呪詛師 王龍
昼下がりの午後、一人の男がふらりと導かれるように丘の上の病院へ向かう。
「こんにちは」
「あら、またいらしたのね」
人好きのする笑顔に、シスターは警戒心なく男を出迎えた。
「作家マディーの作品が常時展示されているのはここだけですから。彼女ほどの作家なら記念館を建ててもいいくらいなのに、無いのがほんとに惜しい。見舞う相手はいませんが、こうして絵を見るためにきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、かまいませんよ。そうそう、この間マディーが来たのであなたのことを話したの。連絡先を伝えたのだけれど、あれから彼女から連絡はあったかしら?」
「いえ、まだ。大作家先生ですから、忙しくされているのかもしれませんね」
「あら、そうなの? 私から連絡するように彼女に伝えておきますね」
「いえいえ、先生の貴重なお時間をいただくわけにはいけません。それに今度別の形でお会いすることができそうなので。友人が実はマディー先生のお得意様でして、彼のツテで会えそうです」
「ほんとう?なら良かったわ!あなたったら、ここに初めて来た日にマディーの絵を買い取りたいなんて言うんだもの。よほど彼女のファンなのね」
「ええ、彼女の絵にはどこか懐かしさを感じる。それとこの場所にも。懐かしい気配で満ちている」
「幼いころに住んでいたとか?けど、あなたを見かけたことはないわね。こんなに特徴的なら覚えていてもおかしくないと思うのだけれど」
そういってシスターは男を見る。ここ、イギリスの郊外ではアジア系の顔を見るのは珍しい。シスターは長くこの病院に努めているが、アジア系の家族を見たことはなく、病院に来ていることをみたこともなかった。
「私、顔を覚えるのは得意な方だと思っていたけど、もう年かしらね」
「シスターはまだお若いですよ。おっと、長く話過ぎましたね。実は今日ここに寄ったのは絵を見たかったのもありますが、この近くに用事があったもので。そろそろ行かないといけないので失礼します」
「またいつでもいらしてくださいね、王龍さん」
にこりと微笑みを残し、男―—王龍は病院を後にした。気分よく、鼻歌を歌いながら軽い足取りで王龍は、目的の場所へと向かう。
着いた先は大通りから少し離れた通りに面している雑居ビルの地下駐車場。王龍はその地下駐車場の奥、奥まった場所に止められた車に乗り込んだ。
「やぁこんにちは」
「ム゛ッ、ム゛――!」
王龍は、椅子に縛られ、さるぐつわをはめられた男に向かってにこやかに挨拶をする。この男こそ今日の仕事のメインである。
「さっそく本題だが、あんたが横領した金の所在を教えてもらおうか?おっと、口を縛ったままだと喋れないな」
王龍は持っていたナイフで、猿ぐつわを断ち切った。
「わ、私は知らん!そもそもお前は何者だ!」
「・・・なぁおっさん。俺の今日の仕事はあんたを殺すこと。だが、金の流し先を教えてくれればあんたを逃してやらないこともない。どうせ手を付けた金はたかが数千ほどだろう。そんなはした金より命の方が大事だと思わないか?」
王龍が男にそっと耳打ちすると、男はしばらく逡巡するように黙り込んだ。やがて観念したように大きくため息をつくとこぼすように告げた。
「・・・ペーパーカンパニーの名義で作った海外の口座に振り込んだ。通帳は自宅書斎の隠し棚の中だ」
「うんうん、そっか。そしたらご苦労さん。もう用済みだ」
「なっ!」
王龍はおもむろに右手をかかげた。なにかをつかんでいるような仕草に男は訝し気に眉をひそめた。
「よーく見てな」
王龍は手に抱えているだろう何かを、大事そうにもう片方の手で覆う。王龍が再び手を開いたとき、そこにはドクドクと脈打つ肉塊があった。
「これはな、あんたの心臓だ」
「何を言っている!」
「これをこうしてっと」
王龍は、両手に力をこめて心臓だと言ったその肉塊を静かに握りしめる。とたんに男は胸のあたりが締め付けられるように苦しくなるのを感じた。
「う゛っ!」
「目に見える傷はだめだっていわれてね。一番手っ取り早いのが心臓発作に見せかけることだと思ったわけ。こうやって力をこめ続けないといけないのが面倒なんだけど」
呼吸が荒くなり、視界がかすんでいくのを感じながら、男の耳にのんきな王龍の声が入ってくる。
「本当は、金の在りかを聞いた後に殺すように指示されていたんだ。悪いね、だますようなことをして。どうせ殺すことは最初から決まっていたし、あんたも下手に痛い思いせずさっさと逝けることに感謝しな。まぁ、あんたも馬鹿だよな、あの李黒蘭の下でやんちゃしようなんて。命知らずだよなぁ。だからこんなことになっているわけだけど・・・・・って、もう聞こえてないか」
悶えていた男の声が気聞こえなくなり、ふと顔を上げると、男の瞳はすっかり光が失せており、それを見て、王龍はがっかりだというように肩をすくめた。王龍は、鼓動が止まった心臓を再び両手で覆うように隠した。手を開いた次の瞬間には、そこには何の跡もなく心臓は消えていた。
王龍は男の体から紐をほどくと、ハンドルに倒れこむような姿勢を作った。
「これなら、突然の心臓発作でつうじるだろ」
よし、と満足気に頷くと王龍は車から降りた。思ったより早く済んだ仕事に、王龍の気分はさらにあがった。ビルから離れたところで携帯を取り出し、今回の依頼主にさっそく連絡をとる。
「黒蘭总、依頼の件、さっそく終わったよ。海外で口座をひらいていたらしい。通帳は書斎の隠し棚の中だって」
「仕事が早いな」
「そっちも応えてくれないとね。頼んだ件は順調かい?」
「すでに調査を依頼している。報告があったらこっちから連絡する。それで、今回はどうやって始末した?」
「心臓発作。どうせろくな生活をしてないんだろうし、遅かれ早かれなってたよ。司法解剖も問題ない。心臓に傷ひとつつけてないから」
「わかった。相変わらずの腕前だな、呪詛師 王龍」
「消したい人がいたらまた連絡してよ。ご要望には可能な限りお答えするのがポリシーだ。指定の方法で仕上げるよ」
「助かるよ。ああ、そうだ。希望していた彼女との面会、すぐに叶いそうだ。今朝彼女から連絡があった。詳しい日取りはまた連絡する」
「本当かい?!楽しみだ。忙しくされているだろうに申し訳ないなぁ」
申し訳ないなどみじんも思ってなさそうな口ぶりに黒蘭は思わず、短くため息をこぼした。
「はぁ、そういうことだから。こちらからまた連絡する」
黒蘭はそう言い切るなり、相手の返事を待たずに通話を切った。
黒蘭は自身の社会的地位の高さを自覚しているが、王龍は、現在その地位を揺らがすことのできる唯一の存在だ。危険分子になりかねない彼と話すことは、黒蘭といえど骨の折れることだった。黒蘭と王龍の関係は白蘭殺害からで、もうずいぶんと長くビジネスパートナーとして付き合ってきたが、未だに王龍について詳しいことは知らない。黒蘭は、当初、呪殺についてかなり懐疑的だったが、白蘭の件を依頼した際に、その腕前を恐ろしいまでに見せつけられた。それ以降は、王龍に厄介な仕事は任せるようになった。痕跡を残さず暗殺をやってのけるその腕に一目おきつつも、仕組みが分からない以上、黒蘭は恐れを抱かずにはいられなかった。
通話を切った後、黒蘭が大きくため息をついていることなんて知らないだろう王龍は、晩ご飯を求めて、軽やかな足取りで中華街へ溶け込んでいった。




