第一章:落下
白くふわふわとした雲が、空いっぱいに広がっていた。
長袖のジャンプスーツを着たナゴミは、ヘルメットを手に取りながら、ふと空を見上げた。
「今日は、雲を突き抜けるジャンプになるな。きっと気持ちいいはずだ。」
彼は二十歳の大学生。趣味は少し変わっていて、スカイダイビングに夢中だった。
高度はすでに十分、飛行機の扉が開き、風が唸り声のように吹き込んでくる。
ナゴミは深く息を吸い、ためらいもなく空へ身を投げた。
――ふわり。
雲を突き抜けた瞬間、視界が真っ白になり、すぐにその向こうの青空と太陽が現れた。
彼の顔には自然と笑みが浮かぶ。
「生きてて、よかった……」
だがその幸福な時間は、一瞬で崩れ去った。
――パラシュートが、開かない。
ナゴミはレバーを何度も引っ張る。しかし反応はない。
焦り、非常用のパラシュートに手を伸ばす。だが、そちらも開かない。
風が耳元で怒鳴る。地面が、迫ってくる。
手が震え、心臓の鼓動が耳を突く。
「……マジかよ……なんで……」
その時、彼の頭に一つの言葉がよぎった。
――あ、死ぬんだ。
衝撃。骨が砕ける音。何かが飛び散る感覚。
だが、それも一瞬。すべてが、闇に呑まれた。
◇ ◇ ◇
……光だ。
ナゴミは息を吸い込むように、目を見開いた。
「っは……っはぁ……っ!?」
目の前には、見知らぬ森。土の匂い、風の音、鳥のさえずり。
全身の感覚が戻り、彼は慌てて周囲を見回す。
「……どこだ、ここ……?」
手を見て、足を確認し、立ち上がる。体は……無傷。痛みもない。
転生? 夢? パニックになる前に、彼は一つのことを試してみた。
右手を前に突き出し、叫ぶ。
「ファイアーボール!」
……沈黙。
何も起こらない。ただの風が、頬を撫でた。
「……だよな。」
ナゴミは苦笑する。
かつて見た無数の異世界アニメ。その知識が、本当に役立つのか――
まだ、分からない。ただ一つ言えるのは。
彼の旅は、もう始まっていた。
◇ ◇ ◇
一方その頃、雨が降る東京の一角。
黒い傘の波に紛れた葬列。小さな祭壇の前で、ひとりの女性が膝をつき、泣いていた。
「ナゴミ……」
それは、母親だった。
棺の中には、動かぬ息子の姿。冷たい現実。だが、誰も知らない。
彼の魂は――別の世界で、目を覚ましたのだ。
――つづく。