
彼は、門のようなものの前で立ち止まり、静かに声を出した。
「すみません、誰か……」
その瞬間、小屋の扉が一つだけ開いた。
そこから出てきたのは、少年だった。
年の頃は十歳くらい。手には木の棒を持っている。
ナゴミを見て、一歩前に出た。
「おにいちゃん、旅のひと?」
その問いに、ナゴミは少し笑って頷いた。
「うん。そんな感じ。」
◇ ◇ ◇
少年はナゴミを村の中心へ案内してくれた。
通りには数人の村人がいたが、みな穏やかに挨拶してくるだけだった。
干してある魚、積まれた薪、土でできた道。
どれも懐かしくも新しい風景だった。
村の広場に着いたとき、ナゴミは小さな井戸の前で立ち止まった。
少年が振り返る。
「お水飲む? 冷たくておいしいよ。」
「うん。……ありがとう。」
ナゴミはバケツから水をすくい、口を潤した。
そのときだった。
井戸の奥から、何か光るものが見えた。
淡い、青い光。水の中で、ふわりと揺れて消えた。
「……今の、何だ?」
少年は首をかしげた。
「え? なにもないよ。」
ナゴミはもう一度井戸を覗いた。
だが、何もなかった。
風が吹き、木の葉がさわさわと音を立てた。
ただの光の反射だったのかもしれない。
それでも、ほんの少しだけ、胸の奥がざわついた。
この世界には――やはり何かがある。