第1話、包帯の下②
それは成り行きだったと思う。
俺が彼女と仲良くなるきっかけになったのは、とある小さな公園での出来事だった。
小学3年生の時、新しい遊び場を探して訪れた公園に――その女の子は居た。
公園の広場で他の子供達に囲まれている様子を見て、同じ学校で学年も一緒の子だと、それがすぐに分かったのは彼女の特徴的な見た目からだった。
服装は何処にでもいる小学生の女の子と変わらない。けれど普通の女の子とは大きく違う所があった。
それは顔に包帯を巻き付けている事。
目と鼻と口、耳の部分には穴が開いているけれど、それ以外の部分は真っ白な包帯が巻かれてその下がどうなっているかは分からない。髪も丸坊主にしているようで、頭の周りにも包帯が巻き付いていた。
彼女の素顔を学校で見た人は誰も居なかった。
俺も一度も見た事がなかったのを覚えている。
少女は子供達に囲まれている中心で、身体を震わせながら怯えるように、小さくなって身を屈めていた。彼女を囲んでいる子供達の中で、図体の大きいガキ大将のような風貌の少年が声を上げると、周りの子供達も少女を罵倒し始めていた。
「ミイラ女! その包帯の下、どうなってんだ! 見せてみろよ!」
「包帯の下はお化けだって兄ちゃんが言ってたぞ!」
「そうだ化け物め! どんなぶさいくな顔をしてるんだ!!」
少年達は弱々しく怯える少女に向けて手を伸ばす。彼女の顔に巻きついた包帯を取ろうとしているのは見ていてすぐに分かった。
「やめて……やめてよ……」
今にも消えてしまいそうな声で、少女は泣きながら抵抗する。けれどか弱い女の子が力で勝る少年達の手を振り解けるはずがなかった。俺が飛び出したのは、中央に立っていたガキ大将が手を伸ばそうとした時だったと思う。
子供の頃の純粋無垢な正義感、何も知らないからこそ出来る無鉄砲さを武器に、俺は包帯の女の子を取り囲む少年達――グループのリーダーと思しきガキ大将に狙いを定め、全力の体当たりをかましていた。
「フゴッ!?」
不意打ちだったのが功を奏していた。
俺の体当たりで地面に転がったガキ大将、その時に足を挫いたようで倒れた後によろよろと立ち上がるも、またすぐに尻もちを着いてしまう。
俺は少年達に向かって声を上げていた。
「お前ら何やってんだ!? 寄ってたかってひどい事しやがって!」
「な、何だ! おれ達の邪魔すんな――痛っ……」
ガキ大将は足首を押さえてうずくまる。それを心配するように周りの少年達が駆け寄って、俺はその隙に小さくなって屈んでいた少女の手を取った。
「行くぞ!」
「え……う、うん!」
急いで走り出す俺と包帯の少女。
後ろから「待て!」と少年達の声が聞こえたが、肝心のガキ大将が動けないからか追ってくる事はなかった。
そして公園を飛び出した俺と少女は、離れた場所にある街路樹の裏に隠れた。息を落ち着かせながら少女の様子を見る。彼女の体はいじめられた恐怖でまだ震えが止まっていなかった。
「大丈夫だよ。もう逃げ切れたみたいだし追ってこない。ほら落ち着いて、僕は別に悪い事しようと思って君を連れてきたわけじゃないから」
「わ、分かってる……助けてくれてありがとう……」
涙を潤ませながら少女は俺を見つめる。
宝石のように透き通った綺麗な青い瞳だった。
「お家まで送っていこうか? またあいつらに見つかったら大変だし」
「う、うん……」
「それじゃあ一緒に行こう。お家まで案内してね」
俺は少女と手を繋いだまま歩き出す。
その途中で少女はおどおどとしながら聞いてきた。
「あの……どうして助けてくれたの?」
「うーん、何となく、かな。君は知らないかもしれないけどさ、同じ学校なんだ。クラスは違うけど」
「えと……あたしの事が気持ち悪くないの? 手を繋いだら病気がうつるって……思わない?」
「え、うつっちゃう病気なの?」
俺がそう聞くと少女はぶんぶんと首を横に振る。
「う、うつらない。でも周りのみんなは、病気がうつるから、汚いから触っちゃだめっていつも言う……」
「うつらないなら大丈夫。それに汚くないよ」
俺は握っていた少女の手を見た。
それは小さな手、肌は滑らかで艶があって白く透き通るようだ。丸い爪はピンク色の真珠みたいに綺麗で、切り揃えてあって清潔感もある。こんな可愛らしい手が汚いだなんてとても思えない。
「ほら、とっても綺麗な手をしてる」
「き、きれいだなんて……初めて言われた」
「そう? 僕は好きだけどなあ、君の手」
「す、すき……?」
少女はそう言いながら顔を背ける。
その時に包帯から出ている小さな耳が朱色に染まっていくのを俺は見た。初めて褒められて照れているのか、もじもじとしているのが何だか可愛らしく思えたものだ。
「学校で何度か見た時も、こうして一緒にいる今も、君の事を気持ち悪いと思ったことはないなあ」
「どうして……?」
「だって包帯で顔がいっぱいになってるだけだし、変わってるなって思うけど。それくらいしか思い付かないっていうか」
彼女とは同じクラスではなかったし話した事もなかった。だから遠目で見るだけで彼女の事をよく知らない、周りのクラスメイト達がどういうふうに彼女を扱っているかも分からない。いじめられている事だって今知ったばかりだ。だから周りに流されず、自分の価値観だけで彼女を見る事が出来ていたから、ただ変わっているとしか思っていなかった。
「さっきの子達は同じクラスの子?」
「うん……遊ぼうって呼び出されて……でもそうじゃなくて、怖かった」
「そっか。ひどい事する奴らもいるもんだね」
「あたし、友達が居なくて……いつも一人で。でも今日ね、遊んでくれるって初めて言われて、嬉しくて……おかあさんも喜んでくれて、でも、そうじゃなくて……」
彼女の着ている服は泥で酷く汚れていた。
いじめられた時、あいつらから泥だらけにされたのだ。でも泥だらけになっても、その服はひと目見て可愛いものだと思えた。
普段はいじめられてばかりで友達と遊ぶ事がなかった彼女が、クラスメイトから初めて遊ぼうと誘われたのだ、それはとても嬉しい事だったに違いない。人を疑う事を知らない純粋な彼女はそれを素直に喜んだ。母親にもその嬉しい気持ちを伝えて、遊ぶのを楽しみにしながら母親と一緒に服を選んで、見送られながらあの公園へと向かったはずだ。
けれど――公園で待っていたのは彼女への陰湿ないじめ。
どんな気持ちだったんだろう、初めて誰かと遊べると思った期待と喜びを踏みにじられる、どれだけ悔しくて悲しかったんだろうか。
肩を震わせながら今にも泣き出しそうな少女の手を俺はぎゅっと握りしめた。
「それじゃあさ。あいつらの事なんてこれからは無視してさ、今度からは僕と遊ぼうよ」
「え……あそぶ? いっしょに?」
「そう。せっかくだしさ、君が嫌じゃないっていうなら暇な時に遊んで」
「いいの……? でもあたしと一緒にいたら……あなたまでいじめられちゃうかも」
「変な事してきたらさ、返り討ちにしてやるから。こう見えても喧嘩は強いんだ」
「でも……でも……」
弱々しく声を漏らしながら俯く少女を見つめる。
彼女が今までどんないじめにあっていたのかを俺は知らない。けれどこんなか弱い女の子を放ってはおけないと、子供なりの正義感が強くなっていくのを感じた。
「君が嫌じゃないなら友達になろう。だめかな?」
「だめ、じゃない……友達になってくれるの……?」
「うん! 一緒に遊ぼうよ、休み時間とか遠慮なく遊びに来て。僕は5組なんだ」
「あたしは……2組。休み時間とか、教室へ遊びに行っても良い……?」
「もちろん! そうだ、名前はなんていうの?」
「えと、ユキ……あまぎ、ユキ」
「僕は雛倉晴! 下の名前はね、晴れるって漢字で書いて『晴』、よろしくね!」
「晴くん……よろしくお願いします」
ユキは溢れていた涙を手で拭いながら俺の事を見つめた。
包帯に覆われた彼女はにこやかに笑う。それが初めて見るユキの笑顔だった。




