思い出の少年
「なんて名前だったかしらね」
病院への道中、マディーの話を聞いていた。元不良少女の叔母は、今はその面影を感じさせない溌剌とした性格で少し抜けたところのある天然なところもある、レミにとって話しやすい女性であるが、山の中にこもるあたり根本のところはかわっていないのだろうとレミは思った。
しかし、抜けたところもあるとは言っても友達の名前を「なんだったかしら」というのはどういうものか。
「叔母さん、その子の名前忘れちゃったの?!初めての友達なのに?」
信じられないものを見るような目でレミはマディーを見た。それはそうなのだが、と痛いところを突かれたようにマディーは苦い笑みを浮かべる。
「だって、もう何十年も前の話よ。それに当時はいやなことが多かったから、きっと記憶が私の脳がメモリーの容量をあけるのに消したのよ」
「大事な初友のことすら忘れちゃうなんて、叔母さんの脳って…」
「それは言い返せないけども…でも!彼といたときが苦しかった当時の唯一の穏やかな時間だったていうことは確かに覚えてるわ」
遠い思い出を懐かしむような口ぶりは本物である。しかし、
「いい思い出風に言っているけど、叔母さんがその子の名前も、具体的な思い出も覚えていないのは大問題だからね」
「ばれちゃった」
それからしばらく車を走らせ、住宅街を通り抜ける。だんだんと人通りの少ない道へと進み、やがて大きな坂道の前にきた。小高い丘の頂へと続くその坂道の入り口には、長い年月を思わせるサビた看板がたっており、「聖ジョージ・ソーサレス病院」の文字。
「急勾配だからいっぱいいれないとなのよ」とマディーはアクセルを踏み込んだ。いつも悪路を通っている車はため息をつくように大きなエンジン音をふかして坂道を上るのだった。
坂道を上る途中で、病院の建物が見え始める。淡い乳白色のレンガ造りの教会のような構えをし、ところどころ蔓が壁を覆っていたり、少しすすけたりかけたりしたレンガからはこの病院の歴史の長さがうかがえた。
マディーの言う通り、病院の入り口の広場は憩いの場として多くの患者が散歩や休憩している。とはいっても、その多くは高齢の患者で、看護師や見舞にきた家族が車椅子を押し、時折声掛けを行っているくらいで穏やかというよりは閑静といった方が適当だった。
「あの頃に比べたらこのブドウの木もずいぶん育ったわね」
「これブドウなの?」
壁一面に張った蔓を見て感慨深げにマディーがいう。確かによく見れば深い藍色の小さな丸い実がたくさんついた房がところどころで見られた。マディーがその果実を一つとって口に運ぶので、レミもそれに倣って大きめの実を選んで口に運んだ。
「ん゛ッ!!」
「ん~、渋い!!」
口の中で果実がはじけた瞬間、甘さよりも渋みの強い果汁が口の中にじわじわと広がった。それもそのはず、このブドウは生食用ではなく、本来ワイン用に用いられる品種だからだ。しかし、大人の味でまとめるには渋すぎる。
顔をしかめ、果実を飲み込むことも吐き出すこともできずに口の中で放置しているレミに「引っかかったー」と意地悪くマディーが笑う。
「日本のブドウとは違うでしょ」
「叔母さんの意地悪」
「引っかかるほうがわるいのだ」とどこ吹く風なマディー。
「ワイン用品種ってだいたいこんな渋さなの?」
「さぁ、私ワインあんまり詳しくないのよ。ここのブドウがワイン用品種って誰かから教わったんだけど、誰だったかしら」
「叔母さん、昔の記憶封印でもしたの?」




