4ー2「少女が見た夢」
4-2「少女が見た夢」
高位魔法を放ったシエルサーラは、息一つ乱していなかった。
美麗な立ち姿を保ったまま、意識を失ったゼロとリコのもとへと歩み寄っていく。
「シ、シエルサーラさんッ。ゼロは……まさか、殺しちゃったんですか?」
「さあな。意識を失う程度に加減したつもりだが、それで死んだというのであればそれまでの話だ。残念だが、今の私にはすべての命を救えるほどの力と余裕はないからな」
素っ気なく答え、リコへと近づく。
この程度で終わってくれれば楽なのだが……。
シエルサーラが優秀な戦士だからこそ、それがわかる。
厄介な敵は、最後の最後まで例外なく厄介な存在であり続ける。
数多くの命を奪ってきた狂信的な悪魔が、この程度で終わるわけがない。
「な、何だ?」
地面の異変に気づいたカイルが声を上げる。シエルサーラは誰よりも素早く、異変の正体に気づき声を荒げる。
「カイルッ。お前はゼロを連れて後方へと下がれッ。いいなッ。絶対に油断するなッ。一瞬でも油断したら、次の瞬間には殺されていると思えッ」
「わ、わかりましたッ」
自分の声を聞いて、シエルサーラは余裕のなさを自覚した。
大地が揺れている。大地を揺らしているものは、辺り一帯の地面に張り巡らされた強靭にして強大な木の根の集合体だ。
後ろは森……チッ。やはり一刻も早く、この娘を殺すしかない。
殺したくないのは、シエルサーラも一緒だった。敵とはいえ少女の姿をした相手だ。救えるのであれば、救ってあげたい。
だが、もはやそれは叶わぬ夢だった。
地面から這い出した大蛇のごとき木の根が、少女の身体へと集まっていく。
木の根によって保護された少女は、悪夢が具現化したような怪物へと姿を変えていった。
◇◇◇
『ゼロ……ゼロッ』
真っ暗な世界で、女性と思わしき声だけが聞こえる。
何度も聞いた謎の声。ゼロを導き力を貸してくれようとする、女性の声だ。
「僕は……」
『目を覚まして。あなたは、こんなところで倒れてはいけない人よ』
「……どうしてだ? キミは僕のことを知っているようだけど、僕はキミのことを知らない。どうしてキミは僕に力を貸してくれる? 僕を導こうとする? キミはいったい、僕に何をしてほしいんだ?」
『あなたに、正しいと思うことをしてもらいたいだけよ』
「正しいと思うこと?」
『そう。過去も、今も……あなたはずっと、何も見えずに生きてきた。正しいと思うことがわからず、何が正しいのかもわからず……ずっと、与えられた使命をまっとうするかのように、自分の生き方を続けてきた。だけど、今ならわかるはずよ。あなたは記憶を失うことで、今まで手に入れたものすべてを失った。ゼロに戻った。だからこそ、今度は自分の意思だけで考えることができるはずよ。教えて、ゼロ? あなたは今、何がしたいの?』
「僕は、僕は……」
考えるまでもない。
助けたいのは、一人ぼっちで悲しい夢を見続けているあの少女だ。
「リコを……助けたいッ」
『そう。だったら、目を覚まして。あなたには力がある。あなたには護りたいものがある。すべてを失ったとしても、ゼロになったとしても……あなたには自分の意思がある。あなたは一人じゃない。大切なものがあるあなたには、生き続けるという義務がある。だから、だから――ッ』
身体に力が戻ってくる。強く拳を握り締めると、ゼロは決意を胸に目を覚ました。
「……僕は…………」
意識を失うまでの記憶を再構築する。
シエルサーラはリコを殺そうとしていた。自分はそんなシエルサーラの魔法によって意識を失った。リコはその後ろにいて、同じようにシエルサーラの魔法を……。
「リッ……」
大きな声で呼ぼうと思ったリコの名前が、ギリギリで出なかった。
そこにいたのは――人を殺すことを目的として生きる怪物だった。
上半身だけがリコの身体をしている。下半身は巨木に包まれ、鋭くしなやかに動く鋭利な木の根が、獲物を狙う怪物の触手として妖しく躍動している。
あれはもはや、リコではなかった。
うつむいているので、表情を見ることはできない。
大切そうに抱き締めている熊のぬいぐるみが、見ていて痛々しかった。
「リコ……リコ……」
シエルサーラを先頭に、アルド王国の兵士たちがリコと戦っている。すでに被害は甚大だ。至る所に、怪物によって命を絶たれた兵士の身体が転がっていた。
もう……無理だった。
大切だと思っていたものは、完全に壊れてしまった。
それはわかっていた。
だけどゼロは歩み出した。
まだそこに、自分が護ろうと思っていたものがあると信じて。
「リコ……リコぉぉッ」
剣も持たずに駆け出す。
言葉を発すれば通じると思っていた。
想いが伝われば変わると信じていた。
だけどもうそれは、叶うことがない夢なのだと思い知る。
リコに近づこうとした身体が吹っ飛ばされる。
「ぐあぁッッ」
幸い、鋭利に躍動する先端部分ではないので、身体が切り裂かれるということはない。だが、巨人に殴られたかのような衝撃にゼロの動きは止まり、呼吸すらできなくなってしまった。
「馬鹿者が。まだ叶わない夢を見ているのか?」
「シエルサーラ……さん」
急いでそばに駆けつけてくれたシエルサーラが声をかけてくる。
服や肌は汚れ、一目で余裕のなさが伝わってくる。しかしその目には、確かな覚悟と決意が宿っており、最後まで絶望せずに戦い抜くというシエルサーラの意思が伝わってきた。
「お前が護りたいと思った気持ちはわかる。だが今は現実を直視しろ。護ることがあの少女を救うことか? 目を背けることで、あの少女は救われるのか? すべての現実を理解して、最も正しいと思う答えを出せ。それができないお前ではないはずだ。あの少女を護りたい……救いたいと心の底から思うことができたんだ。ならば……今の自分に何ができるのか? それだけを、死ぬ気になって考えろ」
シエルサーラが左目を隠す髪を、わずかにだが掻き上げる。
そこには、深くて大きな傷痕があった。
「……それは?」
「私が過去に選択を間違えた結果だ。それによって私はこの傷を負い、大切な仲間を何人も失った。選べない選択肢など、この世には数え切れないほど存在する。逃げたい気持ちはわかる。認めたくない気持ちも、私にはよくわかる。だが選ばなくてはいけない。絶対に逃げるな。大切に想うのであれば……すべてをその目に焼きつけろ」
シエルサーラが背中を向ける。見据える先にあるものは、命を刈り取る少女の姿をした怪物だ。
自分の全力を持ってすべてを終わらせる。
感情を捨て、心に蓋をして。
非常に徹したシエルサーラの覚悟が痛いくらいに伝わってくる。
「不本意だが、もうあとのことを考える余裕はない。全員下がれッ。この戦いは、私が終わらせるッ」
「シエッ……」
呼び止めようと思った声が止まった。
もう、終わりにしなくてはいけない。
リコのためにも、ここですべてを終わらせなくてはいけない。
シエルサーラが駆け出す。
彼女を守護するように、青白く輝く雷光が辺りに発生する。
「いくぞ。神ではなく私自身が下す雷の裁きを、今この場で貴様にくれてやるッ」
天を裂くがごとき雷爪が空気を切り裂く。
「ディルムライトニングッ」
神罰に匹敵する落雷がリコを襲う。すべての木の根が動きを止めるが、命の躍動自体が消えたわけではない。
「空っぽになるのは戦力的に問題があるがもう知らんッ。私の全力を受け取れッ」
再び、神罰に匹敵する落雷が発生する。
「もう一発いくぞ。ディルムライトニングッッ」
二連発の高位魔法。魔法の知識が薄いゼロにも、その凄さと無茶苦茶さが容易に理解できる。
巨大なエネルギーが巨木を焼き尽くす。
焦げ臭さを放ちながらリコが沈黙する。
誰が見てもすぐにわかる。
超強力な一撃により、すべてが終わったのだと。
ゼロを含めた、すべての兵士が動きを止める。だが唯一シエルサーラだけは、最後の一撃を加えようと走り出した。
「悪いがすべてを終わらせてもらう」
シエルサーラはリコを完全に殺そうとしている。それがわかった瞬間、ゼロは反射的に声を上げてしまった。
「駄目だッ。それだけはやめてくれッ」
だがその声は届かない。この場で決断を下す権利があるのは、命懸けで敵を沈黙させたシエルサーラだけだ。
「いくぞッッ」
切っ先がリコの心臓を捉える。
その場にいる誰もが、少女の死を確信した。
「な……に……」
しかし響いたのは、驚きに震えるシエルサーラの声だけだった。
◇◇◇
すでに廃墟となった古城。目の前には死に絶えた大地のみが存在している。
その真ん中に、紫色に輝く巨大な水晶、死水晶が存在していた。
それを眺めるのは魔戦将軍ネイドだ。
廃墟となった古城のテラスで、ネイドは自らが守護すべき死水晶を見ていた。
「ネイド様っ。ご報告がありまーすっ」
軽い調子で、猫耳の魔導士ルーミアが近づいてくる。
戦争中。こんな荒れ果てた場所だが、ルーミアは底抜けに陽気な雰囲気を放っていた。
「どうした?」
「はい。密偵からの報告ですが、シエルサーラたちが我々の死水晶を狙って本格的に軍を動かし始めたようです」
「ほう。それは勇敢なことだ。全滅か勝利か。いよいよ覚悟を決めたというわけだな」
「そのようです。ですがその途中に……少々面白いことが起こったようで」
「何だ?」
「はい。どうやら例の、『命を喰らう大樹』と出会ってしまったようで……現在、交戦中にあるという報告が入っております」
「我々の前にあれとぶつかったのか? だとしたら、シエルサーラたちはもう終わりだな。あれの戦闘力は強大だ。莫大な被害は避けられん。仮に、力であれを倒したとしても……」
ネイドは思わず笑ってしまった。
何がどうなっても自分が負けることはない。
それを絶対的に確信したからだ。
「うん? どうしたんですか? ネイド様。何か面白いことがあるんでしたら、いつも一生懸命お仕えするわたくし、ルーミアちゃんにも教えてくださいよ」
「それは移動しながら説明してやろう。ルーミア。兵を集めろ。シエルサーラたちが戦っている場所を取り囲み、あれとの戦闘が終わった直後に奴らを根絶やしにするぞ」
「え? ということは、ついにこの国が私たちのものになるということですね。だったらネイド様。私、記念のパーティとして酒池肉林の大騒ぎをしてみたいです」
「ふっ。すべて終われば勝手にしろ。それよりもいくぞ。この機は絶対に逃すな」
「はい。ガッテン承知のやる気満々ですッ」
宿敵との最後の戦い。
好敵手と認めた相手だからこそ、愉悦がこぼれる反面、わずかに同情もする。
シエルサーラもついてない奴だ。あれがこの国にいなければ、多少は勝機があったのだろうが……勝っても負けても、待っているのは地獄。あれと戦うということは、そういうことだ。
ネイドを頂点とした魔王軍が動き出す。
アルド王国の命運を賭けた最終決戦が近づく。
滅ぼすものと護るもの。
生き残るものは、たった一つだ。
◇◇◇
シエルサーラの剣が止まる。いや、正確に言えば、シエルサーラの剣は「それ」によって止められていた。
リコの心臓に植えつけられた核のような木の根が、シエルサーラの剣を完全に止めている。それは黒いオーラを放ち、強度のみで完全に敵の攻撃を防いでいた。
「クソったれが。魔闘気を放つ、命晶爆弾だと……」
シエルサーラがそんな顔をすることがあるんだ。
思わずそう思うほど、シエルサーラは追い詰められた顔をしていた。
地面が揺れ始める。
それは「命を喰らう大樹」と呼ばれる兵器が、目を覚ましたという合図だ。
再び動き出した木の鞭がシエルサーラの身体を襲う。剣で防ぐが威力を殺し切ることはできない。巨獣の突進を受けたような勢いで、シエルサーラの細い身体が吹き飛ばされる。
「チッ」
吹き飛ばされても、無様に転がるということはない。踏ん張った状態で地面を滑り、シエルサーラは変わらぬ強さでリコのことを見続ける。
今度はゼロがシエルサーラのもとに駆け寄る。ほかの人間は復活した木の根の攻撃を防ぐのに手一杯で、戦力を集中させる余裕すらない。
後方の森からも、悲鳴と怒号が聞こえてくる。
もはや戦場はここだけではない。
この地を中心とした辺り一面が、リコの狂気が咆哮する舞台となってしまっていた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。一応まだ動ける……といっても、あくまで一応だがな」
「さっき言ってた、命晶爆弾って?」
歯を食いしばり、忌々しそうにシエルサーラが答える。
「宿主の命に寄生する結晶体の名前だ。それを取りつけられた人間は、殺した相手の命を吸収し、強大な力を得ることができる」
病で死にかけていたリコが元気になった理由がわかった。
リコの身体に宿った悪魔が、少女に命と力を与えていたのだ。
「しかし当然、それには代償が伴う。膨大な数の命を吸い続けなければ、宿主は生き続けることができん。自分が生き続けるために、他者を殺し続ける……あれに身体を奪われた人間は、そういう怪物になってしまうのだ」
「……」
「しかも、それだけでは終わらん。そうやって人の命を奪い続けた命晶爆弾は……力を抑えることができず、やがて暴発する」
「暴発?」
「そうだ。それが爆弾と呼ばれるゆえんだ。人の命を奪い生き続ける。それを止めたら死に、やり続けたらやがて暴発して、辺りを巻き込んで自分も死ぬ。口にするのも忌々しいほどの、悪魔の兵器だ。私は過去に魔王軍との戦いであれを見たことがある。そのときのものは、あんなにもでかくはなかったがな」
「……爆発は、どれくらいの威力なんですか?」
「過去に見たものはあれの半分以下の大きさで、そのときは街の半分が吹き飛ぶほどの威力だった。その倍以上の大きさがあるということは……まあ、安く見積もっても、こっちの軍隊が壊滅するくらいの威力はあるだろうな」
「止める方法はないんですか?」
「宿主の命に寄生した命晶爆弾を破壊する。それが唯一の対処法だ。しかしそれは同時に、宿主の命を絶つということを意味し、そうはさせまいと、宿主は必死になって抵抗する。あれほどの力で暴れ狂うのも、生きたいと願う気持ちの裏返しだろう」
少女は一人でも必死になって生きようとしていた。
もう一度、幸せだったあの頃に戻れると信じていたから……。
「あれほどの命晶爆弾はいまだかつて見たことがない。おそらくあれを取りつけたのは、魔王軍でも相当格上の存在だろう。その証拠に、あれは単独で魔闘気を放っている。普通ならば、絶対に考えられんことだ」
「双剣を持った魔族が使っていた力のことですか?」
「そうだ。だが今は、誰があれを娘に取りつけたかはどうでもいい。問題は、どうやってこの戦いを終わらせるかということだ」
方法はわかっていた。
ずっと前から、それしかないと理解していた。
「……ゼロ」
シエルサーラが何かを言おうとする。しかしそれを、殺意を含んだ木の槍が妨害しようとする。
「ウォールッッ」
反射的に防御するが無駄に終わる。
ツインテールに猫耳がついたローブを着た魔導士、ミアが防御魔法を使ってゼロたちを護ってくれた。
「ミア……」
「遅れたけど文句は言わないでよッ。こっちは怪我人の回復でメチャクチャ忙しかったんだからッ。来てあげただけでも、ありがたいと思ってよねッ」
憎まれ口を叩くが、その裏には確かな優しさがある。
凶器として振り回される木の根を切り払いながら、カイルがこちらに駆け寄ってくる。
「ゼロッ。シエルサーラさんッ。大丈夫ですか? ミア……よかった。バラバラにされて死んだと思ってたけど、ちゃんと生きてたんだな」
「普通に生きててよかったって言いなさいよッ。よりにもよってこのアタシが、何でバラバラにされて死なないといけないのよッ」
「それくらい心配してたっていうことだから……そんな風にプンスカ怒るなよ」
「アンタが縁起でもないこと言うからでしょッ」
カイルとミア。二人とも、必死になって生きようとしている。
今こそ実感する。
二人は自分にとって、大切な仲間だと。
「魔闘気は、魔法と闘気、両方に対して有利を取ることができる厄介な力だ。だがそんな魔闘気も、『ある力』に対してだけは無力になってしまう」
自分にしかできないことがある。
そしてそれしか、この悲劇を終わらせる方法はない。
「それはお前が使う金色の力、『竜光気』だ。どうしてお前がそんな力を持っているのかは知らん。問題は……お前がその力を何に使うかだ?」
答えはすでに出ていた。
あとは、逃げるか戦うかというだけだ。
「私の魔法によってあの娘は弱っている。チャンスがあるとすればこの瞬間だけだ。これを逃せば…………」
「わかってます。もう、逃げたりはしません」
ゼロはゆっくりと立ち上がった。
その右手は、美しく金色に光り輝いていた。
「リコ……」
最後に名前を呼ぶと、ゼロは全力で駆け出していった。
「あ……あッ……あッ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ」
仲間たちが、想いを察して悲しげに呟く。
「ゼロ……」
「アイツ……あんな声出すんだ」
シエルサーラが答える。
カイルとミアと同じく、悲しそうに。
「声じゃない。あれは叫びだ。死ぬ気で何かを考え、答えを出した人間のみが発することができる、心の叫びだ」
ゼロは走った。
頭に思い浮かぶ少女の幻影を、掻き消すかのように。
『私? 私は……リコ。お兄ちゃんは?』
少女は必死になって生きていた。
『そうなんだ。だったらリコが教えてあげるよ。何があるかわからないから、一人で釣りくらいはできるようにならないとダメだよ』
少女はただ一途に、生きたいと願っていた。
『うん。お兄ちゃんだったらいいよ。だってお兄ちゃんも……お母さんたちと同じくらい、好きだから』
少女は何もなかった自分に、人間としての心をくれた。
『大丈夫だよ。お兄ちゃんは、もう一人じゃないから。リコが……そばにいるから。お兄ちゃんは、一人じゃないよ』
少女は自分にとって――本当に大切な存在だった。
そんな少女を今から殺す。
それだけが、たった一つの選択肢だったから。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁッッ」
簡単に命が消える死の中を駆け抜け、ゼロは飛び上がった。
金色に輝く右手を、悪魔が宿ったリコの心臓へと押しつける。
目が眩むほどの光が世界を包み込む。
それは戦いの終わりと、ゼロの大切が壊れたという事実を告げる輝きだった。
「リコ……リコぉぉぉぉぉぉぉぉッッ」
慟哭がこだまする。
数多の命を奪い続けた木の根の動きが止まる。
最も力強く脈動していたリコの周りの大樹は、急激に力を失った反動により一瞬で枯れ果ててしまった。
空気が落ち着き、静寂が残る。
ゼロの腕の中で、一人ぼっちだった少女が眠っている。
そばに転がる熊のぬいぐるみは、場違いなほどに可愛らしい顔をしていた。
「リコ。リコ……」
瞳から涙があふれ出してくる。
こんな感情が自分の中にあるなんて、初めて知った。
頬を伝わった涙がリコの顔へと落ちる。するとリコは、弱々しく瞳を開いた。
「お兄ちゃん…………何で、泣いてるの? 何か、嫌なことが……あったの? だったら、私が…………護ってあげるよ。私……お兄ちゃんのこと……大好きだから……」
「ごめん。ごめん……僕は、僕は…………リコを、護ってあげられなかった」
「そんなこと……ないよ。私は……すっごく、楽しかったよ……お母さんたちがいなくなってから……ずっと、一人だったけど……お兄ちゃんが……お兄ちゃんが、一緒にいてくれたから……私は……」
「リコ……」
「ねえ、お兄ちゃん。私は……みんなを幸せにできたかな? お母さんに……会えるかな?」
「ああ。リコは僕を幸せにしてくれた。お母さんにだって……絶対に、会えるさ」
「そっか……ありがとう、お兄ちゃん。お兄ちゃんが……私を、幸せにしてくれたんだよね? もう……寂しい思いは……しなくて、いいんだよね?」
「ああ。リコはずっと幸せだよ。もう、寂しい思いをする必要はないんだ」
「……ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは……私のこと、好き?」
最後の言葉だった。
だから精一杯の想いを込めて、ありったけの気持ちを伝えた。
「ああ。僕はリコが、大好きだよ」
「えへへ…………私も……お兄ちゃんが…………大好き、だよ…………」
そして少女は動かなくなった。
木の根と同じように、少女の身体が砂粒のようになって消えていく。
それは悪魔の力を宿し、命を奪い、限界まで自分の命を使った反動だった。
風に飛ばされる灰のように、リコの命は形を残さず消えてしまった。
「あっ……あっ……あッ…………あぁぁぁぁぁぁぁッ」
消えてしまった大切を抱き締めながら、ゼロは涙を流す。
終わりはとても呆気なく、とても静かで、とても悲しかった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ」
ゼロは泣いた。
初めて人間のように。心を震わせながら。