第三章: 出会い
草原を抜けると、地面の感触が変わった。
ナゴミは足を止めて、軽く靴の裏を見た。
土の上に、人が踏みならした跡。道だ。
「……誰か、通ってるってことか。」
視線を前に戻すと、あの小屋が近づいてきていた。
木材と石で作られた、小さくて素朴な建物。屋根からは、まだ煙が静かに立ちのぼっている。
ナゴミは息を整えたあと、ためらわずに歩き出した。
◇ ◇ ◇
「……おーい、誰かいますかー。」
声は静かに草むらと風の中へ消えていった。
返事はない。
彼は小屋の前まで来て、扉の前で立ち止まった。
ノックする手を上げかけて、少しだけ考える。
(こういうとき、どんなテンションで話しかければいいんだ?)
迷った末、軽く「トントン」と叩く。
しばらくすると、中からゆっくりと足音が近づいてきた。
扉が、きぃ……と音を立てて開いた。
「……誰じゃ?」
現れたのは、背中の丸い老女だった。
白髪を後ろで束ね、手には杖のような枝を持っている。
「すみません。……道に迷ってて、水を少しもらえませんか?」
ナゴミはゆっくりと頭を下げた。
老女は彼をじっと見て、口を動かさずに一瞬考える。
「……おまえ、旅の者か?」
「……そんな感じです。」
老女は扉を少しだけ広く開けた。
「入りなされ。水くらいは出せる。」
ナゴミは、頭を下げてから中に入った。
◇ ◇ ◇
小屋の中は、草や木の匂いが混ざった、落ち着いた空間だった。
棚には乾燥した草や野菜、古びた本が積まれている。
「ここに座れ。火は焚いてある。」
老女は、彼に木の椅子を勧めた。
ナゴミは「ありがとうございます」と言って腰を下ろす。
テーブルに置かれた陶器のカップから、湯気が立ちのぼる。
老女は水を渡す前に、一瞬だけ目を細めて尋ねた。
「名前は?」
「……ナゴミといいます。」
「ふむ、珍しい名じゃな……見ぬ顔だ。村の者ではないな。」
ナゴミは頷く。
嘘をついても仕方がない。けれど、真実をどう伝えるべきかも分からない。
「……森の中で、気がついたらここにいました。」
老女は少し目を細めたが、それ以上深くは聞かなかった。
その代わり、ゆっくりと水を出しながら、静かに言った。
「空から落ちてくる者も、たまにはおる。」
「……え?」
「いや、なんでもない。水を飲みなされ。」
◇ ◇ ◇
ナゴミは水を飲みながら、しばらく老女と静かに話した。
野菜を育てていること。
ここから南に小さな村があること。
森には動物も出るが、魔物らしいものは見たことがないということ。
どれも、アニメで聞いたような「異世界的情報」ではなかった。
ただの田舎の日常。静かで、ゆっくりとした時間。
それが逆に、少し安心だった。
「しばらくは、このあたりで寝床を探すことになるかもな。」
「そうですね。……勝手に進んできたので。」
ナゴミの言葉に、老女は「ふん」と鼻を鳴らした。
「そういう者は、案外長く生きるものじゃよ。」
意味のありそうで、なさそうな言葉。
ナゴミは笑った。
◇ ◇ ◇
外に出ると、夕日が木々の間から差し込んでいた。
風が少し冷たくなってきて、ナゴミは襟元を軽く直した。
「南に行けば、村か……」
道はまだ続いている。
けれど、どこに繋がっているかは分からない。
それでも、行くしかない。
理由は特にないけれど、「そういう気がした」だけだ。
ナゴミは、ゆっくりと歩き出した。
――つづく。