3ー2「一人ぼっちの少女」
3―2「一人ぼっちの少女」
数日後。ネイドの襲撃を受けてから、二週間程度の時が流れたある日。
カイルとミアは、両手両足に重りをつけた状態で森の中を走っていた。
すべての基本である基礎体力をつけるための訓練で、本格的な訓練の前の準備運動として、二人は毎日同じコースを走っていた。
森を抜け陣営へと戻ってくる。
宿舎の前にたどり着いたミアが、息を切らせながらその場に座り込む。
「あーッ、もうッ。毎日毎日同じようなことばっかりさせて……これで本当に強くなれるんでしょうね?」
体力的に余裕があるカイルは、息を切らすことなく立ったまま答えた。
「それは俺にはわからないけど……今はシエルサーラさんの言葉を信じるしかないだろ。それともこれ以外で、何かいい方法でもあるのか?」
「あー、そういう質問返し禁止。聞いてるのはアタシなんだから聞き返さないでよね」
「悪かったよ。まあとにかく、今は基礎的なことを繰り返すしかないさ。どんな文句を言ったところで、俺もミアも経験が足りないってことに間違いはないんだからな」
「へいへい。そうですね。ったく、何で天才のアタシがこんなことを……ブツブツ」
「そうやってブツブツ言ってたら、またシエルサーラさんに怒られるぞ」
「そのときは嫌々鍛えた身体で返り討ちにしてやるわよ」
普段どおりのやさぐれっぷりを見せるミアにため息を吐く。
いつもと同じ態度に呆れる反面、どことなくその姿に愛着を抱いてしまう。
「……何見てんのよ? 文句があるんだったらやってやるわよ。コラ」
そんな愛着を真正面からぶち壊すところもまた、ミアの魅力……とは、さすがに思えないカイルだった。
「準備運動は終わったか?」
透き通った声を発しながら、優雅な態度でシエルサーラが姿を現す。
いつもと同じ軍服姿で、身だしなみも最低限にしか整えていない。それにも関わらず人を惹きつける美貌は、見ていてさすがの一言だった。
「終わったわよ。で、なに? ご褒美にアメちゃんでもくれるの? だったら貰ってあげるから、早くちょうだいよ」
どんなときでも自分を曲げないミアも、ある意味さすがだった。
「相変わらず態度が悪い奴だ……準備運動が終わったのであれば、いつもどおり兵士たちの訓練に参加しろ。どれだけ基礎体力をつけたところで、魔法と闘気が使えなければ戦力にはならんからな」
「はいはい。それはもう聞き飽きたわよ。実践訓練に参加して、さっさと高位クラスの魔法を身につけろっていうんでしょ? 覚えときなさいよ。そうやって強力な魔法が使えるようになったら、真っ先にアンタに今までの借りを返してやるんだから」
「それは楽しみだ。だったら早く訓練にいけ。こうやってのんきに訓練をする時間も、無限ではないのだからな」
「……次の戦いは、いつ頃になりそうなんですか?」
「いい質問だ。不満げにブーブー言ってるだけの娘とは雲泥の差だな」
「誰が泥よ?」
シエルサーラがミアの文句をサラリと聞き流す。
ここ数日で、すっかり見慣れた光景だった。
「正確な日時はまだわからん。今は各地の魔王軍を掃討しつつ、できる限り多くの軍を集めているところだ。なので最大限の戦力が集まったときが、決戦の日になると思え」
「先に攻撃されて全滅しないといいけどね」
「それはない。奴らの使命は、あくまでも死水晶を護ることだ。危険を冒してこちらを攻めたところで、死水晶が破壊されたら何の意味もない。攻撃があるとしたら、前回のように足並みを崩す程度の簡単なものだろう」
「戦力はどれくらい集まりそうなんですか?」
「少なくとも、今ここにいる数の数倍は集まるはずだ。だがそれでも、確実に勝てるという保証はない。最後は必ず、魔闘気を操るあの男との戦いになる。それに勝てなければ……」
結論は言わなかった。言わなくても、わかるということだろう。
「戦場に立つ以上、お前たちも戦力として数えられることになる。その期待を裏切らぬよう、そのときまでできる限り鍛錬に励むのだな」
「はい」
「はいはい。わかりましたよ」
カイルは充分なやる気を、ミアはそれなりのやる気を胸に、次の訓練へと向かう。
「あっ……シエルサーラさん」
「うん? どうした? ミアが拾い食いでもしたのか?」
「失礼ね。そんなことしないっての」
「いえ、そうじゃなくて……ゼロは…………いえ、やっぱりいいです」
言葉を詰まらせると、カイルはシエルサーラに背を向け訓練へと向かった。
「心配なんだったら、捜しにでもいけば?」
心情を察したミアが声をかけてくる。どことなく、ミアも心配そうだった。
「いや、いいんだよ。シエルサーラさんが言ったとおり、ゼロの問題を解決できるのはゼロだけなんだ。それよりも俺たちは、早く一人前になってちゃんと戦えるようにならないと……人のことを心配してる余裕なんてないぞ」
「アタシは別に、一人でどっかいっちゃった奴の心配なんかしてないけど……」
ゼロとは、またいつかどこかで会える。
そのときはまた、仲間として一緒に旅ができるはずだ。
そんな根拠のない自身を胸に、カイルは今の自分にできることを、日々の訓練として精一杯行うのだった
◇◇◇
リコという名前の少女と生活をするようになり、数日が経っていた。
雲一つない晴天の空の下。ゼロとリコは近くの川に釣りをしにやって来ていた。
リコという少女には、意外なほどのたくましさがあった。
一人で食料を集め、一人で料理して、一人で生き抜いていく。
廃墟となった街でたった一人、リコは誰にも頼らず自分の力だけで、しっかりと生活をしていた。
食料となる魚を手に入れるための魚釣り。
透き通った川を前に、ゼロはちょうどいい場所にあった岩に腰を下ろした。
「お兄ちゃんっ。お兄ちゃんの脚の上に……座ってもいい?」
幼いが女の子だ。異性であるゼロを相手に照れながら、リコがそんなことを言ってくる。
「構わないけど、それだと釣りがしにくいんじゃないのか?」
「いいのっ。私がそうしたいから、するのっ」
照れ隠しのように、ちょっとだけ強い口調で言うと、リコは遠慮なくゼロの脚の上に座ってきた。
腰に手を回して、リコが川に落ちないようにする。
「あっ……お兄ちゃん。そうやって抱きつかれたら、照れちゃうよ」
リコはまんざらでもない顔をしている。賢くてしっかりしているがゆえ、少しマセているところがあるようだ。
「嫌なんだったら放すけど、それだと川に落ちるかもしれないぞ」
「ぶー。お兄ちゃんってば、乙女心が全然わかってないよ。そういうときは…………どうしたらいいんだろうね? 私もよくわからないや」
「そっか」
温かな日差しの中。のんびりとした時間が流れていく。
「リコは本当に釣りが上手だな。誰かに習ったのか?」
「うん。お父さんに教えてもらったんだ。何があるかわからないから、一人で釣りくらいできるようにならないとダメだって。お兄ちゃんは? 釣り上手なの?」
「僕か。僕は……どうなんだろな。やってことがないから、よくわからないんだ」
「そうなんだ。だったらリコが教えてあげるよ。何があるかわからないから、一人で釣りくらいはできるようにならないとダメだよ」
「ああ。そうだな」
リコに釣竿を借りて、初めてとなる釣りをしてみる。
投げた釣り糸は川ではなく、飛び過ぎて反対岸にまで届いてしまった。
「ふふっ。お兄ちゃんってば下手だね」
「そうみたいだな」
失敗したが、不思議と不快感はなかった。
その後も、リコに教わるかたちでゼロは釣りを続けた。
リコが十匹。ゼロが二匹。初めて二人で行った釣りの釣果は、そんなものだった。
ゼロはリコと一緒に、住居としている家の裏庭へとやってきた。
そこはあたり一面、様々な花が咲き茂る美しい庭だった。
「凄いな。これは全部、リコが育てたのか?」
「うん。お母さんたちが帰ってきたときに喜んでほしくて、一人で一生懸命育てたんだ」
「そうか。喜んでくれるといいな」
色彩に満ちた花壇を見ると心が穏やかになった。
そして同時に、どうしようもなく悲しくなった。
『お母さんたちはどこにいったの?』
何度も聞こうと思った。だけど答えがわかり切っているから、ゼロはそれを聞くことができなかった。
こんな時代で、こんな場所だ。
もう、リコの両親は生きていないのだろう。
それを知らないから、それがわからないから、それを認めたくないから。
リコはずっと、自分を騙すように、家族の帰りを待ち続けているのだ。
「お兄ちゃんっ」
可愛らしい声で、リコが話しかけてくる。
「どうしたんだ?」
「これ、あげる」
リコは手に真っ赤な花を持っていた。花壇から抜いてきたばかりなのだろう。リコの手には、かすかに泥がついていた。
「いいのか? お母さんたちのために、大切に育てたものなんだろう?」
「うん。お兄ちゃんだったらいいよ。だってお兄ちゃんも……お母さんたちと同じくらい、好きだから」
ちょっとだけ照れている顔が、子供っぽくて可愛らしかった。
「そうか。ありがとう」
差し出された花を手に取る。するとゼロの胸に、ある感情がわき上がってきた。
「貰ってばかりなのも悪いから、何かリコにお礼がしたいんだ。何がいい?」
「お礼? う~ん。それだったらね」
貰った花と同じように、命を感じさせる笑顔でリコは言った。
「一緒に、花壇のお手入れしよ。ねっ」
断る理由など、どこを探しても見当たらなかった。
「ああ。いいよ」
そしてゼロはリコと一緒に、仲良く花壇の手入れをするのだった。
まるで、二人だけで生きる本当の家族のように、ゼロはここ数日をリコと一緒に過ごしていた。
静かに時間が流れ、当たり前のように毎日同じことをして日が暮れていく。
人によっては退屈としか思えない時間の使い方。
ゼロにとっては、大切な時間だった。
この先永遠にこんな時間が続いていく。
神にそう言われたら、何の疑問もなく受け入れてしまいそうだった。
「お兄ちゃん……起きてる?」
真夜中。ベッドで寝ていたゼロに、リコが声をかけてくる。
「リコ……どうしたんだ?」
リコはお気に入りの、熊のぬいぐるみを抱き締めていた。
「怖い夢見たの……だから、一緒にいてもいい?」
今にも泣きだしそうな顔をしている。どんなにしっかりしていても、リコは子供なんだということを痛感する。
「ああ。いいよ」
リコをベッドの中に招き入れる。抱きついたりなどはせず、温もりを確かめるように、リコはベッドの中で丸くなった。
「怖い夢って……どんな夢を見たんだ?」
「うん。お兄ちゃんがどこかにいって、一人になっちゃう夢を見たの。まだお母さんが帰ってきてないのに……お兄ちゃんまでどこかにいったら……わたし……」
小さな肩が、小さく震えている。
そうすることが当然のように、ゼロは小さな身体をそっと抱き締めた。
「大丈夫だよ。僕はリコを置いて、一人でどこかにはいかないから」
「本当?」
「ああ。本当だよ」
そう答えるとリコは、遠慮気味にゼロの身体に抱きついてきた。
もう……自分の記憶や存在意義など、どうでもいいことのように思えた。
今はただ、必死になって健気に生きているこの小さな命を、護ってあげることしか考えることができない。
小さな身体を震えさせながら、リコが身体を寄せてくる。
「お兄ちゃんは、どうしてここにいるの?」
「僕は、ほかにいくところがないから」
「どうして? お母さんとお父さんはいないの? お兄ちゃんを、誰かが待ってるんじゃないの?」
そんな人、いるのかな?
今、僕を必要としている人。
それは、目の前で怯えた姿を見せる一人ぼっちの少女だけだ。
「さあ。それは僕にはわからないんだ。だから今は、リコのそばにいてあげるよ」
「じゃあ、お兄ちゃんも一人なんだね?」
「そうだな。僕はきっと、一人ぼっちだったんだろうな」
記憶を失う前の自分は、どんな人間だったんだろう?
どこにいて、誰と、何をしていたんだろう?
記憶を取り戻したとき、僕はいったい何を想うんだろう?
答えを知るのが怖い問題ばかりだった。
だけど、いつかどこかでそれと向き合わなくてはいけない。
自分という今を理解していなければ、未来という前を見ることはできない。
それはわかっている。
でも、前を見なくてもいいとしたら……。
ずっとこのまま、大切だと思える今を続けていくことができたら……。
僕はどんな答えを、選ぶんだろう?
僕はどんな答えを、望んでいるんだろう?
小さな手でゼロの身体をギュッと掴むと、リコは顔を上げてゼロの瞳を見つめてきた。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは、もう一人じゃないから。リコが……そばにいるから。お兄ちゃんは、一人じゃないよ」
「そっか。ありがとう」
小さな少女の想いが、胸の中で温かく溶けていく。
見えない未来よりも、腕の中に確かに存在する今を大切にしたい。
そのためであれば、自分という存在自体がなくなっても後悔はしない。
リコを抱きしめたまま、ゼロは眠りへと落ちていく。
初めて見つけた自分の望みを、ゼロはずっと護り続けていくつもりだった。
◇◇◇
決戦の時は近い。
陣営内に建つ自分の宿舎。シエルサーラは手元にある書面を見ながら、色々なことを考えていた。
夜は更け、辺りに人の気配はない。軍議を終え、眠りにつくまでのわずかな時間。
ロウソクの明かりを頼りに書面を読んだシエルサーラは、疲れた表情で手に持っていた書面を机の上に投げた。
やれやれ。ネイドの軍勢だけでも充分過ぎるほどに厄介だというのに……今度は前々から問題視していた、正体不明の怪物が出たという報告か。思いのほか軍の集まりが悪いから、何か理由があるとは思っていたが……。
読んでいた書面には、新たに確認された強敵のことが書かれていた。
木を操る正体不明の敵で、犠牲になった人間は数知れず。誰がどのような力を使って、そのような怪物を使役しているのかはわからない。
死水晶と共に、数か月程度前から姿を現した「それ」は、人を見つけては人を殺す怪物として、この国に生きるすべての人間に恐れられていた。
正体不明ながらも、はっきりとしていること。
「それ」は人間にとって、敵と呼べる存在であるということ。
倒さなくてはいけない。
生きていてはいけない。
殺さなくてはいけない。
敵として報告された「それ」は、そういう種類の命なのだ。
数多くの人間を殺した怪物だ。やはり、無視するわけにはいかないだろうな。ネイドとの交戦中に背後を狙われたら厄介だ。できる限り速やかに、排除する必要があるのだが……。
一つだけ気になる報告があった。
その敵は、ここ数日でぴったりと姿を消してしまった。
隠れているのか? 別の場所にいったのか? それとも、もうこの世には存在しないのか?
敵の正体とその目的はわからない。わかっていることは、「それ」は人間の命を狙う敵で、存在を確認したらすぐに排除しなくてはいけないものだということだ。
……そろそろ、軍を動かす必要があるな。このままこの場に留まっていても、我々に勝機が訪れるということはない。あと数日……その辺りで、こちらも行動を起こすことになるだろうな。
周辺にいる軍が集結することで、考えられる最高の戦力が手元に揃う。だがそれでも、理想とする戦力には程遠い。
むしろ、許されるのであれば降伏したいくらい、自軍の戦力は脆弱だった。
あの少年……竜光気を操るあの男が、戦力として計算できれば心強いのだが。
残念だがそれは期待できない。仮に味方として戦ってくれても、あの程度の力と覚悟では使いものにならない。
警戒した敵の集中攻撃を受け、あっさりと殺されるのがオチだろう。
自前の戦力でどうにかするしかないな。そのために必要なことは……。
軍人としての覚悟を決めるたびに、人間として大切なものが削り落ちていくような気がする。だけどそれでも、シエルサーラは決断しなければならない。
その双肩には、この国の未来と守るべき多くの命があるのだから。
シエルサーラはロウソクの灯を消し、ベッドに入って眠ることにした。
決戦の時は近い。
あらためて、それを噛みしめながら。
◇◇◇
リコとの日々を重ねていたある日。
リコが大熱を出し、寝込んでしまった。
思い当たることは何もない。必死になって看病するが、熱が下がる様子はない。
ベッドで横になったまま、熱にうなされるリコの小さな手を握り締めてあげる。
ゼロにできることは、そうやってそばにいて、リコを元気づけてあげることだけだった。
「大丈夫か? リコ。何か欲しいものがあれば言ってくれ。すぐに僕が用意するから」
怖いという感情を自覚したのは、これが初めてだったかもしれない。
護りたいと思った命が、何もできずに目の前で失われていく。
誰かを失う怖さを、ゼロは体中で感じていた。
「けほっ、けほっ……大丈夫だよ、お兄ちゃん……そんなに、心配しないで……」
「無理して話さなくてもいい。今は、身体を治すことだけを考えてろ」
「大丈夫だよ……こんなの、慣れっこだから」
この苦しみに慣れている?
小さな少女が口にした言葉に、胸が締めつけられる。
「全部……私が悪いんだよ。私が……天使様の言うことを、守らなかったから……」
「天使様? いったい、何を言ってるんだ?」
熱により意識が混濁し、そんなことを言ってるんだと思った。だけど違う。苦しそうだがはっきりとした瞳で、リコは自分の言葉を紡いでいる。
「ごめんね。お兄ちゃん……お兄ちゃんのことも……もっと早く、幸せにできたのに……私が、リコが悪い子だから……お兄ちゃんと、ずっと一緒にいたいって……思っちゃったから……」
「何を言ってるんだ? もうそんなことは言わなくてもいい。僕はどこにもいかないから、今は身体を治すことだけを考えて…………ッッ」
それを見た瞬間、ゼロは言葉を失った。
熱にうなされたことで、リコの服がはだけている。
初めて見たリコの素肌。
心臓の部分に、大きな木の根のようなものがあった。
「何だ……これは……」
事情がわからずとも、それが異常であることはすぐにわかる。
小さな身体に寄生しているような木の根。それは黒く禍々しい瘴気のようなものを放っている。
人間の身体に存在していいものではない。リコを苦しめている原因はそれだと、嫌でも理解してしまう。
「リコ……何なんだこれは? どうしてキミの身体に、こんなものが……」
呼吸を途切れさせながら、リコは必死になって答えた。
「天使様が……くれたんだ。これがあれば、私は元気でいられて……みんなを、幸せにできるって。それに、そうして頑張って生き続けたら……いつかきっと、お母さんにも会えるって……天使様が……」
「何を言ってるんだ? リコ。天使なんて、この世界には……」
「いるんだよ、お兄ちゃん……だけど、リコが……約束を守らないから……」
「もういい。今はそんなこと考えなくていいんだ。だから、だから……」
「いかないと。天使様との約束……守らないと」
「リコッ」
熱で動けるような状態ではない。だけどリコはベッドから降りて立ち上がろうとする。
当然、ゼロはそんなリコの身体に手をやりベッドに戻そうとする。だけどリコは戻らない。誰かとの約束を果たそうと、精一杯の力で立ち続ける。
「ごめんね。お兄ちゃん……お兄ちゃんのことも、本当は幸せにしてあげられたのに……リコが……リコが、お兄ちゃんとずっと一緒にいたいって思ったから……」
「ああ、僕はずっとリコと一緒だよ。だから今は……ッッ――――」
ありえない激痛が背中を奔った。
見ると木の根のようなものが、刃物のようにゼロの身体を貫いていた。
「お兄ちゃんも、これで幸せになれるよ……だけど……これで、お兄ちゃんとはお別れだね。お兄ちゃん…………大好き、だったよ」
僕も、リコのことが大好きだよ。
想いは言葉にならず、意識と共に消えていった。
死を確信するのに充分な痛みだった。
何もわからず、誰も救えず。
視界が暗闇と混ざり合い、やがて何も見えなくなっていく。
「お兄ちゃん……バイバイ」
この子を護らないと。ずっと、リコのそばにいてあげないと……。
痛みを越える想いが、胸の中で空回りする。
ゼロは悲しそうなリコの顔に心を痛めながら、静かに死の眠りに落ちていった。