第7話、誘惑②
今日のお出かけを終え、俺達は無事にマンションへと帰ってくる。
母さんへのお土産をリビングのテーブルに置いた後、ユキは俺の部屋に来てくつろいでいた。
公園で一緒に居た時、俺は彼女が小悪魔になってしまうスイッチを押してしまったようで、今もユキはいつもと違う様子を見せている。ソファーに座る俺にくっついて、体をぎゅっと抱きしめながら頬ずりをするユキ。天使みたいに尊くて可愛いユキがこんなに甘えてくる姿なんて小学生の頃にも見た事はなくて、どうしたら良いのかはっきり言って分からなかった。
彼女の体温を間近で感じる。彼女の息遣いすら聞こえる距離にいる。
実はこの光景がバスの中で見ている夢をなんじゃないかと思って、現実に引き戻そうと思って頬をつねる。痛かった。ああ、夢じゃないんだ。
「な、なあユキ。動画でも見ないか? 昨日面白いのを見つけてさ、ゲームの実況なんだけど、その人のリアクションが面白くて――」
俺がテーブルの上に置かれたスマホに手を伸ばそうとすると、ユキはその手を止めさせる。俺の手をぎゅっと握りしめた後、それを彼女の胸元へと寄せさせた。布越しにまん丸でふんわりと弾力のある感覚が俺の手の平に広がる。同時に俺の顔は熱を帯びて赤くなって、ユキの息遣いも少しずつ荒くなっていく。
「……ユ、ユキ?」
「晴くん、スマホじゃなくて今日はあたしの事を見て下さい」
そう言いながら妖しく微笑むユキを見ていると頭がくらくらしてくる。彼女から感じる甘い匂いとその妖艶な表情、聞こえてくる小さな息遣い。俺の手に伝わる柔らかな感触。体の五感のほぼ全てはユキの事でいっぱいになっていた。
「ねえ晴くん……」
「ど、どうした?」
「あたしと、いけないこと、しませんか?」
「そ、それって……」
「公園に居る時もお話しましたよね。晴くんになら何を見られても良い、何をされても良いって」
ユキはゆっくりと立ち上がる。そして俺の目の前で着ている服に手を伸ばした。頬を赤く染めながらそっとスカートに手を伸ばす。フリルの付いた短いスカートが床に落ちて、上に着ていた白いブラウスをそっと脱いで、あられもない下着姿になったユキに目が釘付けになる。
透き通るような白い肌、くびれのある細い体、それでいて大きな胸とお尻が女性の魅力を引き出していて、俺は呼吸する事も忘れてその姿に見入ってしまう。
普段の清楚なユキとは違う。周囲の人達に爽やかな笑顔を振りまいて周囲を輝かせる彼女が、今は俺にだけその艶やかな姿を見せつけている。
「あたしのこと、好きにして良いんですよ……?」
その声は蜜のようなとろけた甘い声。彼女が背中で止めていたブラのホックを外そうと手を伸ばした――その時だった。
ピンポーン、と来客を告げるチャイムが鳴り響く。鍵をかけていたはずだがガチャリと鍵を外す音が聞こえて誰がやってきたのかを理解する。間違いない、合鍵を持っているのは母さんで、まさかこんなタイミングで来てしまうなんて。今の下着姿のユキを見られるわけにはいかなかった――。
「母さん!? ユ、ユキ、や、やばい!」
「え!? は、はい……っ!」
「すぐ服着て! お、俺が時間を稼ぐから!」
「お……お願いしますっ」
ユキは床に落ちていた服を慌てて拾い上げる。俺は時間を稼ごうと廊下に飛び出した。玄関ではちょうど靴を脱ごうとしている母さんの姿があって、久しぶりに息子と会えた事が嬉しいのかニコリと笑っていた。
「か、母さん!」
「晴。ユキちゃんと仲良くやってるのか見に来たわよー」
「前に来るとは言ってたけど、それが今日だったなんて……連絡はもらってないぞ!」
「今日もサプライズよ。ほら、晴とユキちゃんの為にケーキも用意してきたんだから。それじゃあ上がらせてもらうわね」
「ちょ、ちょ、ちょ……っ!!」
「晴、お部屋の掃除とかちゃんとしてるー? ユキちゃんはしっかり者だから大丈夫だろうけど、あんたって家に居た頃は結構ズボラで部屋も汚かったでしょう? ユキちゃんと一緒に暮らしてるんだから、あの子から呆れられないように母さんが抜き打ちチェックしてあげるわね」
母さんは我が物顔でマンションの中に入ってくる。俺の部屋を抜き打ちチェックするとか言ってるけど、今ユキが服を着ている最中で、それを見られたらまずい事になると俺は母さんの意識を別の方に向けようと必死になった。
「か、母さん! それよりもリビングの方に来てくれないか!? 実は渡したいものがあってさ!」
「なによ渡したいものって」
「ほら、小学生の頃に良く水族館に連れて行ってくれたろ……? 今日ユキと一緒に久しぶりにあの水族館へ遊びに行ってさ、お土産を買っておいたんだ。母さんが好きだった海塩キャラメル味のクッキーだよ!」
「あら、懐かしいわねーあんたがあの水族館に行くなんて。ユキちゃんと今日はお出かけして、それで水族館限定のクッキー買ってくれてたの? 嬉しいわね、覚えてたのね」
俺は母さんの手を引いてリビングに連れて行く。
お土産用に買ったそのクッキーを手渡すと、母さんは嬉しそうに笑ってみせた。
無事に時間を稼ぐ事が出来たのか、着替えを済ませたユキが俺の部屋から出てくる。慌てて着替えたせいなのか少し服が着崩れているように見えた。
「は、晴くんのお母様。こんにちは!」
「ユキちゃん、元気にしてたかしら? 晴とはどう? 心配で見に来たの」
「とても仲良くさせてもらっています。本当にありがとうございます」
「あら良かったわ。ユキちゃんって本当にしっかり者だから、晴がおんぶにだっこで困らせてないかって心配で」
「そんな事ないですよ。いつもあたしの事を気遣ってくれて、昨日は一緒に夕食も作ったんです」
爽やかな笑みを浮かべて母さんへ受け答えをするユキ。さっきまでの小悪魔モードは何処へやら、普段の清楚で純粋な天使のように振る舞っている。
ともかく無事に誤魔化す事が出来て一安心。あのまま母さんが来なかったら果たして俺とユキは何処まで行ってしまったのか。それが中断されてしまった事への残念さが半分と、何事もなかった事への安堵感が半分。複雑な気持ちになりながらユキと母さんの会話を眺めるのだった。
それから母さんは夕食が終わるまでアパートに居た。
俺の生活の様子を不安がっていたが、部屋はちゃんと掃除されていたし、ユキのおかげでマンションの中は常に片付いている。ユキが作ってくれる料理を食べるようになってから俺は健康体そのもので顔色も良いし、これもユキのおかげだと母さんは喜びながら、買ってきてくれていたケーキを一緒に食べて、それからようやく家へと帰った。
母さんの突然の来訪には驚かされる。
俺だけじゃなくユキもかなりびっくりしてしまったようで、妖艶なあの感じからいつもの様子に戻っていた。あのまま母さんが来なかったらどうなってしまっていたのか。ユキとの光景を想像しながら、今はベッドの中に潜っている。日付を跨いだ後だというのに眠れる気がしない。
ユキは隣の部屋でゆっくりと眠っているのだろうか。
毛布の中にうずくまると――ゆっくりと俺の部屋の扉が開いた。
そして聞こえてくる小さな声に耳を傾ける。