第5話、ユキの誕生日④
秋奈との買い物を終えた翌日。
今日はユキの誕生日であるが、当の本人はいつもと変わらない様子でキッチンに立っていた。ヘアゴムで髪を後ろにまとめたポニーテールにエプロン姿で楽しそうに料理を進めている。
朝いつものように俺を起こしに部屋へ来て、朝食を作って部屋の片付けから何からやってくれて、俺が率先して家事を済ませようと思ってもそれをやんわり止めてくる。
昼からは「晴くんの好きなオムライスを作りますね」と張り切っている様子で、冷蔵庫から取り出したオムライスの具材を並べていた。
今日がユキの誕生日であるのは間違いないはずなのだが、あまりにも普段どおりの様子で振る舞う姿に不安を覚えてしまって、思わず母さんにユキの誕生日が今日であるのを確認したくらいだ。
小学生の頃は誕生日になると朝からずっとそわそわとした姿を見せていたユキ、祝ってもらえるかどうかをずっと不安そうにしているユキにこっそりと誕生日プレゼントを差し出すと、それはもう嬉しそうに笑っていた姿が今でもはっきりと思い出せる。
高校生になって再会した今もきっとそうだと思っていたのだが、鼻歌交じりに卵を割る姿にはどこか余裕すら感じられて今日が特別な日だという事を一切感じさせなかった。その一方で俺の方は昨日からずっとそわそわしているので、自分だけが意識しているようで少しむず痒い。
そんな事を考えている間にも、ユキの手際は良くなっていく。フライパンの上で卵が躍り、ケチャップの香りが漂ってくる。いつものように上手に調理を進めているユキを眺めていると、どのタイミングでプレゼントを渡そうか分からなくなってしまって素で悩んでいた。
「晴くん、オムライス出来ましたよ」
キッチンから二人分のオムライスを皿に乗せたユキがリビングへと歩いてくる。テーブルの上に並べられていくオムライスを眺めながら一緒にテーブルにつき、二人で手を合わせて昼食が始まった。
一口食べるごとに幸せそうな顔を見せるユキを見て、今日も相変わらず可愛いなあと思いながらも視線は自然とオムライスではなく、プレゼントを隠してある自室の方へといってしまう。
秋奈と一緒に選んだプレゼント、喜んでもらえるかどうかで言えば自信はある方だ。けれどやはり、こうして目の前にいるユキを見るとどうしても不安になってしまう。頭の中で色々な事がぐるぐると回って悶々とした気持ちになっていると、不意にユキと目が合った。
「今日のオムライスはどうでしょう?」
にこりと微笑みながら彼女は問いかけてきた。大好きなオムライスをユキが作ってくれたというのに、考え事ばかりですっかりと味わうのを忘れてしまっていた俺。
この悶々とした気分を吹き飛ばすかのように、俺は勢いよくスプーンを口に突っ込んだ。
「美味い……やっぱユキの作る料理は特別っていうか、本当に俺好みだよな。凄いよ」
「えへへ。晴くんの事を考えながら作っていますから」
照れ臭そうに頬を赤くしてはにかむユキを前にすると、こうして食べているオムライスが何倍にも美味しくなるのを感じる。ユキも再びスプーンでふわりとろけるオムライスを口の中へと運び始めた。
テーブルの上に置かれた皿は綺麗に空になり、ユキはそれをまた普段通りに流し台で洗い始める。楽しそうにポニーテールを揺らして洗い物をするユキの後ろ姿を眺めながら俺は席を立った。
どうしてユキがいつもと変わらない感じなのかは定かじゃないが、ともかく彼女を喜ばせたい気持ちは変わらない。俺は意を決して自室に隠してあるプレゼントを取りに部屋へと戻った。
プレゼントを入れた紙袋を手に取って、深呼吸しながら自室を後にする。
リビングには食器を洗い終えたユキがソファーに座っていて、ぼーっと窓の外を眺めている姿があった。
太陽の日差しが当たって暖かいのか、ふわああ~と大きなあくびをするユキ。こうして昼間から眠そうにしている姿は珍しく、ふんわりとした表情を浮かべながらソファーにもたれかかっていた。
プレゼントの入った紙袋を後ろ手に隠しながらユキの元へと近付いていって声をかけると、微睡んだ瞳で見つめ返される。
「ユキ、もしかして眠いのか?」
「えへへ……昨日はその、夜更ししてしまって」
「珍しいな、ユキが夜更しなんて。何時くらいまで?」
「ええと……それは、内緒ですね」
ユキは誤魔化すように笑いながら、俺の顔を見上げていた。
こうして眠そうにしているユキは何処かあどけなくて、思わず頭を撫でたくなって手を伸ばしかけるが寸前で思い留まる。
後ろに紙袋を隠しているので変な体勢で頭を撫でると怪しまれそうだと思い、俺はユキの隣に腰掛けながら体で紙袋をこっそりと隠した。
――くしゃりと紙袋が音を立てる。
その音が聞こえて気付かれてしまったかと思ったが、眠そうなユキはぼんやりとしたままだった。
「本当に眠そうだな、無理はしないでな?」
「大丈夫です、起きてますよ。今日は晴くんとゆっくりしていたいです」
そのまま彼女は俺の方にもたれかかってきて、肩へと頭を乗せてすり寄ってくる。彼女の柔らかい髪が首元に触れて、シャンプーの良い匂いが広がった。
隣で目を瞑りながら、時折小さく欠伸をしているユキの可愛らしさを感じつつ、誕生日プレゼントを渡そうと紙袋に手を伸ばした。
「なあユキ」
その言葉に反応をしてユキは顔を上げる。微睡んでいた青色の瞳でじっと俺の顔を見つめた後――持っている紙袋を目にすると、眠気が飛んだ様子でぱちりと目を開いた。
「これ、俺からのプレゼント」
そっと差し出した紙袋を見て、ユキは目を丸くした。
「晴くん……これ?」
「ユキへの誕生日プレゼントだよ。小学生の頃も必ずお祝いしてたけどさ、今日祝うのは数年ぶりだから……サプライズになるかもって今まで黙ってた」
驚いた様子のままユキはプレゼントを受け取ってまじまじと眺めた後、その紙袋を大事そうに胸へと抱える。
「晴くんがあたしの誕生日を覚えてくれているって信じていました。だって晴くんはいつもあたしの事を気にかけてくれるずっと、ずっと優しい人だから」
嬉しさが滲み出たような笑顔でユキは言った。
プレゼントを渡すという緊張から解放されたせいもあって俺も自然と笑みがこぼれる。
「実は……今日が楽しみで眠れなかったんです」
「え。じゃあもしかして、さっき夜更ししたって言ってたのは?」
「はい。晴くんと一緒に居られる誕生日の事を考えたら全然寝付けなくて。それでちょっとだけうとうとしてたらいつの間にか朝になっていたんですよ」
「そうだったのか……それで。でも朝からいつも通りな感じに見えたのは?」
「頑張って元気に振る舞っていただけです。特別な日にだらしない姿を見せたくないなって。それに晴くんに心配かけちゃいけないと思って……」
ユキは照れ臭そうに視線を逸らすと、少し恥ずかしそうに頬へ手を当てていた。誕生日だというのに普段と変わらない様子を見せていた理由、それはただ今日を楽しみにしすぎて夜更しして、それで心配させられないと健気に振る舞っていただけだったのだ。
小学生の頃も誕生日を楽しみにしてそわそわしていたけれど、高校生になってもそれはやっぱり変わっていなかったんだなと知れて嬉しくなって、俺は自然と彼女の頭に手を伸ばす。
優しく頭を撫でるとユキはふにゃふにゃの笑顔を見せて気持ち良さそうに目を細めていた。甘えるように手にすり寄ってくるユキ、さらりと髪を手で流せば心地良い感触が指先に伝わってくる。その度にユキはくすぐったそうに身を捩って、その姿があまりにも可愛くてしばらくずっと彼女の頭を撫で続けていた。
「ケーキも準備してあるんだ。今は保冷剤と一緒に隠してあるけど、後で冷蔵庫の中に入れておくな」
「ケーキまで……本当にありがとうございます、すっごく嬉しいです」
「プレゼントの中身も見て欲しい。ユキの事を考えながら選んできた」
「はい、では早速……」
ユキは紙袋の中へと手を伸ばす。
初めに取り出したのは可愛らしい青のリボンが付いた化粧箱、丁寧に結ばれたそのリボンを外してユキはゆっくりと蓋を開ける。中から出てきたのは雪の結晶を象ったネックレスだ。それを見つめるユキの瞳の中で、その雪結晶が輝いているようだった。
「きれい……」
「いつも着ている服に合いそうだと思ったし、あとはユキだから雪の結晶をイメージしたネックレスにしたんだけど……ちょっと安直だったかな?」
「そんな事ないです、とっても素敵です。あたしの事を考えて選んでくれたんだって……それがすっごい伝わってきて嬉しいのです」
ユキはそのネックレスを抱きしめるように胸元へと寄せた。
瞼を閉じて何かを祈るように、大切にネックレスを手で包み込む。
「晴くん、このネックレス今すぐ着けてみても良いですか?」
「もちろんだ。俺もユキがそれを着けている所を見てみたいよ」
留め具を外してネックレスを首にかけるユキ。
彼女の胸元で雪の花飾りが揺れる、その光景は幻想的なようにも見えた。
ネックレスを着け終えたユキは満足そうに微笑んだ後、雪の花飾りへ手を添えて口を開いた。それはまるで誓いの言葉のように聞こえた。
「――ありがとうございます。大切にしますね」
眩い笑顔だった。
ネックレスも綺麗だけど、彼女の笑顔はそれよりも綺麗に思えた。
「もう一つの方も開けてみてくれ」
「もう一つ? あ、本当ですね。ネックレスだけじゃなかったなんて凄いです」
ユキは紙袋の中から小さな箱を手に取った。
箱の中から出てきたのは薄型のレザーケースに収納されたネイルケアセットだ。爪を綺麗にするのに必要な小さなハサミや爪切り、やすり、甘皮取りなどがまとめて入っていて、ハンドクリームもセットで買っておいた。
以前にユキが手のケアは特に力を入れているという話を思い出して選んだもの。
「晴くん……覚えていてくれたんですね。あたしが手を綺麗にするのに気を遣っているって」
「ああ、覚えてた。ハンドクリームの方も結構良いやつ選んだんだけど、ユキの肌に合えば良いなって」
「絶対に合います。これも大切に使わせてくださいね」
ネイルケアセットとハンドクリームを両手に持って、まるで子供のようにはしゃぐユキを見て思い出す。そういえば小学生の頃も同じだったなって。キーホルダーをあげた時もぬいぐるみを渡した時も、今と同じように無邪気に喜んでくれていた。
俺はユキの笑顔を見るのが好きだった。
包帯の下の彼女を笑わせる為に、色々な事をしたのを今も覚えている。
そして数年ぶりに祝えたユキの誕生日。
いくつになっても彼女の心は純粋なままで、それをこうして目にする事が出来て、彼女が喜んでくれる事が何より嬉しくて、胸の中がいっぱいになってくる。
ユキは俺の手に自分の手を重ねる。そのまま互いの指を絡ませて見つめ合った。
「えへへ。幸せです、晴くん」
「俺も幸せだよ、ユキ」
重ねた手を握り合って二人で微笑む。
そして俺は伝えたかった言葉を口にした。
「お誕生日おめでとう、ユキ」




