2「弱点だらけの最弱パーティ」
2「弱点だらけの最弱パーティ」
アルド王国。
魔王の本拠地から最も離れた場所に位置するその国は、世界で最も平和な国だといわれていた。
土地と資源が豊富で、人心も落ち着いている。争いらしい争いはここ数年一度も起こっておらず、魔王が世界侵略に動き出す前から、アルド王国は最も平和な国として世界に知られていた。
その最大の理由は、国家が統治の柱として、宗教に重きをおいていることが理由にあげられる。
信じるもの。
規範とすべきもの。
生きる理由となるもの。
心にそういうものがある人間は、堕落するということがない。
アルド王国に住む者はそういった神を信じる心を持っているため、どんな状況にあっても心を乱すことなく、日々の生活を送っていた。
しかし、そういった平穏な国には、平穏な国特有の弱点があった。
それは、戦争が弱いということだ。
鉄壁ともいえる地形のおかげもあり、長年にわたり平和を保ってきたアルド王国だったが、相手が魔王となるとそうはいかない。
死水晶を破壊しようと軍隊を派遣するが、それを守護する魔王軍を前に作戦は失敗。
今は各地を荒らす魔王軍と戦いながら、死水晶を破壊するための戦力を整えているという状態にあった。
窮地なのは間違いない。だがそんな環境だからこそ、名将と呼ばれる人物も出現する。
神官騎士団と呼ばれる、アルド王国の軍を率いる一人の名将。
神官騎士シエルサーラ。
強力な魔力と的確な戦術。さらには圧倒的な美貌を持ったその女性は、アルド王国最高の戦士にして、賢者ミーファが誇る最高の弟子だった。
◇◇◇
ミーファのもとを旅立ってから数日。
ゼロたちは難民キャンプと呼べる場所にたどり着いていた。
所狭しと建てられたテントを家として、数多くの家族が生活をしている。お世辞にも幸せとはいえないような環境だが、そこに住んでいる人たちの顔に絶望感はなかった。
この苦難を耐えれば、必ず望んだ幸せが手に入る。
みんなが、そんな顔をしていた。
「それで、そのシエルサーラさんって人は、ここにいるのか?」
人混みを進みながら、カイルがミアにそれを聞く。ミーファの弟子ということで、ミアとは多少なりだが面識がある。
ミーファから受け取った紹介状を頼りに、ゼロたちは直接シエルサーラに会おうと、ここにやって来たのだった。
「さあね。実際に会ってみないと、それはわかんないわよ。あっちは国の軍隊を指揮するほどのお偉いさんなんだから、用事でどこかにいっててもおかしくはないでしょ」
「それもそうだ。じゃあ、もしもいなかったらどうするんだ?」
「そんなのアタシは知らないわよ。アタシの役目はアンタたちのお守りであって、シエルサーラに会わせることじゃないんだから」
「それはわかってるけど……だからって、そんなツンツンした言い方しなくてもいいだろ」
「うっさいわね。これでも優しく言ってあげてるんだから。文句があるんだったらこの場で見捨ててやるわよ」
「やれやれ」
ゼロのほうを向き、カイルがジェスチャーを送ってくる。
目が合うと、カイルは意味深な顔で笑いかけてきた。
「無理やり用意した格好だけど、案外似合ってるな」
カイルが言ったのは、ゼロの服装についてだった。
今まで着ていた村人のような服で、軍を率いる将軍に会うのは失礼にあたる。というわけでゼロは、途中の街で急遽用意した冒険者用の服に衣装をチェンジしていた。
青を基調とした全身を覆う服で、安値で勝った物ではあるが、腰には一応剣を装備している。長旅において色々と便利だというカイルのアドバイスもあり、冒険者服の上にはマントを纏っていた。
「そうやって服装を変えたことで、何か思い出したんじゃないのか?」
ゼロはゆっくりと首を横に振った。
「いや。僕も何か感じることがあるかもしれないと思ったけど……そういうことは、特に何も」
「そっか。だったらゼロは、そういう服を着て冒険をする冒険者じゃなかったっていうことだな。もしかしたら、どっかの国の王子様だったのかもしれないけど……そうだったらどうする?」
「さあ? 特に思うことは何もないけど」
「ははっ。お前らしい答えだな」
そうやってカイルとのんきな会話をしていると、前を歩くミアが顔だけをこちらに向け、面倒くさそうに声をかけてきた。
「いつまで話してんのよ。ほら。そろそろ難民のキャンプから軍の陣営に入るわよ」
ミアが言ったとおり、歩を進めていくことで、平民と思える人間たちの姿が辺りから消える。
その先に見えるのは、鎧を身に纏い槍を持った、兵隊と思わしき人間たちの姿だ。
「こっから先は軍隊の領域だから……変な態度取ってたらすぐに捕まっちゃうわよ。そうなっても助けてあげないから。せいぜい気をつけることね」
「ああ。それは覚悟してるけど……そういうことでいったら、俺たちよりもミアのほうが色々と問題なんじゃないのか?」
「はぁッ? どういうことよ? アタシみたいな美少女が、何で捕まらないといけないのよ。どう考えたって、捕まるとしたらアンタたちのほうでしょ。タコみたいな顔して剣を持ち歩いて……どこからどう見たって怪しさ全開の不審者じゃない」
「ほら。そうやって大声出して騒いでると……」
「何よッ。言いたいことがあるんだったらはっきり言えば……」
後ろ歩きという体勢で、血気盛んに文句を言っていたミアの言葉が突然止まる。
理由は、鎧を身に纏った兵士がミアの首根っこをがっちりと掴んだからだ。
「……何よ。いきなり女の子の首なんて掴んで……文句があるんだったらやって……あッ、こらッ。どこに連れていくのよ? このタコッ。放しなさいよッ。この辺り一帯焼き尽くしちゃうわよッ。こらぁーッ」
首根っこを掴まれたミアは、まるで悪戯猫のように騒ぎまくりながら、兵士によって陣営の中へと連れていかれるのだった。
「あーあ。ミアの奴、騒いでたから問答無用で捕まっちゃったぞ。どうするゼロ。このまま見捨てるか?」
「カイルがそれでいいと言うんだったら、僕はそれで構わないけど」
「相変わらず真面目だな、お前は……冗談だよ。たぶん中で怒られてるんだろうから、助けにいくぞ」
「わかった」
ゼロとカイルの二人は、一足先に移動……いや、連行されたミアに続き、軍の陣営へと進んでいくのだった。
その女性には、圧倒的なオーラがあった。
端麗な容姿と、知能が高そうな落ち着いた雰囲気。周りの兵士と同じように軍服を着ているのだが、彼女の服は明らかに格が違う。
男性と同じズボン姿。生地が厚い服だが、細く引き締まった身体のラインが見事に浮かび上がっている。野暮な金属などは身につけていない。そのまま歌劇の舞台に立てそうな、豪壮で美しく、知的な雰囲気漂う美麗な服装。
髪は長く、後ろ髪は腰の辺りまで伸びている。前髪は左半分だけが長く、前髪によって左目が絶妙に隠されていた。
見つめる視線は剣のように鋭い。だが、その目で見つめられても嫌な気分はしない。
軍を率いる者としての、揺ぎ無き絶対の決意。
そんな光を宿した瞳だった。
神官騎士シエルサーラ。
この国最高の戦士にして将軍職も兼任する女性が、今、ゼロたちの目の前に立っている。
「私に会わせろと騒がしいから誰かと思えば……ミアじゃないか。急にこんな前線にまで来て、いったい何の用だ?」
ミアはムスッとした顔をしている。
理由は、さっきまで兵士の一人と壮絶な口喧嘩をしていたからだ。
不審者として捕まったミア。「シエルサーラに会わせろ」。「会わせない」の言い争いは、兵士数人が集まってくるほどの大騒動になった。
しかしその騒ぎのおかげで、シエルサーラ本人の耳にこの件が届き、ゼロたちは彼女と会えることになったのだった。
「せっかく来てやったのに……何なのよッ、ここのタコ兵士たちはッ。お客様であるアタシに対してあの態度って……教育がなってないんじゃないのッ」
まるでクレーマーのように、何一つ恥じることなくミアが文句を言う。
受けたシエルサーラは、優雅な態度をまったく崩すことなく答えた。
「今は有事だ。権利が限定され、軍人が強硬な態度を取るのは当然のことだろう。私に言わせれば、そんな風に騒いでおきながら、口頭での注意だけで済ませた部下のほうがよっぽど立派だ」
「ああそうですか。何よッ。お婆ちゃんの使いでわざわざ来てやったっていうのに……もう少し優しいことは言えないの?」
「お前を甘やかす必要はないというのが、ミーファ様の教えだ。それで、使いとしてやって来た理由はなんだ? お前が大好きなタコ料理を食べさせろと言うのであれば、悪いが今はそんな余裕はないぞ」
「そんなんじゃないわよ。ほらっ」
ミアがローブの内側から手紙を取り出す。シエルサーラはそれを受け取ると、一度だけゼロたちのほうに視線を送り、無言でミーファからの手紙を読み始めた。
「何が書いてあるのか知らないけど……アタシたちが不審者じゃないってことが、それでわかったでしょ? だったらもう少しマシな扱いをしてよね。こっちはお婆ちゃん直々のお客様なんだから」
ミアはえっへんといった態度で胸を張った。今まで粗末に扱われた分を、これから取り戻そうという考えなのだろう。
「なあミア。ミーファさんからの手紙だけど……あれって何が書いてあるんだ?」
カイルがそれを尋ねる。ミアは「さあっ」というジェスチャーを交えて答えた。
「知らないわよ。お婆ちゃんは『渡せ』っていうだけで、用件のことは何も言わなかったもの。だけどまあ、大丈夫なんじゃないの? お婆ちゃんにすれば、私は目の中に入れても痛くないくらいの可愛い孫だもの。きっと、『宝石のように大事に扱え』とか書いてあると思うわよ」
「お前を目に入れたら、失明どころか頭蓋骨を破壊されそうな気がするが……」
「うっさいわね。そんなこと言ってたら、アタシのオマケとしていい思いさせてやらないわよ」
カイルとミアのやり取りが終わるのとほぼ同じタイミングで、シエルサーラはミーファからの手紙を読み終わった。
手紙を服のポケットへと仕舞い込み、ひと際鋭い視線でゼロたちのことを見てくる。
「用件はわかった。これからお前たち三人は、傭兵として私の指揮下に入ってもらうこととなった」
「ねっ。思ったとおりの特別扱いでしょ…………って、はあぁぁぁッ?」
「言ったとおりだ。お前たち三人は私直属の部下として、私の下で働いてもらう。目的は我が国、アルド王国に現存する死水晶の破壊。任務としては極めて危険で過酷なものになるだろうから、決して気を抜かず、自らの使命に集中することだな」
淡々と告げるシエルサーラに、当然のようにミアが噛みつく。
「ちょっと待ちなさいよッ。何でアタシがアンタの子分にならないといけないのよッ。第一アタシは、このタコ二人のお守りとしてここに来たのよ。軍人になるつもりなんてなければ、死水晶の破壊なんて危ないことするつもりもないんだからねッ」
シエルサーラの瞳がキラリと光る。
サッと動いてミアの後ろにまわり込むと、シエルサーラは思いっ切りミアのお尻を蹴り上げた。
「きゃんッ」
目を丸くしてミアが飛び上がる。その威力は相当だったのだろう。フラフラと歩くと、ミアはすがるようにしてカイルの身体に抱きついた。
「だ、大丈夫か?」
「見たらわかるでしょ? だ、大丈夫じゃないわよ……」
「お尻、痛ーい」と言いだしそうな顔は、ゼロたちが初めて見るミアの弱々しい姿だった。
「言っておく。今後私が言うことは、お願いではなく命令だ。議論の余地は一切ないと思え。文句があるのであれば……今のように力でいくことになるからな」
「だ、だから、何でそうなるのよ? さっきも言ったでしょ。アタシはお婆ちゃんの使いとして、この二人のお守りをしてるだけだって…………?」
シエルサーラがミーファの手紙を差し出す。そこに書かれている文字を、ミアが顔を近づけ音読する。
「『その三人はポンコツなので、あなたのもとで鍛えてあげてください。特にミアはアンポンタンなところがあるヘッポコピーな魔導士なので、優秀な魔導士になるようしっかりと教育してあげてね。文句を言ったらお尻を蹴り上げてください。そうすれば、黙っていうことを聞くようになると思います。それでは、色々と大変でしょうが、シエルサーラも頑張りなさいね。あなたの師匠にして、偉大過ぎる大賢者様。ミーファより』」
読み上げたミアは、ワナワナと肩を震わせていた。
「な、な、な…………あのババアッ。話が違うじゃないッ」
「面倒を見てくれたミーファ様に対して、その口の利き方は何だ?」
「何だもクソもないわよッ。アタシはそんなこと全然聞いてないんだからね。もういいッ。帰るッ。帰ってあのババアに、毒入りのお饅頭食べさせてやるんだからッ」
お尻のダメージが抜けたミアが、プンスカ怒りながらその場を立ち去ろうとする。
「ミア」
「何よ? 言っとくけど、お婆ちゃんの手紙に何て書いてあろうが、アタシには全然関係ないから。それでも止めるっていうんだったら、アタシだって力づくで…………へっ?」
素っ頓狂なミアの声。そんな声が漏れた理由は、突然目の前に現れたものに度肝を抜かれたからだろう。
「ふぎゃぁぁぁ」
それはシエルサーラのお尻だった。お尻キックに続きシエルサーラが行ったお仕置きは、自らのお尻を使ってのヒップアタックだった。
顔面にヒップアタックを受けたミアが無残にも吹っ飛ばされる。
華麗に着地を決めると、シエルサーラは今までと同じ優雅な態度で堂々と地面に立った。
その顔に、ヒップアタックというお茶目な攻撃をしたという気恥ずかしさは欠片も感じられない。
「言ったとおりだ。お前たちに拒否権はない。それに……今ここで逃げたところで、逃げ場などどこにもないだろう? 放っておけば魔王軍の侵略がこの世界全体に及ぶ。それを座して待つか? 危険を承知で前に進むか? 悩むまでもない問題だろう……で、いつまでそこでお尻を突き出して寝てるつもりだ? ミア」
ヒップアタックを受けたミアが、お尻を突き出す格好で無様にダウンしている。
「だ、誰のせいでこうなったと思ってるのよ。そもそも……神官騎士とかいってるくせして、何でお尻で攻撃してくるのよ?」
「ふっ。私はこう見えてもお茶目なんだ。よかったな、私がお茶目で。そうでなければ、普通に暴力を振るわれているところだったぞ」
「うぅ……あのお婆ちゃんが自慢に思う弟子だってこと、すっかり忘れてた」
シエルサーラの鋭い視線が、黙ってやり取りを見ていたゼロたちを射抜く。
お茶目な性格だとしても、その瞳に宿る覚悟と力強さは本物だ。
「わかったら素直に私の指示に従うことだな。ちょうど兵が足りずに困っていたんだ。お前たちのような冒険者でも、貴重な戦力になる……というわけで、ミアのほかに、私の躾を受けたい者はいるか?」
カイルがこちらを見てくる。ゼロとしたら、返す言葉は何もない。
「ならばそういうことだ。適時がきたら指示を出す。それまでは、足手まといにならぬよう身体を休めておけ。以上」
颯爽と振り返ると、シエルサーラは最も大きな営舎に向かって歩き始めた。
ノロノロと、恨みのオーラを発しながらミアが立ち上がってくる。
「まったくもう……何でこうなるのよ」
「まあそんなに怒るなよ。あの人の言うとおり、逃げたところで魔王軍が追ってきて、最後は捕まってやられちゃうだけだろ? だったらどこかで踏み止まって、覚悟を決めて戦わないとな」
「だからって、何で軍人にならないといけないのよ?」
「経験が積めるんだったら、別にどこでもいいだろ? な、ゼロ」
「さあ? 僕にはよくわからないな」
ゼロには目指すべき目的地というものがなかった。
だから大した抵抗も見せず、流れに身を任せるだけだった。
「ハァー。んで、めでたく軍隊の駒としてこき使われるようになったけど……これからどうすんのよ? 本気で死水晶を破壊していって、最後は魔王なんてイカれた化け物をやっつけるつもりなの?」
三人に用意された宿舎のテント。ミアがつまらなそうな顔で、これからのことを聞いてくる。
「俺はそうするつもりだけど……ミアは嫌なのか?」
「そりゃあ、魔王なんてふざけた奴に世界を支配されるのは嫌だけど……現実として、問題が大きすぎるのよ。何の実績もないアタシたちが思いつきで倒しにいって、簡単に倒せるほど魔王はショボい存在じゃないんでしょ? 良くて魔王の近く……悪くてその辺で誰かにやられて、あっさりと死んじゃうのがオチよ」
「そんな後ろ向きなこと言うなよ。俺はともかく、ミアは賢者の血を引く天才魔導士なんだろ?」
「だからこそ正確な分析を言ってあげてるのよ。で、ゼロはどう思うの? このまま軍人として魔王と戦って、儚く人生を終えるつもり?」
「僕? 僕は……」
その問いに対する答えを、何度か考えたことがある。だけど、自分自身を納得させられる答えに出会えたことは一度もない。
どこに行き、何をすることが最も正しいのか?
記憶を失い、自分の存在意義すらもわからない今の状態でその答えを出すことは、どう頑張ってもできないことだった。
「まあ、アンタはとりあえず記憶を取り戻すことが先でしょうね。じゃないと世界の危機や魔王だって言われたところで、『僕には関係ないや』ってことになっちゃうでしょうから」
「そう……なんだろうな。僕もそう思うよ」
煮え切らない態度のゼロを見て、ミアが「やれやれ」といった表情を浮かべる。
そんなミアに、今度はゼロが質問をする。
「ミアはどうするんだ? 本当に嫌なのであれば、無理に僕たちに付き合う必要はないと思うけど」
「そうね。それだったらそのうち決めるわよ。今はとりあえず……家に近いからって理由で、この国にある死水晶の破壊に協力してあげるわよ」
一番乗り気ではないミアがそう言ったことで、カイルが表情を明るくする。
「よしっ。それじゃあらためて、俺たち三人仲間として頑張っていくことにしよう。まずは、みんなで手を合わせての掛け声だ」
カイルが手を差し出す。意味がわからず見ていると、カイルが呆れた顔で言った。
「何してるんだよ。仲間がこうやったら手を出したら、何も言わずに黙って手を重ねるんだよ。ほらっ」
腕を掴まれ、カイルの手の上に半ば無理やり手を置かされる。
「ほらっ。ミアも」
「アタシはパス。そういう男くさい友情ごっこは、二人だけでやってよね」
「そんなこと言うなよ。タコが買える街にいったら、タコ料理奢ってやるからさ」
「……ったく。仕方ないわね」
ゼロの手の上に、ミアが人差し指だけをそっと乗せてくる。
「ほんと、素直じゃないな」
「アタシは充分素直よ」
「じゃあそれでいいよ。よしッ。俺たち三人、これから魔王を倒すために、力を合わせて頑張るぞッ。おーッッ」
「おー」
棒読みと呼べるミアの掛け声。ゼロは少し途惑いながら、遅れて「おー」と声を上げた。
カイルは満足そうな顔をし、ミアはどことなく呆れている。そんな二人の姿を見ていると、ゼロは少しだけ心がざわめいたような気がした。
突然。何の予告もなく、巨大な衝撃音が聞こえてきた。
「うわぁッ。何だ何だ何だッ?」
カイルの声に合わせて、テントが揺れる。
何らかの異変が起こったのは、間違いないようだった。
「ったく。何か面倒くさいことが起こったみたいね……ほらっ。こんなテントの中で死にたくなかったら、さっさと外に出るわよ」
ミアは杖を、カイルは剣を持ち、テントを出ていく。ゼロも同じく剣を持ち、テントを出て衝撃音がしたほうへと向かった。
外に出ると、難民や兵士が混乱した様子で駆け回っている光景が目に入ってきた。
難民は特定の方向へと逃げ、兵士は逆に、難民が避けようとしている方向へと向かっていく。その流れから、この騒動の原因がどこにあるのかがわかった。
「どうやらあっちのほうで、誰かが何かやってるみたいね。それでどうすんの? アタシは正直そんなに乗り気じゃないけど……いくの?」
「当然だろ。ここで逃げたら、男じゃないぜ」
「アタシは女なんだけど……」
「中身は男みたいなもんだろ。よし、それじゃいこう」
「ちょっと待ちなさいよ。中身は男ってどういう意味よッ」
ミアの扱いに慣れ始めたカイルは、ミアの怒りを無視して兵士が向かっていくほうへと走り出す。
「もうッ。あとで覚えてなさいよッ。このタコッ」
二人に続き、ゼロも騒動の原因へと向かっていった。
「思ったよりは早かったな。だが、まだまだ全然遅い。危機が訪れたのであれば、最悪を想定してできる限りの速さで対応しろ。それができないと、相手に延々とペースに握られることになるぞ」
途中、兵士に呼ばれたゼロたちは、小高い丘の上で戦況を観察していたシエルサーラのもとへとやってきた。
そこに立ち、シエルサーラが見ている方向を見ることで、騒動の原因を確認することができた。
「あれは……」
知識がないゼロは、素直に疑問の言葉を口にする。同じ方向を見ながら、カイルがその問いに答えてくれた。
「あれが魔王軍だよ、ゼロ。死水晶の力で生み出された怪物たちの群れで……人間を見れば考えなしで襲いかかってくる、最悪な連中さ」
それは、カイルが言ったとおり怪物の群れだった。
盾と槍を持った銀色の全身鎧。人間と同じくらいの背格好だが、人間味のようなものは一切感じない。ざっと見るだけそれが数百人。横並びでこちらに向かってきている。
難民がキャンプを作るような地形なので、その進軍を遮るものは何もない。
顔と素肌が見える鎧を着たアルド王国の兵士たちが、陣形を組んでその進軍に立ち向かっている。だが当然、そのすべてを押し返すことは不可能だ。
兵士との衝突を免れた鎧騎士たちが横を抜け、逃げ遅れた難民たちのキャンプを襲っていた。
「チッ。どうやら奴らの狙いは私たちではなく、難民のようだな」
不快そうに呟くシエルサーラ。その真意をカイルが問う。
「どういうことです? アイツには何か、難民を狙う理由があるんですか?」
「難民自体が目的ではない。奴らは難民を狙うことで、こちらの戦力を分断するつもりなのだ。軍人である以上、民間人を見捨てるわけにはいくまい。そうやって足手まといである難民をわざと狙うことで、こちらの戦力を意図的に散らそうとしているんだ」
「何よそれッ。そんなの卑怯じゃない。魔王軍なんて偉そうなこといってるんだから、弱い奴なんて狙わないで堂々と来なさいよねッ」
「それが戦争というものだ。奴らは壊滅した街の住人たちをわざと見逃した。私たちの本来の役目は死水晶の破壊だが、難民がいるとなれば見捨てるわけにはいかん。罠だとわかっていても、私たちは難民の面倒を見ることになったというわけだ」
「それじゃあどうするんですか? このまま難民の人たちを護って、アイツらを追い返すんですか?」
「ああ、まずはそれが最優先事項だ。お前たちは軍の後ろで、混戦を抜けてきた雑魚どもの相手をしろ。優先すべきは自分と難民の命だ。いいか。決して無理をして、敵を駆逐しようなどと考えるな。状況が落ち着いたら私も前に出る。それまで持ちこたえてくれたらそれでいい」
「アタシたちに時間稼ぎをしろっていうわけね……もうッ。何だか本当に軍人になっちゃったみたいじゃないッ」
「文句言うなって。ミアだってこのまま、みんなを見捨てて逃げるつもりはないんだろ?」
「それはまあそうだけど……」
「それじゃあいくぞ。俺たちの初陣だ」
「誰かがあっさり死ななかったらいいけどね」
「縁起でもないこと言うなって。いくぞッ」
先頭をカイルが走る。その後ろにゼロが続き、最後尾としてミアがついていく。
「ミーファ様が私に託した三人。どの程度のものか、しっかりと見定めさせてもらうぞ」
ゼロとしては初めてとなる本格的な戦闘。恐怖も高揚もない。ただ、自分に与えられた仕事を淡々とこなす。それだけの気持ちだった。