序章
「ゼロとなりし者の英雄伝説」
序章
剣と魔法の世界。
平和だったその地に、ある日魔族の軍団が進攻してくる。
魔界と呼ばれる異世界からやってきた魔族は、武力によって人間たちを攻撃。人間たちが住む世界を征服しようと企む。
魔族が操る強大な力を前に人間たちは防戦一方だったが、ある英雄の登場によって事態は大きく変わることになる。
勇者と呼ばれたその英雄は、仲間と共に魔族を相手に戦いを挑む。
戦いは熾烈を極めた。だが、仲間と共に戦い続けた勇者は魔族の支配者である魔王を追い詰め、あと少しで勝利を勝ち得るまでに至る。
しかしその結果は――勇者の敗北であった。
決戦によって勝利を得た魔族は、魔王を筆頭に勢力を拡大。
様々な手段により人々たちを苦しめ、その力と支配地を増していくこととなる。
魔王オルディバレム。
勇者レヴィン。
勇者が敗北した瞬間から一年後。
ある少年たちの出会いにより、物語は始まるのだった。
◇◇◇
見覚えのない景色だった。
辺りには、廃墟となった建物の残骸と思われる物が飛散している。
残骸の量と数から察するに、ここはそれなりの規模を持った建物の跡地のようだった。
わかることは……それだけだった。
そしてその情報も、辺りを見渡してそう思ったという程度の頼りないものだ。
視界に入った動くものに目をやる。それは自分の右手だ。特に変わったところはない。生気が感じられる、ごく普通の人間の手がそこにある。
「あーっ。あッ、あッ、あッ……」
次に声を出してみる。間違いなく自分が発した声が、自分の耳に響いてくる。だがどこかに違和感を覚える。
自分の声のはずなのに、まるで他人の声のように聞こえた。
自分が着ている服を見る。特に印象に残ることはない。簡単に手に入る、ごく普通の村人が着ていそうな服を着ている。
様々な角度から、自分という存在を確かめてみる。
わかったことは、自分は男で、特筆すべきような特徴はないということだった。
「僕は……いったい、何を……」
思い出そうとする。だが、感情が騒ぐようなことは何も思い出せない。
自分は誰で、なぜここにいて、これから何をしようとしているのか?
肝心なことはすべて、思い出せないままだった。
「おーいっ。誰かいるのか?」
声がしたほうを向く。そこにいたのは、剣を背負った剣士と思われる少年だった。
動きやすそうな短めの髪に、好奇心が強そうな大きな瞳。瞳に宿る光に邪気といったものはなく、正義感と意思の強さが感じられる。
おそらくは旅をしている最中なのだろう。
その少年剣士はマントを身に纏い、いかにも冒険者という格好をしていた。
目が合うと、少年剣士は少し驚いた顔をしてこちらに駆け寄ってきた。
「おっ。大丈夫か? でっかい音がしたから来てみたけど……怪我とかしてないか?」
目の前までやってきた少年剣士の姿を見る。
その姿を見ても、何も思い出すことはなかった。
「その様子だったら怪我とかはないみたいだけど……アンタは何でこんな所にいるんだ? 今はどこに魔王の軍勢がいるかわからないんだから、一人でこんな所にいたら危ないぞ」
「魔王?」
一瞬だけ、胸の奥で何かがざわめいた。
火がついたような熱い感情。それは針のような痛みを生むと、すぐに消えてなくなってしまった。
「そうだよ。魔王オルディバレム。今現在、俺たち人間を苦しめてる魔族の大ボスで、いつか誰かが倒さないといけない、この世界の敵。こんな辺境の土地でも、それくらいのことは知ってるだろ?」
「魔王……オルディバレム」
胸が痛む。苦しさにも似た、熱い何かが胸を締めつける。しかしその理由は、いくら考えてもわからない。
「どうしたんだよ? そんな怖い顔して? 何かあったんだったら話してくれよ。正直、俺はそんなに強くないけど……これでも魔王を倒そうと思って旅をしてる剣士なんだぜ。だから心配事があるんだったら、遠慮なく話して……」
不意に音が聞こえ、殺気が身体に突き刺さってきた。
「だぁぁッ! 何だよアイツは? 何でこんな所にダークナイトがッ?」
少年剣士は驚いた声を上げると、相手から離れるように数歩後ろへと跳んだ。
そこにいたのは、身長二メートルといった体格を持つ、真っ黒な鎧の騎士だった。
全身が鎧で覆われているため、中身を見ることはできない。騎士は体格に合った強大な剣を持ち、機械のような冷たさでこちらを見ていた。
ダークナイトと呼ばれた鎧の騎士。
冷たく強大な殺気を放ちながら、襲いかかるタイミングを計っているようだった。
少年剣士が背中に背負った剣を抜き、突然現れた敵に向かって構える。しかしその姿に力強さは感じられず、どことなく怯んでいるように見えた。
「死水晶がなければ人間もいない。こんな何もない場所にまで魔王の手先がやってくるなんて……もしかして本当に、魔王の本格的な進攻が始まったんじゃ……」
自分の気持ちを落ち着かせる為だろう。少年剣士は誰にでもなく独り言として、そんなことを言っていた。
死水晶……。
魔王……。
熱い感情が止まらない。
「何かをしろ」と自分の中の「何か」が強烈に訴えかけてくる。
「俺一人でどうにかできるかわからないけど……安心しろ。剣士として、お前のことはちゃんと護って……あっ。おいッ!」
意思なんてなかった。
ただ身体が命じるままに、本能に従い、一歩を踏み出した。
やろうと思ってできたわけじゃない。気づけば当たり前のように、それができていた。
「何やってんだよッ。剣も持たずに向かっていくなんて……殺されるぞッ」
少年剣士の声は届かない。
まるで獣のように。
ダークナイトに向かって飛びかかると、少年はその右手で殺意に満ちた黒い鎧を無慈悲に引き裂いた。
「嘘だろ。素手でダークナイトの鎧を引き裂くなんてそんな……」
少年の右手は、金色に光り輝いていた。その光の正体は、自分にもよくわからない。
そんなことよりも、今この瞬間。
最も重要なことは――目の前にいるこの敵をバラバラに引き裂いて消し去り、自分の中の熱い感情を満足させることだった。
金色に輝く右手を、敵を消し去るために振り下ろそうとする。
その顔に、狂気にも似た笑みが浮かんでいたことを、少年自身も気づいていなかった。
『だめぇぇぇぇッッ』
頭の中で、少女と思われる女の声が響いた。
我に返り辺りを見渡す。視界に入るのは、剣を構えた少年剣士の姿だけ。
少女どころから、少年剣士以外の人間は一人も存在しなかった。
その声がきっかけとなり、胸の奥の熱い感情が消えてなくなる。
何も感じなくなった少年が次に見たのは、鎧を引き裂かれたことで動かなくなったダークナイトの抜け殻だった。
中身と呼べるようなものは何もなく、黒い霧のようなものが鎧から漏れ出している。
どうやらこの黒い霧がダークナイトと呼ばれる怪物の中身で、この黒い霧の力により、ダークナイトは動いていたようだった。
「すっげぇ……凄いなお前。剣も持たずに、たった一人でダークナイトをあっさりと倒しちゃうなんて。それだけの力があれば、こんな場所に一人でいたのも納得できるよ」
少年剣士が駆け寄ってくる。その顔に恐れなどといった負の感情はなく、純粋に目の前で起こったことに感動しているようだ。
「それで、それほど凄い力を持ってて……お前はここで何をしてたんだ?」
「何……を?」
「そうだよ。あんなすげえもん見せられたあとで、『僕は普通の人間です』って言われて納得するわけないだろ。あれだけの力を持ってるんだ。もしかしてお前も、魔王を倒すために旅をしてるのか?」
「魔王? 目的? 僕が……何をしているのか? くッ。くぅぅ……」
思い出そうとする。しかし、頭が痛むだけで何も思い出すことができない。
「お、おい大丈夫か? 調子が悪いんだったら、無理して話さなくてもいいぞ」
「いや、大丈夫だけど……」
思い出せない。
何を思い出せばいいのか? それすらも、今は思い出すことができなかった。
心配した様子の少年剣士が、気遣った様子で話題を変える。
「そういえばお互い、まだ名前も名乗ってなかったよな。俺はカイル。魔王を倒すために旅にしてる剣士だ。今はまだ全然未熟だけど、この旅で成長して、いつか世界一の剣士になることが目標なんだ。それで、お前の名前は?」
「僕? 僕の名前は……」
痛む頭を無理して動かし、無理やりそれを見つけ出そうとする。しかし、自分の名前だと確信できる言葉が浮かんでくることはなかった。
だが、たった一言――。
「ゼ……ロ……」
「ゼロ? それがお前の名前なのか?」
「いや、わからない。ただ、その言葉だけが頭に浮かんで……」
「そうか。様子が変だと思ってたけど、どうやらお前は記憶喪失みたいだな。わかった。それじゃあとりあえず、お前の名前はゼロだ。金色の力を扱う謎の戦士ゼロ。そういうことで、これからよろしくな。ゼロ」
カイルと名乗った少年剣士が右手を差し出してくる。
ゼロと名付けられた少年は、その手の意味がよくわからなかった。
「何やってんだよ。こういうときはとりあえず、握手して仲良くなるんだよ。記憶喪失だとしても、それくらい覚えとけよな」
「……そうなのか? わかった」
カイルの手を握り返す。
すると今まで体験したことがない、むず痒い感覚に襲われた。
勇者がいない世界。
魔王が世界を支配するまであと少しとなった世界。
すべての記憶を失いゼロとなった少年は、一人の少年と出会い、新たな一歩を踏み出すことになる。
のちに英雄伝説として語り継がれる少年の長い旅は、こうして幕を開けたのだった。