第3話、文化祭後のひととき
短い時間だったけれど、隣を歩くユキは笑顔を絶やすことなく楽しそうで、そんな彼女との文化祭は幸せそのものだった。彼女は『有名店と協力している特製ワッフル』が食べたいとワッフル売り場へ向かう。
けれど午前中のうちに完売してしまったようで、『完売御礼』の張り紙を見てしょんぼりとしていた。そんなユキに午前中に買っておいた綺麗な包装紙に入ったそのワッフルを見せてプレゼントしてあげた時は、目をきらきらと輝かせて俺に抱きついてきた。
午前中の文化祭巡りが実を結んだと秋奈に感謝しつつ、ユキと一緒の文化祭は幕を閉じる。
文化祭の活躍で、ユキの人気はとどまるところを知らないものになる。ステージ上で披露した天使のような歌声、彼女の名は歌姫としてこの学校だけでなく他校にも知られるきっかけとなった。圧倒的なカリスマ性に魅せられ、今まで以上に彼女と近付こうと思う人々は後を絶たないものとなる。
そしてそんな数多くの人達の心を鷲掴みにしたユキは今――帰ってきたマンションで俺に甘えている最中だった。
俺達のクラスも片付けを終えて、ユキの文化祭の打ち上げも終わり、今は二人でマンションへと戻りリビングでくつろいでいる。
甘える猫のように俺の肩へすりすりと頭を寄せて、彼女は幸せそうにふわりとした笑みを浮かべていた。
「晴くん、今日はとっても頑張りました」
「そうだな、ユキ。あのライブは俺も感動したよ」
ごろごろにゃーといった感じで甘えるユキの頭を撫でながら、俺は今日の感想をユキへと伝える。俺に褒められる度にへにゃりと瞳を細めるユキ、その様子がどうしようもないくらい可愛らしかった。
「凄い綺麗な歌声だったよ。ユキのライブを聞いてて耳が幸せだった」
「えへへ。晴くんに褒められて嬉しい。撫でて撫でて」
「よしよし。えらいえらい」
「晴くん……すごく、しあわせです」
「ユキ、ステージ衣装も凄い似合ってたよな。あの黒いドレスさ」
「あの衣装は秋奈さんが準備期間中に頑張って作ってくれたんです。お家に帰ってからもずっと作業していてくれたみたいで」
「へえ秋奈が。それがあいつの言ってた準備ってやつか」
「ですね、秋奈さんは裁縫が得意なそうで。準備期間中には秋奈さんからたくさんお世話になりました。今度改めて秋奈さんにお礼を言わないといけないですね。打ち上げにはいらっしゃらなかったので」
「生徒会で打ち上げをした時に秋奈はいなかったのか?」
「そうなんです。何だか外せない用事があるらしくて、それで」
「今度、秋奈や立夏を誘ってさ。またみんなで遊びに行こうか。その時にいっぱいお礼も出来たら良いな」
「ふふ、みんなでまたたくさん遊ぶのが楽しみです」
「小学生の頃は俺とユキの二人で遊んでいたもんな。遊ぶ人がたくさん増えて俺も楽しいよ」
俺は優しくユキの頭を撫でる。
甘えるユキは猫のように可愛らしく鳴いて、そんな彼女の姿を見て胸のときめきを隠しきれない。
「ねえねえ晴くん。良かったら、下校する時に話したあれ……してくれませんか?」
「あれか、良いぞ。じゃあちょっと待っていてくれ」
ユキと下校している時、彼女から頼まれていた事があった。今日の文化祭の活躍を褒めて欲しいとお願いされた内容を実行に移すべく俺はキッチンへと向かう。
冷蔵庫の中から取り出したのは帰り際に買ったプリンだ。しかもただのプリンではない、高級スイーツ店監修のものでかなり値段が高い。これを俺から食べさせてもらいたいというのがユキからのリクエストで、そんな彼女の想いに応えるべくスプーンを持ってリビングへと戻っていく。
「ほら、ユキ持ってきたぞ」
「わぁ、ありがとうございますっ」
プリンを持った俺の登場にユキはぱちぱちと拍手をして迎えてくれる。瓶詰めにされたそのプリンは絶妙なクリーム色で、蓋を開いた瞬間に透き通ったカラメルの濃厚で甘い香りが広がった。彼女の隣に座りながらその美味しそうな匂いをまず堪能した後、優しくスプーンで一口分をすくう。その瞬間、とろりとした柔らかなプリンからはバニラビーンズの芳醇な香りを感じて、こうしているだけで食欲が刺激される。
「それじゃあユキのリクエストに応えて。はい、あーん」
「あーんっ」
ユキの口にプリンを運んでいく。
艶やかな光沢を放つ宝石のようなカラメルにぷるりと揺れる黄味掛かったプリンのコントラストが彼女の唇に触れた瞬間。
――ちゅぷっと音を立てて口の中に吸い込まれていった。舌の上でプリンを転がしながら味わうユキ、目を閉じて口元をふにゃりと緩ませる。その表情からプリンの美味しさが俺にも伝わってきて、彼女と一緒に笑みを浮かべてしまう。こんなに喜んでくれるならもっとたくさん買ってくれば良かったと思いながら、再び瓶の中のプリンをスプーンですくい上げた。
「晴くん、すっごく美味しいですっ」
「それはよかった。どんどん食べるといいぞ、はい、もう一回」
「あむっ」
次のプリンを差し出すとユキはぱくりと食べる。口をもぐもぐさせる姿はとても可愛くて、そっと彼女の頭に手を伸ばした。
指先で白銀色の髪を触るとさらりと心地良い感触が手に伝わって、そのままユキの頭を撫でていく。すると彼女は嬉しそうに瞳を細めながら俺の手にすり寄って子猫のように喉を鳴らしていた。
そしてユキはゆっくりと体勢を変えて、今度は俺の膝の上に乗ってきた。
「晴くん、次はこの格好で食べさせてください」
「わ、分かった」
「えへへ、やった~」
彼女の柔らかなお尻が太腿の上に乗っていて、スカート越しに伝わる女の子特有の柔らかい感触をつい意識してしまう。しかし、当のユキはそんな事に全く気にしていない様子でにこにこと楽しそうに笑っていた。これが以前にも見せた小悪魔な時の妖しい笑みだったなら狙ってやっているのが分かるのだが、この自然な優しい笑顔を浮かべている時のユキはただ純粋に甘えたくて仕方がないだけなのだ。
「それじゃあ、ユキ。口を開けて」
「あーんっ」
差し出されたプリンをぱくっと食べた後、すぐに俺に向かってふにゃふにゃの笑顔を見せるユキ。
可愛い。本当に可愛い過ぎる。今日の文化祭のバンド演奏でたくさんの人達を虜にした彼女が、俺だけに見せるその姿はあまりにも愛おしすぎて、そんなユキの姿を独り占め出来るこの時間は幸せで堪らないものだ。
「次は晴くん、あたしが食べさせてあげますね」
「え、それだとユキのご褒美にならないんじゃ……」
「何を言ってるのですか、晴くん。今日までずっとあたしを応援してくれた晴くんにも、いーっぱいご褒美をあげないと」
ひょいっと俺からスプーンと瓶詰めのプリンを取って、今度は彼女がスプーンでプリンをすくい取る。口を開くように促され、今度は俺がユキからのプリンを食べさせてもらう番がくる。
あまりに自然に順番が変わってしまったので言い出すタイミングを逃してしまったのだが、これって間接キスじゃないか……? と思った時にはもう遅かった。ユキが使ったスプーンを目の前に差し出されて、俺はおずおずと口の中に入れてしまう。
口の中いっぱいに広がる卵黄のコクと甘さ、煮詰められた香ばしいカラメルが絶妙なハーモニーを奏でていた。舌の上で転がす度にとろけていって、そして鼻から抜けるバニラビーンズの芳醇さが格別だ。だがそれ以上にユキと間接キスをしているという事実に、思わず顔が赤くなってしまう。
無邪気に笑っているユキの方は間接キスには気付いていないようで、にこにことしながら再びプリンをスプーンですくい取る。
瓶の中に詰められた宝石のようなカラメルと滑らかなクリーム色のコントラストが空っぽになるその瞬間まで、文化祭が終わった後の余韻と共に、俺とユキはプリンよりも甘くとろけるような時間を過ごしたのであった。




