1「偉大なる賢者」
1「偉大なる賢者」
「……というわけで、魔王を倒しにいった勇者レヴィンは、結局帰ってこなかったんだ。そのあと魔王がいっきに勢力を拡大したことから、勇者レヴィンは魔王にやられて死んじゃったんだって、みんなが言うようになったんだけど……俺はそう思ってない。残念ながら力及ばず、そのときは負けたのかもしれないけど、きっと今もどこかで勇者レヴィンは生きてるはずだ。それですっごい修行でもして、もう一度魔王に挑んで、今度こそ俺たち人間をこの窮地から救ってくれるはずなんだ。みんなはくだらない夢物語だって言うけど、少なくとも俺と、勇者レヴィンを信じてる人たちはそう思ってるんだ」
英雄譚を語る子供のように純粋な顔で、カイルはそう言った。
その横をゼロは顔色を変えずに歩いている。
ゼロとすれば勇者レヴィンの話よりも、なぜカイルがそうも感情豊かにそんな話をするのか? そっちのほうが気になった。
「キミはその、レヴィンって人に会ったことがあるのか?」
「俺か? 俺は勇者レヴィンに会ったことは一度もないけど……俺みたいに魔王を倒そうと思って旅をしてる人間にしたら、勇者レヴィンの名前は絶対の憧れだからな。ゼロには、そういう憧れてる人はいないのか?」
「憧れ?」
カイルに促され、ゼロはそれを考えてみた。しかし人物名が思いつくどころか、「憧れ」という単語にすらピンとくることはなかった。
「……わからない。憧れって言われても、誰かの名前どころか、顔すらも思い浮かばないんだ」
「そっか……でもまあ、仕方ないよな。ゼロは記憶喪失なんだから、憧れてる人の名前なんて言われても、急に思いつくわけないよな。第一、ゼロは人の名前どころから、今の世界の状況、さらには勇者レヴィンっていう存在すら忘れてたんだから。人の名前なんて、憶えてなくて当然だよ」
カイルの表情から、心配されているということがわかった。
初対面の自分に対し、どうしてそうも親身になれるのか? ゼロにすれば、それすらも理解しがたい不思議なことに思えた。
「……どうしてキミは、僕のことをそうも心配してくれるんだ? キミにすれば、僕は名前以外何もわからない、正体不明な存在だというのに……」
「うん? 何言ってるんだよ。そんなの決まってるだろ」
それが当然だと言わんばかりの顔で、カイルが胸を張って堂々と答える。
「困ってる人や、弱い人がいたら助けてあげる。そんなの、人間として当然のことだろ」
大きく感情が動いたということはない。だけど水に浮かんだ波紋のように、その言葉は確かに、ゼロの心を小さくざわめかせた。
「そうなのか……すまない。今の僕は、そう言われてもあまりピンとこないんだ」
「気にするなよ。記憶なんて、普通に生きてたらいつか戻るって。それより、今の世界の状況について、どこまで話したっけ?」
「勇者レヴィンは魔王に負けたけど、どこかで生きていて、いつか必ず復活するってキミは信じてる。そこまで話したと思うけど」
「そうか。それじゃあ次は、今の世界の現状について教えてやるよ。今この世界には、七つの『死水晶』と呼ばれる物が存在してるんだ」
「死水晶?」
「ああ。魔王オルディバレムが世界各国に置いた物で……わかりやすく言うと、すっげえでっかいクリスタルっていう感じの物だ。死水晶には、周りの大地を徐々に腐らせていくっていう力があって、そのままにしておくと、そのうちその周辺は人間どころか、生き物すら生きていけない死の大地に変わっちまう。俺たち人間から生きていく場所を奪うために魔王が仕掛けてきた、えげつない攻撃方法っていうわけだよ」
「その、死水晶っていうのは、壊すことはできないのか?」
「さあな。世界に仕掛けられた死水晶は全部で七つ。今のところ、そのどれかが破壊されたっていう話は聞いたことないな。一応各国の軍隊も、死水晶を破壊しようと行動してるみたいなんだけど……邪魔が入って、全部失敗に終わってるみたいなんだ」
「邪魔?」
「ああ。当然のように、魔王率いる魔族の軍隊が、死水晶の破壊を邪魔するんだよ。さっきゼロが倒した、黒い鎧の化け物もその一つだよ。あんな感じの化け物が、死水晶の周りにはウジャウジャいて、近づく生き物を全部殺しちまうんだ。だから誰も死水晶には近づくことができなくて……今は好き勝手に、大地が攻撃され続けてるっていうわけなんだ」
「そうか……大変な状態なんだな」
「ああ。死水晶が世界に置かれたのが、今から一年前。ちょうど、勇者レヴィンが行方不明になった頃だ。今はまだ他人事で済んでるけど、誰かが魔王を倒して死水晶を破壊しないと……そのうち、すべての大地が腐って死んでしまう。そうなったらもう終わりだ。この世界から人間はいなくなり、魔族が支配する暗黒の歴史が始まるっていうわけだよ」
「キミは、それを防ぐために旅をしてるっていうわけなんだな?」
「ああ。このままジッとしてたところで、何かが変わるってことはない。だったら俺も剣士なんだ。死水晶を壊し、世界を救うために何かできることを探そう……そう思って旅に出たっていうわけだよ」
「それで、その『何か』は見つかったのか?」
「それは……まだ探してる途中だよ」
若干、カイルは恥ずかしそうだった。きっと口だけで、何の結果も出せていないことを恥ずかしく思っているのだろう。
「だけど、当てがないってわけじゃないぜ。今俺たちが向かってるのは、賢者って呼ばれるくらいすげえ人の所で……その人だったらきっと、俺たちがどうすればいいのか教えてくれるはずだからな」
「賢者……」
そんな話をしながら、ゼロとカイルは山間の道を進んでいた。ゼロにすれば、それについていく義理や理由は一つもない。
だが、記憶を失い、ほかにやるべきこともなかったので――ゼロはカイルと共に、賢者と呼ばれる人物のもとへと向かうことにしたのだった。
辺り一面の大草原。牛や羊が放し飼いにされていてもおかしくないくらいに、青々とした爽快な景色が目の前に広がっている。
そんな大草原を抜けた先。森へと繋がる入り口のような場所に、その家はあった。
ひと際巨大な大木に、寄り添うようにして建てられた木造の家。
いわゆるツリーハウスと呼ばれる住居を、ゼロとカイルは並んで見上げていた。
「ほえー。何か、いかにも賢者って人が住んでそうな感じの家だな。何だか緊張してきちゃったけど……ゼロは大丈夫か?」
「僕? 僕だったら別に、何も感じないけど」
「そうか。記憶喪失でよかったな。俺はもう、緊張してばっかりだよ。うぅ……賢者って呼ばれてる人が怖い人だったらどうしよう? いきなり攻撃魔法くらって、ボロボロにされて追い返されるってことはないよな?」
「さあ。それは相手の出方次第なんじゃないのか?」
「落ち着いた感じで答えてくれちゃって。お前は大物になるよ。ゼロ」
ゼロとの会話で落ち着きを取り戻したのだろう。カイルは一度大きく深呼吸をすると、意を決したような顔でツリーハウスを見上げた。
「よし。どうなるかわからないけど……とりあえずいってみるか」
カイルが家へと繋がる階段に足をかける。ゼロは黙って、そのあとに続こうとした。
そのとき。
「何か用?」
女――正確にいうと、少女の声が聞こえてきた。
「おっ。あぁ……ええっと、こんにちは」
カイルが礼儀正しく頭を下げる。ゼロは何も言わず、少女の姿を見つめた。
十代半ばといった感じの小柄で可愛らしい見た目の少女。フード付きのローブを着ており、特別派手という印象は受けない。
長い髪は二つに纏められ、いわゆるツインテールという髪型をしている。
表情は厳しく、切れ長の大きな瞳が、刺すような鋭さでこちらの様子を窺っている。
隠すことなく、警戒心を剥き出しにした立ち姿。こちらの対応次第で、容赦なく攻撃してきそうな雰囲気だ。
ゼロはその空気に合わせるように、拳を握り締めた。
一瞬即発の空気。
打ち砕いたのは、ゼロよりも社交性に優れたカイルだった。
「俺たち、賢者って呼ばれてる凄い人に会いに来たんだけど……お嬢さんは?」
「誰よ? お嬢さんって」
「そんなの決まってるじゃない。キミ…………ぎゃぁぁぁッ」
カイルに向かって火の玉が撃ち出される。それはお嬢さんと呼ばれた少女が、カイルに向かって放った魔法だった。
「い、いきなり何すんだよッ」
「お嬢さんなんてふざけた呼び方するからよ。アタシの名前はミア。見たところ、同じくらいの歳なんだから……下に見たような呼び方はやめてよね」
「そっか。それだったら謝るけど……それならそれで、口で言ってくれれば充分わかると思うんだけど」
「あぁッ。何よ、文句あんの?」
「いいや別にないけど……」
カイルが耳元に顔を寄せ、ミアと名乗った少女には聞こえないように呟く。
「おいゼロ。どうやら俺たちは歓迎されてないみたいだぞ」
「そうみたいだな。で、どうする? あの子を倒すのか?」
「……お前はお前で、考え方が野蛮だな。そうじゃなくて、俺たちは賢者って人から話を聞くためにここに来たんだ。だから戦うなんて考えないで、あくまでも話し合いで解決しようとするんだぞ」
「わかった。キミがそう言うのなら、そういうことにするよ」
握り締めた拳を開く。
カイルがいなければ、ゼロは間違いなく少女の攻撃に対し反撃を行っただろう。
「それでお嬢さ……じゃなかった。ミア……さん? 俺たち、賢者って呼ばれてる人に会いに来たんだけど、その人の家ってここで間違い…………ぎゃぁぁぁぁッ」
再び火の玉が、カイルに向かって撃ち出される。戦闘は禁止だと言われたので、ゼロは黙ってその様子を見ていた。
「何すんだよッ? 普通に聞いたんだから普通に答えろよッ」
「ふん。顔が気に入らなかったのよ。文句があるんだったら帰っていいのよ。ここはアタシとお婆ちゃんの家なんだから。呼ばれてもない部外者が、とやかく文句を言う権利なんてないんだからねッ」
「横暴。ワガママ。気が強いというより性格が悪い……こんな子がいるところに、本当に賢者なんて人がいるのか?」
「いい度胸じゃない。ボロクズにされて追い返されたいなら、望みどおりにしてあげるわよ」
ミアが両手を構え、攻撃魔法を放つための準備をする。
「あらぁーッ。心の声が漏れちゃってたッ」
素早く逃げ出し、物陰に身を隠すカイル。助ける必要はなさそうなので、ゼロは黙って様子を窺い続けることにした。
「やめなさい。ミア。その人たちはお客様なんだから、あまり手荒に扱っては駄目よ」
階段の上から、落ち着いた感じの女性の声が聞こえる。
見上げた先にいたのは、小さな身体をした可愛らしい見た目の老婆だった。
少し曲がった背中。長い髪を、頭の上で一纏めにしている。身体は細く、強い力を受けたら驚くほどあっさりと折れてしまいそうだ。
だけど確かに、その老婆からは威厳と余裕が感じられた。
見た目ではない。
この人は格上の存在なんだと思ってしまう何かを、その老婆は身に纏っていた。
「お婆ちゃん……わざわざ出てこなくてもいいわよ。こいつらは呼んでもない客なんだから、追い返したところで何も問題なんてないでしょ?」
依然としてミアは攻撃的だった。
そんなミアを、老婆は優しい口調でなだめる……。
「……それもそうね。だったら適当に痛めつけて、その辺に捨てておきなさい」
……ということはなかった。
同じような顔で、老婆とミアは意地悪く微笑んでいる。どうやらこの二人は、間違いなく血が繋がっているようだ。
「だぁぁぁッ。ちょっと待ってくださいよッ。俺たちは話がしたくてここに来ただけで、決して怪しい者じゃないんですッ。なっ。そうなんだから、ゼロも何か言ってやってくれよ」
「あっちが話をしたくないと言うんだったら、僕たちが何を言っても無駄なんじゃないのか? それに、呼ばれてない客というのは事実なんだ。だったら無理に何かをするよりも、黙って引き下がったほうがいいと僕は思うけど」
「あら? ゼロっては無駄に聞き訳がいいんだな……でも、ゼロが言ってることも間違ってはないよな。いきなりやって来て話をさせろなんて言われても、相手にしたらいい迷惑だろうから……わかったよ」
上を見上げ、姿を現した老婆にカイルが告げる。
「いきなりやって来てすみませんでした。今日のところは一旦出直します。明日また来ますので、もしもお邪魔じゃなければ、そのときにでもお話を……」
「いいわよ」
「え?」
「我を通さず、こちらの都合を優先しようというあなたたちの姿勢を評価しましょう。話をする程度でよければ、相手をしてあげるわ。ミア。そういうわけだから、あなたも上がってきなさい。久しぶりのお客様なんだから、お茶の一杯でも出してあげなさい」
「何でアタシが……」
「ミア」
「わかったわよ。このスカポンたちにお茶を出してあげたらいいんでしょ。ったく……」
言われたミアが階段を駆け上がっていく。途中振り返ると、ゼロとカイルに向かって言った。
「何してんのよ。あのお婆ちゃんが話を聞いてあげるって言ってるんだから、アンタたちもさっさと来なさいよね」
そう言うと、こちらのことを一切気遣うことなく、ミアは家へと入っていった。
「……押しても駄目なら引いてみろ。そういうことみたいだけど……ゼロはどう思う?」
「カイルが言ったとおり、性格が悪いってことなんじゃないのか」
「あぁーッ、バカッ。変なこと言うなよ。また機嫌を損ねたらどうするんだよッ」
ここに来る前とは違うタイプの緊張感を抱くカイルとは対照的に、ゼロは特に何も感じることなく、賢者と呼ばれる人物の家へと足を踏み入れるのだった。
「はい。飲んだら一時間で喉が焼けて、もがき苦しんで死んでいくことになる毒をたっぷりと入れてあるお茶だから。気を遣わないで美味しく飲んでよね」
「はぁ……それはどうも。ありがとうございます」
ミアがお茶を出し、恐縮した様子でカイルが答える。
テーブルに置かれた二つのお茶。ゼロは何も考えることなく、揺れる水面を黙って見つめていた。
「それで、お話というのは何かしら?」
声に反応して顔を上げる。話し出したのは、カイルだった。
「ええっと、それじゃあまずは自己紹介から。俺はカイルでこっちはゼロ。俺たちは……っていうか俺は、魔王を倒すために旅をしてて、何か魔王を倒すためのいい方法はないかと思って、ここに来たわけです」
「魔王オルディバレムを倒す方法。それを、賢者と呼ばれる私が知っているのであれば、是非とも聞かせてもらいたい。そう思って、ここに来たというわけですね?」
「はい。理解が早くて助かります。人に教えてもらってどうにかなるってものじゃないのはわかってますけど……やっぱり、こういうことは詳しいそうな人に聞くのが一番だと思って」
「なるほど。教えを乞うために素直に頭を下げる。そういう姿勢は嫌いじゃないわ」
「そうですか。それじゃあ……」
「だけど残念ながら、私から教えてあげられることは何もないわ。魔王オルディバレム。人類の敵と呼ばれるほどに邪悪で強大な者を簡単に倒す術など、私でなくても、誰も知らないことでしょうから」
「そう……ですか。まあ確かにそうですよね。そんなことを知ってたら、今頃魔王軍に命を狙われて、こんな所で普通に生活なんてできるわけないですもんね」
「はぁっ。『こんな所』ってどういう意味よ?」
噛みついてきたのはミアだ。離れた椅子に座り、脚を組んだ状態でカイルのことを攻撃的な視線で見ている。
「別に悪い意味で言ったわけじゃないって。『こんな平和な場所で』っていう感じで言ったんだから、そんなに怒らないでくれよ」
「ふんッ。誤解されるような言い方をするアンタが悪いのよ。それに言っとくけど、アンタたちみたいに『魔王の倒し方を教えてくれ』なんてふざけた質問をしに来たのは、アンタたちを入れて今月でもう六人目なの。その前も入れたら、今年だけで十人以上の人間が同じようなことを聞きに来て……こっちはもう、うんざりしてるのよ。賢者に聞けば何でもわかる。賢者に教えてもらえば、自分が少し偉くなったような気がする。そういう気軽な気持ちで聞きに来られても迷惑なのよ。お婆ちゃんだって、好きで賢者なんて呼ばれてるわけじゃないんだからねッ」
声自体は抑えている。だが、怒りの感情が入り混じっていることは一目瞭然だ。
祖母を心配しているのか?
同じ要件の客が何度も来ることに嫌気がさしているのか?
それとも、その両方か。
ミアの正確な気持ちはよくわからない。ただ、この状況を不快に感じていることは間違いない事実のようだ。
「そ、そうなんだ。それは何ていうか……ごめん。こっちも、誰に頼ったらいいのかよくわからないもんだったから」
「ふんッ。だったら早く用件を済ませて帰ってよね。こっちはもう……アンタたちみたいなのが来たっていうだけで迷惑なんだからッ。ふんッ。ターコッ」
怒った態度で立ち上がると、ミアは席を立ち奥の部屋へと向かった。荒々しく開けられた扉が、荒々しく閉められる。
バタンッという、強い音が室内にこだました。
「あのぅ……タコって、どういうことですか?」
「気にしないで。あの子はタコという言葉が好きなの。罵るほど嫌いではない。かといって、素直に笑顔を向ける気にはならない。そういう相手に対して、あの子はタコっていう言葉を使いたがるのよ。まあ、素直じゃないあの子なりの、精一杯の優しさだと思ってくれたらいいわ」
「そうですか。なんか……すみません。そちらの都合も考えずにやって来て、本当にご迷惑だったみたいですね」
カイルが申し訳なさそうに頭を下げる。一方的に怒りをぶつけられても、温和な態度を崩そうとしない。
本当に短い付き合いだが、ゼロはその姿を見てカイルらしいなと思った。
「謝る必要はないわ。この家にあなたたちを招き入れたのは私。あなたたちは許可を受けてここにいるわけだから、普通にしていなさい。むしろ、悪いのは客人に対して無礼な態度を取ったあの子のほうよ」
「ですが、そもそもの原因は俺たちがいきなり来たことですから……」
「ふふ。優しいのね。だったら、あの子のことは嫌いにならないでくれるかしら?」
「嫌いだなんてそんなッ。可愛いらしい子だと思いますよ…………ただ少し、気性が荒いみたいですけど……」
「そうね。女手一つで甘やかして育てたから、ああなったのかしら? 今では、もう少し厳しくしたらよかったと思ってるわ」
「あの……こんなことを聞くのは恐縮ですけど、あの子のご両親は?」
老婆は軽く目を閉じ、軽く息を吐いた。
「すでに亡くなっているわ。そういえば、私の自己紹介がまだだったわね。私の名前はミーファ。さっきの子、ミアは私の孫ということになるわね」
「そうですか。辛いことを聞いちゃったみたいで……ごめんなさい」
「気にすることはないわ。私はただ、事実を伝えただけだから」
ミーファと名乗った老婆が、視線を窓の外へと向ける。
透き通った青い空に、白い雲が浮かんでいた。
「あの子の母親は、本当に美人で賢くて性格が良くて、魔法の技術も素晴らしいもので、どこに出しても恥ずかしくない最高の……そう、世界最高の、無敵で素敵な最高の美女だったわ。だけど最後は病気であっけなく……ううっ。あんなにもいい子がどうして……神というものは、どうしてこうも無慈悲なのかしら……うぅっ」
悲しむミーファには聞こえないように、カイルがヒソヒソと囁いてくる。
「どうやら、身内には相当甘い人のようだな」
「そうなのか? 僕には、よくわからないけど」
「そうだよ。あのミアって子があんな風に育ったのも……今なら、少しだけわかるような気がする」
娘を思い出し泣いていた…………正確に言うと、泣いているフリをしているように見えたミーファが、再びこちらに視線を向けてくる。
「あの子は……ミアは、あなたたちのような人が来るのは迷惑だと言っていたけど、私はそう思ってないわ。むしろ、そうなるように仕組んだのは私なんですから」
「えっ? それってどういうことですか?」
「さっきミアが言っていたでしょう? 私は、好きで賢者と呼ばれているのではないと」
「はい。言ってましたけど……」
「あれは嘘よ。私は……好きで賢者と呼ばれたくて、そういう噂を辺り一帯にばら撒きまくったの。そうすれば、みんなが私に憧れてチヤホヤしてくれて、一生楽して生きていけると本気で思ったのよ」
「はぁ、そうなんですか……」
「だけどその考えは甘かったわ。賢者と呼ばれるようになった私を待っていたのは、後輩の育成や大きな問題への対処。さらにはしょうもない人間からの嫉妬と、相手をするのも面倒くさいと思うほどに大きな権力を持った連中との権力闘争……私はすべてが嫌になったわ。そして結果として、こんな場所に隠れ住むようになったというわけなのよ」
「……はぁ。それは大変でしたね」
賢者と呼ばれるには相応しくないほどに、適当な人間性。
カイルは若干呆れているようだ。
特に何も感じないゼロは、普通の顔でミーファの話を聞き続けた。
「それで過去の栄光の残り火のように、あなたたちのような人間がやってくるのだけど……まあそれも、暇潰しにはちょうどいいわ。それに魔王を倒す術を、まったく知らないというわけではないから……そういう人材を見つけるためにも、あなたたちのような人間の訪問は、無駄というわけではないのよ」
魔王を倒す術がある。
その言葉に、カイルが席を立って反応する。
「それってどういうことですか? 何かいい方法が…………ッッ」
不意に、窓の外から大きな音が聞こえてくる。
巨大な何かが動き出し、地面を叩いた。そんな音だ。
「この音は……」
ゼロは冷静だが、カイルは少なからず動揺している。
ミーファは黙って立ち上がると、窓へと近づき外を見た。同じように、ゼロとカイルも窓から外を見る。
「あれは……何ですか?」
外にいたのは、巨大な姿をした土の怪物だった。
人間のように両手両足があり、二足で大地に立っている。人間と比べると丸みがある体格で、身長は三メートルといったところ。
その怪物は全身が土で出来ており、動くたびにドロリと土が垂れていた。
「あれはゴーレムね。きっと、賢者と呼ばれる私を狙って、魔王が送り込んできた刺客でしょう」
「刺客? そんなものが来るんですか?」
「ええ。だからあの子は、誰かが来るのを嫌がっていたのよ」
「なるほど……って、納得してる場合じゃないな。おいッ、ゼロ。アイツをやっつけにいくぞ」
カイルの提案に、ゼロは少なからず驚いた。
「僕たちがアレと戦うのか? どうして?」
今度はカイルのほうが、その言葉に驚いていた。
「そんなの説明しなくてもわかるだろ。困っている人がいたら助ける。人間として当然のことをしにいくんだよ」
正直、納得できてなかった。だが拒絶する理由もなかったので、ゼロはカイルに続いて外に駆け出していくのだった。
家を出て階段を下り、草原を駆けて敵の前に立つ。
「フオォォォォォッ」
ゴーレムと呼ばれた怪物の前に立つと、敵はこちらを威嚇するように大きな鳴き声を上げた。
「ゼロッ。お前は武器がないから下がってろッ。最初は俺が戦うから、何かあったときはあの力でフォローを頼むぞ」
「わかった」
カイルの言葉にそう答えたゼロだったが、具体的な考えは何もなかった。
自分には戦うための力があるのか? あるのだとしたら、それはどこで手に入れた力なのか? その力は、誰に対して使うものなのか?
敵を前にしてゼロが思うことは、記憶を失くした自分に対する疑問だけだった。
「よしッ。それじゃあいくぞッ」
掛け声と共に、カイルが剣を抜きゴーレムへと向かっていく。
ゼロは考えることをやめ、戦いに集中することにした。