第1話、初詣①
翌朝、いつものようにユキの「おはよう」で起こされて新たな年が始まった。
カーテンを開けると太陽の光が差し込んで、空を見上げると雲ひとつ無い快晴が広がっている。雪解け水を含んだ冷たい風が頬を撫でるが、その冷たさが心地よく感じられた。
新年からユキに起こしてもらえるのは実に幸せなもので、朝から優しく微笑むユキを見ているとどうにも抱きしめたくなってしまう。けれど今日は初詣に行く予定で色々と忙しい事もあり、朝からユキとくっついている時間は残されていなかった。
今日はユキの母親がマンションにまで迎えに来る。それからユキの母親の車に乗り込み、神社まで送ってもらって振り袖姿のユキと並んで歩くのだ。ユキの母親にもしっかりと挨拶しなければならないし、振り袖姿のユキの隣を歩くに相応しい格好で行かなければと、いつもより一段と気合を入れて服を選んでいる。
鏡の前でああでもないこうでもない、と何を着ていくのか悩んでいると部屋の扉をノックする音が聞こえた。扉の向こうにいるのはもちろんユキで、返事をすると扉が開く。
「晴くん、そろそろお母様が来ます。準備の方は?」
「ご覧の通り、さっぱりだ」
クローゼットは開きっぱなしになっていて、着ていくつもりで出したが選ばれなかった服がベッドの上やらテーブルに散乱している。
「もう。ちゃんと選ばないとダメですよ。ほら、こっち向いてください」
「んー」
俺の言葉を聞いたユキは部屋の中に入ってくると、部屋に散乱していた服を手に取って俺の隣に立った。一緒に鏡の中の俺を覗き込みながら、どの服が良いかを選び始める。
ユキの選ぶ服の組み合わせはどれもこれもセンスが良くて、俺のコーディネートとは逆の理由で結局はどれを着ていくのか決められないというオチに至ってしまった。
「困りましたね。どの服装も晴くんはかっこよすぎます」
「そ、そうか?」
「晴くんはもっと自分の魅力を理解してください、こんなにかっこいいんですから。それにあたしがコーデしなくても、いつも晴くんが選んでいる服装だって魅力的なんですよ?」
自分では全く分からない事なのだが、どうやらユキからすれば俺は何を着てもよく見えてしまうらしい。それをユキに褒められると嬉しい気持ちになりつつ恥ずかしくもあった。それからしばらくユキに見繕ってもらった服を着ては脱ぎを繰り返し、ようやく納得のいくコーディネートが決まった頃だった。
ユキのスマホから着信音が聞こえる。タイミング的にもユキの母親だろうと思っているとそれは正解で、ユキの通話の受け答えを聞く限りだと俺達の住むマンションにユキの母親が到着したらしかった。
「晴くん、お母様をエントランスの方まで迎えに行ってきますね」
「ああ。それじゃあ俺はリビングでユキの母さんが来るのを待ってるよ」
久々に親の顔が見れるのを楽しみにユキは元気良く部屋を出ていった。一方で俺は数年ぶりのユキの母親との再会に緊張しながら、リビングのソファーでその時を待つ事にする。そしてしばらくして玄関の扉を開ける音が聞こえて、俺は扉の方へと立ち上がった。
扉の先から現れたスーツに身を包んだ綺麗な女性は、俺の姿を見つけるなり優しく微笑む。数年ぶりだが全く変わっていない、俺の知るユキの母親の姿がそこにはあった。顔立ちはユキにそっくりで天使みたいに整っていて、白銀色の艶やかな長い髪を綺麗に纏めている。その美しさには思わず息を呑んでしまう程だ。
彼女の名前は深冬さん。一児の母とは思えない程に若々しくて、見た目は20代前半そのもの。ユキと隣に立つと親子ではなく姉妹にしか見えないくらいで、お世辞抜きで親子揃って美人そのものなのだ。深冬さんは俺を見ると嬉しそうに目を細める。
「お久しぶりです、晴ちゃん。お元気でしたか?」
「み、深冬さん。お久しぶりです。元気ですよ、どうぞ上がってください」
「では上がらせて頂きます。ほらユキ、早くしなさい」
「お、お母様! はしゃぎ過ぎです、そんなに急がないで……」
母親の後を追ってユキも慌てて靴を脱ぐ。
リビングに入ってきた深冬さんに向かって、新年の挨拶と一緒に俺は頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、深冬さん」
「はい、おめでとうございます、晴ちゃん。大きくなりましたね」
俺を見つめながら優しい笑みを浮かべる深冬さん。俺が小さい頃は良く抱っこしてくれたり、頭を撫でたりと可愛がってくれていた。流石に今はそんな事はなく軽く会釈をして済まされると思っていたのだが――深冬さんは俺に近寄るとぎゅっと身体を寄せて、そのまま頭を撫でつつ抱きしめてきたのだ。予想外すぎる展開に俺は戸惑いを隠せない。
「ちっちゃくて可愛かった晴ちゃんが、こんなに大きくなってわたしも嬉しいです」
深冬さんのユキ以上の豊満な胸が当たって、柔らかさに加えて弾力もあって、包み込むような温かさが伝わってくる。それに大人の甘い匂いが立ち込めて頭がくらくらとしてしまっていた。
この状況に困惑しているのは俺だけじゃなく、それを見ていたユキも同じ反応を見せていた。
「お、お母様! 晴くんへのいたずらはやめてください!」
「いたずらじゃないですよ、ユキ。数年ぶりの晴ちゃんですから、しっかりスキンシップをしておかないと」
そう言いながら優しく頭を撫で続けて離れる気配を見せない深冬さんだったが、このままの状態が続くと俺の心臓も爆発してしまいそうで、何とかして離れてもらった。その様子を見ていたユキがぷくーと頬を膨らませて拗ねている。
「もうっ……お母様ったらはしゃぎ過ぎです!」
「ごめんなさいね、つい。晴ちゃんに会うのは本当に久しぶりだから」
「そうかもしれませんけど……晴くんも困っています!」
「み、深冬さん。ちょっとびっくりしちゃいました……」
「それは失礼しました。でも本当に大きくなって嬉しいです。子供の成長は早いものですね」
そう言って今度は俺の手を取ってくる深冬さん。俺はドキドキしながらもなんとか平静を装った。
「小学生の頃はユキをいつも守ってくれて、あの時からとても勇気の溢れる素敵な少年だとは思っていましたが、そんな晴ちゃんも成長して立派な男性になっていたのですね」
「り、立派な男性だなんて。いつもユキに迷惑をかけてばかりで……。立派な男性どころか本当に申し訳ないくらいで」
「ユキがいつも言っていましたよ。晴くんの為ならどんな事でもしてあげたい、と。晴ちゃんのお世話が出来る事をユキは喜んでいます。それにユキが好きでやっている事ですから」
「お、お母様……お願い、あまり余計な事は言わないでください……」
「ふふ、照れちゃって。ユキの事をこれからもよろしくお願いしますね、晴ちゃんと一緒に居られる事がユキにとって一番の幸せだと思うので」
「こ、こちらこそ……本当によろしくお願いします、深冬さん」
面と向かってユキの母親である深冬さんにそんな事を言われたら、嬉しいのと恥ずかしいので俺の顔は真っ赤になってしまう。ユキも同じく耳まで朱色に染めていて、その様子を見ながら深冬さんは楽しそうに笑っていた。
それから深冬さんをリビングのソファーへと案内する。
深冬さんは丁寧に畳まれた振り袖を取り出しながらユキの方を見上げた。
「それじゃあユキ、振り袖の着付けを手伝ってあげるから準備しなさい」
「は、はい……分かりました」
ユキは深冬さんの言う通りにすぐ隣へ立った。
俺はユキの着付けを手伝ってくれる深冬さんに感謝の言葉を伝える。
「深冬さん。すみません、わざわざ来て頂いた上に着替えまで手伝ってもらって」
「気にしないでください。晴ちゃんにもユキの振り袖姿を見せてあげたいので。きっと似合いますよ、小学生の頃よりもずっとずっと」
「は、晴くんはお部屋で待っていてくれますか? 振り袖に着替え終わったら呼びに行くので」
「ああ、分かった。それじゃあ深冬さん、よろしくお願いします」
俺の言葉に深冬さんは笑顔を返す。
そして一人で自分の部屋へと戻った。
ベッドの上に座りながら、小学生の頃を思い出す。
深冬さんは本当に変わっていない。美人な所もそうだけど、俺を可愛がってくれたりユキに対してもおおらかでとても優しい性格だ。あの頃も家族総出で初詣に行ったわけだが、母さんや父さん以上に俺へ良くしてくれたっけか。
抱っこしてくれたり頭を撫でてくれたり一緒に遊んでくれたり、子供の頃の俺にとっては憧れのような存在だった。そして心身ともに成長して改めて思う、やっぱり深冬さんは凄いなと。
そして高校生になって大きく成長したユキの振り袖姿を見られるという事、深冬さんも小学生の頃よりずっと似合うはずだと言っていた。その姿に期待で胸を膨らませながら、部屋の扉がノックされるのを待つ事にする。




