第6話、ホワイトデー⑨
それは移動教室のタイミングだった。
秋奈が鞄の中に手を入れながらうーんと首を傾げている姿を目にして俺は立ち止まった。
「どうしたんだ、秋奈。ユキとか他の生徒、みんなもう移動してるけど」
「それがね、困った事に忘れ物をしてしまったみたいでさ……」
「秋奈が忘れ物? まじか?」
秋奈と言えば万事に備える事で俺の中で有名だ。
俺が教科書を忘れたりすれば必ず貸してくれたりと、入学してから彼女が忘れ物をする姿というのは今まで一度も見た事がなかった。そんな彼女が今日に限って忘れるとは。
俺が不思議そうな顔をしていたからか、彼女は苦笑いしながら自分の頭を軽く小突いた。
「全く今日はダメだね。呆けているんだ、朝からきっと」
「眠そうにしてたしな。何を忘れたんだ」
「普通に教科書さ。いつもなら必ず学校へ行く前に確認するのに……今日はしなかったからね。大失敗だよ」
はぁっと溜息を吐いて肩を落とす。
こんなに落ち込むなんて珍しいと思いながら、ふと今朝の彼女の様子が思い浮かぶ。寝坊こそしていなかったものの、普段より起きる時間が遅かったように感じたのは気のせいではなかったようだ。とはいえ、このままここに突っ立っていると授業に遅れてしまう。
「教科書なら俺が見せるよ。あっちの教室の席順なら隣になるだろ?」
「本当かい……? 悪いね」
「気にすんなって。お世話になってるのは俺の方なんだしさ」
秋奈から何度も忘れ物をした時に助けてもらっているんだ、その恩を少しずつでも返していかなければバチが当たるというもの。秋奈を連れてこのまま移動を始めようと思った時だった、ふと閃く。
教室には俺達以外の生徒はいないし、ホワイトデーのプレゼントを渡すなら今がチャンスなんじゃないかとそう思った。
「ちょっと待ってくれ、秋奈」
「うん?」
俺は鞄の中に手を伸ばす。そして取り出したものを見た秋奈はキラキラと目を輝かせていた。綺麗なラッピングが施された小袋ともう一つの小さな箱、今日の為に用意していたプレゼント。
「は、晴……もしかしてそれ?」
「ああ。渡すタイミングを伺ってたんだけどちょうど良いかなって思ってさ」
秋奈は差し出されたプレゼントを見つめながら、それはもう驚いているようだった。バレンタインのお返しがあるとは思っていなかったのか――いや、そうじゃないな。俺からのプレゼントがある事は知っていた。ずっと期待していたのだ。期待し過ぎて不安だったんだ。だから昨日の夜も寝付けなくて、普段なら絶対忘れない教科書まで家に置いてくるくらいに、俺からのプレゼントの事で頭の中がいっぱいだった。だからこそ、こうして目の前にすると信じられないと言わんばかりに固まってしまっている。
「秋奈、バレンタインありがとうな。俺からのお返しだ」
俺がそう言うと、秋奈ははっとして我に返ったように慌てて小袋と小さな箱を受け取った。
秋奈はその二つのプレゼントをじっと見つめてから顔を上げた。
彼女の表情はとても嬉しそうで、幸せに満ちた笑顔を浮かべて俺にこう言った。
「――晴、本当に、本当に嬉しいよ。その……開けてみても良いかい?」
「早速見てくれ」
秋奈は小袋の中のクッキーを見て、ぱあっと花を咲かせたような明るい表情を浮かべる。
「これ……手作り、かい?」
「だな。プレゼントするまでは内緒って言われてたけど、立夏に手伝ってもらって初挑戦したんだ。秋奈の口に合えば良いんだけどさ」
「絶対に美味しいよ……これ。ありがとう……晴!」
秋奈は俺の手を握るとブンブンと上下に振った。
よっぽど気に入ったんだろう、その瞳は子供のように無邪気で純粋で、見ているだけで幸せな気持ちになった。
「それじゃあ小箱の方は?」
「あー、手作りではないんだけど。きっと喜んではもらえると思う」
「晴からならどんな物でも嬉しいよ。じゃあ、開けるね」
丁寧にリボンを解き、包装紙を破らないように剥がしていく。ドキドキしながら待っていると、小箱の中に入っていた物が姿を現した。
それは黒いメガネケースだ。可愛らしいデフォルメされたクマがプリントされているシンプルなデザインで女性が持つにはピッタリな代物だと思う。
「晴、もしかしてこれ……」
「立夏から聞いてさ。外に出る時はいつもコンタクトレンズだけど、家に居る時は前みたいにメガネかけてるんだろ? それでメガネケースが壊れたって話を聞いてさ。その代わりになれば良いなって」
「嬉しいな。まさか手作りクッキーだけじゃなく、メガネケースまで用意してくれてただなんて……。それに以前さ、クマの可愛いぬいぐるみもくれたけど、このメガネケースもすっごい可愛いね。晴ってばこういうプレゼントのセンスが良いのかもね」
「褒めて貰えて嬉しいな。気に入ってくれたなら良かったよ」
秋奈は満面の笑みを浮かべて、早速メガネケースを鞄に入れた。
「全くもう、晴は人を喜ばせるのが上手すぎるよ。こんな素敵なものをくれるだなんてさ」
「秋奈のチョコレートがそれだけ美味かったって事さ。俺からの感謝の気持ち」
「またそうやってボクを喜ばせるー! 顔が緩んで戻らなくなっても良いのかい!」
「良いんじゃないか? その顔、すっごい可愛いしさ」
俺がそう言うと、秋奈はみるみると顔を赤く染め上げていった。
恥ずかしくて堪らなくなったのか、彼女は俺の腕を掴んで強引に引っ張りながら歩き始める。
「も、もう……! ほ、ほら、そろそろチャイムが鳴っちゃう、急ごう!」
「ああ、そうだな。授業に遅刻しちゃうと大変だ」
秋奈から服の袖を引っ張られながら教室に向かう俺達は、すれ違う生徒たちから生暖かい視線を投げかけられる。そんな事はお構いなしに、俺と秋奈はそのまま廊下を走り抜けた。




