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「なにをしているんだ?」

 自分の執務室の前でうろうろしているアーシュラをみつけて、サイファは首を傾げた。サイファが起きている時間に合わせた日暮れ時だった。

「えっと」

 アーシュラは一瞬口ごもったが、用意していた言葉を並べた。

「あの、今日もジュードは用事で外出でしょう。サイファ様も空腹じゃないかしらと思って、お菓子を作ってみたんです」

「……なるほど」

「ですが、相変わらずの出来栄えで」

 アーシュラは白い皿に乗った、カチカチと触れ合って音を立てるそれを見せた。


「……陶器のように硬質で澄んだ美しい音だが、それはなんだ」

「クッキーです」

「俺の歯を鍛えようとしているのかもしれないが、その前に歯が折れそうだ」

 超高熱と圧力によって硬質さを手に入れたダイヤモンドのように、そのクッキーは固そうであった。

「ですね」


 アーシュラはすごすごとそれを下げた。が、その直前サイファが一枚を掠め取った。ぽんと口の中に放り込む。

「まあいい。そのうちに溶けるだろう」

 サイファは右の頬を膨らませて言った。

「不思議だ。焦がしたわけでもないのにどうしてこんなに固いんだ」

 ぼやきであったが。


 アーシュラは一枚減った皿をしげしげと眺めて、妙にこそばゆい気持ちになる。

 クッキーを失敗したことも、サイファが文句をいっていることも間違いないのに、どうしてか嫌な気持ちにならない。

「で、俺に何か用事か」

「えっと」

「特にあるわけじゃないのか。まあ入れ」

 サイファの執務室は最初に見たときと同様に、雑然としていた。本が詰みあがり、重要そうな書類が無造作に束ねられている。妙に頑丈に封をされた木箱まで部屋の隅に放置されていた。

しかし本人にとってはなにかしら秩序があるのだろう。


「なんだか、父の部屋を思い出します」

 アーシュラの呟きはサイファには聞こえなかったようだ。

「……ああ、そういえば」

 サイファは自らお茶を入れていた。おそらく口の中のクッキーの処理に困ってのことだろう。

「襲われたというお前の家のものはどうだった?」

「命に別状ないとうことです」

「そうか、良かったな」

 サイファは湯気を上げるお茶の入ったカップをアーシュラに差し出した。お礼を言って受け取るとアーシュラはその見事な香りに肩の力を抜いた。


「サイファ様はお茶を入れられるのですね。しかもこんなに上手に」

「家の中のことは嫌いではない」

 それは彼の有り余る時間を推察させたが、あまりにもあっさりという言葉にアーシュラは気まずさを感じなかった。

「まあリリーがいれば彼女にいれてもらうのだが」

「リリー?」

「俺の面倒を小さい時に見てくれたこの屋敷の女中だ。お茶を入れるのが大変上手だった」

「あの……その方も先日出て行かれてしまったんですか?」

「そうだ……というには少し違うな」

 サイファは引きずってきてアーシュラの近くに据えた執務机の椅子に座った。


「まずリリーがいなくなったんだ」

 その言葉は口の中に入っている硬質クッキーのせいで声がくぐもっているにもかかわらず、寂寥感に満ちていた。

「ある日突然消えた」

「……」

 アーシュラは椅子から立ち上がれない。しかし視線は彼に向け続けた。

「女中の中でもかなり古くからいる人間で、仲間の信頼も厚かった。俺も彼女を信頼していた。でもいなくなったんだ。彼女がいなくなる少し前から、屋敷の中にうろつく奇妙な影の噂があってな。それにとって食われたんじゃないかと怯えた使用人が出て行った」

「奇妙な影?」

「夜、屋敷になかをさ迷う亡霊だそうだ」

 サイファは苦笑いだ。しかしその噂を放置して、ことを大きくしてしまった自分への自嘲も溢れていた。


「まあこの屋敷はそういうものがあってもおかしくないが」

「おかしくないんですか?」

「バージェス侯爵家といえば、誰もが欲しがる名家だからな。いろいろ血生臭い話もあったんだろうよ」

 アーシュラは平静を保っているが心穏やかでは無い。当主自ら幽霊屋敷のお墨付きを出してしまったのだ。


「俺も一つばかり知っているなあ」

 にやにやしながらサイファは頼まれもしないのに語り始めた。

「数代前の当主の話だ。その時分大変美しい女中がいた。当主にも目をつけられるほどの。しかし奥方が大変嫉妬深く、その女中はある日有りもしない失敗を押し付けられ、それを苦に首をつってしまったそうだ」

 そこでサイファはアーシュラを見て言った。

「怖いのか?」

「まさか」

「だろうな。だがそれからというもの、誰もいない部屋から、ぎいぎいと軋む音が聞こえときあるそうだ」

 サイファは声を沈めた。アーシュラは口を引き結ぶ。おとなしく聞いているが、怖さのあまりにお尻の辺りがじわじわと落ち着かない。


「なんの音だろう、とそちらを見ると、ゆらーりゆらーりと揺れる首吊りの影が…………ほらアーシュラの後ろにも!!」

「ぎゃー!!」


 アーシュラが叫んだ瞬間、サイファの顔に『この程度で?やりすぎた?』という焦燥が浮かんだ。しかしアーシュラがそれを見ることはなかった。そのままソファから滑り落ちるようにして落っこちてしまったからである。

「あ、アーシュラ!?」

 予想もしなかった激しい反応にサイファは慌ててアーシュラのところに駆け寄った。

「おい大丈夫か!」

 真っ白な顔をしているアーシュラの頬を数回軽くはたくと、彼女は目を開けた。


「うーん、くびつりー……」

「おい、ちょっとしたありがちな怖い話だ。ただの作り話だ!」

 ふらふらしているアーシュラの肩を抱えるようにしてソファに座らせる。自分もその横に腰掛けて彼は申し訳なさそうに言った。

「本当のところは、女中はただ別の屋敷に勤め先を変えただけだ。しかもそこでちゃっかり良い男を捕まえて結婚したそうだ」

「あ、あいすみません……」

 アーシュラを額を押さえながら言った。


「わたし、ちょっと怖い話が苦手で」

「ちょっとなんてもんじゃないようだが……」

「多分耐性がないだけなんです。百とか千とか聞けばきっと耐性が……!さあサイファ様、次の話を!」

「いやもう勘弁してくれ」

 それでもいつもの調子をとりもどしたアーシュラにサイファも安心したようだった。

「しかしアーシュラが怖い話を嫌いだとは……」

「多分、あまり聞いたことがないからだと思うのです。でもそれでよかった」

 アーシュラはサイファを見ずに言う。


「母はわたしが小さい時に亡くなりました。父もいないことが多かった。怖い話を聞いて夜に思い出しても、ぎゅっとつかまる相手がいませんでしたから」

 一人のベッドで思い出したら、さぞ怖かったろうとアーシュラは考えている。今はもう一人でいても平気な年齢だ。

「……アーシュラ」

 サイファはなんと答えようか考えあぐねているようだった。

「わたしはもう平気なんです。まあちょっと今は不意打ちでしたけど」

「悪かった」

 そしてサイファは続けた。

「……もしかして父親を恨んでいるのか?」

「いいえ。恨むほど近しい人ではありません」

 その答えはサイファの求めていたものではなかったようだ。彼は少しだけ悲しい顔をした。


「そうか……」

 サイファは何か考え込んでいるようだった。それはアーシュラが怖さを忘れてしまうほどに。

「俺も今は何も言えることは無い」

 サイファは静かに言ったが、アーシュラの肩にそっと手を回した。

「しかしこの屋敷にいる間くらいは、怖い話を思い出したら、俺にぎゅっとつかまればいい」

「……ありがとうございます」

「さあこい」

「なんかそう気合を入れられるとやりづらいです」


 しかしアーシュラもそっと手を伸ばした。サイファの服の袖をつまむように触れる。

 本当なら、このまま抱きつくのが良いような気もしたが、自分の中の何かが焦ってそれを拒否していてできなかった。

 いつもしている白い石の指輪が嵌められたサイファの手はとても近い。けれどなぜか恥ずかしくて手に触れることができない。

 なんだかサイファ様といると調子が狂ってしまうわ。

 アーシュラはそう思いつつも手は放さなかった。



 それからしばらくは、オーガストの身を案じたアーシュラは、すでに人の手に渡ってしまった自宅に足しげく通い、彼の様子を見ていたのだった。面倒を見るというにはあまりにもオーガストは自分でなんでもできてしまう人間だったので、どちらかというとアーシュラの存在は何か起きたら騒ぐための警報機代わりにしか役に立っていなかったが。

 彼女も忙しかったためにサイファと再び顔を合わせたのは何日かたってからのことだった。

 自宅から帰ってきて疲れていたアーシュラはその日、夕飯も口にしないで眠ってしまったのだった。間借りしている部屋のソファで転寝してしまったアーシュラがふと目を覚ましたのは深夜だった。


 その日は昼から天気は優れなかったが、深夜となって雨が降っているのか外の木々の葉にあたる小雨の音で気がついた。

「ああ、服も着替えないで眠ってしまっていたわ」

 アーシュラはいつも以上にくしゃくしゃになって収まりのつかない髪をかきあげながら身を起こした。

 日があるうちに眠ってしまったため、部屋には明り一つない。アーシュラは手探りで机の上に手を伸ばすと小さな山となっている禍石を一つつまんだ。

 小声で呪文を唱えるとぽうっと小さな明りが手の平に灯った。熱は持たないそれをテーブルの上におきアーシュラは、着替えようかとクロゼットに足を向けた。

 とカーテンの閉まっていない窓の向こうで何かが揺れた気がした。


「……今、何か」

 アーシュラにしては激しい逡巡がこの瞬間から始まった。

 窓から見える中庭に何かがいるような気がする。しかしそれがもし人知の及ばぬ何かであったら……、出て行った使用人たちの「この屋敷には幽霊が出る」という言葉を思い出す。幽霊だったらどうしたらいいのだ、わけのわからない存在に対して感じる恐怖心というものはまったくもって始末に困る。

 が。

 しかし、もし幽霊でなかったら?

 そう思うとアーシュラは俄然張り切りたくなってくる。


 不審者であったとしよう、それをアーシュラが退治することで、サイファ様にとっては役に立つ存在とアピールできる。それは嫁への近道!

 普通、嫁に用心棒としての役割はあまり求めないという大前提はアーシュラの中にはない。結論はともかく、一応筋道を立てた打算を抱き、アーシュラは窓に近寄った。頭の中では手持ちの禍石をどのように組み合わせたら不審者をこてんぱんにできる呪文が構成できるかと言うことでいっぱいだ。仮に不審者がいたとしても、アーシュラのほうがむしろ危険極まりない存在ではないだろうか。


「……なーんだ」

 目に映ったものを見てアーシュラは本心でがっかりして呟いてしまった。

 中庭にいたのはこの屋敷の家令のジュードだった。

「別に怪しくもなんともないわね」

 ほっとしたような、活躍の場を持てずがっかりしたような、そんな微妙な気分でアーシュラは彼をぼんやり見下ろしていた。だがそれは時間がたつにつれ疑問に変わる。

 なぜ彼は、こんな雨の夜に中庭をうろうろしているのかしら。ということだ。サイファが起きているためかジュードも夜遅くまで用事をこなしていること多いが、こんな夜中に庭の手入れと言うこともないだろう。彼は茂みや潅木の根元を覗き込んでいた。それは以前夕刻にあったときと同じ動きだ。


 まるで何かを探しているような。


 相手がジュードということになればそれはそれで好奇心がわいてきてしまう。アーシュラはまだ寝巻きになっていないのを幸い、そのまま部屋を出た。廊下を歩いて母屋と離れをつなぐ回廊に出たが、そこから見える中庭にはすでにジュードの姿はなくなっていた。

「どこに行ってしまったのかしら」

 しばらく暗い中庭を困惑したまま見渡していたアーシュラだったが、妙な音がアーシュラの注意をそらした。正確には空腹を知らせるお腹が鳴る音である。

「そういえば夕飯を食べ損ねていたわ」


 おそらくジュードがいる以上、適当な時間に声をかけてくれたはずだが寝ていて気がつかなかったのだろう。しかし彼はそういった点ではぬかりない。きっと台所に行けば何か残っているはずだ。

 そう考えたアーシュラはかって知ったる我が家のように本館に入ったのだった。暗がりは怖いのでなるべく壁の間の窓や、調度品の陰については考えないようにして廊下を歩いた。温かいスープがあったら良いわね、などとずうずうしさ混じりの明るいことを考える。それでもやはり気持ちはユウレイコワイに思わず傾きそうになる。


 だから、廊下の向こうにぼんやりとした影を見たとき、最初は幽霊かと思ったのだった。

 思い切り悲鳴を上げてしまうまでに一瞬もかからなかった。そのまま足からへたり込みそうになった時に気がつく。

 こちらに向かってくるその影にはれっきとした足音が存在することを。

 力強く、そして遠慮がない。

「えっ?」

 夜の合間に瞬く光は廊下に置かれたろうそくや光の魔術が解放された禍石だ。その淡い光を反射したのはその相手が持つ剣だった。


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