第13話、停電とお風呂①
「今日は凄い雨ですね……」
ユキが窓の外を眺めながら呟いた。つられて俺も持っていたスマホから視線を上げて、ユキと一緒に窓の外へと顔を向ける。
窓で遮った向こう側、轟々と聞こえる激しい風の音と横殴りになる雨粒が外の世界を覆い尽くしている。天気予報によれば発達した低気圧の影響らしく、朝からとてつもなく天気が悪かった。吹き付ける風によって時折激しく揺れる窓ガラス、その向こうには夜の闇が広がっている。
夏休みの真っ只中だというのに朝から外出する気も起きずに、ユキと二人で平和なリビングの中でゆっくりとした時間を過ごしていた。既に夕方を過ぎて外は暗く、それでも収まらない嵐にため息をついた後、俺はまたスマホに視線を落とす。
「停電してる所もあるってな」
「やっぱりこの嵐の影響で、色々な所が大変な事になってるんですね……」
テレビでは各地の様子を伝えており、暴風雨の影響を事細かに報じている。特に被害が大きいと言われている地域では電気の供給が完全に止まっているらしく、復旧の目処も立っていないそうだ。
「俺達の地域も停電しない事を願うしかないな」
「はい……早く止んでくれると良いんですけど。あ、そうだ。晴くん、万が一停電してしまうと大変なので先にお風呂を沸かしておきますね」
「ありがとう。ユキは気が利くな」
「えへへ」
嬉しそうな笑顔を浮かべると、パタパタとスリッパの音を立ててユキは脱衣所の方へと歩いて行った。その姿を見送った後、スマホの画面に視線を移す。SNSアプリを立ち上げてタイムラインを流し見るが、どれもこれも同じ話題で一色だった。
【雨と風マジやばい】
【近くに雷落ちた瞬間に電気消えた、どうすんのコレ】
【さっきコンビニ行ったら停電して真っ暗だった】
【電車動いてない。どうしよう】
などなど。皆が一様に不安を訴えているが一番多いのはやはり停電を訴える内容だ。ただでさえ普段の生活に支障が出るレベルの悪天候なのに、更に追い打ちをかけるような停電騒ぎ。確かにこれは困るだろう。
俺は一度画面を閉じて今度はメッセージアプリを立ち上げる。こうしてメッセージを使って連絡を取り合う相手なんて限られてくるわけで、その中でも頻繁にやり取りする秋奈とのトークルームを開いた。
『秋奈、そっちの方は停電とかしてないか?』
メッセージを送るとすぐに既読が付いた。
『晴、こっちは真っ暗だよ……停電してる』
『まじか? 大丈夫か?』
『真っ暗で何も出来ないから、今は部屋で毛布にくるまってる』
『それが良いな……復旧する目処も立ってないみたいだし』
『晴の方は停電してないのかい?』
『幸いな。今はまだ電気は点いてるよ、いつ消えちゃうか心配だな』
『そっか。何もない事を祈るけど、万が一には備えておいてね』
『そうする。心配してくれてありがとうな』
『こちらこそだよ。それじゃあ晴からメッセージももらったし、スマホの電池が切れちゃうと大変だから一旦電源落とすね』
『ああ、それじゃあまたな』
『またね』
秋奈とのやり取りを終えた後、再び窓の外を見る。向こうは既に停電していると言っていた、幸いにもこのマンションの一帯は電気が灯っているけれど、強くなる嵐の勢いを見ていると時間の問題ではないのかと心配が募っていった。
「晴くん、お風呂沸かしてきましたよ」
「ありがとう、ユキ」
「それと温かい飲み物はどうでしょう?」
「淹れてくれるのか? 助かるよ」
「はい。では待っていてくださいね」
戻ってきたユキは優しく微笑むと、そのままキッチンへと歩いて行った。マグカップを2つ取り出した後、ケトルでお湯を沸かし始める。その間に棚からインスタントコーヒーの入った容器を用意した。
今日は嵐の影響もあって、夏を何処かに忘れてきてしまったかのように肌寒い一日だ。冬場のように暖房を出している訳でもないし、風邪をひかないようにと俺の為にコーヒーを用意してくれているんだろう。
ケトルから湯気が立ち、ユキは手際良くコーヒーを淹れていく。ふわりと漂う香りは俺好みの苦味の強いものだ。彼女が俺の事を考えて淹れてくれるコーヒーはとても美味しいもので、インスタントでも喫茶店で飲むようなコーヒーに早変わりする。
そしてコーヒーの入ったマグカップを両手に持って、ユキはリビングの方へとやってくる。俺の方はブラックコーヒーで、ユキの方はミルクと砂糖が多めのカフェオレで、今日のような寒い日はこれを飲むのに限るというものだ。
お互いにソファーへ座って一口飲めば身体の内側からじんわりと温まっていく。隣にユキがいるという事もあるのかもしれない。さっきまで感じていた寒気が和らいでいった。
それから二人でゆったりとした時間を過ごしながら、ちょうどお風呂が湧き上がった事を知らせる電子音が聞こえた時だった。
外が真っ白な閃光で包まれる、激しい轟音と共に俺達の視界が一瞬にして奪われた。俺は反射的にユキを守るように肩を抱き寄せる。
「落ちたか……近くに」
落雷の衝撃で部屋の電気が消えてしまう。突然真っ暗になった部屋の中、さっきまで流れていたテレビもぷつりと切れて、窓の外から打ち付ける轟々とした嵐の音だけが聞こえてくる。
何の前触れもなく停電してしまって、部屋の中は暗闇に覆われていた。電化製品の何もかも止まってしまって、まるで時間が止まってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
「晴くん……」
「ああ、分かってる」
俺はスマホのライトを点灯させて窓の方へと近付いた。外は嵐が吹き荒れていて視界は悪い。けれど辺り一帯の電灯が全て消えている事だけは確認出来た。他の地域同様にここまで停電してしまったらしい。街全体が暗闇に閉ざされてしまった。
「ユキ、この部屋だけじゃなく全部停電しているみたいだ……困ったな」
今の雷の影響で家電製品が壊れていないか心配だが、それを確かめる術は今の所ない。スマホで停電情報を確認するも、やはり何処の地域も電気の供給が止まっているようで、俺達より早く停電した地域もまだ復旧している様子はない。しばらくはこのままだという事だ。
俺はスマホのライトの明かりを頼りにユキと一緒にソファーへと座り込む。お風呂が沸いた直後だったのは不幸中の幸いか、このまま湯船で体を暖めた後にベッドへ駆け込んで、毛布にくるまって復旧を待つ他ないだろう。
「今日はもうどちらか先にお風呂に入ってもう寝るしか――って、え?」
これからどうするかを伝えようとした直後、服の裾を引っ張られているのを感じた。
「ユキ?」
名前を呼ぶとすぐに返事がくるのだが、その声が小刻みに震えていて、今にも消えてしまいそうな程に弱々しい。
「あ、あの……晴くん、お恥ずかしい話なのですが……実は雷が苦手で……」
再び外で雷が轟いた瞬間「きゃっ」と悲鳴のような声を上げるユキ。暗闇に目も慣れてきたのか、僅かにユキの姿が見えてくる。普段の彼女からは想像もつかない程に怯えきった表情を浮かべて、身を縮こまらせて肩を震わせていた。
まさかユキにこんな弱点があるとは思っていなくて、どうするべきかと頭を悩ませる。このままユキを一人にしてお風呂に入るわけにもいかず、一緒に居てあげなければユキは怖がる一方だ。今日は早めにユキを寝かしつけようと、そう思って彼女を部屋にまで連れて行こうと手を伸ばしたら――。
「あ、あの……晴くん」
「ん?」
「お、お風呂……一緒じゃ、だめですか?」
思わぬ提案に固まる俺。
「真っ暗ですし……見えてないから、大丈夫……です」
「だ、大丈夫って何が……?」
「裸で入っても……です。だから、その……一緒に、入りませんか? あたしとお風呂……」
ユキはぎゅっと俺の手を握る。震えている彼女の手、きっと雷の恐怖を感じているのだろう。確かに今の状況だと一人でいるよりも誰かと居る方が安心するのかもしれないし、それに今日の寒さもお風呂に入って体を暖めれば解決出来てしまう――ユキの言うように暗闇で何も見えないのだから着衣の有無は関係なくて、彼女の裸が目に焼き付く事はない。しかもユキが言い出した事なのだから断る理由だってなかった。
雨だけでなく雷も更に激しさを増していく。その度にユキの震えを感じて覚悟を決める。彼女の手を握り返した。
「きょ、今日は特別だからな」
「はい……よろしくお願いします、晴くん」
 




