もう一つの顔
李家での生活にすっかりなじんだ頃、その事件は起こった。
いつも通り夕食を終え、碧は就寝し、葵は黒蘭の部屋で仕事を手伝っていた。仕事とは言いつつも、やっていることは会議の配布資料の作成などで、黒蘭も簡単な作業をする程度。ほとんど歓談をしているようなものだった。ここ最近は毎晩のように黒蘭の部屋でこのような時間を過ごしていたため、その日も葵は話のタネをいくつか用意して黒蘭の部屋で過ごしていた。
「それで、先生は何て?」
「それがおかしくって、先生が――・・・」
「パンッ・・パンッ・・・パリンッ・・!」
会話の途中、突如聞こえた銃声に会話がピタリと止まる。
「―――・・何の音だろう?ぼくちょっと見てきます」
「待て」
聞きなれない音に葵は警戒心もなく扉に近寄るのを、黒蘭が言葉で制止する。振り返ると、デスクから銃を取り出すのが見えた。
「扉から離れるんだ。こっちに来なさい」
葵は言われた通りに黒蘭の元に駆け寄る。デスクの陰に隠れるように指示され、状況に戸惑いながらもそれに従った。それからほどなくして、け破られるようにして扉が勢いよく開き、覆面の男たちが乗り込んできた。
デスク脇からそっと覗くようにして様子を伺い、葵は思わずぎょっとした。覆面の男に拳銃を突きつけられた碧がいたからだ。
「李 黒蘭はお前か」
「―—・・そうだ。お前たちは何者だ。目的はなんだ」
「俺たちはただの身代金目的のしがない盗賊さ。最近あんたがかわいがってるガキがいるって聞いてな、うまい話だと思ったのよ。ただ、囲うにしちゃぁ、まだしょんべんくせぇがな。あんたのシュミかい?」
あからさまに煽っている口調にもピクリとも眉を動かさず、黒蘭は男たちを見つめる。そして、男の持つ拳銃に目を止めると、ニヤリとわらった。
「その拳銃、随分いいもの持ってるな。お隣の大国から仕入れた最新式のものだろ。私も目にしたのはつい最近だが・・・、そう、あれに一等ご執心だったのは陳さんとこだったか。お前たちの飼い主は陳 黄玄だろ。こうして屋敷に乗り込まれるのも、正直なところ心当たりがある」
まいった、というように肩をすくめる様子は余裕しゃくしゃくで、明らかに相手を煽っている態度だった。いつもの穏やかな黒蘭とは異なる姿に驚きを隠せないまま、一方で碧も気になって仕方がない葵は緊張で心臓が破裂しそうだった。
「っち、おい、あんた、俺らの手元にガキがいること忘れてんじゃあねぇよな?」
男はゴリっと銃口を碧の頭に押し付ける。碧はすっかり涙目で、助けを訴えるように黒蘭を見つめた。
「―—・・心外だ。国一番の企業として会社をまとめ、時には冷酷な決断も迫られたこともある私が、そんなにも情にほだされるような人間だと思われていたとは」
「あぁ?何をいっている。それとこれとは―――」
「陳 黄玄はいわゆるマフィアだ。マフィアは恐ろしい。やることは手荒だし、こうして夜遅くに非常識にも屋敷に乗り込んでくる。まぁ、陳 黄玄はそれが売りなところもあるが・・・。お前たちもずいぶん脅されたことだろう。自分で言うのもなんだが、私の名前もそちらの世界では、それなりに名が通っているはずだ」
「ごちゃごちゃうるせぇ!こっちはもう屋敷に乗り込んだ段階で覚悟は決まってんだ!」
男が天井に向かって一発打ち込む。ドンッと間近で発砲し、熱くなった銃口が再び碧の頭に押し当てられる。熱さに思わず碧は悲鳴をあげた。
「あつっ!」
「次は、ガキだ」
「まって!人質を交代しろ!」
逃れようと、男の中で必死にもがく碧。再び撃鉄が起こされたところで、我慢ができなくなった葵が両者の間に飛び出した。
「なんだっ、このガキ!」
デスクの影から突然飛び出た葵に驚いた男は、とっさに銃口を葵に向けて発砲した。弾は葵の肩をかすめ、床へと流れる。
「うぁっ・・・!」
「兄さんっ!」
かすめたとはいっても、放たれた弾丸は確実に葵の肩の肉をえぐった。痛みからとっさに抑えた肩からは出血が見られた。
「くそっ!ガキが、なめやがって‥――」
いらだちと焦りから、男は再び葵に銃口を向ける。引き金に再び指がかけられ、思わず葵はぎゅっと目を閉じた。そのときだった。乾いた銃声が部屋に響き、次に聞こえたのは男のうめく声だった。
「うぁああっ!」
閉じた目をそっと開くと、男は腕を撃たれたようで、床に銃を落とし、撃たれた手首を抑えていた。状況をとらえようとあたりを見回す前に、再び二発三発と続けて銃声が響き、同時に男たちの悲鳴があがった。
「兄さん、兄さん!」
隙をついて男の腕から逃れた碧が葵の元に駆け寄り必死に声をかける。焼けるような痛む肩を抑えながらも起き上がると、無表情に男たちに弾を撃ち込む黒蘭が映った。いつも優しい微笑みを向ける黒蘭と同じ人物とは思えないほど冷酷な雰囲気をまとい、すでにこと切れている男たちの顔に弾を撃ち込み続けている。
「義父さま、やめてっ!」
すっかり別人に変わったような黒蘭に怖くなった葵は、肩の痛みすら忘れて思わず黒蘭の腕を封じるように背後から抱き着いた。腕を封じられた黒蘭は特に抵抗することなく、だらりと腕を下げた。しばらくして、廊下からバタバタと複数の足音がこちらに向かってくるのが聞こえた。
「旦那様、おかげは?!」
「これは・・・っ!」
入ってきたのは李家の使用人たち。黒蘭は入ってきた使用人たちを見据えると、葵の手をそっとほどき、つかつかと近寄った。
「旦那様、これは一体―――—・・ッブゥ!」
おもむろに腕を振り上げた黒蘭は、何の前触れもなくその拳を使用人の顔めがけて打ち込んだ。ゴッと骨がぶつかり合う鈍い音が聞こえた。
「お前たち、ここにくるまで何をしていた」
「申し訳ありません、騒動があってからすぐ駆け付けようとしたのですが、扉が封じられてしまい遅れてしまいました・・・」
「・・・それでも李家の使用人か」
「申し訳、ありませんっ!」
「李家に役立たずはいらない。次同じようなことがあってみろ、ただ解雇するだけでは済まないと思え」
「・・・・はい」
「部屋の後始末をしろ。カーペットと壁紙はすべて張り替えろ」
地を這うような低い声に、使用人たちは顔を上げることもできずに怯え切った表情で頭を下げた。手にしていた拳銃も使用人に投げて渡すと、黒蘭は葵の方を振り返った。
「葵、来なさい。手当をしよう」
「・・・はい」
かけられた声は穏やかだったが、その表情は冷たいままだった。
(義父さま、あなたは一体―—・・)




